米国同時多発テロから、5年。

 そして、テロに起因したアフガニスタンとイラクでの戦争。今も、イラクの治安は回復しそうにもない。


 5年も経ったとは思えないほど、あの映像を呆気に取られて見た記憶は鮮明である。

 NHKニュース10を見ていたら、始まって程なくして、世界貿易センタービルが煙に包まれている映像に切り替わった。飛行機が衝突したとのコメントがあった。

 しばらくして、もう一つのビルへ、飛行機が突っ込んだ。まるで映画でも見ているような光景だった。この時点でようやく、事故ではなくて事件だと気付かされた。


 先に北棟に衝突した。17分後に、南棟に衝突、激しく炎上した。

 南棟が56分後に崩壊する。まさかと思った。それから30分後に、北棟が崩れ落ちた。衝突してから1時間40分後であった。崩壊する等ということは、考えもしなかった。


 このビルは、飛行機が衝突しても耐え得るように設計されていた。

 確かに、1時間近く持ちこたえたることが出来たのだ。もう1棟は1時間40分も耐えた。しかし、崩壊してしまった。単なる衝突であったなら、崩壊しなかったかも知れないが


 それでは、何故、崩壊したのだろうか。

 ビルを成立せしめるには、柱や梁が必要である。高層ビルになれば、柱や梁は鋼材にした方が有利である。そして、万一の火災に備えて、柱や梁には耐火被覆材を張り付ける。火災時に発生する熱から鋼材を守るためである。

 衝突の衝撃でこの耐火被覆材が剥がれてしまい、飛行機の燃料が燃える高温の熱に、鋼材が徐々に溶解してしまう。溶けてしまえば、上階の重量を支えることが出来なくなる。部分的なものであっても、バランスを崩してしまう。上の階が支えられなくなると、上部の荷重共々、下階に崩れ落ちる。下階は、落下の衝撃も加わった重量を支えられずに、やはり崩れ落ちる。後はこの繰り返しで、連鎖反応的に最下階まで崩落して行くだけだ。 

 南棟が時間的に早く崩壊したのは、映像を見れば分かる通り、衝突後の火災がすさまじかったことによる。


 私にはこのような規模の設計の経験はないし、そもそも構造は詳しくない。以上のことは、資料と若干の考察による。

 そのような自分を棚に上げて言うのも気が引けるのだが、一つの疑問がある。

 あのビル崩壊を、誰か予想した人がいたのだろうか、ということだ。

 予想出来れば、救出活動のためにビルを駆け上った消防隊員を救えたのではないかと思うからだ。「危ないから逃げよ」と警告出来たならば、一般の人達も、早くに現場を離れることが出来たのではないか。


 5年経っても、このことが頭から離れない。

 プロ野球も、いよいよ優勝を激しく争う終盤になって来た。もちろん、それは上位にいるチームに限ったことだが。

 カープファンとしては、もはやジャイアンツとの4位争いを遠目に見ているだけだ。

 カープにとっては、その4位も怪しく思われる。黒田がリタイヤしたからである。


 今は、巷間伝えられるような“黒田のFA権行使による他チームへの移籍”が、私にとっての最大関心事である。

 FA宣言したからと言って、カープが黒田の他チーム行きを許すなら、私はカープファンを止めようと思う。

 この10年来のカープを見てみると分かるではないか。

 まず、ジャイアンツキラーと言われた川口が、あろうことか、ジャイアンツに行った。

 ホームラン王の江藤も、ジャイアンツに取られた。

 金本が、星野の一言に参って、タイガースのユニホームを着るなり、優勝させてしまった。


 成績の良かった外国人は、全員をトレードで出してしまった。

 遠くはロペス、そしてチェコ、ミンチー。タイガースのシピンには、チャンスに打たれてばかりだ。ラロッカもいなくなった。


 要は、年棒を惜しむという経営方針が間違っているのだ。

 その結果が、今年も含めれば、10年前の3位を最後に、後はBクラスに沈んだままだ。

 だから、ホームゲームの入場者数は、12球団の中で最低である。収入が少ないから、お金が出せない。良い選手は逃げてしまうから、順位は上がらない。悪循環の真っ只中にいる。

 この状態で黒田を出すなら、来年の勝率は3割を切るだろう。もはや、球団の体をなさなくなってしまう。


 新球場の建設に口出しするのは、目に見える成績を残してからにするべきだ。

 安い球場使用料に助けられている球団なんぞが表に出て来て、注文付けるなと言いたい。


 もう一度言う。

 カープよ、黒田を出すな! 黒田を出すなら、私はカープファンを止める!

 先月、テレビニュースが取上げた事件の当事者が、私と同名だった。ただし、“読み”が一緒だっただけだが。

 しかも、小さい子だったので、「○○ちゃん」とか、「○○くん」と呼ばれていて、少々戸惑った。

 しかし、実際には、私はフルネームで「○○ちゃん」「○○くん」と呼ばれたことはなかったように思う。大体、「○○ちゃん」とは呼び難いのだ。「○○くん」もそうである。ニュースの中だからこそ、言えることなのだ。

 小さい頃は、「○ちゃん」とは呼ばれた。語呂が良いのだ。語呂が良いので、父が名付けたと言っていたことがある。非常に言い易い。

 家族にも、近所でも、普通はそう呼び習わされた。今思うと、懐かしい。


 ある団体に属していた時、4歳上だったが、やはり同名の人がいた。

 彼は「○明」であり、私は「○昭」であった。年上でもあったから、「あなたは明治生まれで、私は昭和生まれだ」と言って、飲み屋でのジュークに使った。事実、頭だけ見れば、そうとも言えた。


 この前の日曜日に、ゴルフ場行きの車の中で、彼の話を聞いた。

 脳梗塞を患ったということだった。意識不明だったり、半身不随で寝込んでいる訳ではないそうだ。1ヶ月余りの入院後、リハビリに努めた結果、出歩けるようにはなった。しかし、当然のことだが、仕事は無理のようである。

 勤務先は、彼の父親が創業した会社だった。現在の社長は、彼の従兄弟である。だから、融通は利く。

 しかし、頭は正常であっても、体は自由にはならないのだから、苛立つ思いをしているだろう。


 彼は高血圧で、なおかつ糖尿病でもあったとか。知人は、その糖尿病が原因だと言っていた。

 言った本人を含めて、その場の4人共が高血圧のようだった。


 私も高血圧だが、糖尿病ではない、と思っている。掛かり付けの医者が、糖尿病であるとは言っていないからだ。それが救いである。


 同名だから、と言うことではないが、気が合っていて、良く飲み屋にも行った仲だったから、彼のことは少なからずショックだった。

 早い全快を祈るばかりである。

 今日未明、近くのドン・キホーテに行った。

 帰り際、出入口の右側の小さなテーブルの上を見て、少々驚いた。

 「9月15日から、全館禁煙にします」と書いた紙が貼り付けてあった。やっと腰を上げたのか?


 去る7月20日に、このブログに書いたことがある。

 「入り口を入ってすぐ左側にベンチが置いてあって、若い者が煙草を吸っている。店に入ると同時に、何故、煙草の煙を吸わされなければならないのか」という趣旨の記事だった。


 私は期待していた。

 ドン・キホーテ等のお客相手の企業は、ブログのチェック位はしているだろう、と思っていたのだ。店に来るお客の何人かが、買う品、店員の接客態度、店内の様子、要望や意見等を書いているはずだから、それらを読めば、今後の店に生かせることもあるのではないか。このように考えて当然だと思った。

 だから、私の記事も担当者の目に止まって、直ちに改善されるに違いない。


 しかし、一向に改善されない。そんな店なのかと諦めていた。

 それが、あの“貼り紙”である。私にすれば、遅きに失しているが、店の方針に拍手を贈りたい。


 恐らく、お客の直接の意見を採用したのだろう。店員の意見具申があったのだろうか。本部からの全店に対する指示によるものかも知れない。


 私の記事を見たのであれば、もっと早くに改善されていた。やはり、チェック等はしていないのだ。

 もったいないことだ。「ドン・キホーテ」を検索すれば、たくさんの情報が手に入るのだ。こんなに簡単に入手出来る情報はないはずだ。


 私でさえ気付くのだから、そんなことは当たり前だと、多くの企業では、既に実行されているだろうと思う。

ブロガーにとっては嬉しいことでもある。気ままに書いた記事が何らかの役に立つとなれば、ブロガー冥利に尽きるというものだ。

 今日のゴルフは雨の中のスタートだった。

 アウトコースは、3、4番までは小雨の中、その後は、降ったり止んだりの状態だった。

 少しぬかるんでいるところはあったが、どうしようもない程ではなかった。グリーンに水が浮くようなこともなかった。

 雨の落ちる状態に合わせて、雨合羽の着具合も違った。スタート時点では、上下を着なければならなかったが、途中で、まず上着を脱いだ。時折の小雨には、傘で対応する。

 西の空が明るくなったように思えた頃から、ズボンも取ると、一挙にすっきりした。

 その後は、雨合羽を2度と着ることはなかった。雨の中を覚悟してスタートしただけに、雨合羽と縁が切れたことは何よりだった。

 インコースは、曇天ながらも、雨はもう降らなかった。

 雨は、プレイには影響なかったと言える。では、どうして私のスコアは思わしくなかったのだろうか。じっくりと反省しなくてはならない。


 スコアは、出始めで大叩きをして、集中力も緊張感も失ったしまった。たまの良いショットが唯一の慰めだ。急遽手にしたドライバーでのショットは、良いも悪いも半々位。力を抜いて打てるようにならなければ安定しない。課題は分かっている。


 今日のゴルフ場は、来年の日本女子プロゴルフ選手権大会の開催会場になるとのことだった。

 

 今年の同大会は、北海道の苫小牧で開催中である。

 プレイを終え、風呂を済ませてロビーに座ると、テレビがその最終日の模様を映していた。16番終了、宮里藍が3打差でトップだった。残るは2ホールだから、まず優勝間違いないところだ。

 勝負がつくまで、見ることにした。

 17番で、2位者がバーディを取って2打差になった。次のホール、ボギーとバーディになれば、同スコアに並ぶ。

 しかし、18番での2位者のティーショットはミスショットになった。これで勝負がついた。

 雨の中、宮里の史上最年少優勝で終わった。

 帰ってから、テレビ録画を見た。宮里は堅実だった。10番で4打差になってからは、もっと堅実なゴルフである。11番からは、決して無理をしないパープレイだ。米国ツアーで揉まれて来た経験を十分に発揮していた。


 引き換えて、経験の無さをさらけ出して、大きくスコアを落としたのは兄の宮里優作だ。トップタイでスタートして、終わってみれば10打差を付けられての10位タイ。

 妹に、圧倒的な差を付けられてしまった。経験の差は大きい。


 それにしても、来年の大会が楽しみである。

 公務員の飲酒運転が跡を絶たない。

 飲酒運転の職員も、試験に受かって採用されたのだから、一応の常識と判断力は持ち合わせてはいるのだろう。

 飲酒運転をしてはならない、と分かっていても、一向になくならない。そうであるならば、酒が入ると常識と判断力が失せてしまう、ということになる。

 酒は、常識と判断力に縛られた日常から、抜け出させてくれるものだから、それが当たり前とも言える。

 結果的に、何時まで経っても、飲酒運転はなくならない。車を運転する人間の良識に期待していたのでは、絶対になくならない。つい先日も、同様な趣旨で書いた。不幸にも当たってしまった。当たるべくして、当たったと言った方が正解である。


 30年前、勤務先に、父親がある町の幹部職員をしていた同僚と席を並べていた。

 彼は、駐車違反になるような場所には、絶対に車を止めなかった。もちろん、速度制限を越えるスピードは出さなかった。理由は、自分の不始末で、公務員たる父親に迷惑を掛けることは出来ない、ということだった。恐らく、小さい時から、父親の日常を見ながら育って身に付けた習い性なのだと思う。


 家族ぐるみで気遣いながら職責を全うしようとする公務員がいる一方で、本人の自覚さえ疑いを抱かせる公務員もいる。公務員気質も地に落ちたというしかない。


 もう、随分前に、高知県の橋本知事が、県職員の飲酒運転は即時懲戒免職の方針を打ち出したことがあった。現在も変わらぬ方針だろう。

 この際、橋本知事には、その後の状況を全国民に知らしめて欲しい。結果を知りたいと思う。


 当時、高知県の“いごっそう”のことだから仕方ないだろう、と高を括っていた他の自治体も、本腰で対策を講じなければならなくなった。

 遅きに失した感はあるが、成果を期待したい。

 昨日、女子学生殺しの犯人が見つかった。犯人は自殺していた。だから、見つかったとしか言いようがない。

 事件を起こした直後、覚悟の自殺を遂げたようである。若い生命が、2つ消えた。

 当事者2人共が亡くなっては、事の真相は永久に分からなくなってしまった。

 恐らく、余人よりは当人達の方が、一番不可思議に思っているのではなかろうか。「何故なのだ」「時間よ、戻れ」と、叫びたいのは誰でもない、彼らなのだ。


 昨夜遅くの新聞社のサイト。

 アサヒ.コムは、犯人名は匿名。新潮社が「週刊新潮」で実名と写真付きで記事掲載している旨、報じている。未成年者を保護する少年法にも違反しているとのコメントがある。

 ヨミウリオンラインは、実名で記事を書いていた。

 エムエスエヌニュースは、匿名報道。サンケイウエブとニッケイネットも匿名だった。


 アサヒ.コムによる新潮社の言い分。

 指名手配を要するような凶暴犯が逃亡しているのだから、写真付き実名は当然である。


 山口県警は、全国の警察に指名手配したと言いながら、表面上は何の変化もなかった。恐らく、指名手配する前と変わりなかったのではないか。事件発生直後から、全国の警察に照会していたはずである。


 事件発生から10日も経ち、被害者の両親は、県警に公開捜査を依頼することを考慮していたともあった。指名手配したと言うだけで、犯人捜査の実態は変わらないのだから、そう思うのも無理からぬことであろう。


 県警は、新潮社の“抜け駆け”を期待していたのではなかろうか。何処のマスコミでも良かったが、とにかく、実名写真報道を待っていたのだ。

 県警は、少年法に遮られて、今以上のことは出来ない。10日も経てば、世間の風当たりも強くなる。既に、葬儀も終わっている。秋田県警の初動捜査に対する批判もある。県警に焦りがあったと思われて当然である。


 何とも腑に落ちない“指名手配”であった。

 今日の昼前、知人から携帯に電話が入った。

 最初、表示された名前を見て、少し臆した。仕事に絡んだことで、ちょっとまずいことがある。


 しかし、逃げてはいけない。意を決して、受話ボタンを押した。

 やはり、最初はその仕事のことだった。とにかく、煙に巻いた。

 次の話も、別件の仕事のことだったが、もう少し先が締め切りだから、別にどうということはない。ただ、どちらの仕事も大したことではない。


 本命は、次のことだった。

 「ゴルフに行かないか。3人は決まっているのだが」と言うのだ。


 つい先日の日曜日、ゴルフに行ったのだが、プレイ後の浴室で、旧知の御仁2人にあった。

 この御仁が、知人にそのことを告げたのである。そして、私に電話して来たのだ。


 恐らく、1人足らないと言うのは嘘に違いない。私を引っ張り出したいのだ。

 残り2人のメンバーを聞いて、直に分かった。そういうメンバーだ。嬉しいではないか。


 我々4人は、ある団体に属していた。歳も似通っていたから、良く飲み歩いた。ゴルフにも良く行った。良く冗談を言い合った、本当に気心の知れた仲間だった。

 私の個人的な事情で団体を抜け、電話を掛けて来た以外の2人とは、もう6年近くも会っていない。


 もちろん、二つ返事で承知した。

 嬉しいような、少し気恥ずかしいような気分である。次の日曜日が待ち遠しい。

 打放しにも行かねばならない。無様なスコアにしたくはないではないか。

 明日は、散髪にも行って来よう。背中を押して貰ったようなものだ。


 久し振りに、忙しい秋になった。喜ぶべきことである。

 今上天皇家に、待望の男のお孫さんが生まれた。

 祝、皇男孫誕生!

 秋篠宮夫妻には、3人目のお子である。無事な出産に拍手である。



 今日は朝早くから、テレビはこのニュース一色である。詳しく見た訳ではない。NHK教育を除いて、どのチャンネルを回してもみても、その様子で分かっただけだ。大体が見たくはないのだ。

 各テレビ局にとって、この度の出産報道程、十分な準備が出来たことはなかったのではないか。あらかじめ、出産日時が分かっていたのだから。

 逆に、余分な用意なり、作業は不要であったということである。


 しかし、最大の関心事は、生まれて来るお子が、男の子か、女の子か、であった。


 次の天皇は、現皇太子であることは決まっている。

 その次の天皇位を、誰が継承するのかが、問題になっていた。

 一昨年末以降、政府は、有識者会議を設置して、皇位継承を定めた“皇室典範”の見直しを進めて来た。

 この春先には、早期改正を目指して、法案をまとめる寸前まで行っていた。しかし、秋篠宮妃の妊娠が確認されるや、政府の目論見は、何もかも「時間よ、止まれ!」状態になってしまった。


 私は、天皇家ご一家の反撃ではなかったかと思う。

 幾多の困難に際しても、その時々の先祖は、知恵を振り絞って対処しながら、現在に皇統を伝えて来たのだ。

 「我々一家のことは、我々に任せてくれ」という強烈なメッセージだったのではなかろうか。


 “皇室典範”は、現憲法下では、国会が定める法律には違いない。

 しかし、女性天皇や女系天皇を認めるという改正を、天皇家や皇族方の意見を無視する形で、政府が進めて良いはずはなかったのだ。

 天皇家のことは、天皇家と皇族に任せるべきである。


 何でも自分一人で決めたかった小泉首相は、最後に強烈な仕返しを食ったことになった。

 明日6日午前、秋篠宮妃が出産するとの報道があった。

 それも、10日位前には決まっていた。しかも、帝王切開による出産になるということは、随分前から予定されていた。

 20年余りの間に、医学の進歩は目覚しいと言わざるを得ない。それには理由がある。


 実は、私の3番目の子も帝王切開で生まれたのだが、その話を聞いたのは、生まれるというか、手術をする直前だったのだ。


 今は、その日が予定日だったのか、もう既に入院していた状況だったのか、については忘れてしまった。

 そろそろ予定日だとは、分かっていたのだが、それ程切迫した状態ではなかったはずである。

 何しろ、住まいの近くの掛かり付けの産婦人科医院から、帝王切開の承諾を求める連絡が入った時には、私は、直線距離で35km離れた島にいたのだから。


 もちろん、携帯電話はなかった。

 医師から勤務先の事務所へ、事務所から建設会社へ、建設会社から現場事務所へと、電話が繋がったはずだ。

 現場は、小学校の中にあった。工事監理のため、配筋検査と諸々の打合せに来ていたのだ。

 夏休み中であったが、職員室にいた先生に事情を話して電話を借りた。そして、ようやくに、医師の話を聞くことが出来た。症状については、聞いても理解出来ない。手術の承諾をするのが精一杯だった。

 偶然にも、同じ島内に家内の実家があり、義父にも連絡して、車で迎えに来てくれるように頼んだ。

 途中フェリーを利用して、そのまま、義父の車に乗せられて医院に着いた時には、既に、元気な女の子が生まれた後だった。結果、3人共、同様な誕生になってしまった。


 誕生日が来ると、いつもあの状況を思い出す。

 気を揉ましながら慌しく生まれた子も、大学を卒業する歳になった。