F9の雑記帳 -43ページ目

「子宮の夢」


 西野冬器「子宮の夢」(『文藝』2023年冬号所収)を読みました。
 『文藝』創刊90周年記念企画として特別に募集があった第60回文藝賞の短篇部門での受賞作。
 空を飛ぶ子宮や主人公に語りかける時間と言った幻想が満載な前半に対し、主人公の母の思いの吐露や現実的な行動の描写がある後半は実に良い対比となっていて、個人的にはあまり好きではない種類の小説だと思うのですが最後の一行も含めてやや清々しく満たされた気分になりました。
 ただ、僕には『文藝』2023年冬号所収の受賞記念インタビューにあるような(「クィアの表象を、文章で表現したいと思っていた」(243頁)と言った)作者の狙いは、僕には良く分かりませんでした…。

『ヴァレンタインズ』



 オラフ・オラフソン『ヴァレンタインズ』(岩本正恵訳、白水社)を二週間かけて読みました。
 この本には月の名前が題名の小説が十二篇収められており(2008年のオー・ヘンリー賞受賞作である「四月」も収録)、どの小説にも日常がある出来事をきっかけに壊れたり崩れたりする様子が描かれており、一篇読み終えるたびに人間と言う存在の(ある意味での)不思議さと人間関係の難しさについて考えてしまいました。
 個人的には、
・十年ぶりに会った恋人に対して自分の気持ちに正直になれない主人公の姿が印象的な「一月」
・旅行先で負傷した夫が、子供がいないのにあたかも息子がいるように振る舞ったせいで夫婦間に溝が生まれてしまう「三月」
・息子と夫が湖で起こした水難事故をきっかけに妻の不信感が膨らんでいく「四月」
・同性愛を告白し、家や家財道具を売る妻に対して、最後の最後で感情を爆発させる夫の姿が強烈な「五月」
・妻を亡くした弁護士が亡き妻に似た女性に出会った事で自分や周囲の人々の人生を変えてしまう様子を追っているうちに虚しくなった「六月」
・昔付き合っていた彼女と偶然出会った主人公が旅行先で受ける仕打ち(というのは言いすぎかもしれませんが…。)と、詳細を知った妻の態度に怖さを感じる「八月」
・仕事において威勢のいい夫に対して不信感が増していき、友人に相談したりしていた妻の感情の爆発の描写が「九月」
・他人と寝る事を時々思う妻、最終盤で友人の妻と2度寝たと告白する夫の姿が対照的で読了後嘆息してしまった「十二月」
が印象に残りました。

「無敵の犬の夜」


 小泉綾子「無敵の犬の夜」(『文藝』2023年冬号所収)を読みました。
 第60回文藝賞受賞作。
 主人公の中学生の五島界は事故により薬指を欠損しているのですが、それとはあまり関係がない内容で九州のある町を主な舞台として、思春期の男性の心の葛藤を細かく描きつつ小説が進んで行くのが読んでいる間「ああ、こんな感じになったことあるな」と思う場面が多く、僕には面白かったです。
 そして、(小説が進むにつれ小物感が増していく)橘雄一のある言動が引き金となり東京に出てくる羽目になった場面以降は更に面白さが加速した様に感じ、終盤の新興宗教”フェムム“の女性信者二人とのやり取りを含んだ場面に至っては読んでいて爆笑しそうになりました。
 また、最後の場面は典型的な青春小説をなぞっているだけではないかとの思いはあったものの、何だか感動している自分を発見して、少し驚きました。
 あと、登場人物の中で、猫を沢山飼っていたのに、恋した女性に嫌われたくない気持ちから猫の処分を保健所に依頼したりする橘健一と、初登場の時は(橘健一の様に)「マジかよ、今の中学生ってスゲーな」(48頁)と思ったものの、中盤で五島界への思いが強い事が分かる田中杏奈が個人的に強く印象に残りました。
 もし、五島界と田中杏奈がもっと上手くコミュニケート出来る関係だったなら、この小説のような展開はならなかったでしょうし、五島界が東京に出ていく事はなかったかもしれないですが、小説の面白さはやや減ったかもしれないですね…。