前回のブログ

(追記・再編集あり)祈りについて 最近考えた事② 皆様方へ』 より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12581054197.html

 

2020/03/19 追記

昨日、投稿した当ブログ、最下部に追記を書かせて頂きました。

私の過去ブログをご検証して頂いた御方のブログのリンクを貼らせて頂きました。

2020/03/19 19:24再追記 最下部の追記の中にさらに再追記を書かせて頂きました。

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

3月に入ってずっと慌ただしい日々を過ごしております。

人間世界の混乱とは違い、植物は、春になったよぉ~!!と次々と美しい花を咲かせたり、

私がお手伝いをしている幼馴染みの農園では、今年もスナップエンドウの収穫が真っ盛りとなって参りました。

 

3月15日、スナップエンドウの収穫のお手伝いは午前中だけさせて頂いて、午後は家の外にお祀りの氏神様、神々様の周囲を綺麗にさせて頂いたり、10か所以上にお供えをさせて頂いている榊のお取替え、お神酒(家は焼酎です)をお供えしたりと私の家が代々受け継ぐ、神々様への習わしをさせて頂きました。

我家に伝わる「習わし」、詳しくは、

ブログ『松野連系図と千早振る神々の時代の球磨と帆船

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12447362204.html

ブログ『家の水の神様(球磨郡久米郷宮原村の宮原家の水の神様)

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12449528169.html

等の方で書かせて頂いております。

 

毎月、1日と15日、私の家に受け継がれている習わしをさせて頂いていると、最近、考える事があります。

私は「宮原」の姓を主人を養子に迎えて継ぎましたが、家の場合、姓を継ぐと言う事は、代々先祖が行ってきた「習わし」を受け継ぐと言う事でもあります。

過去ブログでも書いていますが、私は子供の頃から、朝、身支度をすませて、神様にお参りさせて頂き、仏壇でご先祖様へのお参り、家の中にお祀りさせて頂いているお観音様にお参りをさせて頂き、朝食をとって学校に行っていました。

家の周囲の神々様への習わしは祖母が行い、祖母が亡くなってからは父、私が球磨に戻ってからは、父と私と、そして、休みが合えば今は、主人も一緒にさせて頂いております。

主人は都会育ちなので、最初は驚いていましたが、今は、率先して、清掃してくれます(^'^)

私は、こうやって、継承されていく家の習わしは、姓を継ぐ者の大事なお務めなのだと、ようやく考える事が出来るようになりました。

 

ご先祖様に生を受けた事の感謝、お守り頂いている事の感謝の気持ちを込めて、毎朝仏壇にお参りする事は、私にとっては、もちろん、あたりまえの行いです。

 

過去ブログにも書いた記憶があるのですが・・

家や親戚だけではなく、

おそらく殆どの球磨の人達のあたりまえの行いだと思うのですが・・よそ様のお家にお邪魔した時には、まず最初に、必ず、そちらのお家のご仏壇にお参りさせて頂く事から始まります。

子供の頃からずっと、そうさせて頂く事があたりまえの行いでした。

伺ったお家のご先祖様方に敬意を表し、おじゃまさせて頂きます。とご挨拶をする

私を含めた周囲の子供達は、皆、同じです。もちろん、大人になっても、この気持ちは変わらず、あたりまえの事として行わせて頂いております。

 

例えばAさんの家におじゃましたBさんであれば

Aさん「いらっしゃい。どうぞあがってくだい(^'^) (上がって下さい)」

Bさん「よかな?(いいですか?)お邪魔します。」

Bさん「仏さんにお参りさせて頂こう」

Aさん「どうぞどうぞ。 だんだんなぁ~(ありがとうございます)」

からの・・お漬物やお菓子を食べてぺちゃくちゃおしゃべりが始まる・・

こう言った感じですね(^'^)

 

私は球磨を出てからもず~っとこう言う感じでした。

お邪魔したお家にご仏壇があれば、必ずお参りをさせて頂いていました。

バッテン(しかし・・)、都会の人は最初はめちゃくちゃ驚きよんなった!!(あっ球磨弁が・・)

でも、ひろ●ちゃんはこう言う人って次第に違和感?無しに受け止めて下さいました(^'^)

 

親戚の椎葉のおじは、家に来て、庭や家庭菜園の手入れをしている時によく独り言を言われています。でも、本当は独り言ではないのです(ー_ー)!!・・ (^'^)

最初に書かせて頂いたように、家の周囲には、榊をお供えさせて頂いている場所が沢山あるので、椎葉のおじは、その周囲で作業する時には

「すんません。今から枝の剪定ばさせて頂きます。うるさかでしょうが(うるさいでしょうが)お許し下さい。綺麗にしますね~。」

と、榊をお供えしてお祀りさせて頂いている神様に「ことわり」をお伝えしているのです。

こう言う、行いを球磨弁(もしかして家の一族だけかな(?_?) )で「ことわりを言う」と言います。

私も、水の神様をお祀りの湯川の掃除をしたり等のお務めをさせて頂く時は、必ず

ひろ●です(^'^) お掃除をさせて頂きます!」と「ことわりを言って」始めます。

ただ・・私の場合、どうかすると・・ず~っとお話をしている時があるので、その光景を近くで見た人は・・(?_?)(?_?)(?_?)・・ひろ●ちゃんどげんしたとね?? (どうしたの??)

となられていると・・・ 神々様も「もう、喋らんでっちゃよか(喋らなくていい)解った解った

とおっしゃっていらっしゃるのかもしれません・・・(?_?)・・・(^'^)

 

私にとってのあたりまえの行いは、祖母の背中を見て育ったからでしょう・・

両親が離婚して、私は父の故郷、球磨の祖母に預けられましたから、祖母が受け継いだ事を私が受け継いでいる・・

「ばあちゃんはぺちゃくちゃ喋りよらんかった!!(喋っていなかった)」 

あっ! 祖母の声が聞こえたような・・

 

前回のブログを投稿した事で、私の考え方に疑問を持たれたり、驚かれた方もいらっしゃると思います。

私自身は、前回のブログを、自分の考えを、書かせて頂いた事に後悔はしていません。

それは、そういう風な育てられ方を祖母から受けてきたからです。

 

アルバイトが休みの日や時間が取れたら、出来るだけ沢山の方々のお話を読ませて頂きたいと考えて、ブログを拝見させて頂いております。

 

拝見させて頂いていた方々のブログの中で、ある方が、お書きになられていた一言に目が留まりました。それは・・・

さらけ出す」 

と言う言葉でした・・・

 

「さらけ出す」・・・私は今までどうだったのだろう・・?? 考えました・・・

自分では「さらけ出しているつもり」でも、私自身が育った環境などは、殆ど先に書いた事以外は書いていません。 どなたかにお伝えすると言う訳ではなく、「さらけ出す」事によって、私自身の考え方の「原点」を、自分で理解出来るようになるのだと言う事に気が付かせて頂きました。

 

書いていない事・・・

それは、祖母自身の生き方。 私を育ててくれた祖母自身の生き方を私はちゃんと理解出来ていないのかもしれない・・そう気が付きました。

もちろん、私個人はこの世に一人で生まれてきたのですから、私の考え方は全て、私個人の責任でもあります。

ただ、私は、

亡くなる直前に私に話しておきたかった・・と言う祖母の言葉の先を知りたい」と言う事がご先祖様の真実を探る原点なのですから、祖母の生き方を、理解出来ていなければ、その「原点」さえも、解っていない!と言う事になる・・そう考えました。

 

さらけ出す・・つまり、私があたりまえだと思って育った環境を

書いてみたい

今回はそう考えてこのブログを書き始めました。

 

私の家に来た事がおありになられる方々ならどなたでもご存じの事ですが、

家には数枚のお写真を大きな額に入れてお飾りさせて頂いております。

祖母がずっとそうさせて頂いておりました。

上皇様、上皇后様のお写真。

昭和天皇様、香淳皇后様、お若い上皇様、上皇后様、お子様の頃の天皇陛下、秋篠宮文仁親王様、黒田清子様(当時の紀宮清子内親王様)、御一家様のお写真。 です。

私にとっては、あたりまえの家の和室の姿です。

祝日には玄関の柱に国旗を掲揚する事。

私にとっては、子供の頃からのあたりまえの光景です。

祖母は、国旗が古くなったら新しい国旗を買い求めていました。

私にとっては、子供の頃からのあたりまえの光景です。

 

こういう事を書くと・・

前回、「ある女性」から頂いたメッセージの中に

私の考えは 国体思想であり危険である

と言った事を記されていらしたと書かせて頂きましたが、

祖母は「国体思想」と言った考え方を私に教えた事など一度もありません。

 

私は子供の頃、歴史は苦手でしたが、祖母の考えはちゃんと理解して育ちました。

 

メッセージを送って来られた方は、私のブログ内容に対して

血筋を自慢したいのが解る』と言った言葉も書いていらっしゃいました。

でも、私は、そういう気持ちで、このブログを書いた事など一度もありません!

祖母は、人を差別するような事は決して言う人ではありませんでした。

私はただただ祖母が私に最後に伝えたかった言葉の先を知りたいだけです。

その事を、「その方」にもお伝えしました。

 

それに・・・「その方」は大きな勘違いをなさっていらっしゃいます。

『血筋を自慢』するのではなく・・・

祖母は・・祖母の先祖様方は

血筋を隠し通した一族

だと・・私は気が付いております・・・心が感じております・・・ 

 

私が最後に祖母にした質問は、

ブログ『私は何故?「先祖を調べるのか」その理由』の中の

小題目

初告白 と 私は何故?「先祖を調べるのか」  きっかけ

に書いた通りです。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12359064164.html

 

祖母への質問(疑問を感じた事)は二つでした。

過去ブログをお読み頂ければお解り頂けます。

 

祖母は・・祖母の先祖様方は

血筋を隠し通した一族』・・・なのでしょう・・心が感じています

 

全ての証(あかし)が祖母方の氏神様をお祀りの御神殿に隠されているのだと、この1年程でようやく理解致しました・・・

祖母の実家の通称「お堂」正式には「御神殿」にお祀りの
氏神様(御祭神)。
中央に「皇大神宮」 の御札がお祀りされています。

さらに、大黒天様(大国主命)をお祀りです。

そうして・・・

昭和28年にお堂を改築した際に、代々宮司家を務める親戚のおじが書かれた
氏神様(御祭神)を記した御札。

代々宮司家を務める親戚のおじとは、昨年お亡くなりになられた御方で、この方の経歴等はブログ『橘一族と八角形の地』 でご紹介させて頂いております。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12481156600.html

 

以下の写真に記された文字を書かれたおじの経歴等から考えても、何の意味もなく、簡単なお気持ちでお書きになられたとは・・到底考えられません・・・・

天津彦火瓊々杵尊

天津彦火火出見尊

月讀廿三夜比賣尊

 

月讀廿三夜比賣尊様  わたしは全ての証(あかし)なのだろう・・と気が付いております。

過去ブログで何度も何度もとりあげさせて頂きましたが、

月讀尊様は
天照大御神様の弟神にあたり、建速須佐之男命様の兄神にあたられます。
すなわち男神様です。
しかし、祖母の実家の氏神様(御祭神)は
月讀廿三夜比賣尊 すなわち女神様でいらっしゃいます。

月讀廿三夜比賣尊  ネットを介して調べたのですが、全国の何処の神社様にもお祀りではありませんでした・・・・。

 

祖母方の氏神様の一柱でいらっしゃる月讀廿三夜比賣尊様について、今まで多くの方々からありがたいご教示を頂いて参りました。

そして・・やはり、全国のどこの神社様にもお祀りではいらっしゃらない神様である事も重々承知致しました。

つまり・・・本質は ここにあると理解致しました。

全国のどこの神社様にもお祀りではいらっしゃらない神様である

つまり、どなたも、どこの神社様もご存じではなかった月讀廿三夜比賣尊様を

祖母方の先祖様方は何故、存じあげていたのか・・? 

800年近くもお祀りさせて頂いているのか?

 

そう・・・今から800年程前から・・・・

 

月讀廿三夜比賣尊 とおっしゃる神様を御存じの御方々いらっしゃらない訳ではないと思います・・・その御方々がご覧になられれば、おそらく、祖母の本当のご先祖様が一体どなたでいらしたのかは・・お解りになられるのだと・・私はようやく考える事が出来るようになりました。

私がご存じの御方々と書かせて頂いた御方々は神社研究をなさっていらっしゃる『研究者の方々』と言う意味ではございません・・

 

今まで・・数年前から過去ブログで何度か、私の心の内に秘めた直接的ではないメッセージをブログとして書いて参りました。

私のメッセージにお気づきになり、過去ブログを読まれていらっしゃる方々がおいでになられる事も、ありがたいと思いながら気が付いておりました。

 

今回のブログは全てをさらけ出そうと思いながら書いていますので

ご興味がおありになられる方はご覧になられてみて下さい。

※は、着目して頂きたい箇所です。

 

ブログ 私は何故?「先祖を調べるのか」その理由 

小題目

初告白 と 私は何故?「先祖を調べるのか」  きっかけ

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12359064164.html

 

ブログ 五木村の縁戚の方々と私の先祖が繋がる椎葉村 

※壇ノ浦で何かあったのかな(独り言)

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12307536148.html

 

ブログ 祖母の実家に伝承された「物」と筑前朝倉

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12422355576.html

※絵巻物に書かれた「男の子」 「剣」  「安徳天皇様の警護役・平景清」

 

特に・・・ブログ『祖母の実家に伝承された「物」と筑前朝倉』の中で、私は、心の内を秘めたメッセージ以外は・・完全に心の内を隠しました「確信」と言う言葉で自らの疑問を覆い被せました・・・

皆様方 本当に ごめんなさい。

 

その事に気が付いた御方が実は御一人いらっしゃいました。ブログの投稿等は一切されていらっしゃらない御方です。

この方から頂いたメッセージには

本当はどういう気持ちでブログを書かれていらしたのですか?

と言うご質問がありました。

私は即答する事が出来ませんでした・・・

あえて・・もし祖母のご先祖様が「ある御方」でいらっしゃるのであれば、何故?この地にお越しになられたのか?それを知る為に、古代を調べています・・

「ある御方」が御隠れになられるに相応しい土地であるならば、古代にその理由が隠されていると思うからです。

とお答え致しました。

 

そう・・そうなのです・・・

私が球磨の古代の真実を知りたいと願う理由の一つは・・

その方にお答えした事・・なのです

今まで黙っていて、皆様、申し訳ございませんでした<m(__)m>

 

私のブログのメインタイトルは

ひろっぷ 古代・中世・近世の繋がり  先祖について

です。

私の心の内をメインタイトルにしていました・・・

 

でも・・球磨の古代を勉強すればする程、中世の事を忘れてしまうくらい・・

どんどんのめり込んでしまっております<m(__)m>

 

私が聞いた祖母への最後の二つの質問(疑問)

最後まで答えようとしたけれど麻痺してしまい、答える事が出来ないで悔し涙を流した後、

私の腕の中で意識を失った祖母

 

だから・・私は前に進むしかないのです。

知りたいから・・前に進むしかないのです。

 

実は・・ある御方が、私の過去ブログを再検証して下さり、ご自身のブログの方にお書きくださいました。 私は嬉しくて涙が出ました。

でも、とてもナイーブな問題ですから、今回はリンクはさせて頂きませんでした。

歴史の内側は謎だらけですから・・

この方は、ずっと躊躇していた私に・・バトンを渡して下さったのだと思いました。

「このバトンを持って、ばあちゃん(祖母)が伝えようとした言葉のゴールに向かって

進みなさい」

とおっしゃって下さったように、私は感じました。

 

祖母の活動

左から祖父・祖母・長男(私の父の兄)・平川の曾祖父(祖母の父)

平川曾祖父編集

 

私の祖母は、祖父を失くし、元の宮原家は全て祖父の義理の姉(宮原家の養女)の方に託して、今、私が住んでいる所に小さな家を建てて親子4人で住む決心をしました。

しかし、長男(私の父の兄)は家が建ってすぐに、足に負った怪我から破傷風になり亡くなりました。

小さな男の子二人(私の父と叔父)を抱えて、この子達をしっかりと育てなければと、祖母は多良木町の工場の事務員として働きました。

当時、岡原村(現在のあさぎり町岡原)の助役(現在の副村長)であった平川の曾祖父は、娘を不憫に感じていたのでしょう、夜は曾祖父母ともに、家の宮原家に寝泊まりして役場に通っていたそうです。

ただ・・私の祖母は、自らの境遇よりも、他の方の事を考えて行動を起こしました。

岡原村に戦争未亡人の会を立ち上げて、ご主人を戦争で亡くされた方々と共に力を合わせて困難を乗り切ろうと頑張りました。

未亡人となられた方々の子供さんを連れて、色々な場所に出かけたり、皆が寂しい思いをしないように努めました。

戦後、10年程経つと、戦争未亡人の会は、訳あって離婚された母子家庭の方々も参加されるようになり、祖母はさらに積極的な活動を行いました。

 

先日、沢山の祖母の写真を見ていたら、当時の活動の写真が数枚ありましたので、ご紹介させて頂きます(^'^)

 

子供達を育てる為に必死に働くお母さん方に変わって、子供達を小旅行に連れて行った時の写真です。

 

 

 

 

皆さんとても楽しそうです(^'^)

ただ・・・父とおじは・・自分のお母さんを他の人に取られたような気持ちが少しだけあって・・

「ヤキモチをやいた事がある」・・と二人で焼酎を飲みながら恥ずかしそうに話していた事があります。

男の人は・・そういう子供みたいな所があるのかな・・?? (^'^) あっ・・そうかまだ二人とも

当時は子供ですね(p_-)・・・(^'^)

 

私が子供の頃も、祖母はこの活動を続けていて、うちは父子家庭ですが、母子家庭の会の活動に参加して、祖母と色々な場所に一緒に行った楽しい思い出があります(^'^)

 

祖母はこの活動だけでなく(ー_ー)!! 

実は・・農協婦人部の部長さんも長年勤めておりました

球磨・人吉郡市の婦人部長さんが家に一同に集まり、会合を開いたりしていた事もあり

私が子供の頃は、家はとても賑やかでした。

きっと、祖母は人が好きだったのだと思います。

一人で悲しむより、一人で不安になるより、皆で一緒に心の痛みを分かち合い、前を向いて楽しく生きる事を選んだのだと思います。

祖母は、東京まで熊本県内の代表の方々と共に

米価値上げ交渉に毎年行っておりました(p_-) 

めちゃくちゃパワフルなばあちゃんだったのです(p_-)・・(^'^)

 

亡くなるまで、とても凛としていた祖母。

私の誇りであり、憧れです。

私は祖母からすると、マダマダ足元にも及ばない・・足の爪の先くらいの人間です。

だけど・・自分なりに進むべき道は見つけたのかもしれません・・

それが、先祖の歴史探求であり、球磨の古代の探求だと・・

今回、このブログを書きながら、そう思いました(^'^)

 

あっ(p_-) 忘れていました・・

宮原観音堂の御詠歌 です。

【御詠歌】
〇露のみや 野はらにおくと 詠ふらし  うき身も終の 宿ぞここなる

 

うき身も終の 宿ぞここなる

この箇所はとても重要なのだと思います・・・

 

宮原観音堂の春の御開帳は3月20日に行われますが、新型コロナウィルス感染症拡大防止の為、恒例のご接待は取りやめになりました。

御開帳はありますので、お参りはさせて頂けると伺っています。

 

今回は・・

私にとってあたりまえの事とは何か

さらに・・

隠していた胸の内

それから・・

祖母の活動

を思い切って書かせて頂きました。

 

何だか・・・心がす~っと軽くなった感じです。

 

それと・・もう一つ。 感染症拡大の混乱が収束(終息)したら行ってみたい所があります。 こういう目標と言うか・・夢を持とうと思いました(^'^)

そこは・・四国です(^'^)

宮原の先祖所縁の地 伊予(愛媛)の宇和島には

必ず行ってみたいな~ \(^o^)/

 

2020/03/19 追記

ある御方とはブログ『宮原誠一の神社見聞牒』の宮原様です。

本日、宮原様にリンクのご了承を頂きました。

宮原様は私の過去ブログをお読みになり、再検証して下さいました。

私が・・覆い隠そうと、触れる事を避けてきた事を、宮原様が、私の心の扉を開いて下さいました。非常にナイーブなお話ですが、私が探していた祖母の言葉の先に繋がるお話であろう・・と心が感じております。

ご紹介させて頂きます。

 

『宮原誠一の神社見聞牒』の宮原様 のブログ

No.138 「五郎」の隠し名をもつ福岡市南区の御子神社 ② です。https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12582131319.html

 

私が今回のブログを書かなければと決心した理由となる、宮原様のお言葉 ブログより

4.真の安徳天皇と影(代理)の安徳天皇
九州四国地方を中心に各地に安徳天皇の伝承地が多数存在します。
影(代理)の安徳天皇が作られ、そこで代理人の安徳天皇が没されたためでしょうか。
影(代理)の安徳天皇は、自身が安徳天皇であると、死ぬまで言い続けないと、影(代理)の責務を果たしたことにはなりません。それで、安徳天皇の伝承地が残るのでしょう。
本物の安徳天皇は自身が安徳天皇であると、決して漏らしません。側近も秘密のままです。それで、本物の安徳天皇が居られた地は天皇の伝承地とはなりません。

以上 宮原様のブログより抜粋

 

私は・・

ブログ 祖母の実家に伝承された「物」と筑前朝倉

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12422355576.html

を書いた時に、祖母のご先祖様はダミーでいらした方なのか・・と、疑問を持ちながら心の中で無理やり納得しようとしていたのですが、ブログを書いた後のこの一年程、本当は苦しかったのです。胸の中に何かがずっと閊えたような感じでした。

 

しかし、今回、宮原様のブログを拝見して、そして、私の心の内を思い切って、このブログに書いて、胸の中の閊えがす~っと取れたような気持ちになりました。

さらに

今回、宮原様がご検証して下さった事で、新たに気が付いた事もあります。

喜界島(硫黄島)の伝承の中にあった以下の記述です。

御座船から浜にお移りになった帝は海水にてお手を洗われ、早速、浜に大きな幕をお張りになった。その翌日から、その場所を黒木御所とおよびして造営が始まった。

黒木御所・・

実は・・祖母方の私の曾祖父の弟の一人の方が継いだ家の姓は・・黒木家です・・

 

2020/03/19 19:24再追記 

ブログ祖母の実家に伝承された「物」と筑前朝倉  の中で書いていない事が一つありました。

『安徳天皇行在所趾の碑(平頼盛山荘趾、荒田八幡神社境内)』

荒田八幡神社(あらたはちまんじんじゃ) 神戸市兵庫区荒田町3-99
当八幡神社古くは高田神社といい・・・

実は平河氏の霊社と言われる球磨の荒田大王神社の宮守を代々続けてこられた一族の方々の姓は高田(たかた)氏です。

 

絵巻物に書かれた「男の子」 「剣」  「安徳天皇様の警護役・平景清」

平景清(藤原景清)公の母君は、私の住む集落「宮麓」の切畑大明神(切畑神社)に

御祭神として合祀となられていらっしゃいます。

平景清(藤原景清)公の姫君は、私の住む集落「宮麓」でお亡くなりになられていらっしゃいます。

以上 2020/03/19 追記及び再追記 でした。

 

マタマタ長くなりまして 申し訳ございませんでした<m(__)m>

 

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

皆様、お身体は十分にお気を付け下さい。

 

球磨の地より ひろっぷでした(^'^)

 

次回『速報 弟と私の夢がついに叶いました!』 に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12585479231.html