旅の思い出「新津油田/石油の里公園」(新潟県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

≪かつての石油貯留施設跡≫

 

こんばんは。ひつぞうです。今夜も新潟旅行の落穂ひろいネタです。小千谷市を後にした僕らは、新津市にある石油の里公園を往訪しました。1917年(大正6年)にピークを迎え、1980年代に産業としての役割を終えた新津油田。その歴史の紹介と遺構保存を目的として1988年に「石油の世界館」が開館。屋外

施設も含めて公園として整備されています。

 

なお当該遺構は「日本の地質百選」にも選定。新津温泉も油田開発中に掘り当てられたものです。

 

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今年新津温泉を訪れた際、時間の都合で行きそびれた石油の里。近代化遺産とジオ好きの僕としては、絶対押さえておかねばならないスポットだった。広大な駐車場は、整備当初の意気込みを感じさせる。しかし、十連休の好天に恵まれたこの日。停まっているのは数台に過ぎない。

 

「パンピーの観光にはツラいかもにゃ…」サル

 

メイン会場の石油の世界館に至るまで石油関連設備が陳列されている。

 

 

C86号井 綱式機械掘り石油井戸(1941年掘削/深さ74m)

 

中越地方の地形図を見ると、南南西ー北北東方向に並行して延びる丘陵地帯が確認できる。新津丘陵もそのひとつで、第三紀に太平洋側からのプレート活動によって圧縮されてできた褶曲丘陵なんだ。おもに日本海側の海盆に堆積した砂岩、泥岩の互層からなり、一緒に堆積した有機物が原油となった。

 

 

新津丘陵の断面だね。圧縮されて逆断層を形成している。そして、山型に褶曲しているね。その三角帽のトップに比重の軽い天然ガスと原油が溜まるんだよ。こういう地質構造を背斜型トラップと云うんだって。ここを狙って掘削するわけだ。

 

「なんでその上に原油は染み出さないのかにゃ」サル

 

滲みださない緻密な岩質の層があるんだね。帽岩(キャップロック)っていうそうだ。同じ泥が堆積した岩でも、泥岩(シルト)、頁のように捲れる頁岩(シェ、更に圧力を受けた粘板岩(スレート)に大別される。一時期アメリカがナショナルプロジェクトとして力を入れたオイルシェールが、ここ新津の露頭

でも観察できるらしいよ。

 

新潟や秋田に油田が分布する理由は、日本列島誕生の歴史を考察するとよく判る。太平洋側はプレートに引っ張り力が働き、かつ付加体が形成されるから、有機物を含む堆積層ができないんだ。

 

 

クリスマスツリー(石油資源開発㈱寄贈)

 

石油が埋設される地層が深いと、強い圧力が加わっているために自噴する。その産出量を制限するのがこの装置。主に海外の油井で利用され、油層の浅い新津油田で利用されることはなかった。

 

それでは石油の世界館に行ってみよう。

 

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石油の世界館

所在地:新潟市秋葉区金津1172-1

開館時間:9時~17時(水曜定休)

入館料:無料

駐車場:約130台

 

 

立派な建物だけど無料なんだね。以前は有料だったみたいだな。内部は①石油のでき方、②石油掘削の原理、③新津(金津)油田の歴史、という大まかな構成になっている。

 

 

これね。標本はオーストラリアのコンドル鉱山のものだけど…。岩の中に原油が沁み込んでいるんだ。

 

 

かつて日本海で活躍した海洋掘削プラットフォーム≪白竜≫。大抵は国内の造船会社で建造されたんだよ。

 

 

こうした先端にドリルのついたピットと呼ばれる杭を、岩盤に打ち込んで油井を掘り当てるんだ。凄いのはピットを補強するリブが手溶接で幾層も肉盛りされているところだ。まだサブマージドアーク溶接などない時代だもんな。この技術もすごいよ。

 

 

「感心のしどころが乙女のおサルには判らんにゃ」サル

 

 

上総(かずさ)掘り模型

 

上総の国(今の千葉県)で水井戸を引き上げるために開発された機構を油井掘削に応用したもの。

 

 

周囲の金津鉱場のジオラマ。なんで山で原油が掘れるのか。

 

 

くどいようですけどこういうこと。

 

「山の下に原油の貯まり場があるんだにゃ」サル

 

江戸時代以前から、越後では燃える水の存在が知られていた。燃水(もるみず)あるいは草水(くそうず)と云ったそうだ。草色をしているのと「臭い水」を掛けた表現だったのかな。

 

 

こんな装備でたった一人、細い油井に這入って油を掻き出したんだ。原油に酔わないように酢を口に含んで坑内に入ったという。でもなんで酢だったのかね。

 

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館内はだいたいこんな感じ。屋外の展示物を見てみよう。

 

 

新津三号井(明治36年掘削/深度194m)

 

1996年まで100年近く原油掘削に従事した最後の油井設備。この綱式機械掘り油井装置が導入され、日本の原油生産が一気に飛躍した。最盛期は百以上の企業や個人事業主が参入したんだって。町も凄い賑わいだったみたい。

 

 

これは隣りにある貯留設備みたいだね。もうね。練ったばかりのアスファルトのような臭気が辺り一面に充満していて死にそうなんだけど、すぐ近くに民家が普通にあるんだ。皆さん鼻が馴れてしまったんだろうか。

 

 

新聞で読んだけど、今でも新津周辺では土中から重油が滲み出て大変らしい。採算ベースには乗らないから処理費は個人持ち。

 

 

山のあっちこっちに油井の跡。ほんとごく最近まで事業として続いていたんだ。

 

 

もう少し上手に観光地化できるといいね。富岡製糸場や生野銀山の二の舞だけは避けたいものね。

 

 

一度水切りされた原油は、この加熱炉で約70度で加熱されて更に水分を飛ばす。

 

 

その後、信濃川の船着き場までパイプラインで油送されるんだけど、加熱して流れやすくした原油を再び冷まさないように、煉瓦で覆ったタンクに貯留したそうだ。

 

「なかなか勉強になったにゃ」サル

 

さて最後に(ちょっと離れているけど)新津油田の先駆けとなったジオサイトに行って終わりにしよう。

 

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煮坪(にえつぼ)

■新津油田開発の嚆矢となった記念碑的油井跡

所在地:新潟市秋葉区草水町

(車輌一台がギリギリ進入できる道の奥。徒歩推奨)

 

 

「なにここ?」サル

 

これぞ新津油田の開基ともいうべき記念碑的油井跡だよ。慶長13年に新発田藩の命を受けて柄目木仁兵衛貞賢が発見した天然の油井だったそうな。なんでも天然ガスと水と原油が1メートルも沸き立ったという。あばれ井戸の湯と同じだ。

 

その後周囲の油田開発が進むと勢力は沈静化した。温泉掘削と似ているね。

 

 

道が細くてここまで来るのが大変だった。ふむふむ。以前写真で見たものはもっとどす黒いか濃緑色だったけど…。ただのため池のような…。

 

 

確かに脂が表面に滲みだしているけれど感動が今一つだった…。

 

「おサルにはこの重油臭さが堪えられにゃい」サル

 

ということで盛り沢山な石油の里だった。因みに金津鉱場を採掘した石油王こと中野貫一翁の邸宅も見学開放されている。ただ(庭園鑑賞目的のためか)紅葉シーズンのみの公開。興味のある人はHPか市役所に確認しよう。

 

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中野邸記念館

■新津の石油王・中野貫一の邸宅

所在地:新潟市秋葉区金津598番地

開館時期:9月~11月(不定期公開/HPで要確認)

入場料:1000円

 

 

朝寝坊はダメだってよ。おサル。

 

「まじ?」サル

 

まじまじ。で、もう一箇所ぜひ訪れたいところがあるんだ。陽も傾きかけているので急ごう!

 

(続く)

 

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