熊は、いない【Blu-ray】
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第78回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「シンプル・アクシデント | 偶然」を観ました。
イラン出身の映画作家の作品は、心して観るようにしています。昨年観た「聖なるイチジクの種」もそうですが、イランの体制を描いた作品は当局の検閲に合い、制作できないか、あるいは完成してもイラン国内で上映できないことがほとんどです。また制作に関わったスタッフや出演者は反政府活動に加担した罪により投獄されることもあります。
今作のジャファル・パナヒ監督も過去に2度、逮捕、投獄された経験があります。自由に映画を制作するためにイラン国外に活動の場を移す映画監督もいますが、パナヒ監督は一貫してイラン国内での制作にこだわってきました。これは大変な勇気と覚悟です。
この作品は、パナヒ監督の投獄経験をヒントに作られた作品です。
いわゆる復讐劇ですが、一筋縄ではいかない内容です。
かつてイラン当局に逮捕、投獄され拷問を受け、人生を台無しにされたワヒド。ある日、彼の働く自動車工場に、義足の男が故障した車を持ち込んできました。その義足の発する軋み音に、ワヒドは聞き覚えがありました。それは彼が投獄されていた時、拷問を行った執行官の男が義足で、その義足の発していた音とそっくりだったのです。
ワヒドはその男の自宅を突き止め、彼を誘拐し、人気の無い砂漠に連れ出し、彼を生き埋めにしようとします。しかし、命乞いをする男の声を聞いているうちに、果たしてこの男は本当に自分を拷問した執行官なのか?と疑問を感じ始めます。なぜなら、拷問されていた時、ワヒドはずっと目隠しをされていて、その男の顔を見ていなかったのです。
確信を持てなくなったワヒドは、同じ時期に投獄され、義足の執行官に拷問を受けた人たちに会い、自分が捕まえた男がその執行官なのかを確認させようとします。しかし彼らもワヒド同様目隠しをされて拷問を受けていたため、やはりその男が執行官なのかどうかわからないと言います。
そんな疑心暗鬼の中、捕えられた男の持っていた携帯電話が鳴ります。それは、彼らを予想もしない方向へと導くことになります・・・。
復讐劇ではありますが、かつて投獄された仲間同士で噛み合わないところがあり、ところどころでクスッと笑える場面もあります。
しかしクライマックス、捕えられた男とワヒド達が対峙しする場面は、すさまじい緊張感と迫力があり、最大の見せ場となっています。
自分たちを苦しめたと思える男をどうすべきなのか、それぞれの考え方は違います。同じような、あるいはそれ以上の苦しみを与えるべきだ、と言う者もいれば、そんなことをすれば彼らと同じ人間になってしまう、と言う者もいます。
小さな集団の復讐劇を描きながらも、そこで問われているのは、理不尽な暴力に遭った時、あなたはどうするのか?ということです。
それはパナヒ監督の祖国イランで行われていることに対する問いかけであると同時に、今この世界で行われている様々な理不尽な暴力に対するものでもあります。
それはパレスチナに対するイスラエルの暴力であり、ウクライナに対するロシアの暴力であり、アメリカがベネズエラやイランに対して行っている暴力です。
物語の最後、ワヒドは捕らえた男に対してある決断を下します。
それは暴力の連鎖を断ち切るものだったのか?それとも新たな暴力を生み出したのか?
ラストシーンは様々な解釈ができます。音が喚起する想像力の凄さに唸りました。映画史に残る見事な結末だと思います。
ウィリアム・シェイクスピアの「ハムレット」の誕生秘話を描いたマギー・オファーレルの小説を映画化した「ハムネット」を観ました。
今年のアカデミー書では作品、監督を含む8部門でノミネートされましたが、ジェシー・バックリーの主演女優賞のみの受賞に終わりました。しかしこれは素晴らしい作品でした。
「ハムネット」と「ハムレット」の違いはというと、ハムネットは11歳で亡くなったウィリアム・シェイクスピアの息子の名前で、その喪失感から作られた戯曲が「ハムレット」である、という推察で物語は作られています。
主人公はウィリアム・シェイクスピアの妻アグネスです。彼女は森と精神的に深いつながりを感じており、彼女の母も含め、森から生まれたと思っています。自身が子供を出産するときも、ひとりで森の中に入っていき、ひとりで子供を産みます。
キリスト教の教えが広まっている16世紀のイギリスで、彼女の宗教観は異質にとらえられており、魔女と畏れられていました。
しかしウィリアムはそんな彼女に惹かれ、家族や周囲の反対に抗い結婚します。
二人は3人の子供に恵まれ、やがてウィリアムの戯曲もロンドンで評判になります。しかしイギリスの田舎にある自宅とロンドンの2拠点生活になったウィリアムに対し、アグネスはひとりで子育てをすることになり、2人の間に亀裂が生じ始めます。
そんなある日、ウィリアムの留守中に、長男のハムネットがペストで亡くなってしまいます。この出来事をきっかけに、ふたりの心は大きく離れてしまいます。そんな中、ウィリアムは「ハムレット」を書き上げます。
監督は「ノマドランド」でアカデミー監督賞を受賞したクロエ・ジャオ。「ノマドランド」ではアメリカの季節労働者を描き、その前作「ザ・ライダー」ではカウボーイの世界を、そして「エターナルズ」ではアメコミ・ヒーローの活躍を描きました。
1作ごとに全く違ったジャンルの作品を手掛けながらも、その根底には深い喪失感があるように感じます。今作でもその喪失感は、さらに深みを感じさせます。
その深みを見事に表現しているのがアグネスを演じたジェシー・バックリーと、ウィリアムを演じたポール・メスカルです。特にジェシー・バックリーの表現力は鳥肌ものでした。ポール・メスカルは「アフター・サン」を観てから注目していますが、やはり良い俳優です。
他にも名優エミリー・ワトソンがウィリアムの母親役で出ていて、さすがの演技を見せます。
クライマックスの「ハムレット」の上演シーンが、涙が出るくらい素晴らしいです。
当時の劇場がセットで再現されているのですが、これが興味深かったです。当時の劇場は周囲に2階建ての桟敷席があり、そこは裕福な観客の席です。庶民は今で言うところのアリーナで観ます。面白いのは、観客は立ったままで観劇し、最前列の観客は舞台の縁に手をかけて観ています。演劇好きにはたまらないシチューションです。
アグネスは最前列で、息子を亡くした直後にこんな戯曲を作って上演しようとするウィリアムに対する怒りを持って、劇を観始めます。しかし劇が進むにつれて、この物語に込めたウィリアムへの思いを理解し始めます。
この場面が本当に素晴らしいのです。アグネスとウィリアムの亡くなった息子への思い、そしてその思いが、観客にも伝わったかのような場面。演劇の持つ力を感じさせる胸に迫るシーンでした。
アグネスが入り込む森のシーンも印象的でした。この森の深みと豊かさには見入ってしまいます。「ノマドランド」もそうでしたが、ジャオ監督はこうした自然の描写が上手いですね。西洋の監督にはないセンスを感じます。
これは今年観ておくべき1本です。
今年も「スター・ウォーズの日」がやって来ました。
我が家では、この日はリビングに飾ってあるポスターをスター・ウォーズ関連のものに貼り替えます・
今年は天才絵師・生頼範義先生の作品と、2003年に京都で開催された「アート・オブ・スター・ウォーズ展」のものにしました。
生頼範義先生は、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」の公式ポスターを手がけたことで世界的に注目され、その後もたくさんのスター・ウォーズに関するアートを描いています。
中でもこのポスターは僕が大好きな作品です。1982年に「スター・ウォーズ エピソード4」が日本語吹替版でリバイバル公開された時、前売券の購入特典で付いて来たものです。
20年ぶりの続編となる「プラダを着た悪魔 2」を観ました。
実は前作が未見だったので、まずディズニー+で予習。ニューヨークの大手出版社イライアス-クラーク社が発行する世界的なトップファッション誌〝ランウェイ〟の編集部を舞台に、カリスマ的独裁編集長ミランダ(メリル・ストリープ)と、なぜか彼女に採用されたファッションに無頓着なアンドレア(アン・ハサウェイ)が巻き起こすファッション業界コメディ。
何度もダメ出しされても前向きに奮闘するアンドレアの姿が女性の共感を呼び、ヒットしたのがうなづける内容。登場人物たちが着こなすハイブランドなファッションも見どころがありました。
さて、今回公開された続編はというと、前作同様ファッションの華やかさを楽しむ要素がふんだんにありつつも、この20年間で大きく変動したメディア業界の姿が反映されていて興味深かったです。
前作の舞台は2006年。携帯電話やインターネットは普及していましたが、まだiPhoneが誕生する前。Twitterは2006年の3月に生まれていましたが、SNSが広く普及するのはまだ先のことでした。
雑誌の売上はピークを過ぎていましたが、まだまだファッション誌が力を持っていた時代です。
そんな時代だからこそ、ミランダのような敏腕編集長がファッション業界に広く力を持ち、独裁的な権力を誇示していました。
しかし20年後の現在、ファッション誌の世界は大きく変わりました。
まずファッション誌が全然売れなくなっています。これはアメリカのみならず、日本のファッション雑誌を見てもわかると思います。もはやファッション雑誌が売れる要素は豪華な付録頼り。
ファッションの情報はインターネットから収集するのが当たり前になり、ファッション・インフルエンサーと呼ばれる人たちの発信するSNSの情報に注目が集まっています。
ファッション誌は紙の雑誌をほぞぼそと発行し続けつつ、それぞれが独自のウェブサイトを持ち、ファッション情報を発信していますが、かつての雑誌の売上ほどはマネタイズできていません。
〝ランウェイ〟編集部もそんな状況を反映しています。情報発信はウェブサイトが中心になっていますが、あるブランドを取り上げたところ、その会社が劣悪な労働環境で製品を作っていることが発覚。そのブランドを持ち上げた〝ランウェイ〟が、SNSで炎上し、編集部だけでなく、発行主体のイライアス-クラーク社にも火の粉が飛んできます。
そんな事態を収束させるために採用されたのが、前作でミランダのやり方に見切りをつけ、自ら〝ランウェイ〟を去ったアンドレア。彼女はその後、本来の志望だったジャーナリズムの世界で活躍し、いくつもの業績を上げてきました。
しかしとあるジャーナリズムの表彰式で彼女が表彰されるまさにその時、彼女や列席していた彼女の同僚たちに、会社から一斉に解雇を告げるメールが届きます。メディア業界の激変はファッションの世界のみならず、ジャーナリズムの世界も同様でした。
再びミランダと共に仕事をすることになったアンドレア。彼女がまず任されたのは、炎上している〝ランウェイ〟のウェブサイトの火消しをすること。ジャーナリストとして鍛えられてきたアンドレアは、丁寧で誠意ある謝罪文を掲載し、騒動を収束させます。
その後も社会的なテーマを扱ったコラムを掲載し、〝ランウェイ〟のウェブサイトの質を高めていきます。一部の人々からは高評価を得ますが、〝ランウェイ〟のウェブサイト内でのアクセス数はジリ貧。ミランダからは「内容は良くてもアクセス数を稼げないと価値はない」と嫌味を言われます。
そのミランダも時代の波に翻弄されています。かつての独善的な振る舞いは、今やコンプライアンスの壁に阻まれ、好き勝手にできなくなりました。前作では出社するとアシスタントの机の上に着てきたコートと持ってきたバッグを放り投げ、片付けさせていましたが、今やそんな振る舞いはパワハラとみなされます。自らクロークにしまうようになりました。
また会議での過激で脅迫的な発言もパワハラとなり、言葉のひとつひとつにも気を遣わざるを得なくなっています。
良く言えば労働環境の改善なのでしょうが、かつてのような自由で突飛な仕事はやりづらくなってきていて、ミランダは仕事にやりづらさを感じています。
さらに追い討ちをかける出来事が起きます。会社の社長が彼の誕生パーティーの真っ最中に心不全でこの世を去ります。彼の息子が後任で社長となりますが、この新社長はファッションに興味なし。会社にはファスト・ファッションのラフな姿で出勤してきます。
このままでは赤字部門の〝ランウェイ〟はつぶされるのでは、と不安に感じたアンドレアは、かつての同僚で今は高級ブランドDiorの幹部となり、旗艦店を任されているエミリー(エミリー・ブラント)と、ある策を講じます。
果たして〝ランウェイ〟の運命は!?
前作の主要メンバーが前作での持ち味を活かしつつ、現代のメディア状況をうまく取り入れ、ファッションコメディと同時にメディア・ビジネス・ストーリーとして面白く観ました。
僕自身も出版の世界で30年以上仕事を続けてきているので、この20年間の変化にはうなづく場面も多かったです。
ウェブサイトでの不祥事により広告のクライアントが手を引いたら、雑誌が折りたためるくらいになるわよ!というメリンダのセリフには、笑えないけど笑いました。
実際、ファッション雑誌は、今から20年前は1冊1キロ以上あって、持ち歩くのが大変でしたが、今ではパンフレットみたいな雑誌も珍しくありません。雑誌の広告価値の低迷ぶりを象徴する場面でした。
そんな雑誌の危機的状況を表すシーンは多いものの、クライマックスのミラノでのファッション・ショーのシーンは流石に魅せます。
このシーンでは、ある超大物アーティストが特別出演して、圧巻のパフォーマンスを見せてくれます。
エンディングはご都合主義な感じがなきにしもあらずですが、こういうことは今や普通に起きているので、あり得ないことではありません。
20年前の前作と同様の共感を、今の人々が感じることができるのか、そっちの方が興味深いです。
ちなみに今回は自宅近くのシネマコンプレックスで観たのですが、劇場選びの際に面白いことがありました。
僕の近所には、車で30分以内の距離に4つのシネマコンプレックスがあります。
最初は世田谷区にある109シネマズ二子玉川で観ようかと思っていたのですが、なんと昼過ぎの段階で、レイトショーまでのすべての回が完売。公開間もなくGWだからなのか!と次に横浜市都筑区のセンター南にある109シネマズ港北を調べてみると、こっちはまだ半分くらいの予約数で、余裕でチケットが取れました。
やはり内容が内容なだけに、ハイブランド・ユーザーの多そうな二子玉川での人気は高いのか!?と思ってしまいました(笑)。
三省堂書店神田神保町本店がリニューアル・オープンしてから、早1ヶ月が過ぎました。
オープンからの数日間は、連日あふれんばかりの来客で店内は大混雑。こんなにも待ち望んでいた人たちがいたんだ!とこっちまで嬉しくなりました。
この書店がリニューアル・オープンしてからは、神保町もさらに賑やかになったように感じます。
先日行われた春の神保町ブックフェスティバルが、大勢の人々で賑わったのは、三省堂効果もあったと思います。
僕もオープン以来、昼休みに外出した時は、ほぼ毎回足を運んでいます。
ネットには在庫数が以前の店よりも少なくなったことや、本を探しづらくなったなどの意見も散見されます。確かに以前の店舗と比較すると、物足りないと感じるところは僕にもあります。
それでも神保町のランドマークと言えるこの書店が帰ってきてくれたことは、ずっと待ち望んでいたことであり、本当に嬉しく、喜んでいます。
そんな大好きな三省堂書店神田神保町本店ですが、リニューアル後の店舗でどうしても納得のいかないところがあります。
これは書くべきかどうか、オープン以来悩んでいたのですが、神保町で働くチェアウォーカー(車椅子利用者)であり、利用者としては、やはり指摘しておかないといけないと思い、あえて書くことにしました。
新しい三省堂書店の目玉のひとつは、1階にある「世界の展望台」と呼ばれる棚です。1階は本棚が渓谷のように左右に広がり本をディスプレイし「知の渓谷」と名付けられています。「世界の展望台」は一段高い場所にあり、ここに上がると「知の渓谷」が一望できます。それはまるで本で作られた渓谷を眺めているかのようなのだそうです。
「なのだそうです」と書いたのは、僕はまだその景観を眺めたことがないからです。なぜなら「世界の展望台」には、階段で上がることしかできず、チェアウォーカーの僕は上がることができないからです。
「世界の展望台」は1階のフロアの両端にあります。それぞれ古書と洋書が並んでいます。どちらも僕の関心のあるジャンルですが、見ることはできません。
リニューアル前の三省堂書店は、車椅子で近づけない棚はありませんでした。
もちろん、他の書店でも車椅子で入れないフロアがあったり、そもそも入口に段差があったり、階段しかない地下にあったりで、車椅子で入ることすらできない書店もあります。
しかし三省堂書店神田神保町本店は、今最も新しい書店です。
2019年にいわゆる「読書バリフリー法」が施行されました。これは視覚障害、発達障害、高齢、肢体不自由などで紙の書籍の利用が困難な人も、障害の有無に関わらず等しく読書を楽しめる環境を整備することを目的とした法律です。
2023年に芥川賞を受賞した市川沙央さんの『ハンチバック』は、読書という行為、書店に行くという行為が、必ずしも誰もが享受できる行為ではないという読書のマチズモを指摘、批判し、出版業界のみならず大きな衝撃を与えました。
これをきっかけに出版業界では読書バリアフリーに対する意識が高まりました。
こうした出版の世界での背景がある中での三省堂書店のリニューアル・オープンだったので、僕は新しい店舗は読書バリアフリーに配慮したデザインになるのではないかと期待していました。
そういった配慮がなされたところもあります。以前の店舗では5階に1つしかなかった多目的トイレが、新店舗では2、3階の2ヶ所に設備の整った綺麗なものが設置されました。
しかしいちばん楽しみにしていた売場に、車椅子では入れない場所ができたことは衝撃であり、非常に残念でした。
読書バリアフリーの意識が高まりつつある中で、なぜこのようなデザインにしてしまったのか?まさかこの法律があることを知らなかったわけではないと思います。さらに本を売る立場であれば「ハンチバック」の与えた影響も知らないはずがありません。
設計、デザイン上やむを得なくこのようになったのだとは思いますが、本当に他に方法はなかったのでしょうか?
今から13年前、車椅子でパリを旅行で訪れた時、決して大きくはない古い建物をリノベーションしたセレクトショップに入りました。そこはフロアとフロアの間に数十センチの段差があったのですが、そこを車椅子で上がれるように小型のリフトが設置されていました。大型のショッピングセンターならこういう設備があっても驚かないのですが、小さなセレクトショップにもこういう設備があることに感動しました。
新しい三省堂書店の「世界の展望台」の高さは1メートルくらいです。これに対応したリフトはありますし、デザイン次第では決して設置が難しいとは思えません。
また石川県立図書館のように、建物の内周を大きく使って緩やかなスロープを作るということもできたと思います。
設計の段階でバリアフリーの発想があれば、さらに斬新で面白いインクルーシブ・デザインの店舗ができたのではないかと思います。
大好きな三省堂書店神田神保町本店なだけに、本当にこのことが残念でした。
第78回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した「落下音」を観ました。
予告編の印象ではホラー映画かと思っていたのですが、違いました。
いや、ある意味ホラー映画と言えるかもしれませんが、これは記憶に関する不思議な、難解な物語だと思います。
ドイツ北部の田舎の農場を舞台に、1910年代、1940年代、1980年代、現代の4つの時代の少女の物語をタペストリーのように構成し、描いた物語です。
この4つの時代は時系列で描かれるわけではなく、複雑に絡み合いながら物語は進んでいきます。
それぞれの時代は、第一次世界大戦前夜、終戦による東西ドイツへの分裂、東西ドイツの統合、そしてパンデミックとその後の世界と、ドイツ史のターニングポイントとなった時代です。
それぞれの時代の中で、歴史に記録されない、けれども少女の記憶にトラウマとして残る出来事が、ときには象徴的に、あるいは妄想として映し出されていきます。
セリフは決して多くなく、説明的な描写も少ないので、映画を観ている側も、今観ているのはどの時代の、誰の出来事なのか?と混乱しながら観ることになります。しかもそれぞれのシーンは唐突に現れるわけではなく、違う時代の少女の体験であっても、ちゃんと繋がりを感じさせる構成になっています。
音の使い方も印象的です。不安を煽るシーンでは、重低音の不協和音が鳴り響き、観る側の不安を掻き立てます。
決して過激な描写があるわけではありませんが、性、暴力、死を感じさせるイメージが次々と現れ、言いようのない不安がじわじわと迫ってきます。
時折、登場人物たちの視線がスクリーンを観ているこちらに向けられます。彼女たちが見ているものは何なのか?それは傍観者である我々に向けられているのか?それとも時代を超越した何かへの敵意なのか?
ラストシーンも印象的です。これは希望なのか?それとも?
正直このブログを書きながらも、まだまだ整理のつかないことがたくさんあります。一度観ただけでは十分に理解できない手強い作品です。しかし得体の知れない魅力にあふれた物語であることも確かです。
監督のマーシャ・シリンスキは。これが長編2作目だそうですが、今後要注目であることは間違いありません。
昨夜は池袋の新文芸坐で「森崎書店の日々」の一夜限りの上映会でした。
「森崎書店の日々」は、第3回ちよだ文学賞大賞を受賞した八木沢里志さんの同名小説を映画化した作品です。
この原作は、発刊当時はあまり話題にならなかったのですが、2020年のコロナ禍の頃から世界各国で翻訳版が評判になり、現在は50の言語で累計100万部近くが売れている世界的ベストセラーとなっています。近年、神保町が世界から注目され、外国人観光客が増えている一因は、この本にあると言われています。
神保町にある森崎書店を舞台に、その店主の姪である貴子が失恋から立ち直り、成長していく姿を描いています。
映画が作られたのが2010年。今から16年前の神保町の風景が記録されています。ロケで使われた店の中には、今では閉店してしまった店もあります。街並みも今と比べると、変わっているところが目につきます。
僕は大学、現在の職場と40年近くこの街に通っていますが、この間に随分と街の風景は変わりました。それでも僕がこの街に来たときと変わらず営業を続けている店もまだまだたくさんあります。
開発の波に押されながらも、古き良き昭和の風情をあちこちに残し、時代にあった変化を受け入れてきた街。そんな昔と今がいい塩梅でミックスされているのが神保町の魅力だと思います。
そんな神保町の魅力を堪能できる作品です。
実は映画館のスクリーンで観るのは今回が初めて。公開当時はちょうど脊髄損傷の長い病院生活から退院し、日常生活への復帰のリハビリを始めた頃で、映画館通いも頻繁にはできない頃でした。そのためこの映画を初めて観たのはDVDで。
この作品、DVDはあるものの、ネット配信はされていません。さらに劇場用の上映素材はデジタルでは存在せず、35ミリのフィルムのみ。そんなわけで上映できる映画館もフィルム上映のできる映画館だけ。今ではほとんどの映画館がデジタルプロジェクターでの上映になっているので、都内でもフィルム上映ができる映画館は限られています。新文芸坐はそんな映画館のひとつ。
一夜限りの貴重な上映ということで、平日のあいにくの雨天にも関わらず、264席のうち8〜9割くらいは埋まっていました。
16年前の懐かしい神保町の風景をしみじみと堪能しました。
主演の菊池亜希子さんは当時20代。神保町によく似合う佇まいで、大きなスクリーンで観ると、クローズアップの横顔がとても素敵でした。
上映後は「日本三大樋口」のひとりと称される映画監督・映画評論家にして神保町の猫の本棚の店主・樋口尚文さんの千夜千本LIVE。ゲストは原作者の八木沢里志さん、映画の音楽を担当した野崎美波さん、そして神保町の達人でフリーペーパー「おさんぽ神保町」の編集長・石川恵子さん。
それぞれの視点でこの映画と神保町の魅力を語ってくださいました。
面白かったのは、八木沢さんの感想。原作と映画は別物で、映画は監督の解釈で再構成されたもの、という持論はあるものの、やはり映画を観ながら身悶えしていたそうです。映画はいわば親戚の子供みたいなもので、血は繋がっているけれど、自分が好きにコントロールできるわけではない。だから自分が小説で書いたイメージと違和感がある場面では、何とも歯がゆい思いをしていたそうです。
僕も原作を読んでいるので分かりますが、小説の中ではかなり重要な役割あるキャラクターの描き方が最低限しかなく、原作を知らない人は「?」と思うかもしれません。
まあ、そこが小説の映画化の難しいところであり、時には面白さにもなるのだと思います。
映画の原作者が映画化された作品について赤裸々に語っていて、面白かったです。
ぼくは原作、映画ともそれぞれの味があり、どちらも好きです。
ちなみに森崎書店のロケに使われた建物は今も神保町にあり、このブログの「神保町百景」でも紹介しました。
神保町を訪れることがあれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
いつかは神保町でも「森崎書店の日々」の上映会をやってほしいなあ。


神田伯剌西爾は神保町を代表する老舗喫茶店のひとつですが、その入口に降りていく階段のすぐ脇に、等身大のハン・ソロのモノクロ写真が貼られています。
誰がどういう意図で貼ったのかは分かりませんが、ずいぶん昔からあります。
スター・ウォーズ好きの僕としては、いつもここを通るときはちょびっとうれしくなります(笑)
2026年4月22日は、今後の日本の歴史の中で、忘れてはならない日になるでしょう。それも深い悔恨の念を持って。
高市内閣は、これまで武器輸出の目的を「救難・輸送・警戒・監視・掃海」のいわゆる「5類型」に限っていた規制を撤廃し、殺傷能力のある武器の輸出を全面的に解禁しました。
それも国家安全保障会議(NSC)の9大臣会合の中だけで決め、国会での議論はありませんでした。さらに武器の輸出については、国会に対しては事後通知だけ、という信じられないような運用です。こんなに重要な決定をです。
ここまで国会を軽視し蔑ろにした政権がかつてあったでしょうか?
僕はこの政権に対して何の信頼も期待もしていません。一刻も早く失脚して消えてもらうことを祈るのみです。
今日はこんな時だからこそ、ぜひひとりでも多くの人に呼んでほしい1冊を紹介します。
それは、高畑勲さんの書いた岩波ブックレットの「君が戦争を欲しないならば」という本です。
高畑さんは多くのジブリ作品に関わってきた日本を代表するアニメーターです。2018年に逝去されました。
全部で60ページ余りの小冊子ですが、ここには、今を生きる僕たちが真剣に耳を傾けるべき大切な言葉があふれています。
内容は2015年6月29日に、岡山市民会館で開催された岡山市戦没者追悼式・平和講演会での高畑さんの講演録です。
「語ってこなかった戦争体験」「民主主義教育一期生としての戦争体験」「戦争を欲しないならば、何をすべきか」の3章からなります。
中でも「戦争を欲しないならば、何をすべきか」が、ズシンと胸に響きました。
あえて、最後のまとめの言葉を引用します。
憲法九条を基盤にした賢明でしたたかな外交努力、平和的国際貢献こそが最大の抑止力であり、世界の全て国との相互理解を前進させるのが日本の唯一の道です。七十年間、戦闘で一人も殺さず、殺されず、いまもなお戦後といえることがどんなに幸せなことか。この平和をさらに強固なものとするために私たちは改めて日本国は、憲法によって戦争をしない国、戦争することの出来ない国であることを誇り高く内外に宣言すべきです。
抽象的であいまいな言葉でどんなまやかしの限定をつけようとも、一旦戦争のできる国になれば、どういう運命を辿ることになるのか、私たちは歴史に学ばなければなりません。戦争をできるのにしないのは非常に難しく、できると、ついしてしまうことになる危険性が極めて高いのです。
アジア太平洋戦争の開戦や敗戦へのいきさつから、延々たる対米従属、そして、悲惨な原発災害に至るまで、責任を決して明らかにせず、追求せず、ただ、ずるずると押し流されていく、私たちのずるずる体質と空気をすぐ読む驚くべき同調気質とは残念ながらいまも七十余年前もちっとも変わってないのではないでしょうか。
私は自分も含めこの体質と気質が本当に怖いのです。だから憲法九条は戦後の歯止めとして絶対に変えてはならないと思います。九条は、戦後日本国の所信であり、理想であり、それに縛られることこそが、近隣諸国との友好の基礎であり、国際的に日本の地位を安定させる力だからです。(太字:ブログ筆者)
今、日本はどういう判断をすべきなのか?
武力による平和はありうるのか?
世の中の流れだから、とあきらめるのか?
私たちひとりひとりが、真剣に考え、議論すべき時が来ています。
昨年の秋、神保町交差点の岩波神保町ビルの壁面に巨大な壁画が描かれました。
大きさは高さ46m、幅7.5mで、本棚から覗くおじいさんと子供の絵が描かれています。
このビルを所有している住友商事と古書店連盟や地元の人々が、建て直しの予定がある岩波神保町ビルに対して、町の記憶と人々の想いを未来に継承するためにこの壁画を企画したのだそうです。
この絵を描いたのは株式会社OVER ALLs。オフィスやビルの壁面、ストリートに壁画を描く会社です。
このビルがいつまで建っているのかは分かりませんが、しばらくの間は神保町を象徴するアートになってくれそうです。