【9】自己憎悪社会 ~《現代化された貧困(根源的独占)》による“無力”~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

  「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

突きつめれば「命どぅ宝」!
【新】ツイッター・アカウント☞https://twitter.com/IvanFoucault
徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。


電話がなくても人間は生きていくことができるが、
1990年代の東京で電話がないという家族は、
義務教育の公立学校「連絡網」からも脱落する
(「特別な処置」ではじめて「救済」される)存在である。
そしてこの義務教育に参加しないことは
「ニューヨークで12年間の学校教育を受けないものは
不具者のような扱いをうける(イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』)ことと同様の扱いを、日本社会でも受ける
つまり
その生きている社会の中で
「ふつうに生きる」ことができない
。”
(見田宗介『現代社会の理論』)

―――――――――――――

ジェリー・マンダー
科学技術を礼賛する人々は、
科学技術のおかげで
私たちの生活水準が上がった
という。
移動が速くなり、選択の幅が広がり、
余暇が増え、贅沢ができるようになった。
しかし、それによって
人間の満足感、幸福、安全、あるいは生命力が
向上したかどうか
別問題
。”

――――――――――――――


自己憎悪社会”というタイトルやテーマで
いま、こうして一連の記事を書いている。

まず、
フロムの言う「という行為・様態」を
見てみた。

次いで、
「愛」と対極にある〈暴力〉〈破壊性〉の、
さまざまな形態を見てきた。
フロムによる
〈暴力〉〈破壊性〉の類型整理だけでなく、
《憎悪》や《復讐》からくる暴力、
《無力(感)》に基づき、又は
《ルサンチマン(怨念)》からくる暴力や破壊性を
日本社会の諸相に見た。

人が暴力や破壊性にかられる時というのは、
自分のちからを建設的に発揮できず、
《無力》に置かれる時であること
を、
フロムの叙述を通して見てみた。

「愛」と〈暴力〉とが
背中合わせの関係にあることを前に見たので、
人が自分や人生や生命や世界を愛せる
また、
暴力性や破壊性でもっての生の代用させない為には、
社会的には何までは用意ができるのか、
社会的に用意できることで、何か心掛ける点はないか

を知るヒントを、フロムの叙述に見いだす事ができる。

フロムは、『悪について』のなかで、
ネクロフィリア(死への愛)》とは
反対の位置にある
バイオフィリア(生への愛)
育む社会的条件
について述べている箇所がある。
バイオフィリア育つには、
社会的条件としては

「(機会として)不公正が無いこと」「自由」が
重要だ
という。



“バイオフィリアの発達に重要なもう一つの社会的条件は、
不公正がなくなることである。
とはいっても私はここで、
誰もがまったく同じものを持っていないと不公正だとする、
せちがらい考え方に触れているのではない。
一つの社会階級が別の階級を搾取し、
豊かで品位ある生活をおくることを許さない社会的状況
を言っているのだ。
言い換えると、
一つの社会階級が他の階級と同じように、
基本的な生活を経験できないような状況
である。
突き詰めれば、
私にとっての不公正とは、
人が、自分自身が目的になるのではなく、
他人の目的のための手段になるような社会的状況をいう。

最後に、
バイオフィリアの発達を促す重要な条件は、自由である。
しかし政治的束縛「からの自由」だけでは
条件としては不十分である。
生への愛が発達するものであるのならば、
何かを「するための自由」が必要となる。
創造し建設するための自由
驚嘆し、思い切ったことをするための自由
そのような自由を得るには、
個人が積極的に責任を持つこと
奴隷や機械の歯車にならないこと
が必要である。

 まとめると、
生への愛が特に発達する条件は次のようになる。
品位ある生活をおくるための基本的な物質的条件が脅かされないという意味での安全
誰もが他人の目的のための手段になってはならないという意味での公正
各人が社会の活動的で責任のある一員となる可能性を持つ
という意味での自由
最後の自由は特に重要だ。
安全と公正のある社会でも、
個人の創造的で自主的な活動思うようにできなければ
生への愛育たない可能性はある
社会的条件によって自動人形【オートマン】増えるばかりなら、
その結果は生への愛ではなく死への愛になってしまう
。”
(エーリッヒ・フロム【著】/渡会圭子【訳】
『悪について』
ちくま学芸文庫、2018年、62-63頁)


このページで扱うのは、
無力(感)》から、
ルサンチマンや暴力や破壊性が生じるのであれば、
私たちの日常の現実を見つめるのならば、
目を背けることができない
(と私が思っている)
根源的独占》や《貧困の現代化》による《無力についてである。

根源的独占”や“貧困の現代化”とは、
思想家のイヴァン・イリイチが編んだ概念だ。


ーー【「根源的独占」について】ーー


‟・・・彼は渇きを
ビールでいやそうと水でいやそうと、自由なのである。
彼の渇きがコカコーラへの欲求に置き換えられ、
ほかに代るべき ちゃんとしたものがないとすれば、
そのときにのみ独占は根源的なものになるだろう。
「根源的独占」という言葉で私が意味するものは、
ある銘柄が支配的になることではなく、
あるタイプの製品が支配的になることである。
ひとつの産業の生産過程が
さしせまった必要をみたす行為に対して
排他的な支配を及ぼし、
産業的でない活動を競争から締めだす
とき、
私はそれを根源的独占と呼ぶ。”

――・――・――・――・――・――

‟人間生来の能力が
大型の道具によって排除されているところではどこでも、
根源的独占が成り立つ。
根源的独占は消費を強制し、
それによって
個人の自律性制限する。
その独占は、

巨大な制度だけが供給できる標準的な製品の消費を
強制すること
によっておしつけられている
のだから、
一種の特別な社会管理ということができる。”

――・――・――・――・――・――

“〔人口増大、汚染などの問題に対する技術主義的対応は、〕
科学技術歴史的達成は、
諸価値を技術的な課題変えること
つまり諸価値の物質化可能ならしめた。(略)」
という仮定にもとづいている。”

――・――・――・――・――・――

‟ 生態的均衡の再建は、
進展する価値の物質化
無力化しうる社会の能力にかかっている。
その能力がなければ、
人間は自分がつくった人工世界の中
出口もなしにまったく閉じこめられてしまう
だろう。
自分でつくった自然的・社会的・心理的環境
封じ込められて人間は、
自分が数十万年かかって適応して来た昔の環境
二度と見いだすことはできずに
科学技術がつくった人工殻囚人となりはてる
だろう。”

以上いずれも
イヴァン・イリイチ【著】/渡辺京二【訳】
『コンヴィヴィアリティのための道具』


〈現代化された貧困/現代的な意味での貧困〉


 市場に依存する度合がある閾〔いき〕を超えると
現代的な意味での貧困があらわれます。
この場合の貧困とは、
主観的にいえば
産業生産による豊かさあまりにも依存しすぎることによって
いわば手足をもがれた人びとが、豊かであるにもかかわらず
満たされない気持を味わうようになること
です。
つまり、そうした貧困は、
市場に組みこまれることによってしか

生存できないような状態に人びとを閉じこめるのです。
(引用者中略)

この貧困のあらたなミュータント〔変異体〕は
拡がりつづけています

個人の資質や、地域の人びととの生活や、環境資源を
自分たち自身の手で用いたり、営んだり
できないという、
現代に特徴的な無能力は、
生活のあらゆる面をむしばみ
文化的に形成されてきた使用=価値
〔ものの使用そのものに備わっている価値〕に代わって
専門家のつくりだす商品が、
生活のあらゆる面で幅をきかせるようになっています
たとえば、わたしは、
ロサンゼルスに住み、ビルの35階で仕事をしていますが、
そのことによって〔エレベーターを利用することで〕、
わたしの足の仕様=価値失われるなら、
〔そのようなあらたな意味で〕わたしは貧しいのです。

 無力感を生み出すこの新しい貧困は、
貧乏人と金持ちのあいだで拡がりつつある消費の格差と、
つまり、
産業が生みだす商品によって
〔われわれの〕基本的な欲求【ニーズ】が
ますますかたちづくられ
つつあるこの世界において
拡がりつつあるそうした格差とは、
混同されるべきではありません。”
(イヴァン・イリイチ【著】/桜井直文【監訳】
『生きる思想』
1991年、藤原書店、55-57頁)

ーーーーーーーーーーーーーー

これら概念は、
机上の空論ではなく、
私たちの日常に、
または突き付けられた現実のなかに
見てとることができる《恐ろしい有り様》だ
ということを、以下に見ていく。

たとえば、
コロナ禍という“非常事態”の事態を
目の当たりにして
〈現代化された貧困〉や《根源的独占》に対する、
私たちの現代人の”生存上の脆弱性”

過去記事で一度引用させていただいた、
中野佳裕「いまこそ〈健全な社会〉へ」
(『世界』【2020年8月号】岩波書店)
という論考を通じて、見つめる機会があった。

また、
ジグムント・バウマン&ティモシー・メイ
『社会学考え方』
の或る個所を通しても、
《現代的貧困/根源的独占による無力》や
《自由の無さ》
を、確かめることができる
(この引用も、過去記事で行なっている)。


《現代化された貧困/根源的独占による無力》という、とても直視できない不愉快な現実を、忘れる事もできる。

ただし、そのシワ寄せが、
後世の世代に降りかかるのか、と思うと、
忘れたり、無視はできない。

今回、
「食べ物の種子」の分野で、
知的財産権での支配》を通じた
この《現代化された貧困/根源的独占》が、
急激に進んでいる
ことを見ていく。


ビル・ゲイツの”創造的資本主義”という手法を
見せられると、
そこに《現代化された貧困》を感じる時、
背筋が凍る思いがする。

まず、
中野佳裕「いまこそ〈健全な社会〉へ」を
あらためて見ていく。


“その古典的名著『複雑化社会の崩壊』(1988年)において
タインターは、
人間の社会機構の進化を
複雑性の増大過程
の観点から分析している。
その分析によると、
人類は農耕社会から産業社会へと、
各時代の生存問題に対応するために
社会機構の複雑性を増大させてきたが、
複雑化した社会は
ある一定の閾値【いきち】を超えると
資源やインフラの維持など、
複雑性を維持するための社会的費用が
常に便益を上回るようになる転換点
(ティッピング・ポイント)に達する。
転換点を迎えた社会は、
しばらくはその複雑性を増大させるが、
やがて維持不可能になり、崩壊する


 タインターの研究によれば、
世界一の経済大国である米国は、
20世紀全般を通じて
産業機構を高度に複雑化してきたが、
その結果、
教育・医療・特許部門における費用が
常に期待される便益(専門家育成、平均寿命の伸び、特許獲得)を
超えるようになった
また、
自動車による移動距離は年々伸び、
それに応じて石油消費量も増加し続けている。
つまり、複雑性増大の限界収益逓減が生じている

 複雑化した社会がもたらす構造的問題は、
タインターの指摘する費用対便益に止まらない。
その点については、
社会思想家のI・イリイチの議論が示唆に富む。
イリイチは、
複雑化した教育制度・交通制度・医療制度が
人間の身体感覚や想像力にもたらす象徴的効果に着目し、
産業社会の逆生産性を論じている。
学校、自動車交通、医療などの社会制度は、
ある一定の閾値を超えて発展すると、
当初の目的に反して
人間の生活の質を低下させてしまう

1970年代の彼の一連の著作は、
米国を中心とする先進産業社会が、
当時、そのような逆生産性の段階に突入していたこと
を明らかにした。

 経済のグローバル化は、
こうした複雑化社会の逆説に直面した
当時の先進産業社会がとった対案で
あった。
産業的生産様式を地球規模で拡大することで、
複雑化した社会機構の維持費用を
発展途上国に肩代わりさせると同時に、
費用のかかる公共サービスや社会保障制度に
市場原理主義を導入し、
民営化と規制緩和を進める戦略を採った
のだった。
ここに社会学者S・ラッシュとJ・アーリがいうところの
「組織化された資本主義」から「脱組織化された資本主義」、
即ち福祉国家のもとで安定した成長を目指す資本主義から、
流動的で不安定な資本主義への転換が起こった。
かくして、
産業社会を構成する複雑性は、
一国レベルのものから
グローバルなレベルへと非連続に転換するにいたった
のである。

 J・アーリが明らかにしているように、
脱組織化した資本主義のグローバルな複雑性を構成しているのは、
人・モノ・情報の移動(モビリティーズ)の絶え間ない流れ(フロー)だ。
グローバル化した世界には
一つの安定した構造や固定した中心があるわけではない。
生産拠点の海外移転、線地球的な物流網の発達、
移民労働者、観光客、インターネットを通じた取引や情報の交換は、
グローバル・シティに代表される諸都市を結節点にしつつも、
全地球的な網の目を形成し、常に流動的に変容する。

 アーリが複雑系科学の知見を援用しながら強調するのは、
このような流動的な移動のネットワークによって
形成される世界においては、
一部のローカルな場所で起こった変化が地球規模での影響を与える
グローバルなフィードバック・ループが
多次元的に依存し、システムに非線形な動的変化を生じさせる
 ということだ。
(中略)

〔新型コロナ・パンデミック”下での〕……封じ込め政策は、
格差よりもさらに根源的な貧困問題を開示した。
それは、
グローバルな複雑性に組み込まれた
現代化された貧困
(modenized poverty)」である。
「現代化された貧困」とは、
1970年代にイリイチが導入した概念であり、
人間のニーズ充足手段が
商品化された製品やサービスに依存し
自立的に生きる能力失うことを指す。
産業的生産様式の発展過程で
商品世界に閉じ込められた人間は、
自らの手で食料・住居・衣服を作る能力
失い
専門家集団が生産・供給する商品を消費する以外に
生活手段がなくなる

イリイチにとって、
この自律性喪失
所得格差として現れる経済的貧困以上に根源的な貧困
である。

 当時、イリイチは
この問題を一国レベルで考察していた。
しかし、
コロナ危機によって明らかになったのは、
現代産業は
社会における「現代化された貧困」が、
グローバルな複雑性の中で編成されている事実
ではなかろうか。
現代人の生活は、
全地球的に展開するサプライチェーンや消費の流れに
依存しており、
ますますローカルなものから離れている。
そのため
ひとたび経済活動が停止すると、生活基盤は大きく動揺する
かくして、
海外生産される医療物資、工業製品、食品の生産・供給は滞り、
外国人観光客依存の観光産業や航空・鉄道業界は大打撃を受けた。
グローバルな移動の流れに依存する
生活のレジリエンス(回復力/忍耐力)は、
極めて脆弱だ

大都市圏の生活は特にそうである。”
(中野佳裕「いまこそ〈健全な社会〉へ」
『世界』【2020年8月号】岩波書店、116-121頁)


中野佳裕氏の論考では、
マクロ的な《現代化された貧困》を

垣間見たのであるが、
ジグムント・バウマン&ティム・メイ
『社会学の考え方』(第2版))
第9章〈テクノロジーとライフスタイル〉
では、
《現代化された貧困》に
私たちが翻弄されている有り様を
ミクロ的に確かめる事ができる。



“わたしたちは、各々、日常生活のなかで、
自らの能力や個性を発揮する。
食事をし、他者とコミュニケーションし、
移動し、楽しい時間も悲しい時間も
(あるいは、ストレスを感じる時間もリラックスする時間も)
過ごし、
さまざまな技能を用いて仕事をし、最後に休息と睡眠をとる。
その過程で、わたしたちは、自分の周囲の環境との関わり、
入手できる資源を利用して、日々の活動を行う。
(中略)
結果がどうであろうと、
自らの行為について反省するとき、
「自分のことは自分で決定できる」と思う。
自分は、自律的な存在であって、
自らの目標に応じて行為できる能力や才能をもつと思う。
このことは、
自分の環境を操作できることを前提としている。
しかし、
もし、環境のほうがわたしたちを操作するとすればどうか。
あるいは、
わたしたちが自分自身・他者・環境の間の相互作用の産物である
とすればどうか。

 《テクノロジーと専門知識》
       〈ハイテク機器〉


 これは、根本的に重要な問題である。
わたしたちが、
どのように自分の生活を組織しうるか、
何を自分自身や他者に期待できるか にかかわる問題である。
今日、人々の生活を取り巻く数々のハイテク機器を例にとろう。
それらは、あって当然のものと見なされている
わたしたちは、それらの機器を、
自分に都合よく利用したり操作したりしているであろうか。
いや、それらは、テクノロジーへの依存度を高め、
わたしたちの自律性を損なう結果をもたらしている
のではないだろうか。
ハイテク機器の設計・購入・維持管理について、
わたしたちは
販売店や発電所や電気事業者に、
さらには数々の専門家や設計者に全面的に依存している

PCを購入しても、すぐに旧式になる

CPU(中央生産処理装置)の計算速度や
(メモリーやハードディスクの)記憶容量について、
PCは日進月歩の発展を遂げている。
人々は、そのような変化を受け入れることができるであろうか。
いや、それを受け入れずに生きていくことができるであろうか

 ハイテク機器への依存度は年々高まっている
ハイテク機器もしばしば故障するが、
修理を求めても、最新型の購入を勧められるのが関の山
である。
旧式の」機器を修理するための部品は、もうない
旧式を修理するよりも新型を購入するほうが安くあがる
と言われることも多い。
ここでは、新たな費用の概念が生まれつつある。
この計算では、
原料の調達や「ゴミ」の廃棄に関する環境への負荷は
費用に含まれない

わたしたちは、各種の製品が
自分の生活になくてはならないと思う限り、
それらを周期的に購入するサイクルに巻き込まれる

この選択は、巷間言われるように
本当にわたしたちの自由を高めることを
意図しているのであろうか。
それは、大量消費の誘惑や、
財やサーヴィスの市場取引をめぐって発展してきた巨大産業と無縁ではない
(略)いまや、消費者を突き動かす欲望について、
成り行き任せにされているものは何一つない


 ハイテク製品を購入するたびに、
わたしたちは、新たな技能の習得を求められる

それによって、
わたしたちの全般的な能力は向上するかもしれない。
にもかかわらず、
携帯電話に、それほど多くの機能が必要であろうか

たとえば、ゲーム機の機能がついている必要はあるのか。
同様に、ソフトウェアが出るたびに、
自分のPC上のソフトウェアを更新しなければならない
新しいハイテク機器の操作法を習得することは、
目的のための手段なのか

それとも、それ自体が目的ではないのか

本書の著者二人は、PCで原稿を書いているが、
お互いに、異なるシステムを使っているので、
本書に執筆に際して
異なるシステム上の要求に対処しなければならない。
バウマンは、
文書作成用の旧式の機種を使っており、
システムの変更を望んでいない。
システムを変更すると、
新しいソフトウェア・プログラムを習得しなければならないが、
そんなことに労力を費やす
よりも、
さまざまな論題について多くの作品を生み出すことに、
彼の関心はある。
システムの変更によって、
より重要な目的損なわれることを、かれは恐れている。
他方、メイは、最近職場が変わり、
新しい情報機器を操作することを要求され、期待されている

それゆえに、メイは、
バウマンと同一の責務を負いながら

二人の仕事や機器の環境はずいぶん異なったものになっている
このような仕事の条件は
自由な選択の結果でもなければ
新しい情報機器をこちらが一方的に選択しているのでもない
言い換えれば、わたしたちの行為は、
情報機器や職場環境との関係によって、
さまざまなかたちで制約を受け、変更を余儀なくされている


 システム環境の変化に応じて、
私たちは、新しい技能を習得しなければならないが、
それによって、わたしたちの生活がどう変化するかは、
社会的な状況次第
である。
理解しておかなければならないのは、
わたしたちが、段々と、より複雑な機器を「欲する」ようになること
である。
それは、わたしたちに、より高度な技能を求める。
それらの機器を使用するのは、
内部構造を知りたいためではないので、
それが、どう作動しているかも分からないし、
故障の場合も自分で修理できない

結果として、修理や維持管理には
より洗練された工具が必要になるため、
わたしたちは、ますます他者に依存するようになる
わたしたちはまた、
それらの機器の操作法を習得しなければならないため、
古い技能はたちまち時代遅れのものとなる。
機器の発展に送れないようにするために、
ますます変化の要求に振り回されることになる

新しい技能は、新しい機器の道具の一部となるが、
それは、わたしたちの自律性の向上につながるのか。
それとも、機器への依存性の増加につながるのか。
 ジグムント・バウマン+ティム・メイ/奥井智之(訳)
『社会学の考え方』第2版、P.325‐P.329)

このジグムント・バウマン&ティム・メイの叙述を通して、テクノロジーの進歩を前にして、私たちは何も選ぶ力や自由をもたず為すがまま、という《根源的独占/現代化された貧困》の光景・日常を、
私たちの日常社会に寄せて見つめてみると、
たとえば、
《5Gの登場により、携帯キャリア各社は
2022年~2026年3月までに3G通信の終了を発表》しており、
携帯電話を使用し続けるのならば、
実質的に、
4Gや5Gへの移行を余儀なくされる》。
https://mobilitas.jp/useful/3gfinished/?lfcpid=24756&utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=DSA_202207&yclid=YSS.1001238467.EAIaIQobChMIj6iv9rSngQMVNZDCCh2RPg-hEAAYASAAEgJKF_D_BwE

5Gについて、
次のような書籍や質疑応答などがある。

5Gの人体影響を調べよ 2020.4.7

5G支援は不要不急 2020.4.17


欧州議会の専門委員会が5Gの健康影響についての調査報告書を発表〉(電磁界情報センター)

5Gによる健康被害は未知だが、
旧式を選ぶ選択肢は無くなる。

もし仮に、
知っておきたい 身近な電磁波被ばく』(食べもの通信社)にあるような健康被害や人体への影響があるとすれば、
それは、《貧困の現代化》を伴う“都市病”と言える。

“都市病”の点で個人的には、
すでに《共振音公害/低周波空気振動公害》に
苦しまされている。
この《共振音公害》で厄介なのは、
じつは“複雑・複合的な共振音被害”で
苦しんでいるにもかかわらず、
その原因を特定・立証ができず
そのシワ寄せを受けて苦しむ点
だ。

また、
自分に選ぶ自由などなく、
環境や状況に引きずられる
”という
現代化された貧困》に関して、

モバイルフォンの3G終了の他方で、
例えば、
先ほどの『社会学の考え方』のなかで、
〈ソフトウェアの更新〉の言及があったが、
マイクロソフトのOS「Windows」の、
“サポート期限”を挙げることができる。
Windowsユーザーであれば、
OSの新バージョンへの移行を、実質的に余儀なくされる

マイクロソフトのOSにより、
わたしを含めて世界中の多くの人が、
プログラム言語を習得せずに、
パソコンとインターネットを利用できている。
しかし同時に一方で、
新バージョンへの更新利用を
余儀なくされる
》。

ゲイツは、
“創造的資本主義”という考えを持っている。
それは


〈われわれが利用できる発見とテクノロジーの恩恵を、
それが届かない人や場所に与えるよう促す
もの〉

という点で、
機会が開かれているかのように見える。
しかし一方で同時に


もっと創造的な資本主義を開拓できれば
――市場の力が及ぶ範囲を拡大し

もっと多くの人々が利益を得る、
あるいは少なくとも生計を立てられるようにして、
最悪の不公正に苦しんでいる人々の役に立てれば――
もっと貧しい人々に利するように市場を動かせる」
ビル・ゲイツ氏、「創造的資本主義」を唱える

と言うが、
以降の記事内容である
アフリカ緑の革命連盟(AGRA)」事業の推移を見ると、
個人的にビル・ゲイツの事業に対して、
きな臭さや不安感を覚える。

ビル・ゲイツは、これまでに
ナトリウム原子炉開発に支援してきたり、
☆「ダボス会議」での「GAVIアライアンス

(The Global Alliance for Immunization=ワクチンと予防接種のための世界同盟)の発足と推進のほか、
アフリカ緑の革命連盟(AGRA)を通じて、
遺伝子組み換え種子農業の開発を進めている。


原発と持続可能性とが両立しないのは
目に見えているが、
《ワクチン》と《遺伝子組み換え食物》に関しては、
《知的財産権》が絡んでおり、

☞1⃣〈種苗法改定法案と《知的財産権〔力〕》~レント/地代(的)資本主義の新しい1つの触手~
☞2⃣【5】メガFTAと特許とプラットフォーム戦争《監視社会化ー=人工知能=
☞3⃣【4】メガFTAと特許とプラットフォーム戦争《監視社会化ー=人工知能=メガFTA=資本
☞4⃣【13】《生命特許/人体特許》と資本 ~ビッグデータ=AI=メガFTA=資本~



《GMO緑の革命》/「AGRA」を通じて、
ゲイツの“創造的資本主義”が
どういうものであるか?

スーザン・ジョージの叙述や指摘を通して
知ることができるからである。



“〔ビル・ゲイツの慈善事業の〕莫大な資金の多くは、
アフリカ緑の革命」の推進に充てられている

アフリカは少なくともハイチと並んで、
世界最貧の農民の住む最貧の大陸である。
〔生きているうちに何十億ドル、何百億ドルも手放すという〕
この大盤振る舞いで恩恵を受けるのはだれか

 ゲイツは植物をソフトウェアになぞらえており
「アフリカ緑の革命連盟(AGRA)」と名づけたゲイツ財団のプロジェクトは古典的な技術的解決策から成っている。
「AGRA」の提携パートナーは、
1960年代から70年代にかけての
「アジア・メキシコ緑の革命」の創始者ロックフェラー財団。
農業技術を開発し、バイオテクノロジー研究を行い、
化学肥料の使用を増やし、
種子をはじめとする資材に対し
商業流通網を通したアクセスを促進し、
市場主導・輸出志向の農業に適した政策環境を創り出す
のが狙いだ。

 この事業が
巨大企業とアフリカの貧困層にとって
どんな意味をもつか
を把握するには、
緑の革命」を振り返ってみればいい。
「緑の革命」が収量を
ーーより少なくともしばらくの間--
増大させたのは間違いない。
一方で、
ハイテク資材
ーー当時は、より多くの実をつけても倒れない茎の短い植物を
作るために選ばれたハイブリッド種子--
を買うための余裕のなかった無数の小農は土地を追われた
新しいハイブリッド種子は
全面的に威力を発揮するため
肥料、殺虫剤、灌漑に依存していた
それを買い続ける余裕のない農民は、
都市のスラムに消え
農地が集中して広大になるにつれ
土地を持たない農業労働者は機械に取って代わられた


 「アジアの奇跡」と謳われたものが実際には、
アグリビジネス〔農業関連企業〕にとって宝の山でもあった
ことが、
粘り強い研究のおかげで明るみに出てきた。
当時、アジアと南米は、
「北」の先進国から巨額の援助を受け
道路建設や農業補助金、価格支援、低利融資

またハイブリッド種子を普及させる研究開発システムの構築などに
充てていた

投資はだてではなかった
(中略)
その後米国は、
安価な穀物の余剰分をダンピングして「南」の諸国に浴びせかけ、
そうした国々の小農を破滅させて

巨大企業ーーカーギル、アーチャー・ダニエズ・ミッドランド両社--
が世界穀物取引の4分の3を支配するのに手を貸した」。
高尚な志をもっていたはずの「緑の革命」の改良穀物研究体制もまた、
間接的に、種子私企業の野心を満たし、懐を肥やすことにつながった


 当時、社会・人道・環境面から「緑の革命」に反対する声は、
生産性向上・高収穫を謳うロビイ活動に圧倒された
(中略)

 この「緑の革命」にはその全盛期においてさえ、
すっぽりと抜け落ちていた地域があった。
アフリカではまったく成功しなったのだ。
おそらく構造調整政策の一環として
国際通貨基金(IMF)と世界銀行が
アフリカ全域に輸出農業を押し付けたため、
食用作物に対する関心が高まらなかったのだろう。
あるいは単にアグリビジネス企業ーーとその出資者--が
割に合うと思わなかったのかもしれない。

 数十年を経て、ゲイツ財団が登場する
AGRAは紛れもなく「緑の革命」となるが、
現在、研究も含めてかつての国家・公的機能が
これほど私営化されているアフリカ
では、
民間部門が一切のことに当たるだろう。
AGRAは、
最初の「緑の革命」の社会・環境面での過ちを避けられるのか、
それともその二の舞になるのか。
AGRAは
ゲイツ財団のプロジェクトとしては群を抜いて野心的であり、
いくつもの部門をもっている

公式・非公式を含めて、
アフリカの内外に熱心な支持者がいる。
だが、

AGRAが技術・市場面での解決だけに頼っているとして、
最悪の事態を恐れる批判の声が多い

技術市場による解決は、
ビル・ゲイツが「創造的資本主義」と呼ぶ取り合わせである。

 AGRAは
この先10年間で、従来方式育成と遺伝子組み換えを合わせて
1000種の新種作物を導入しようとしている。
AGRAプロジェクトのおかげで、
すでに数百人のアフリカ人科学者が
高収量植物の開発研修を受けている。
遺伝子導入バナナ、トマト、ジャガイモ、稲は特に研究が進み、
遺伝子組み換えトウモロコシと綿花はすでに植えられている。
AGRAはまた、「農業資材取引業者」のネットワークを構築し、
種子や肥料(ノルウェー企業ヤラ社が供給)などの資材を流通させる。
遺漏のないように、
モンサント、シンジェンタ、デュポンの業界三社が加わっている。

 新種の大半は
ハイブリッド種子または遺伝子組み換え種子となる
だろう。
こうした種子の共通項は、再生産不能ということである。
ウガンダのある農民はジレンマをこう説明する。

 〈収穫まで従来種なら六カ月かかるが、
ハイブリッド・キャベツは三カ月だ。
〔…〕収穫量も多い。でも種子を一回しか使えない
〔…〕今までの種なら何回も繰り返し使える
新しい種子を買わなくてはならなかったら、
金がなくて市場に行けない者は食べてはいけない

〔…〕ハイブリッド種子は収穫量が多いが、
技術を買って続けていく余裕がない。〉


 こうした問題を避けるために、ゲイツ財団は、
地元の銀行に農民への貸付を促す融資保証制度
も計画している。
こうした技術・教育・財政サービスは
当初は無料だが、どうすればいつまでも無料のままにしておけるか疑問である。

 問題はほかにもある。
モンサント社の遺伝子組み換え種子には胡散くさい歴史があり、
アフリカでの大失態もあった。
ウガンダでは、
ウィルス耐性とされた遺伝子組み換えサツマイモが、
従来種と比べて少しも耐性に勝るわけではなく、
しかも収穫量が少ない
ことがわかった。
南アフリカでは、
数万ヘクタールに遺伝子組み換えトウモロコシ三種が植えられ、
一見生い茂っているようだが、
穂軸にほとんどまったくといっていいほど実が入っていない

 AGRAの代表は「あらゆる方面から学びたい」と言っているが、
訪れた『ニューヨークタイムズ』紙記者は、
AGRA種子部長が「ゲイツ財団の批判者」を軽んじているように見えると報じた。
手厳しい痛烈な批判もある。
高名なインドの科学者で
小農民と生物多様性保護運動家のヴァンダナ・シヴァは、
ゲイツ財団
発展途上世界の農民にとって
最大の脅威」以外の何物でもない
と言っている。

 当初AGRAが対象とした農民は400万人だったが、
これは、
ゲイツ財団が手を伸ばそうとしている「サハラ以南の1億5000万の小農」
――ほとんどは女性が担い手――のごく一部にすぎない。
ゲイツ財団は、
市場志向の農民が経営する収益性の高い農園」に
力を入れる意図を隠さず、

「〔…〕これには時とともに、
ある程度の土地の流動性総雇用割合の低下が必要である」とする。
緑の革命」が浸透したほかのところではどこでも、
土地の流動性」とは、
土地所有の集中と、貧しい弱者の追い出しを意味した


 ここでもやはり、
ほかの提案をする声は かき消されている
アフリカ全域で、
地元の問題に低コストの地元の解決法を用いるエコ農業運動が盛んであるにもかかわらず、AGRAはそれ無視している
「17のアフリカ諸国で
約73万戸の農家による45の持続可能な農業プロジェクトに関して研究が行われ、
エコ農業アプローチが
食糧生産と世帯の食糧安全保障を大きく向上させること
明らかになった。
こうしたプロジェクトの95%で、穀物収穫量は50~100%向上した
(中略)

 …AGRAは、
これまで実績をあげてきた別の選択肢から学ぶ姿勢を欠いており
またプロジェクトの全対象国に農民団体があるにもかかわらず、
相談しようともしなかった
プロジェクトの恩恵を受けるとされる相手、
すなわち農民自身の代表団体を排除しただけではない。
生物多様性と地元種の種子を守るプラン何もなかった
ようだ。
ハイブリッド種子や遺伝子組み換え種子に取って代われば
地元種の種子は、
アフリカ大陸の広大な地域にわたって一世代で失われかねない


 遺伝子組み換え食品は
健康に害を及ぼす恐れがあるかないかーー私には言い切れない。
健康への害に基づく遺伝子組み換え食品反対論は
私の納得がいくほど証明されていない。
だが私は環境を理由に遺伝子組み換えに反対する
この領域では私の立場を裏付ける科学は確立されている。
もちろん種子のような重要資源について
少数の巨大企業に寡占支配を許す
のは常に経済的に無謀だ。
だがアフリカの場合、
こうした議論を喚起するまでもない。
遺伝子組み換え種子
取り置きができず
植え付けのたびに、
多くの場合唯一の独占供給企業から購入せざるを得ない
というだけで十分だ。
でなければ、
どうしてモンサント社が
アフリカでも他の場所でもすでにやっているように
種子を無料で配るだろうか
さらに深刻なことに、
こうした種子はある決まった条件の下でしか順調に育たない
ーーたとえば、提供された「干ばつ耐性トウモロコシ」は
実際に干ばつが起きたときは順調に育つが、
降雨量が平年並みにあると順調に育たない

害虫は、
大半の遺伝子組み換え科学者とは違って、
ダーウィンを理解しており、
数世代で自分たちのつく新種の植物に適用し、
はるかに耐性を持つようになる

また新種の遺伝子組み換え作物は、
他と比べて収穫量が多いとは限らず

――時には少ないこともある

 最初の「緑の革命」は
環境面では惨憺たる失敗だったことが各地で明らかになった。
今回の「緑の革命」がその二の舞にならない保証はどこにもない。
遺伝子組み換えという魔神は 
ひとたび壺から出れば、だれも戻すことはできない

――花粉が飛び、植物が
土壌微生物からミミズ、蝶まで生態系
長く影響を及ぼす

地元の環境は、
科学者の当初の想定よりはるかに広範囲に汚染される

(中略)
……開発援助の私営化が進んでいる。
ゲイツには資金がある
――海外開発援助の提供国、OECD諸国のほとんどを
はるかに上回る額だ。
したがってカナダのあるNGOが言ったように、
ゲイツの行くところ、政府もついて行く。
OECDのあらゆる援助機関の長は全員、
この大億万長者と並んで

共同事業を宣言する写真におさまりたがっている

 なぜこの話を「貧困と格差の壁」の章におき
次章「最も基礎的な必需品」の「食料」の部に置かなかったか

AGRAおそらく中長期的に
アフリカの飢餓を
軽減するのではなく深刻化させる
だろうということは
残念ながら本当だ

だが本章で取り上げた理由は、
確かに少なくとも当初は一部のアフリカ農民は繁栄するにせよ
新たな「緑の革命」のソフトウェアは、
アジアでもメキシコなどでもそうだったように、
貧富の格差、勝者と敗者の格差
ますます拡大させるようにプログラムされている
からだ。”
(スーザン・ジョージ【著】/荒井雅子【訳】
『なぜ1%にも満たない富裕層が世界を支配するのか』
岩波書店、2011年、77-84頁)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
稲の自家採種ができなくなる!? 種苗法改正はだまし討ちだった?

(2023/08/11 食からの情報民主化プロジェクト by INYAKU.Net)
 今後、10年以内にほとんどの稲が自家採種できなくなる!?
 なぜ、そうなるかというと、農水省は
全国の品種の「コシヒカリ環1号」との交配を進めており、
漸次、既存品種と全量転換となり、
転換された品種はみな自家採種が許されなくなるからだ。
(中略) 
これには山ほど問題があるのだが、ここでは1つだけ指摘しておきたい。
このカドミウム低吸収性品種=放射線育種米は遺伝子特許が
取られたものであり、自家採種は禁止される。
その系統のお米ばかりになってしまえば、
稲の自家採種ができなくなってしまう
のだ。

グローバルな文脈での種苗法改正が持つ問題
(2022/03/28 食からの情報民主化プロジェクト by INYAKU.Net)

RCEPと種苗の知的財産権: UPOV体制は種苗産業を萎縮させる
(2021/04/13 INYAKU.Net)
民間企業だけに種子は任せられない
(2023/02/24 INYAKU.Net)
ケニアの種苗法改正:タネを守ることの意味

(2022/04/09 INYAKU.Net)

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バンダナ・シバ:(1)毒のカルテル 2019/2/22放送 13分

バンダナ・シバ:(2)1%のマネーマシン 2019.02.22 放送

30分に1人が自殺:…苦しむインドの農民たち
Democracy Now !

タネは誰のもの 予告編 最新版(2020.11)

ドキュメンタリー映画
『種子―みんなのもの?それとも企業の所有物?』予告編


ヴァンダナ・シヴァさんから生活クラブ組合員へのメッセージ2020年2月

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【10】につづく。


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