L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra vn grand Roy d'effrayeur:
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,
Auant apres Mars regner par bon-heur. (ノストラダムスサロンの原文)
年は一九九九年と七ヶ月
恐怖の大王が天より姿を現わすだろう
彼はアンゴルモアの大王を蘇生させ
その前後は火星が幸せに支配する (山根和郎 訳)
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra un grand Roy d'effrayeur,
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,
Avant apres,Mars regner par bonheur
1999年7の月
天から恐怖の偉大な王が来るだろう
アンゴルモアの偉大な王が復活する
その前後、火星が幸運によって君臨する (前回の自分の訳)
「effrayeur」は、辞書にないが、「effrayant」で「恐ろしい」、「effrayer」で「怖がらせる」なので、「恐怖」と訳した。(文章の形態より名詞だから。)また、何故こんな造語を使っているかについては、1行目と3行目で「mois」で韻を踏んでいるので、2行目と4行目でも韻を踏ませたと考えられる。「resusciter」は、辞書にないが、「ressusciter」で「復活させる、復活する」なので、「復活する」と訳した。11年前に解読した時は、単にressusciterの古い形としかしなかったが、ノストラダムスはわざと「s」を一つ減らしたと考えられる。「resusciter」を「re」と「susciter」に分けると、英語で「re」は接頭語で「再び」、フランス語で「susciter」は「(感情、考えを)呼び起こす、かき立てる」なので、1999年肯定派と否定派とで感情がかき立てられた事は事実で、それが未来のキリストの再臨の時も起こる事の暗示と思われる。
「LIAR GAME 1」での訂正
「resusciter」という単語は、「ressusciter」の古語なので、「s」を1つ減らしたとかそんな事実はない。よって嘘である。ただし、フランス語にも「re」で「再び」の意味はあり(例えば、faire(する)=>refaire(再びする)naître(生まれる)=>renaître(再び生まれる)など)、当時「resusciter」の他にも「復活」を表す単語はあったと思われるが、この単語を使ったのには他意があるのかもしれない(「susciter」は1606年の辞書にも載っている)。
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roy deffraieur
Resusciter le grand Roy d'Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur. (ラメジャラー本の原文)
「deffraieur」は「defrayeur」の事とすると1606年の辞書にあり、多分その古い形の「desfrayeur」とすると古語辞典(中世)に「Celui qui prend à charge les dépenses」(支払いの責任を引き受ける人)とあるが、名詞なので文章的に合わず、「d'effrayeur」と取る方が自然だろう。「effrayeur」は古い辞書の横断検索でヒットせず、古語辞典にも載っていない。「effrayer」は1606年の辞書にあるが、古語辞典に「s'agiter,s'emporter,crier」(揺れ動く、激怒する、叫ぶ)の意味しかなく当時は「怖がらせる」の意味はなかったようだ。しかし、「frayeur」(「突然の激しい」恐怖)は1606年の辞書にあるので、「effrayer」+「frayeur」の造語ではないだろうか。ただし、「frayeur」は古語辞典には載っていない。結局、訳は前回と同じで「恐怖」とする。ところで、「mois」を古語辞典で調べると「menstrues」(月経、経血)が一番初めに来ていて、次に「des mois」で「de longtemps」(ずっと以前から(慣用句))しかないので、当時「月」の意味はあったのだろうか。そこで、暗号として「longtemps」(長い間)で解釈すると、
1999年7つの長い時が過ぎ
天から恐怖の偉大な王が来るだろう
アンゴルモアの偉大な王が復活する
その前後、マルスが幸運によって君臨する
解釈は、前回と同じでキリストの再臨と解釈する。(「ノストラダムスの大予言はまだ終わっていなかった!!」http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10338777518.html を参照。)また、「effrayer」に恐怖の意味はないのにわざと使ったと考えると、新約聖書「ルカによる福音書」第21章26節の「もろもろの天体が揺り動かされるからである」との関連も考えられる。
終わりの時、7つの時が過ぎ
天から恐怖の大王が来るだろう
キリストが再臨する
その前後、黙示録の獣が幸福の名のもとに支配する
「第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神に拝して言った、「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。諸国民は怒り狂いましたが、あなたも怒りをあらわされました。そして、死人をさばき、あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました」。そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。」 新約聖書「ヨハネの黙示録」第11章より
「また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」 新約聖書「ルカによる福音書」第21章より
補足1
ピーター・ラメジャラー著「ノストラダムス予言全書」に「Ⅹ.72(10章72番の詩の事)の現存する最も早い版は1568年のものであるので、ここにベノワ・リゴーの1568年版からこれを採録して示したい。・・・・「deffraieur」のちの乱れた版を別にすれば、この語には省略記号(アポストロフィ)がないので、「恐怖の」という意味ではない(ただし、ノストラダムスは省略記号(アポストロフィ)を省いたり入れたりして遊ぶのが好きだったので、解釈する人たちに対して故意に罠をしかけようとしたという可能性もなくはない)。この語(古フランス語のdesfrayer、現代のdéfrayer)は「恐怖の」の意ではなくて、単に「支払う人」あるいは「支払い係」を意味する。」とあるが、「ノストラダムス雑記帳」に「ラメジャラーは指摘していないが、1568年版の時点で既に deffraieur と d'effrayeur の二通りの異文があり、どちらが正しいのかについては、さほど確定的なことを言える状況にない。」とある。また、「desfrayeur」は名詞だが「défrayer」は動詞。(文章的に形容詞(または副詞)ならば検討の余地もあるが。)因みに、アポストロフィは英語読みでフランス語読みではアポストロフ(綴りは全く同じ)。(これは日本人の翻訳者がラメジャラー氏の英語の原文を普通に訳しただけだからフランス語読みである必要はない。)
補足2
ノストラダムスは、本当に「終わりの時」について述べているのかという問いに対しての参考資料。
3章92番の詩の1行目
Le monde proche du dernier periode,
最後の段階から近い世界(人々) とある。因みに全体では、
世界は最後の時期に近い。
遅れたサトゥルヌスが今一度戻ってくるだろう。
帝国はブロドの国の辺りに移し変えられ、
眼はオオタカによってナルボンヌで刳り貫かれる。(ノストラダムスの大事典より)
「periode」を男性名詞として使用しているので、意味は故意に「時期」ではなく「段階」を表している。つまり、自然発生的な「終わりの時」ではなく、神の計画である「終わりの時」を表している。
「第五の御使いが、ラッパを吹き鳴らした。すると私は、1つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には、底知れぬ穴を開く鍵が与えられた。その星が底知れぬ穴を開くと穴から大きな炉の煙のようなものが立ち上がり、太陽も空もこの穴の煙によって暗くなった。その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには地のさそりの持つような力が与えられた。そして彼らは、地の草やすべての青草やすべての木には害を加えないで、ただ額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。」 新約聖書「ヨハネの黙示録」第九章より
補足3
10章72番の詩の年号は普通に考えれば絶対に西暦だと言う人のために。
まず、年号指定(警告)が目的だったら絶対に「sept mois」(7の月)なんて中途半端な表現などせず「juillet」(7月)を使ったはずだし、詩的な表現がしたかったのなら「septièm mois」(7番目の月)としたはずだ。そこで、西暦だとすると「sept mois」(7ヶ月)しかない。しかし、1999年7ヶ月なんて期間は文章的に合わないし、大目に見て1999年に「7ヶ月」としても文法的におかしいだろう。「viendra」は英語で言う所の「will come」。よって、「1999年に7ヶ月間来るだろう」となる。つまり、英語で言う所の未来進行形「will be coming」で「1999年に7ヶ月間来ているだろう」またはフランス語で「restera」(rester(英語で言う所のstay)の未来形)を使うはずだ。
まあ、「毎日来るだろう」の「毎日」を省略したんだと言われれば返す言葉もないが、ただし、そんな考え方をするあなたの方がよっぽど「こじつけがひどい」と言われるだろう。素直に考えれば、年号は全て暗号で「1999年」は「終わりの時」の暗喩と見るべきだろう。
追加
よく考えたら、「an」(年)が複数形になっていないので「1999年と7ヶ月」はない(「mois」(月)は単数複数共通)。よって、あとは「1999年に7ヶ月」だけだが、本当にこれが言いたかったのなら勘違いされないために「sept mois」の前に「pendant」(~の間)を入れて「7ヶ月間」としたはずである。つまり、「1999年7の月」が言いたかったと考えるのが普通。
(「pendant」の代わりに「pour」(英語で言う所の「for」)でも良い。また、「l'an」つまり「le an」英語で言う所の「the year」より「the」が付いているので、この事からも「1999年」は「1999年間」ではない。)