長女と2人で富士登山 2回目【私の内観#11】
こんにちは、斎藤宏幸です。
【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。
前回、長女の小学校入学式【私の内観#21】からの続き
2011年8月、再び長女と一緒に富士山に登ることになりました。
2009年8月の時は、自分の判断で途中で引き返してしまいましたので、今度は再チャレンジです。
ちなみに、その前に、妻と離婚について話し合うために家庭裁判所に行ってますので、微妙な時期でした。
長女は、今度こそ絶対に登頂すると意気込んでいたそうです。
妻と2人の娘は3人で8合目の山小屋に先に到着。
別居していた自分は、一人で翌日の朝、5合目から登り始めました。
以前は何度か、日帰りで富士山登頂していたので、家族が待つ8合目の山小屋まで、それほど時間かからずに登れるだろうと思っていました。
しかし、その考えは甘かったです。
前日、ほとんど寝てないせいもあったのか、途中で足が止まり、休み休みの登山となりました。
8合目の山小屋で前泊していた妻と娘たちは、なかなかパパが登ってこないので待ちくたびれていました。
10時すぎに8合目の山小屋に到着し、家族と合流。
次女はまだこの時、3歳。山頂まで登るのは難しいので、妻と次女はそのまま下山道にトレースして下山することに。
この時、妻におんぶされた次女は、大泣きしました。
てっきり、一緒に登るのかと思っていたのでしょう。
自分は慌てて追いかけて、もう少しだけ一緒に登ろうと言いましたが、そのまま妻は下山していきました。
ここからは、長女と2人で山頂を目指します。この時、長女は7歳。
2年前は、途中から背負子におぶさっていたのに、この時は、一人で全て歩きました。
9合目あたりからは呼吸が苦しくなり、休み休みにゆっくり歩くようになりましたが、長女は全く平気な様子。
先にどんどん歩いて行くので、「ちょっと待って、ゆっくり歩かないと後で苦しくなるから」、と言って制止するほどでした。
途中で休憩している時に、雲の動きを説明しました。
この日は晴天で少し雲がある程度でしたが、その雲の流れが上に上がって行っていたので、上昇気流の時は天気はいいんだよと、説明しました。
すると、長女は泣きべそをかきました。何かきっと勘違いをしたのでしょう。雲が出てきたから下山しなくちゃいけない、と。
2年前に、自分の判断で途中で下山してしまったことが、残念だったのかもしれません。
無事、山頂に到着。でも、出発が遅れてしまったためにすでに午後1時をすぎてました。
長女は、山頂にある郵便局からハガキを送りたいと言ったのですが、山頂の浅間神社から郵便局まで行くのに、また時間がかかります。明るいうちに下山しないと、また長女が不安がってしまうかもしれません。
それと記憶が曖昧ですが、郵便局の営業時間の関係もあったかもしれません。
「今から郵便局までは行けない」と娘に言うと、残念そうにしてました。すると、そばにいた浅間神社の人が、「後で届けますよ」と言ってくれたので、そのハガキを預けました。
しばらく景色を眺めた後、下山開始。
歩きながら、長女は、途中8合目で別れた妹のことを「かわいそうだった」、と繰り返して言っていました。
妹思いのお姉さんです。
予想した通り、下山途中に日が沈み暗くなってしまい、ヘッドライトをつけながらの歩行になりました。
娘は、この時も不安がっていました。
大丈夫だよ、大丈夫だよ、と繰り返し声がけしながら歩き続けました。
下山道もほとんど誰も歩いていなかったので、なおさら不安だったのでしょう。
しばらくして登山道と合流地点が見えてきました。この時期は、夜中でも続々と多くの人が登っていきますので、たくさんのヘッドライトの列が、遠くに見えてきました。
「ほら、大丈夫でしょ。道も間違ってないよ。これで帰れるよ」
などと励ましながら、声がけを続けました。
無事、5合目のバス乗り場まで到着。娘は、背負子に乗らずに最後まで一人で歩きました。
すごい、頑張ったね。
シャトルバスに乗り、駐車場で待つ妻と次女と合流。
長女を残して、自分は一人、車で帰っていきました。
その後、長女は登山はもうこりごりと言っていたそうです。
暗い夜道を歩いたことが、不安だったのでしょう。
自分も山小屋に前泊すればよかった、そうすれば、もっと早く8合目から出発できたし、明るいうちに下山できたかもしれない。
今回も反省だらけの富士登山でした。
次回、内観法との出会い【私の内観#5】に続きます。
LINE@のご登録はこちら
※画像をクリック!