ヨハネによる福音書 その49
「28.それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った。時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで過越(すぎこし)の食事ができるように、官邸にはいらなかった。
29.そこで、ピラトは彼らのところに出てきて言った、「あなたがたは、この人に対してどんな訴えを起すのか」。
30.彼らはピラトに答えて言った、「もしこの人が悪事をはたらかなかったなら、あなたに引き渡すようなことはしなかったでしょう」。
31.そこでピラトは彼らに言った、「あなたがたは彼を引き取って、自分たちの律法でさばくがよい」。ユダヤ人らは彼に言った、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」。
32.これは、ご自身がどんな死にかたをしようとしているかを示すために言われたイエスの言葉が、成就するためである。
33.さて、ピラトはまた官邸にはいり、イエスを呼び出して言った、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」。
34.イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。
35.ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。
36.イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。
37.そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。
38.ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。
39.過越(すぎこし)の時には、わたしがあなたがたのために、ひとりの人を許してやるのが、あなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか」。
40.すると彼らは、また叫んで「その人ではなく、バラバを」と言った。このバラバは強盗であった。」
「ヨハネによる福音書」第18章28節~40節
感想
>37.そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。
イエスがイスラエルの王(ユダヤ人の王)と記されている部分を抜き書きしよう。
「1.イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
2.「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。」
「マタイによる福音書」第2章1節~2節
ただし、続きにこうあるが。
「3.ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
4.そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
5.彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
6. 『ユダの地、ベツレヘムよ、
おまえはユダの君たちの中で
決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、
わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。」
「マタイによる福音書」第2章3節~6節
また、この6節は旧約聖書「ミカ書」第5章2節である。
「しかしベツレヘムエフラタよ、
あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、
イスラエルを治める者があなたのうちから
わたしのためにでる。
その出るのは昔から、いにしえの日からである。」
イスラエルを治める者だから「イスラエルの王」でいいだろう。
「49.ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。」
「ヨハネによる福音書」第1章49節
「13.しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、
「ホサナ、
主の御名(みな)によってきたる者に祝福あれ、
イスラエルの王に」。
14.イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは
15. 「シオンの娘よ、恐れるな。
見よ、あなたの王が
ろばの子に乗っておいでになる」
と書いてあるとおりであった。」
「ヨハネによる福音書」第12章13節~15節
因みに、15節は、旧約聖書「ゼカリヤ書」第9章9節である。
「42.「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。」
「マタイによる福音書」第27章42節
信者ではない人まで「イスラエルの王」と名乗っていた事を知っていたようだ。ところで、ノストラダムスの10巻72番の詩の「恐怖の大王」はイエス・キリストではないだろうか。「大王」は「偉大な王」と訳せるし、1999年は暗号と思われる。7月に7の月なんて表現するのはおかしいと思わないだろうか。英語で言えば、「July」を使わないで「seven month」なんて表現する奴はいないだろう。「the seventh month」(7番目の月)なら分かるが。
ノストラダムスはクリスチャンだしね。
補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10338777518.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11941955666.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11942834764.html
10巻72番の詩のもう一つの読み方
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra un grand Roy d'effrayeur,
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,
Avant apres,Mars regner par bonheur
1999年7の月
天から恐怖の偉大な王が来るだろう
アンゴルモアの偉大な王が復活する
その前後、火星が幸運によって君臨する (前回の自分の訳)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10533532027.html
3行目の「Resusciter」は自動詞の「復活する」の他に他動詞で「復活させる」という意味もあり、また不定法(英語で言う所の「to 不定詞」)で訳すと、
1999年7の月
天国から恐怖の偉大な王が来るだろう
アンゴルモアの偉大な王を復活させるために
その前後、火星が幸運によって君臨する
「ciel」には「天」の他に「天国」の意味もあるので変更した。すると、「ヨハネによる福音書」第16章に出て来る「真理の御霊」と解釈されないだろうか。(イエスの再臨の準備をする洗礼者ヨハネ的な人物。)
だから、1999年生まれかその時にイエスが磔刑になった33歳という事だろう。
余談だが、五島勉氏の解釈の「別のもの」とも考えられる。そうすると、「ブロワ城の問答」が成立して、五島勉氏の予言は当たっていた事になる。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11932834832.html
おまけ