熊は、いない【Blu-ray】
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第78回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「シンプル・アクシデント | 偶然」を観ました。
イラン出身の映画作家の作品は、心して観るようにしています。昨年観た「聖なるイチジクの種」もそうですが、イランの体制を描いた作品は当局の検閲に合い、制作できないか、あるいは完成してもイラン国内で上映できないことがほとんどです。また制作に関わったスタッフや出演者は反政府活動に加担した罪により投獄されることもあります。
今作のジャファル・パナヒ監督も過去に2度、逮捕、投獄された経験があります。自由に映画を制作するためにイラン国外に活動の場を移す映画監督もいますが、パナヒ監督は一貫してイラン国内での制作にこだわってきました。これは大変な勇気と覚悟です。
この作品は、パナヒ監督の投獄経験をヒントに作られた作品です。
いわゆる復讐劇ですが、一筋縄ではいかない内容です。
かつてイラン当局に逮捕、投獄され拷問を受け、人生を台無しにされたワヒド。ある日、彼の働く自動車工場に、義足の男が故障した車を持ち込んできました。その義足の発する軋み音に、ワヒドは聞き覚えがありました。それは彼が投獄されていた時、拷問を行った執行官の男が義足で、その義足の発していた音とそっくりだったのです。
ワヒドはその男の自宅を突き止め、彼を誘拐し、人気の無い砂漠に連れ出し、彼を生き埋めにしようとします。しかし、命乞いをする男の声を聞いているうちに、果たしてこの男は本当に自分を拷問した執行官なのか?と疑問を感じ始めます。なぜなら、拷問されていた時、ワヒドはずっと目隠しをされていて、その男の顔を見ていなかったのです。
確信を持てなくなったワヒドは、同じ時期に投獄され、義足の執行官に拷問を受けた人たちに会い、自分が捕まえた男がその執行官なのかを確認させようとします。しかし彼らもワヒド同様目隠しをされて拷問を受けていたため、やはりその男が執行官なのかどうかわからないと言います。
そんな疑心暗鬼の中、捕えられた男の持っていた携帯電話が鳴ります。それは、彼らを予想もしない方向へと導くことになります・・・。
復讐劇ではありますが、かつて投獄された仲間同士で噛み合わないところがあり、ところどころでクスッと笑える場面もあります。
しかしクライマックス、捕えられた男とワヒド達が対峙しする場面は、すさまじい緊張感と迫力があり、最大の見せ場となっています。
自分たちを苦しめたと思える男をどうすべきなのか、それぞれの考え方は違います。同じような、あるいはそれ以上の苦しみを与えるべきだ、と言う者もいれば、そんなことをすれば彼らと同じ人間になってしまう、と言う者もいます。
小さな集団の復讐劇を描きながらも、そこで問われているのは、理不尽な暴力に遭った時、あなたはどうするのか?ということです。
それはパナヒ監督の祖国イランで行われていることに対する問いかけであると同時に、今この世界で行われている様々な理不尽な暴力に対するものでもあります。
それはパレスチナに対するイスラエルの暴力であり、ウクライナに対するロシアの暴力であり、アメリカがベネズエラやイランに対して行っている暴力です。
物語の最後、ワヒドは捕らえた男に対してある決断を下します。
それは暴力の連鎖を断ち切るものだったのか?それとも新たな暴力を生み出したのか?
ラストシーンは様々な解釈ができます。音が喚起する想像力の凄さに唸りました。映画史に残る見事な結末だと思います。