新装版 森崎書店の日々
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坂本龍一さん(以下〝教授〟)が癌を宣告されてから死に至るまでに綴っていた日記を題材にしたドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」を観ました。
2023年3月28日の早朝、教授は天に召されました。ニュースで第一報を知った時、頭が真っ白になったことを覚えています。
僕が教授を知ったのはイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がデビューした1978年ごろ。当時僕は中学生で、ちょうど音楽に興味を持ち始めた時期でした。その時に聞いたYMOのサウンドはまさにカルチャーショックでした。僕の音楽の指向には、間違いなくYMOのサウンドがあります。
教授のソロアルバムも当時から聞いていて、「千のナイフ」や「B2-UNIT」は中学生の耳にはとても斬新に響いていました。
映画は教授の家族や関係者が撮影していた記録映像を中心に、教授の日記の文章を重ねながら時系列に構成されています。
末期癌を宣告され、最初は絶望した言葉が並ぶ日記。
しかしやがて、音楽を作り続けることこそが自分の使命であることを悟ったかのように、生きるための言葉が増えていきます。
音楽家として素晴らしい人であったのはもちろんですが、社会に対しても強い関心を持ち、メッセージを送り続けてきた人でした。
闘病中に始まったロシアによるウクライナへの侵攻の際には、ウクライナのヴァイオリニストとインターネットでつなぎ、反戦を訴える音楽を世界に向けて配信しました。
原発に対しても批判的な言葉を残しています。
東日本大震災の被災地を応援するために、東北の子供達で構成した東北ユースオーケストラの指導にも、死の間際まで関わり続けました。
優れた音楽家であり、人間的にも尊敬すべき人でした。
教授が残していってくれた音楽、言葉の尊さ。
一方で、もう教授から新しい音楽も言葉も聞けないことの寂しさ。
あらためて教授がいない世界を認識し、喪失感を覚えました。
映画のエンドクレジットでは、癌を宣告されてから亡くなるまでの間に教授が撮影した満月の写真が映し出されます。
教授の死後、すぐに出版された本のタイトルは「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でした。
映画を観終わって劇場の外に出ると、空に満月が浮かんでいました。正確には前日が満月だったのですが、この夜の月もほとんど真ん丸の美しい月でした。教授が満月に馳せていた思いは何だったんだろう?と、この日の月は今までになく味わい深く、そして教授のいない世界の寂しさを感じさせるものでした。
94歳の山田洋次監督の新作「TOKYOタクシー」を観ました。
2022年にフランスで大ヒットした「パリタクシー」の設定を日本に移してリメイクした作品。オリジナル版は未見です。
高齢者施設に入所することを決めた老女(倍賞千恵子)を、体調を崩した仲間の代わりに送り届けることになった個人タクシーのドライバー(木村拓哉)。東京から施設のある葉山までの2人のドライブの1日を描いたロードムービーです。
正直言って観始めてすぐに、展開は読めていました。ある意味ベタな物語です。それなのに泣かされました。
山田洋次監督も倍賞千恵子さんも、〝寅さん〟好きの僕にとっては、尊敬し愛すべき監督と女優さんです。寅さん以外の作品も含め、長年タッグを組んできた熟練の2人だからこそ表現できる優しさがスクリーンのあちこちに溢れています。
この2人に加えてタクシードライバー役の木村拓哉さんと、若い時代の主人公を演じた蒼井優さんが、これまた素晴らしいのです。
キムタクってこんなに良い俳優だったっけ!?と言うくらいの演技を見せてくれます。タクシーの中でのシーンが大半のため、木村さんの出番はほぼ運転中の姿です。いつものように身体のアクションで見せる場面はありません。しかし老女の話を聞きながら変化していくタクシードライバーの心情を、表情や仕草で巧みに表現しています。
蒼井優さんも堂々たる演技を見せてくれます。彼女がたどってきた人生は、女性の人権がまだないがしろにされていた時代の話で、壮絶な体験が語られます。そんな時代の中で、凛として生きてきた女性の姿を力強く演じ、とても印象に残ります。
2人がたどる東京の風景も素敵です。スタート地点が葛飾柴又の帝釈天というのが、なんとも泣かせます。上野、東京駅、銀座、渋谷と都内の主要な観光地が次々と出てきます。これも普段ならありきたりな人気スポットのはずなのですが、この映画で描かれるこれらの場所は、何だか懐かしくて、優しくて、東京ってこんなに素敵な街だったっけ?と驚かされます。
これも山田監督のなせる技なのでしょう。
号泣はしませんが、観ているうちに何だか心がほっこりしてきて、知らぬまに涙が頬を伝っている。そんな優しさに満ちた作品です。
中野量太監督の5年ぶりの新作「兄を持ち運べるサイズに」を観ました。
中野監督の作品は劇場デビュー作の「チチを撮りに」がとても素晴らしくて感動し、以来新作が公開されるたびに観ています。
一貫して家族の物語を描いてきた中の監督。今作も家族についてのちょっと風変わりで、だけれども心にグッとくる物語で、またしても泣かされてしまいました。
ずっと疎遠だったグータラでいい加減な兄(オダギリ・ジョー)が亡くなったとの知らせを受け、妹で作家の理子(柴崎コウ)は、気が進まないながらも唯一の肉親ということで、兄の暮らしていた宮城県へと遺体を引き取りに行きます。
兄には離婚歴があり、息子の良一と二人で暮らしていました。彼の死の知らせを受け、別れた妻の加奈子(満島ひかり)と彼女と暮らしている娘の満里奈もやってきます。
兄の火葬後、加奈子たちと一緒に兄の暮らしていたアパートの片付けをしていると、理子の知らなかった兄の姿が少しづつ見えてきます。兄は理子が思っていたようないい加減な人物だったのか?そして残された息子の良一はどうなるのか?
湿っぽくなりそうな話ですが、中野監督の軽妙な脚本と演出で、笑いを誘うシーンもたくさんあります。
でも根底には家族間の信頼や愛情がしっかりとあり、そこを繊細かつ巧みに演出する中野監督の手腕に、ついつい泣かされてしまいます。
登場人物たちもみな的役です。特にオダギリジョーさんはこういう役を演じさせると本当にうまいです。子役を演じた青山姫乃さんと味元耀大さんも好演で、今後の活躍が楽しみです。
全体の構成も巧みです。オープニングシーンで「おや?」と思わせます。その後、物語は本筋に入っていきますが、ラストシーンで冒頭シーンの意味が明らかになり「うまいな〜」と感心させられます。
家族だから許せないこと。家族だから許せること。家族だから話せること。家族だから話せないこと。そんな複雑で面倒くさくて、だけどやっぱり最後には会いたくなる家族の心情を鮮やかに描いた物語です。
4Kデジタルリマスターで17年ぶりに再公開された「落下の王国」を観ました。
これは得難い映像体験でした!4Kリマスターにふさわしい作品です。
日本初公開は2008年でしたが、その時は見逃していました。
初めて観たのは5年前にテレビで放送されたとき。同じ頃、当時東京都現代美術館で開催されていた石岡瑛子さんの大回顧展を観ていて、そこに「落下の王国」で使用された衣装が展示されていました。石岡さんは「落下の王国」で衣装デザインを手掛けています。その衣装の美しさと斬新なデザインに、ファッションに疎い僕でも圧倒され、魅了されました。
この映画の魅力は石岡さんの衣装、そして世界遺産を含む世界24ヵ国でロケーションを行い撮影された信じられないような映像に尽きます。
この作品の監督ターセムは、石岡さんに衣装デザインを依頼する際に「風景と衣装が美術の役割を果たす映画だ」と説明したそうです。
まさにその通りの映画になっています。
上のポスタービジュアルにもありますが、登場人物たちの衣装が本当に素晴らしく、衣装が主役と言っても過言ではありません。
そして何と言っても次々と登場する世界各地の風景が圧巻です。本当にこんな場所があるのか!?と信じられない思いでスクリーンに釘付けになります。今ならCGを使えばどんな異世界も作り出すことができますが、この映画ではCGもセットも使用していません。すべて世界に実在する場所で撮影されています。ターセム監督はこのロケ地を17年かけて選び出し、4年をかけて撮影したそうです!これを聞いただけでもクラクラします。
なぜそこまで衣装と風景にこだわるかと言うと、この物語が作り話だからです。映画の撮影中にスタントに失敗し、足を怪我した男・ロイと、同じ病院に腕を骨折して入院している5歳の女の子・アレクサンドリアが主人公です。彼女はオレンジを取ろうと木に登っているときに落ちて怪我をしました。二人とも「落下」で怪我をしています。
タイトルに「落下(The Fall)」とあるように、映画の中にはいくつもの「落下」のイメージが挿入されています。
男は二度と映画の世界に戻れないと思い、人生に絶望し、命を絶ちたいと思いますが、足を怪我しているためベッドの上から動けません。そこでアレクサンドリアに自分が作った物語を語って聴かせ、彼女に病院の薬室から自殺用にモルフィネを持って来させようと画策します。
ロイが語るの、横暴な暴君に運命を狂わされた6人の男たちの復讐の旅の物語です。アレクサンドリアはあっという間にその物語の世界に引き込まれていきます。
しかし物語を語っているうちに、二人の間には不思議な絆が芽生え始めます。果たして物語の行き着く先はどこなのか・・・!?
幻想的な物語と、その世界観を的確に表現する想像力の上を行く風景。いつまでも見ていたくなる映像ばかりです。
圧倒的なビジュアルが高い評価を集める作品ですが、実は映画作りに関わる名もなき人々への賛歌でもあります。
それはエンディングを見ればわかると思います。
映画愛に溢れた美しい物語でもあります。
今年は沖縄を舞台にした良作に恵まれた1年でした。「かなさんどー」に始まり「STEP OUT にーにーのニライカナイ」「木の上の軍隊」「宝島」。
今日紹介する「風のマジム」もそんな1本です。
原田マハさんの同名小説の映画化で、実話がベースになっています。
伊藤沙莉さん演じるまじむ(沖縄の言葉で「真心」という意味)は、那覇の通信会社で契約社員として働いています。ある日社内でベンチャーコンテストがあり、まじむは沖縄名産のサトウキビを使ったラム酒作りを提案します。困難に直面しながらいくつものハードルをクリアし、まじむの企画は最終審査まで残ります。
しかし本当に大変なのはここから。サトウキビを生産する南大東島の人々は、ラム酒作りに否定的です。またラム酒を作る醸造家も、最初は東京在住の有名な醸造家が候補に上がりますが、沖縄産にこだわるまじむはあまり乗り気ではありません。そんな時、沖縄在住の醸造家の存在を知ります。丁寧な酒作りで知られるその人物は、酒作りへのこだわりが人一倍強く、まじむの企画に首を縦に振ってはくれません。
果たしてまじむは沖縄産のラム酒を作り上げ、コンクールで優勝を勝ち取れるのか・・・?
伊藤沙莉さん始め、主要な出演者のほとんどは沖縄県外の役者さんですが、みなさんうちなーぐちで達者に演じています。まじむの上司役の尚玄さんは沖縄出身で、沖縄を舞台にした映画には欠かせない役者さんですが、今回もうちなんちゅーの風格を漂わせ、物語を引き締めてくれています。
まじむの実家が島豆腐の工場兼販売所で、高畑淳子さん演じるおばあが切り盛りしています。
物語の中心はまじむが契約社員の立場から社内ベンチャーコンテストを通じて、アイデアとガッツで自分の夢を切り開いていく、ビジネス・サクセス・ストーリーです。でもその根底には、故郷へのこだわりと愛があります。
まじむが困難にぶつかり、挫けそうになると、まじむのおばあがもの作りの本質について、さらりと、しかし確信を持って語り、それにまじむは勇気づけられます。この2人の関係性がとても素敵です。
物語自体は一見ご都合主義に思えるかもしれませんが、これが実話だというから驚きです。
伊藤沙莉さんのキャラクターが物語にぴったり合っていて、見ていてとても気持ちが良いのです。
エンディングで流れる森山直太朗さんの「あの世でね」という歌も、とっても良い曲です。
映画を見終わった後は、間違いなくこの南大東島産のラム酒が飲みたくなるはずです。実は僕は映画を見終わった後、その日のうちにネット通販で注文してしまいました(笑)。
映画はコンスタントに観ているのですが、なかなかレビューを書いている時間が取れません。
公開終了している作品もありますが、お薦めしたい作品を追っかけでアップしていきます。
まずはポール・トーマス・アンダーソン監督とレオナルド・ディカプリオがタッグを組んだ「ワン・バトル・アフター・アナザー」。
これはマジで面白いです!実は2回観てしまいました。
娘を連れされた父親が、彼女を連れ戻すために奔走する、という極めてシンプルな物語にも関わらず、上映時間は3時間近くあります。
それなのにまったく飽きません。これはやはりポール・トーマス・アンダーソン監督の演出のセンスと脚本の面白さ、そしてキャスティングがバッチリ決まった出演者たちの演技のうまさにつきます。
ディカプリオ演じる元革命家・ボブ。彼の革命家時代の相棒で妻は、娘を産んだ後に失踪。ボブは娘のウィラと平穏な生活を過ごしていました。そんなある日、革命家時代にある因縁のあった偏執狂の軍人ロック・ジョーが、ウィラをさらっていきます。
なぜロック・ジョーはウィラをさらったのか?こうしてボブは再び「戦闘、また戦闘(One Battle After Anotehr)」の日々に巻き込まれていきます。
すっかり貫禄のついたディカプリオの奮闘ぶりはもちろん良いのですが、特筆すべきは変態軍人ロック・ジョーを演じたショーン・ペンです。こんな奴につきまとわれた本当にやだなあ、という嫌な人物を演じています。
この他にもボブの娘役のチェイス・インフィニティの可憐な強さ、ボブの妻役のタヤナ・テイラーの強靭なカリスマ性、そしてウィラが通う空手道場のセンセイ、ベニチオ・デル・トロの飄々とした可笑しさと、登場人物全員が適材適所で、物語に厚みを与えています。
会話の面白さも見どころ(聴きどころ)です。特にボブが昔の革命仲間から情報を聞き出すときに、パスワードを要求されるのですが、あまりに昔のことでボブはパスワードを思い出せません。しかしその情報がないと娘の居所を探せないので、自分はかつての革命の英雄だから特別に教えろ!と電話の相手に迫ります。しかし相手は杓子定規にパスワードを言わないと教えられないと断固拒否し続けます。このやり取りがいかにもありそうで何ともおかしく、ディカプリオの切れっぷりに爆笑でした。
いちばんの見どころは、クライマックスのカーチェイスです!よくぞこんな場所を見つけてきた、というロケーション。そしてその地形を活かしたカメラワークと構図、編集の妙技により、今まで見たことのない、臨場感たっぷりのカーアクションを見せてくれます。
これはぜひIMAXで観たかったのですが、残念ながらIMAX上映の期間を過ぎていて、残念ながら通常スクリーンで観ました。それでもこのシーンには本当に興奮しました。
アクションシーンと会話劇の面白さは文句なしですが、その背景にはアメリカが抱える移民問題や、今も根強く残る白人至上主義も描かれています。それは現在のトランプ政権下で再びクローズアップされてきています。ポール・トーマス・アンダーソン監督は、そんな現状への批判を込めていたのではないかと思います。
今年観た洋画の中では、現時点でナンバーワンです。おそらく来年の様々な映画賞でも取り上げられる作品になると思います。
第78回ロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞した三宅唱監督の「旅と日々」を観ました。
原作はつげ義春さんの短編漫画「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」。
つげさんの漫画は大好きで、僕の書棚には30年ほど前に購入した「つげ義春全集」全巻が並んでおり、時折取り出してはパラパラと読んでいます。
つげさんの作品はほとんどが短編作品です。初期の貸本漫画家時代の作品には、漫画の起承転結のルールに則った娯楽作品が見られますが、1960年代後半からは、シュールだったり、抒情的な作品が多くなってきます。特に何か大きな事件が起きる物語でもないのに、なぜか心に残り、何度も読み返したくなる作品がたくさんあります。
中でも僕の好きなのは「旅」を題材にした作品。今回映画化された2本の原作は、まさに旅に関するお話です。
映画は2つのパートに分かれています。
前半は「海辺の叙景」をベースにしたもの。河合優実さん演じる女性と高田万作さん演じる男性の、ある夏の日の出会いを描いています。特にドラマチックな展開があるわけではありませんが、河合さんの気だるく、人生を達観しているかのような感じが実にいいです。特に2人が海を泳ぐシーンは本当に素晴らしいです。つげ義春さんの描く世界観が見事に映像化されています。
そしてこの海辺でのエピソードは、シム・ウンギョンさんが演じる韓国人の脚本家・李が書いたものを映画化したものです。映画の完成後、李は自分の脚本家としての才能に自信をなくし、旅に出ます。たどり着いたのはある雪国の鄙びた宿。ここからが「ほんやら洞のべんさん」をベースにした物語になります。
堤真一さん演じる宿の主人は、久しぶりにやってた宿泊客に少し戸惑い、ぶっきらぼうながらも李を泊めてあげます。
李が旅の途中で言う「日常とは周囲のモノや感情に名前を与え馴れ合うことだ」「言葉から遠いところでそのままずっと佇んでいたい」「しかしいつも必ず言葉につかまってしまう」というセリフが印象に残りました。
感動した時に、その感情をすぐに言語化できてしまうことは、本当に心を揺さぶられているのではないのかもしれません。すぐに言葉に置き換えられるということは、すでに何か別の形で体験したことの反復なのではないでしょうか。
人は本当に心の底から感情を揺さぶられたときは、おそらくすぐには言葉に出来ないのではないかと思います。
李は言葉にとらわれない、新鮮で純粋な感動を求めて旅に出ます。それは何も衝撃的な出来事を求めているわけではありません。自分がまだ知り得ない日常。まだ見たことのない生活。
雪国の山奥の宿には、そんな体験があふれていて、李は創作への意欲を再び取り戻していきます。
よく「旅は非日常の体験を求めるためのもの」という言い方をします。それは確かにそうだと思います。僕自身もそんなことを求めて旅に出ます。
でも旅で体験する非日常は、そこに暮らす人にとっては何の変哲もない日常であるはずです。そのギャップを描くことが、旅を題材にした映画の面白さだと思います。
この「旅と日々」は、そんな旅の非日常性を、決して大袈裟ではなく、むしろ繊細に丁寧に描いています。そしてそれがつげ義春さんの描く世界観とマッチして、とても心地よい作品でした。
三宅唱監督が「ケイコ 目を澄ませて」「夜明けのすべて」に続き、またしても新たな視点で人の生き方を見せてくれました。
「このミステリーがすごい!2023年版」で1位となった呉勝浩のベストセラー小説の映画化「爆弾」を観ました。
原作は2年前にオーディオブックで聴きました。容疑者のスズキタゴサクのキャラクターがとにかく不快で不気味で、すごく印象に残りました。
映画では佐藤二朗さんが演じていますが、これがドンピシャのキャスティングです。最初は少し頭が弱いのかな?と思わせておきながら、徐々に取り調べを行う刑事たちを自分のペースに巻き込み、混乱させていく不気味なキャラクターを怪演しています。
映画はスズキタゴサクを取り調べる警察署と、爆発事件が起きる都内各所を交互に描いて行きます。
取調室でのスズキタゴサクと刑事たちとの丁々発止のやり取りが緊張感たっぷりで、飽きさせません。前半は渡部篤郎さん演じるベテラン刑事が対峙します。最初は冷静に対処しているものの、やがてスズキタゴサクの仕掛けた叙述の罠にハマっていきます。続いて登場するのが山田裕貴さん演じるキレ者の若手刑事・類家(ルイケ)。この二人の頭脳戦が今作の見どころです。山田さんはこういった知的で不適な役柄を演じさせると抜群に上手いですね。
取調室でのやり取りと並行して描かれる都内での爆弾処理や、爆破事件がスリリングです。CGによる爆発シーンもリアリティがあります。
爆弾処理やスズキタゴサクの身辺捜査にあたる巡査役の伊藤沙莉さんの、現場警官ならではの不満や苦悩、そして時折見せる矜持が伊藤さんらしくて共感できます。
都内各所への爆弾の設置方法は、いかにもありそうでなかなか怖いです。SNSを使った爆破予告もいかにも現代的です。
ただし、原作でも感じたのですが、犯行の動機に関しては少し無理があるかな?というのが個人的な感想です。
それでもそこを除けば、2時間を超える作品にも関わらず、終始緊張感がありダレるところがなく、出演者たちのキャスティングも的確で、人間ドラマとしても、エンターテイメントとしても水準以上の面白さです。
今日は青海の東京国際交流館で開催された「KNOW NO LIMIT 2025」へ行ってきました。
このイベントは、僕が通っている脊髄損傷者のためのジム〝J-Workout〟が毎年この時期に開催しています。このジムに通うクライアントの中で、この1年で目覚ましい進歩が見られた人がステージ上でその成果を披露します。今年は6名のクライアントがパフォーマンスを見せてくれました。
僕はこのジムに通い始めた2010年から毎回このイベントに参加していますが、毎回刺激を受け、自分のトレーニングにとっても良い活力になっています。
パフォーマンスを披露してくれた人の中から、会場にいる参加者の投票によって最も印象的な姿を見せてくれた〝Recovery of the year〟が決められます。
今年受賞したのは、高校生の時に所属していたラグビー部での練習中に頚椎を損傷し、首から下が麻痺した青年でした。
彼のパフォーマンス終了後のスピーチが感動的でした。彼の所属していたラグビー部は全国的にも有名な強豪校で、彼も全国制覇を目指していたそうです。そして彼にラグビーを勧めたのは彼のお父さんでした。
受傷直後、彼は病院のベッドの上で父親に向かって「ごめん」と謝ったそうです。彼にラグビーを勧めてくれた父親の期待に応えられなくなったことへの負い目からでした。
でもこの言葉を聞いたお父さんは、きっと苦しんだと思います。自分がラグビーを勧めたりしなければ、こんなことにはならなかったはずなのにと。
しかしこの青年は再び自力で立って歩けるようになるため、必死で努力しJ-Workoutでのトレーニングを続けました。その努力のおかげで、今日の彼は、杖1本で自力でステージまで歩いて行き、ステージ上ではラグビーボールを投げ、キックし、最後にはトレーナーへのタックルを見せてくれました。
そしてパフォーマンス後に彼が語ったのは、父親への謝罪と、これまでサポートしてくれたことへの感謝の言葉でした。
実は彼のステージ上でのパフォーマンスで彼のサポートしていたのは彼のお父さんでした。彼のスピーチを聞きながら、ステージの端で目頭を押さえながら泣き続けているお父さんの姿が印象的でした。
謝りたかったのはお父さんであったに違いありません。しかしこの青年はお父さんを思いやり、これまでサポートしてくれたすべての人々への感謝の言葉を述べました。なんて素敵な息子さんなんだろう、と感動しました。
そしてこのように息子さんを育てたお父さんは、何も間違っていなかった、と心から思いました。
このイベントでは、毎回このように感動的なエピソードやパフォーマンスに出会えます。
イベント終了後のJ-WorkoutのCEO・伊佐さんの挨拶があり、これがとても素晴らしいものでした。
伊佐さんが語ったのは、脊髄損傷者の過去、現在、未来についてでした。
つい100年くらい前までは、脊髄損傷は不治の怪我で、脊髄損傷者は死を待つしかありませんでした。
しかし医療関係者や脊髄損傷の当事者の努力により、脊髄損傷者は車椅子を使い適切な医療ケアを受けられれば、生き永らえることができるようになりました。それが現在です。
そして未来。「21世紀には脊髄損傷者は車椅子を使わないと生きていけなかったんだよ」22世紀の人々の間ではそんな会話がなされる時代が来ることを希望している、と伊佐さんは言いました。
J-Workoutからは「二度と歩くことはできない」と宣告されながらも、再び自力で立ち、歩けるようになった人たちが少なからず出てきています。
しかしクライアントの大半は、まだ歩くことはおろか、自力で立つこともできません。僕もそんなひとりです。
僕はこのジムに通い始めて今年で15年になります。15年もトレーニングを続けて、まだ自力で立てないのでは意味がないんじゃないの、と思う人もいるでしょう。僕自身、ふとそう思うことはあります。
でも無意味だとは思っていません。15年前とは明らかに身体に変化があります。15年前はできなかった動作ができるようになっています。
何よりもこのジムで行なっているトレーニングの成果は、まだまだ未知数のことが多いということです。10年、20年とトレーニングを続けたことによる身体への影響や変化は、まだまだわからないことばかりです。
だからこそ僕たちがトレーニングを続けていくことに意味があると思っています。
おそらくこのジムのクライアントの多くは、僕も含め、二度と自力で立てることなく人生を終えるのかもしれません。
それでもここで続けたトレーニングの成果やデータは残り、未来の脊髄損傷者を助けるためのものになるはずです。
伊佐さんは、僕たち脊髄損傷者やトレーナーたちのことを「未来のための挑戦者」と言ってくれました。
ここでのトレーニングは、現在のクライアントのためだけでなく、未来の人々のためでもあるということです。
自分の日々のトレーニングが未来につながる。それはまた素敵なことで、これからのトレーニングの新たな糧になります。