10/4 那覇~中城 おいしい料理とふかふかのベッドのおかげで、昨夜は熟睡。
天気予報では今日の那覇の天候はときどき雨とのことだったが、今日も快晴。那覇在住の友人が言っていたが、島の天気予報はあまりあてにならないらしい。
朝食はビュッフェスタイル。夕食同様、おいしそうな料理がたくさん並び、どれを食べてよいのか迷ってしまう。
今日は那覇に住む友人一家の車で、沖縄観光を楽しむ。沖縄本島に来るのは、今回で10回目なのだが、ほとんどが島に渡るための中継地点的な利用しかしていなかったので、いわゆる観光名所をちゃんと見て回ったことがほとんどない。だいたいいつも国際通り周辺で飲んで、公設市場でみやげを買って終わり、というパターンだった。
そこで今回は、友人に頼んで、まだ行ったことのない観光地に連れて行ってもらうことにした。
選んだのは
中城城跡。世界遺産に指定されている琉球王朝の城の跡だ。しかし、本当の目的はこの城跡ではない。ここに隣接する廃墟が見たかったのだった。
何を隠そう、私と嫁さんは廃墟ファン。旅先で朽ちた建造物を見ると、心が騒ぐ夫婦なのだ。
そして中城城跡の隣にある廃墟は
中城高原ホテルといい、廃墟マニアの間では有名な物件。写真でしか見たことがないのだが、そのスケールは写真だけでもワクワクするものがあった。
中城城跡までは、那覇から車で1時間弱。沖縄県内の高速道路は、政府の無料化実験の対象となっているので、使ってみることにした。4年前、横断ツアーの出発地の今帰仁へ向かうときにこの道路を使ったことがあったが、そのときはガラガラだった。今回は無料ということで交通量は増えていたが、首都高の比ではない。それでも友人は「渋滞が発生して困る」とぼやいていた。
中城城跡前に到着し、受付で入場料を払い、車椅子利用者がいることを告げると、その場合は車で中に入ってもよい、と許可証をくれた。
まずは入場口からいちばん近い裏門へ向かう。急な坂を昇りきったところに広い草原が広がり、石で組んだ裏門があった。
早速中に入ってみたかったが、裏門をくぐるためには、石組みの階段を数段上らなければならない。今日は自分以外の大人は3名。しかも男性は1名だけなので、車椅子ごと持ち上げて運んでもらうのは無理。残念だがこの門からの入城はあきらめ、反対側にある表門側からの入城を試みる。
車で2、3分走ると、表門に着く前に、あの建物が見えてきた。そう!中城高原ホテルの廃墟だ。すっかり興奮する自分と嫁さん。
廃墟の前にはロープが張られ、立ち入り禁止と書いてある。とりあえずロープの前まで近づき、写真を何枚か撮る。すると、別方向から降りてきた男性が、何事もないかのように立ち入り禁止地帯の中に入っていき、廃墟を眺めているではないか。やがてその男性が我々に気付き、こちらへやってくる。
「入ってもいいんですか?」と尋ねると「全然大丈夫さ~」との返事。廃墟の中にまで入らなければ大丈夫のようだ。この男性、結構この廃墟に詳しいようで、廃墟にまつわるウワサをいろいろと語りだした。
適当に受け流して、自分達も廃墟の手前まで近づいてみる。
うわ~、何だこのよどんだ空気は!禍々しさ100%の負のオーラが漂っている。今まで見た廃墟の中でもダントツの嫌な雰囲気だ。
廃墟の前には、この物件の権利関係のトラブルを示す看板が立てられていた。このホテルは建設半ばで工事が中断し、そのまま放置されているいわくつきの物件だ。
そんな怨みつらみもこの中に封印されているのだろう。世界遺産と昭和の廃墟が並んでいる光景というのは、なんともいえないものがある。
このおじさん以外にも、平日の午前中だというのに、一人でメモを取りながら見ている青年や、若い男性グループなど、廃墟マニアらしき人たちがちらほら。さすが人気廃墟。
廃墟を十分堪能した後、中城城址に入ってみることにした。車を止める場所は決まっているので、そこからは自走。しかし20度くらいの傾斜の坂道が待っていた。車椅子で元気な男性が普通に上れる傾斜は10度くらいまで。15度になると結構きつく。20度を超えると後ろにひっくり返る可能性もあり危険。ちなみにスキー場の上級者コースと呼ばれるゲレンデの傾斜が約30度。
そんなわけで後ろを友人に押してもらいつつ、自分でも車輪を回して、えっちらほっちら坂道を上った。
坂の上には見事な石垣で囲まれた広場があった。そこは二の郭と呼ばれる場所。この石垣を登ると、街を見下ろし遠くに海の広がるパノラマが待っているのだが、悲しいかな、大きな石の階段を登らなければならない。
「代わりに見てきてあげるねー」とみんな石垣の上に登って行ってしまった。一人取り残された自分は、広場の中を意味もなくグルグルと走り回る。ところがこの広場、地面のあちこちにミミズが掘り起こした粘土状の土があり、これがタイヤにまとわりつき、さらにはタイヤを伝って手にもへばりついてくる。何が世界遺産だ、ちくしょー!
ところが広場の片隅にスロープ場の石組みがあり、石垣の上へと続いている。
「も、もしやこれは、世界最古のバリアフリースロープでは!」
近づき、石のスロープに取り付こうとしたが、角度がきつい!20度以上ある。おまけに登りきったところに大きな段差があり、どうやって登るんだ!という作り。琉球王朝の技術力もここまでだったか。
そんなことをして遊んでいると、時折アメリカ軍の輸送機が轟音を立て低空飛行で中城城跡の上を飛び過ぎてゆく。すぐ近くにあの普天間飛行場があるのだ。世界遺産の上を軍用機が飛び交う光景というのは、やはり尋常ではない。
車のあるところに戻るとき、今度は急な坂道を下らなければならない。これもまっすぐ下りようとすると、前につんのめった姿勢になり、車椅子から転げ落ちそうになりとても危険だ。こんなときはどうするかと言うと、スラロームをしながら下りる。そうするとスピードも抑えられるし、傾斜も緩やかになる。スキーで初心者が急斜面を下りるのと同じですな。
廃墟と世界遺産を堪能した後は、お昼ご飯を食べに車で移動した。
今日案内してくれているRくんは、沖縄生まれの沖縄育ち。米軍基地で働いていることもあり、地元の人が集まる旨い店を知っている。今日連れて行ってくれたのは宜野湾市の国道81号線沿いにある「お食事処 やま」。ゆしどうふが名物の店とのこと。
しかし店の概観はどう見てもスナック。店内に入ると、小上がりがありそこだけ見ると確かに町の食堂。そこはすでにいっぱいなので奥のテーブル席に案内されると、酒がずらりと並んだ昭和の香りただようカウンターがあった。そしてカウンター席では、いかにも地元の常連といった感じのおじさんたちが、黙々と食事をしているのだった。
自分たちは隅のテーブルに案内される。手渡されたメニューを見てびっくり!安い!!
いろいろ食べてみたいが、ここはやはり名物のゆしどうふ定食を食べてみることにした。
嫁さんはとうふチャンプルー、Rくんはマーボーとうふ、Rくんの奥さんはみそ汁を注文。
???みそ汁???そんなもの単品で頼んでどうするの?と思うでしょう。
でも沖縄のみそ汁は、やまとんちゅーの想像しているものとは違うのだ。みそ汁と言うよりは豚汁に近いかもしれない。大きなドンブリに具沢山でボリュームたっぷり。
名物ゆしどうふ定食
これがみそ汁!
値段からは考えられないボリューム。もちろん味もよし。さすが地元民に愛される食堂。
食後は81号線沿いにあるお店を散策。この通りは家具屋が多い。それもアメリカンテイストの古い家具を扱っている店が目立つ。
この周辺にはアメリカンハウスと呼ばれる住宅が多い。戦後、米軍の家族のために作られた住宅だ。空き家になったアメリカンハウスには、日本人が引っ越して住んでいるものもある。その際、アメリカンハウスのテイストに合う家具をそろえたい、という需要があり、それにともない家具屋が増えたとのことだ。
途中、凄まじい数の自転車が山積みになった自転車屋があった。
こじゃれた雑貨店を見て回った後、那覇に向って出発。
途中、普天間基地に寄ってもらった。基地のゲート前まで連れていってもらったが、ゲートの中には許可証がないと入れないとのこと。正直、もっと重々しいものを想像していたのだが、意外とあっけらかんとした感じだった。
しかし、このあっけらかんとした存在こそが、沖縄の人々を苦しめている。
那覇市内には2時半頃到着。国際通りに向い、おみやげを買う。
国際通りのほぼ中心に
ジャンプステーションがあった。ちょうど今日から「ONE PIECE」の連載が再開になったこともあり、記念に何か買っていくか!と店に入ろうとした。
ところが店は2階にありエレベーターがなく、階段でしか行けない。車椅子じゃ入れないじゃん!
おっさんの夢はともかく、障害のある子供の夢をつぶしてどうする!しっかりしろ、集英社!
国際通りでぶらぶらしていたシーカヤック仲間と合流し、アーケード街でおみやげ探し。
旅の最終日は時間が経つのが早い。あっという間に飛行機の出発時間まで1時間を切った。
シーカヤック仲間とは国際通りで別れ、Rくんの運転で那覇空港まで送ってもらう。
充実した久しぶりの沖縄だったが、でもやはり3泊4日は短い。
旅でお世話になったみなさん、ありがとうございました。
また来年も来るよ~!