帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

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何が何だかよくわからなかったけど、何だかすごいものを観てしまったことだけはよくわかる映画

 何だか売れそうにないラノベのタイトルみたいになってしまいましたが、まあそういう映画を紹介します。

 先月、僕の行きつけのミニシアターである川崎市アートセンターでアンドレイ・タルコフスキーの特集上映があり、そこで久しぶりにタルコフスキーの映画をまとめて観たことをブログに書きました。

 初見の作品もあれば約30年ぶりに観たものもありました。初めて観た当時はよく理解できなかったのですが、流石にあれからそれなりに人生経験も積んできています。今回は結構よくわかるようになったのでは?と思いながら観ていたのですが、やはりよく分かりませんでした(笑)。まだまだ修行が足りないことを痛感しています。

 それでも決してつまらなかったわけではなく「やはり何だかすごい映画だったなあ」ということだけは心に残るのです。

 世の中にはそういう映画が間違いなく存在します。

 そういう映画の金字塔と言えば、やはり「2001年宇宙の旅」でしょう。

 

 

 僕がこの作品を初めて観たのは高校生くらいの頃でしょうか。テレビ放映かビデオだったと思います。当然その時はよく理解できず、その後も何年か置きに映画館でのリバイバル上映やDVDなどで何度か見直してきていますが、やはりまだまだ謎の多い映画です。

 モノリス(石板)って何だったの?

 なぜHAL9000は反乱を起こしたの?

 スターゲイトって何だったの?

 なぜボウマン船長はスターチャイルドになっちゃったの?

 宇宙飛行士がコックピットでストローでチュウチュウ食べてた宇宙食って何だったの?

 それでもなぜかまた観たくなってしまうのです。

 事実、これだけ難解な内容にも関わらず、様々な映画のオールタイムベストでは常に上位に挙げられる、世界の映画ファンが認める名作です。

 「地獄の黙示録」もそういう映画のひとつでしょうね。

 

 

 ワーグナーのワルキューレをBGMにヘリコプターが奇襲をかけるシーンの印象が強烈ですが、内容は極めて哲学的です。

 クライマックスのカーツ大佐との対峙シーンは、何度見ても色々な解釈が頭の中を巡ります。

 この映画もこれまでに様々なバージョンで劇場公開されてきていますが、その度に観に行っています。惹きつけられる魅力のある映画です。

 

 こんな風に内容はよく理解できなくても、その映像のイメージの強烈さで心に深く差し込んでくる作品はいくつもあります。それが映画のすごいところですし、そういう映画は名作と言ってよいと思います。

 この他に僕が観てきたそんな映画を以下に3本紹介します。

 

 まずは「ニーチェの馬」

 

 

 2011年の作品で、ハンガリーの鬼才タル・ベーラ監督の遺作。

 詳しくは観た当時のブログで読んで欲しいのですが、年老いた父親とその娘の6日間の生活を、モノクロの映像で1シーン1カットで描いた作品。とにかく辛気臭い親子が、ジャガイモの食事を食べ、馬を引いて、という単調な生活が繰り返されるだけな映画なのです。こんな内容で2時間半以上あります。観ること自体が修行といってもよいでしょう。でも何だかすごいのです。

 

 

 続いては「父、帰る」

 

 

 2003年製作のロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の作品。ヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞と新人監督賞をダブル受賞しています。

 これも詳しくは観た当時のブログを参照ください。

 実はストーリー自体はいたってシンプルなのですが、とにかく映画の中でいくつもの謎が登場します。それなのにそれらの謎についての説明は一切なく、唖然としつつエンディングを迎えます。

 映画を観た後、色々調べてみると、キリスト教や、ソ連からロシアへの体制の変化についての暗喩が含まれているらしいとのことでした。それはまあ深いし、難しいですわ。

 でも映像的にはタルコフスキーを彷彿させる水や緑のイメージがふんだんに登場し、謎多きストーリーと共にとても惹きつけられました。

 

 最後は「日陽はしづかに発酵し… 」

 

 

 1988年製作のロシアのアレクサンドル・N・ソクーロフ監督の作品。

 これはブログを始める以前に観た映画なので、当時の感想は残っていません。

 どんな映画だったか、と問われても正直うまく説明できません。

 セピアの色調でどことなくエロティックで、終末感の漂う映像が強烈な印象として残っています。

 これも機会があれば、ぜひもう一度スクリーンで観てみたい作品です。

 

 他に紹介したい作品はありますが、とりあえず今回はここまで。

 興味が湧いた作品があれば、以下にリンクを貼っておきますので、ネット配信やDVD、Blu-rayで観て観てください。でも本当はどの作品もぜひスクリーンで観てほしいものばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

韓国版「麒麟がくる」? 「KCIA 南山の部長たち」

『KCIA 南山の部長たち』

 

 1979年に韓国で起きたパク・チョンヒ(朴正煕)大統領暗殺事件をベースに、暗殺当日までの40日間を描いた物語。

 〝KCIA〟とは韓国中央情報部の通称で、大統領直属の機関として絶大な権力を有していた。またその場所が南山にあったことから KCIAのトップは「南山の部長」として恐れられていた。

 暗殺当日の様子はある程度事実に沿って再現されているようだが、暗殺犯となったKCIA部長・キム・ギュピョンがなぜ犯行に及んだのか?そこに至るまでの過程を史実に基づきながらフィクションとして描いている。

 パク大統領とキム部長は、かつて同じ軍部の同志であった。腐敗した政治を改革するため、クーデターにより政権を掌握。しかし、その後、パク大統領は軍事政権による独裁を強めていった。

 そんなパク大統領の方針に違和感を感じ始めたキム部長。かつて理想としていた国造りとかけ離れていくパク大統領の政治と決別すべく、キム部長は重大な決断を下す。

 キム部長が大統領を暗殺した動機については、実ははっきりしていない。キム本人は裁判で「民主主義回復のため」を動機として述べている。一方、国軍による調査では、対立関係にあった警護室長に対する不満や、自分の職務の失態への大統領からの叱責などの、個人的な恨みによる犯行としている。

 映画では、かつての改革の同志であったパク大統領との確執、理想との乖離が暗殺の引き金となっている。

 この映画を見てあらためて思ったのは、今からわずか40年と少し前に、隣の韓国では軍事独裁政権があり、国のトップが暗殺される事件があったということの衝撃だ。

 韓国と日本の関係は政治、経済、文化とあらゆる点で密接であり、無視できない存在だ。そんな身近な国がたどってきた歴史の何と熱いことか。

 しかもこの映画は2020年の韓国での映画の興行収入第1位を獲得したという。コロナ禍でハリウッドの大作が思うように公開できていなかった年とはいえ、今も韓国の人々が強い関心を持っている事件だからなのだと思う。

 またその背景には、今も自分たちの国をより良い方向に変えていきたいという韓国の人々の願いもあるのかもしれない。現在の韓国は民主国家ではあるけれど、政治の腐敗や政権に対す不満の声は絶えず聞こえてくる。映画の中でのキム部長の行動は正しいとは言えないが、その動機や信念には共感した人が多かったのではないだろうか?

 ネットで見ていると、この物語を先日最終回を迎えたNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」になぞらえている意見が多い。確かにキム部長の姿は、国をより良い方向に持っていきたいという高い理想を掲げ、最後には主君である織田信長を討った明智光秀の姿に重なる。

 キム部長役のイ・ビョンホンの演技が光っている。信じて仕えてきた大統領への敬意を失わないようにし、耐えに耐えながらも、最後に感情を爆発させるシーンは見応えがある。

 この作品に限らず、韓国は自国の現代史の闇を真正面から取り上げながらも、しっかりとエンターテイメントとして成立させ、国民の共感を得ているところがすごいと思う。こういうところは日本映画も見倣って欲しいなあ。

 

晩年の認知症の「カポネ」

『カポネ』

 

 アル・カポネと言えば、歴史上最も有名なギャングのひとり。

 彼の姿はたくさんの映画で描かれている。「民衆の敵」「暗黒街の顔役」「アンタッチャブル」など、枚挙にいとまがない。その多くは禁酒法時代を背景にカポネとエリオネット・ネス率いる〝アンタッチャブル〟との闘いを描いたものだ。

 でもこの映画で描かれるカポネの姿は、そんな勇ましいものではない。

 カポネは1931年に脱税の罪で懲役10年を宣告され、収監される。

 1939年には釈放されるが、週間中に梅毒に侵されていた。

 出所後は家族と一緒にフロリダで晩年を過ごした。

 映画は、このフロリダでの出所後の生活を描いている。

 カポネは梅毒の影響で軽度の認知症を患い、かつてのカリスマ性もなくしてしまっていた。

 家族の前で失禁してしまったり、隠し金の捜査にやってきたFBIの質問にもまともに答えられない。

 やがて彼は現実と妄想の狭間で奇行を繰り返すようになっていく。

 映画は、そんなカポネの悪夢のイメージをところどころで織り交ぜながら展開していく。

 あまり知られていなかった晩年のカポネは、これまで色々な映画で見てきたカポネのイメージを覆す。

 経済的にも苦しい立場にあった彼は、お気に入りの家財道具や彫像を売らざるをえなくなり、それに対して子供のように苛立ちを見せる。

 徐々に進行する認知症のため、家族の介護も重くなってくる。この辺りは実に現代的で、かつてニューヨークを牛耳っていたギャングの親玉であっても、こればかりはどうしようもないんだな、と見ていて気の毒になってくる。

 この映画を見ていて気が付いたのだが、カポネが亡くなったのは48歳の時。僕より若かったのか!と驚いた。梅毒の影響とは言え、この年齢で認知症は辛いよなあ。

 そんなわけでギャング映画を期待していくと、あれれ!?となってしまう。

 これは悪の栄華の果てに、心身ともに崩壊していく男の心理サスペンス。

 カポネを演じたのはトム・ハーディ。「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のマックスです。カポネらしさを出しながらも徐々に壊れていく姿を巧みに演じていた。

 彼の主治医役でのカイル・マクラクランの登場は懐かしかった!

 

 

 

 

 

 

「災害列島・日本 49人の写真家が伝える〝地球異変〟の記録」

『災害列島・日本 49人の写真家が伝える〝地球異変〟の記録』

 

 2月が明日で終わります。もうすぐ3月、そしてあの日から10年が経とうとしています。

 毎年この時期は、東日本大震災のことを忘れないために、関連書籍を読み、このブログで紹介しています。

 今年紹介する1冊は、震災の日から被災地、そしてその後に続き日本各地で起きた自然災害を撮り続けてきた、日本を代表する写真家たちの記録を綴ったものです。

 49人の写真家がカメラでとらえた東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、東日本台風など記憶に新しい被災地の様子が掲載されています。

 わずか10年の間に、日本ではこれだけの大きな自然災害が起きていることに、改めて大きな驚きを感じます。

 地域によっては、災害、復興、再び災害と厳しい試練を課せられているところもあります。

 でもここに収録されている写真は、被災地の痛々しいものばかりではありません。厳しい状況にあっても、前を向いて生きていこうとする人間の強さも写し出されています。

 僕たちが今、どんな時代に生きているのか?

 そしてこれからも起こりうるであろう災害にどう向き合っていくべきなのか?

 今、世界規模で人類が直面している新型コロナウイルスの脅威もそのひとつです。

 以前、僕の友人のシーカヤッカーがこんなことを言っていました。

 

 「自然の前では、人間の力なんてたかだか知れている。でも簡単に命を差し出さないのも人間なんだ。」

 

 彼は世界の過酷な海をひとりで何日もかけて漕ぎ抜いてきた人間です。命の危険を感じたことは何度もあったはずです。剥き出しの自然と謙虚に、真摯に対峙してきた人だから言えた言葉だと思います。

 自然の力に抗うのは生やさしいことではないですし、ましてや征服するなんて傲慢以外の何ものでもないと思います。

 それでも人間は自然と付き合っていかなけれなりません。

 この本を読みながら、今こそまさに人間の知恵と、生きる力が試されている時代だと思いました。

 

 なお、この本の出版を記念して、神保町にあるブックカフェ二十世紀で、掲載写真を展示した写真展を開催中です。

 3月11日にはイベントも予定されています。

 お時間のある方は、ぜひこの写真展にもお立ち寄りください。

 

 

 

 

 

タルコフスキー月間の締めは「ストーカー」

『ストーカー』

 

 先週の話になりますが、川崎市アートセンターで上映されていたアンドレイ・タルコフスキーの特集上映「ソビエト時代のタルコフスキー」で「ストーカー」をみてきました。

 これでこの特集上映での6作品の内、4作品を観ました。短期間にこれだけの数のタルコフスキー作品を観たのは初めて。しかも4作品中3作品が2時間半超え。いや〜、よくがんばった(笑)

 さて「ストーカー」ですが、僕がこの作品を初めて知ったのは、映画にハマり、「ロードショー」や「スクリーン」などの映画雑誌を読み始めた中学生の頃。この映画の日本初公開は1981年で、当時読んでいた「ロードショー」の新作紹介記事で知ったのでした。

 当時からSF映画が好きだったのと、何とも怪しげで不可思議な映画の一場面の写真が強く心に残り気になってい

ました。

 「一体どんな映画なんだろうか?」

 

 

 当時はタルコフスキーがどんな監督かもよくわかっていません。

 もしもその頃「へー、SF映画かー」と思い観ていたら、きっと10分で寝落ちしていたでしょう。

 思えばタルコフスキー監督がその生涯で残した8本の監督作品のうち、SF小説を原作とした作品はこの「ストーカー」と「惑星ソラリス」の2本です。遺作となった「サクリファイス」もSF的な設定の作品です。

 なぜタルコフスキーはSFの設定を好んだのか?それはソビエト連邦という体制のもとで映画を撮らなければならない、とい事情があったからだと思います。

 ソ連では映画制作においても表現に様々な制約がありました。「アンドレイ・ルブリョフ」は、国との歴史認識の違いからカットを余儀なくされたシーンもあるそうです。

 「アンドレイ・ルブリョフ」のように史実に基づいた作品はそういった制約を受けやすいのでしょうが、SFとなると違います。

 基本的に空想のイメージで作れるので、事実をベースとした作品のような制限は受けづらかったのではないかと思います。「惑星ソラリス」も「ストーカー」も原作はSFですが、映画で描かれているのは、当時のソ連への体制批判であったり、宗教や芸術に対するタルコフスキー監督の独自の思想だったりします。おそらくまともに描けば国の検閲の対象になったのでしょうが、SFというオブラートで包まれているから、そういった干渉をしのげたのではないかと思います。

 「ストーカー」は、ある日突然出現した「ゾーン」と呼ばれる場所に侵入しする3人の男たちの物語。「ゾーン」に政府が送り込んだ軍隊は誰一人返って来なかった。以来「ゾーン」は立ち入り禁止になっていた。

 3人の男は「ゾーン」の中にあるという願いが叶う「部屋」を探し回る。

 果たして3人は「部屋」に辿り着けるのか?また「ゾーン」とは何なのか?

 

 SFとは言うものの、「惑星ソラリス」同様哲学的なテーマが展開する難解な物語。

 僕が初めてこの作品を観たのは20代の頃でDVDでだった。正直内容は理解できなかったが、「ゾーン」の内と外とで色調が変わる映像や、「ゾーン」内の廃墟のような風景にとても惹かれ、映像的にはインパクトの強い作品だった。

 久しぶりの鑑賞で、スクリーンで観るのは今回が初めて。やはり難しい映画だが、「ゾーン」内のイメージには見入ってしまう。この廃墟感はタルコフスキーならではのもの。

 ラストシーンも素敵です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

See you at theaters! 〜 映画館で会いましょう 〜 完全版

 コロナ禍で経営に苦しむ映画館を支援しようと昨年実施されたクラウドファンディングのミニシアターエイド

 その流れから発生したミニシアターパークが、全国の映画館を応援しようと多くの俳優たちに呼びかけ、昨年から発信してきた「See you at theaters! 〜 映画館で会いましょう 〜 」の完全版が今日、YouTubeで公開されました。

 総勢252名の役者さんたちが、日本全国にある映画館にエールを送っています。

 何人かの役者さんは、自分とその映画館との思い出を熱く語ってくれていますが、ほとんどは映画館名を言うだけ。でもなぜか見始めると見入ってしまい、やめられなくなります。

 日本にはこんなにも大勢の役者さんがいて、こんなにもたくさんの映画館があるのです。

 現在の緊急事態宣言下の中にあっても、映画館の営業は続けられています。しかし新型コロナウイルスの感染防止対策のため、座席数を半分にし、営業時間も20時までとしているところがほとんどです。

 まだまだ映画館に本来の観客が戻ってきている状況ではありません。

 早くみんなが安心して映画を観に行ける日常が戻ってくることを切に願っています。

 

 

 

今日は「富士山の日」

 最近大磯が舞台の「ある殺人、落葉のころに」や、茅ヶ崎が舞台の「3泊4日、5時の鐘」を見ていたら無性に海が見たくなり、今朝から妻と一緒に葉山に出かけてきました。
 どこか海を眺めながら朝食が食べられるお店はないかと、まずはなぎさ橋珈琲逗子店に向かったのですが、朝9時の段階で駐車場はほぼ満車で、お客さんも10組待ちの状態。
 こりゃダメだ!ということで葉山マリーナへと向かいました。
 幸いこっちはガラガラ。最もマリーナの施設内にある飲食店は10時からの営業がほとんどなので、まだお客さんが来ていなかったのでしょう。
 プリンで有名なマーロウがあったので、開店前から整理券の1番を手に入れ、開店までしばらく待つことにしました。
 今日は快晴で、昨日に続きポカポカ陽気。
 相模湾の向こうにややうっすらとですが富士山も見えました。
 まったく意識していなかったのですが、今日は2月23日、2・2・3=ふ・じ・さん、で「富士山の日」なんだそうです。
 
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  開店時間の10時になり店内へ案内されました。1番だったので席は選び放題。今日は良い陽気なので、外のテラス席の富士山と江ノ島がよく見える席を確保しました。
 
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 時間はすでに朝食というよりはブランチの時間。この店に来たからにはプリンを食べないわけにはいきません。僕は期間限定の湘南ゴールドとハニークリームチーズプリン、妻も期間限定のストロベリーチーズプリンを注文。
 
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 食事は僕は地魚を使ったシーフードカレー、妻はラザニアを注文しました。シーフードカレーは、ほどよくローストされた相模湾で獲れたスズキがのっていました。
 
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 今日の海は若干風があるものの、波は穏やか。海にはたくさんのヨットや、SUP、シーカヤック、ウィンドサーフィンが行き交っています。目の前のマリーナではヨットが出入りしたり、メンテナンスをしたりと、葉山らしい光景が展開しています。
 僕も受傷前は毎週のように葉山へやって来て、仲間達とシーカヤックで漕ぎ出し、城ヶ島や江ノ島へと行っていました。今はひとりで海に出ることはできませんが、仲間たちに介助してもらい、年に数回シーカヤックで海を漕いでいます。昨年はコロナ禍のため一度も海に出ることができませんでしたが、今年は漕ぎに行きたいなあ。
 
 
 葉山マリーナは全館バリアフリーで、多目的トイレもあります。駐車場には車椅子利用者用の駐車スペースもあり、車椅子でも快適に過ごます。

 

 

 

 

 

 

目を背けてはいけない現実「ある人質 生還までの398日」

『ある人質 生還までの398日』

 

 シリアで起きたIS(イスラム国)による人質事件の衝撃は、未だに薄れることはない。日本人も何人かが彼らに捕らえれ、その内2名は残虐な方法で殺害され、インターネットで世界中に配信された。

 この映画はそんな人質のひとり、デンマーク人のフォトジャーナリスト、ダニエル・リューが生還を果たすまでの実話に基づいたストーリー。

 ダニエルは国を代表する体操選手だったが、競技中の事故で足を負傷し、体操選手の道を断念せざるを得なくなる。次に彼が目指したのは、昔からの夢だった写真家。写真を通じて世界を良くしていきたいという願いから、世界中の紛争地域に足を運ぶようになる。

 2013年5月、取材で訪れたシリアのアザズで、突如ISにより拉致される。彼はCIAのスパイという嫌疑をかけられ、激しい拷問を受け、監禁される。

 ダニエルの家族は人質救出交渉人を通じ、ISから70万ドルの身代金を要求される。ダニエルの家族はデンマーク政府に相談するが、政府はテロリストとは交渉しないという方針のため、支援を断られる。ダニエルの家族は独自で交渉にあたるしかなくなる。

 何とか25万ドルをかき集め、この金額でダニエルを解放して欲しいと交渉するが、これを侮辱ととらえたISは、身代金を200万ユーロに引き上げてくる。

 ダニエルの家族はかつてダニエルが所属していた体操チームをつてに、募金活動を開始する。

 一方、ダニエルの体力も精神も極限状態が迫りつつあった・・・。

 

 ダニエルがシリアで赴いたアザズは、戦闘地域から離れており、自由シリア軍の許可証もあったため、比較的安全だと思われていた。しかし、突然勢力図が変わりISの支配下に置かれ、拉致される。この時シリアで起きていた混乱と恐怖がストレートに伝わってくる。

 ダニエル解放のために活動する人質救出交渉人の存在も、この映画の重要なポイント。彼らがどのようにテロリストたちと交渉しているのかが具体的に描かれ興味深い。

 しかしやはり衝撃的なのは、ダニエルが体験した監禁生活だ。拷問され、トイレはポリバケツを与えられるだけ。少量の食事で、いつも飢餓状態。

 ダニエル以外にも様々な国のジャーナリストが人質として捕えられ、身代金と引き換えに解放を待っている。しかし交渉が成立しない場合は、処刑が待っている。果たして自分に対しての交渉は成立するのか?そもそも交渉をしてくれているのか?そんな疑心暗鬼の中、いつ終わるともしれない監禁生活の中で、ズタズタになっていく精神状態。果たして自分がその立場だったら、どこまで耐えられるのだろうか?

 一方、ダニエルの家族の必死の奮闘も胸に迫る。200万ユーロというと、当時のレートで約2.8億円。とても普通の家庭で工面できる金額ではない。しかしダニエルを助けるため、彼の家族は知人はもちろん、デンマーク中の企業に連絡をとり、募金を集めようとする。

 なぜデンマーク政府は一切手を貸さないのか?と憤りを感じそうになるが、身代金を払うことで彼らの活動を支援してしまうことも確か。事実、募金を募るシーンでも、集まった人たちの中から「テロ組織を支援することになるのでは?」という疑問の声が上がる。

 人命のためならやむなしという意見もあれば、如何なる理由であれテロに屈してはいけないという意見もある。国家としてどちらの立場を貫くべきなのか、というのはとても大きく、とても重い判断だ。

 ダニエルと一緒に監禁されていた人質の中に、アメリカ人のジャーナリスト、ジェームズ・フォーリーがいた。彼はダニエルが解放されたのち、残念ながらISにより処刑されてしまう。

 彼はダニエルが解放される直前、アメリカの家族に伝えてくれとダニエルにメッセージを託す。そしてその時彼はダニエルに「憎悪に負けるな。愛しかない」と伝える。

 この極限状況の中でこの言葉を言えるフォーリーの姿が感動的だ。

 解放後、ダニエルはフォーリーの家族の住むアメリカのニューハンプシャー行き、フォーリーの葬儀に参列。そこでフォーリーから託されたメッセージを参列者の前で告げる。このシーンが実にいい。

 緊迫感と凄惨な展開が続いた物語の中で、フォーリーが伝えようとした大切なものが輝くシーンだ。

 辛く、心穏やかに観ることができない映画ではあるが、でもこれは見ておかなければならない、知っておかなければならないこの世の現実を描いた作品。

 

 

 

 

ダサダサの松坂桃李と仲野太賀がすごくいい!「あの頃。」

『あの頃。』

 

 世界は「推し」で、できている。

 

 最初この映画を見る前は、アイドルおたくを面白おかしく描いたコメディかと思っていた。確かにそういう面もあるのだが、それはこの作品のテーマではない。むしろ懐かしさと切なさが入り混じった、ほろ苦い人間ドラマだった。

 この作品で描かれてるいるのは、決してアイドルおたくの特殊な世界じゃない。

 人は誰でも生きていく上での拠り所が必要だ。

 それは仕事かもしれないし、家族かもしれないし、恋人かもしれない。

 この物語に登場する「恋愛研究会。」の男たちは、それがハロー!プロジェクトだったにすぎない。

 彼らの背景について、映画の中ではあまり詳しく語られない。でも台詞の断片から想像するには、定職がなく、おそらく親密な家族関係もないのだろうな、という感じがした。

 だからこそ、ハロー!プロジェクトを応援することを通じて知り合った仲間達は、ある意味家族であり、応援しているアイドルと同等、あるいはそれ以上にかけがえのない存在だったのだと思う。

 映画の中で「僕たちは小学校、中学校、高校、大学と卒業するたびに出会いと別れを繰り返す。しかし大人になった今、もう卒業はない」という主人公のモノローグが出てくる。学生であるうちは、ある種強制的に仲間と出会うチャンスが定期的に現れるのだが、社会に出ると自分から求めていかないと、そういうチャンスはなかなかない。

 この映画では好きなアイドルを「推す」ことで、同じ趣向を持つ仲間達と巡り合い、主人公の人生は生き生きと動き出す。

 映画の中でこんな台詞が何度か登場する。

 「今が人生でいちばん楽しいんです」

 そんな風に言える仲間たちと過ごせる人生はなんて幸せなんだろう。

 僕自身の経験と照らし合わせると、20代の後半から趣味のシーカヤックを通じて、たくさんの仲間ができた。それは学生時代の友人や、仕事の同僚とは、世代も職業も全然違う人たちだったが、それだけに彼らの話や経験はとても刺激的だった。その頃から30代にかけては、毎週のように海に出かけ、伊豆半島や三浦半島の海を漕ぎまくっていた。やがて西伊豆の山の中にあったボロボロの一軒家をみんなでお金を出し合い賃貸し、週末になるとそこに集まり、酒を飲みながらシーカヤックの話や、あるいは色恋話などどうでもいいことを夜遅くまで語り合った。その頃は週末が来るたびに本当に面白かった。

 アイドルとシーカヤックでは全然違うのだが、そんな風に共通の「好き」を通じて繋がった仲間たちは、しがらみや利害と関係なく付き合える。そういう意味では本質的には全く同じで、この映画の男たちの世界にはすごく共感できた。

 SNSで「いいね!」を付けたり、好きな相手のフォロワーになったりするのも「推す」行為のひとつだ。

 SNSは、これまで内向きで閉ざされていた「好き」という感情を躊躇なく表に出すことを、「推す」という言葉で一般化した。

 それは一方で、世の中にはこんなに自分の「推し」を表現することで世界と繋がりたい人たちがたくさんいることを顕在化させた。もちろんそれが悪いことだとは思わないし、それによって新しい面白いことが次々と生まれていることも確かだ。

 時代が移り変わっても、「好き」なものを「推す」という感情は変わらない。それが世の中を形作っていく。

 

 恋愛研究会。のメンバーを演じた6人がすごくいい!

 中でも松坂桃李と仲野太賀のダサダサぶりが秀でている。松坂くんのオドオドして節目がちながら、好きなものを追っかけずにいられないところや、仲野くんのネット弁慶ぶりは、こういう奴いるよなあ、というリアリティがすごく出ている。やはりこの2人は役者として流石だなあ、と思った。

 

 もうひとつ「推し」絡みでいうと、映画の中の後半、松坂くんが東京のライブハウスで働いているときに、そこで出演しているバンドが「MONO NO AWARE」という今、僕がイチ「推し」のバンド。

 彼らがTwitterでこの映画に出ていることをつぶやいていたので見る前から知っていたのだが、どういう場面で出てくるのかは知らなかった。こんなにしっかり演奏シーンが出てくるんだ、と嬉しくなった。

 もちろん映画の時代設定当時(2008年)にはまだこのバンドは存在していないので、このバンドの登場はオリジナルの設定。ここで演奏されている「東京」という曲の歌詞が、まさにその場面にぴったりのすごく良い曲。監督がこのバンドのファンなのかな? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに全国公開!「ある殺人、落葉のころに」

 
 今、僕のイチオシ映画「ある殺人、落葉のころに」が本日から渋谷のユーロスペースを皮切りに全国公開となりました!
 早速ユーロスペースへ観に行ってきました。
 昨年の茅ヶ崎での鑑賞に続き2回目の鑑賞。
 それでもやはり面白い!
 最初に見た時はには気が付かなかった発見があったり、逆にさらに謎が深まったりと、実に奥深い作品。
 この映画の魅力をまとめると、
 
1・役者が良い!
 正直、名の知れている俳優は出ていないのですが、みんな魅力的で印象に残ります。
 こういうインディーズ作品は、予算の関係で有名な俳優は起用できないことが多いので、演出や脚本がすごく良くても、役者の力量不足でもったいないことになっている作品も少なくありません。
 でもこの映画に関しては、役者がどの人もハマっていて、誰かしらに感情移入できると思います。
 おそらくこの映画に出ている役者さんたちは、いずれ別の映画やドラマで注目されていくことになると思います。
 
2・ミステリアスなストーリー!
 初めてこの映画を観た人は、エンディングを迎えて唖然とすると思います。
 「一体どういうこと???」
 ネタバレになってしまうので詳しくは書けませんが、時系列で話が進んでいるのかと思いきや、実はそうでなかったり。あるいはいったいこれは誰の視点の話なのか?といった場面もしばしば。
 何かが起きているようで、何も起きていなかったり。いや、実は本当は何かとんでもないことが起きているのでは?とドキドキしたり。
 そんな風に見る側の想像力を攪拌し、刺激してくれます。
 僕が良い映画の条件としているのが、内容が理解できるできないに関わらず感情を揺さぶる作品です。
 そういう意味では、この「ある殺人、落葉のころに」は、まさに感情を揺さぶってくれる作品です。
 
3・音楽が良い!
 ギターのカッティングとベースが強調された緊迫感のあるサウンドが、実に格好良くてセンスがあります。
 日本映画の音楽という枠を超えたものを感じます。
 予告編でも使われていますが、一度聞くと耳に残ります。今日も僕の頭の中でループしています。
 
4・ロケ地の魅力
 舞台となっている大磯は、神奈川県の西部の海沿いにあり、古くから別荘地として知られています。
 でもこの映画ではそんな避暑地の感じを排し、細い路地や薄暗い山林をうまく捉えて、この小さなコミュニティから逃れられない若者たちの閉塞感をうまく引き出しています。
 僕自身、大磯の隣の平塚で大学卒業まで暮らしていたので、この辺りには馴染みがあり、大磯の違った一面を見せられ新鮮でした。
 
 多分、1回観ただけではよく分からない映画だと思います。でもそれで不満を感じるか?と言われるとそうではありません。逆に分からなかったところがとても気になって、そのことを誰かと語り合いたくなったり、あるいはもう一度観てみたくなります。僕もそんな一人です。
 今日の上映後、三澤監督と主役の4人を演じた守屋光治さん、中崎敏さん、森優作さん、永嶋柊吾さんが登壇し、舞台挨拶がありました。
 そこで出演の4人がそれぞれ、この映画について語ってくれたのですが、中でも森優作さんの言葉が印象に残りました。
 それは「この映画の内容は不確かなものだけれど、それを観る側が想像できることが映画の豊かさだと思う」という趣旨のことでした。なるほど、その通りだよなあ、と感心しました。
 観る人の想像力を掻き立ててくれる、実に面白い映画です!
 ぜひご覧ください!!
 
【左から三澤拓哉監督・永嶋柊吾さん・森優作さん・中崎敏さん・守屋光治さん】
 

 

【主要出演者の皆さんがこの作品の見所を語ってくれています】

 

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