古き良きコリアン・スタイル 2
(2月27日の続きである)
今では見ることもなくなった、古き良き韓国の風習を紹介したい。
<その1>
地下鉄やバスの中で、座っている人は立っている人の荷物を膝の上においてくれる。
それも、無言で奪い取るようにカバンを取っていくのだ。
韓国では当たり前のこの “助け合い精神”も、事情を知らない外国人にとっては、びっくりしてしまう。
何しろ、いきなり自分のカバンを奪い取られるのだ。
海外旅行では特にガードが固くなっている旅行者。カバンをめぐる “バトル”を想像すると、ちょっとおかしくなってしまう。
カバンを預けた後、車内が混んでくると預けた人の席から遠くへ流されてしまうことがある。そんなときはカバンを返してもらうのも一苦労である。
<その2>
同じく地下鉄やバスの車内。隣の人が読んでいる新聞や雑誌をのぞきこんでも失礼ではない。
特に新聞は、その人が読んでいる面とは反対の面(ページを開いている表側)は、あなたのものである。
これも韓国の "助け合い精神”なのだ。こうやって人の読んでいる新聞や雑誌をタダで読ませてもらえるのだ。
のぞき見られている本人も、ごくあたりまえのことなので、まったく何事もないような顔をしている。
また、読み終わった新聞は網棚の上に置いておく。
そうすると他の人がそれを拾って読むのだ。
少なくとも10年くらい前までは、こんな風習が残っていた。
今では消えゆく風習であり、上で書いたような風景はめっきり見なくなった。
社会が成熟するとともに、人々の思考・行動も変わっていくのである。
※注:
ですので、特に日本人旅行者のみなさんは、よその人の新聞をのぞき見るなどというお行儀の悪いことはしないでくださいね。
銅雀 1991 Spring (13)
真徳の家にお呼ばれして、お父さんとも対面。
いっしょにお母さんの手料理をごちそうになった。
メニューは極めて一般的な韓国の手料理、だと思われる。
当時の僕には、韓国の家庭料理がどんなものだか、知識もなかったのだが・・・
食事の後、車で市内観光に連れて行ってもらい、ごくフツーの国際交流となった。
南山に登って夜景を見たり、コーヒーショップでお茶をしたりなど。
彼女たちとどんな話をしたか、今ではほとんど覚えていない。
真徳との文通はその後、数年続いたが、いつの間にか連絡も途絶えてしまった。
今年、彼女は33歳。
もう結婚して、子供も生まれて、いいお母さんをしているか。
それとも語学を生かして国際的な仕事をしているか、あるいは海外に住んでいるか。
おそらくもう会えないとは思うが、彼女がいたから僕は韓国に親しみを感じ、もっとこの国について知りたいと思うようになった。
この旅を通じて、僕は韓国にのめり込んでいくのである。
1991 Spring編 (完)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
海外へ旅行するとき、その国の歴史や文化を知ると、旅も数段たのしくなります。
韓国の歴史、文化についての入門書がこの1冊。
- 物語韓国史 (中公新書)/金 両基
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韓国の建国神話(檀君神話)から始まり、李氏朝鮮までの歴史を、文化の話題を織り交ぜながらやさしく記述しています。
現代史の部分が少ないのですが、現在の韓国の伝統文化は高麗・李氏朝鮮時代に由来するものですので、韓国文化の入門書としても優れています。
韓国を強国に変えた男 朴正煕
- 今日も書籍紹介で・・・
今日ご紹介するのはこの本
- 韓国を強国に変えた男 朴正煕―その知られざる思想と生涯/河 信基
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「独裁者」 「強権政治」――
韓国歴代大統領で最も有名な朴正煕(パク・チョンヒ)につきまとうイメージは、一般にネガティブなものが多いようだ。
確かにクーデターによって政権を奪い、反対勢力(特に左翼勢力)を徹底的に力で抑え込んだ手法は「独裁者」そのものである。
しかし彼の指導の下、韓国は近代化に成功し、「漢江の奇跡」と称される経済成長を成し遂げたのもまた事実である。
現在の韓国の基礎を作った指導者であることは間違いのないところであり、近年、韓国内でも朴正煕再評価の動きが起きているという。
日本陸軍で教育を受け、成績は優秀であった。また韓国軍内での人望も厚く、のちに大統領となる全斗煥、盧泰愚にも慕われた。
決して私欲によって行動することはなく、私生活では清廉潔白を貫いた。
しかし最後は側近の凶弾に倒れ、その生涯を終えることになる。
「世界最貧国」だった韓国を、日本や欧米と肩を並べられる大国にすることを夢見、己の信念に従ってその生涯を生き抜いた朴正煕。
彼は彼なりの考えで国の将来を憂い、祖国の発展のために情熱を燃やしたのだった。
著者はジャーナリスト出身だけあり、臨場感あふれる描写には、時間を忘れて引き込まれる。
僕が持っているのは光人社NF文庫版 \790
古き良きコリアン・スタイル 1991 Spring (12)
地下鉄に乗る前に、彼女の家に電話。
今のように携帯電話がない時代。駅の公衆電話が唯一の通信手段である。
韓国の公衆電話にはちょっと珍しいシステムがある。
たとえば500ウォンを入れて通話をし、通話料が余ってしまった場合、日本と同じようにおつりは出てこない。
ところが韓国では、この余った通話料でまた次の電話をかけることができる。
引き続き次の電話をかけるには「再発信」ボタンを押す。
そしてもしもう電話をかける用事がなかった場合、受話器を切らずにそのまま電話機の上にあげて置く。
そうすると他の人がその「続き」の通話をするのだ。もちろんその人は、タダで電話をかけることができる。
もしあなたが受話器の乗った公衆電話を見つけたら、あなたは誰かが余してくれた通話料で、タダで電話をかけることができる。
余った通話料を分け合えるなんて、ソ×トバンクのようなサービスを、韓国では携帯が出現するずっと以前から行っていたのである。
これは一種の "助け合い精神”。
今では携帯が普及し、公衆電話を使うこともめっきりなくなってしまったが、かつての韓国には他にも "助け合い精神”が生活・文化の中に習慣として根付いていた。
たとえば地下鉄の中では・・・こんなことが。
続きはまた後日。
銅雀 1991 Spring (11)
(ここからしばらく、つまらない話が続く・・・)
泉谷しげる状態の、ただの酔っ払いとなった先輩と深夜に別れ、2日目は旅のもう一つの目的、友達訪問である。
名前は柳真徳(ユ・ジンドク)。
当時、彼女は中学3年生。僕は23歳・・・
そう、犯罪である![]()
ナニかしたなら・・・・犯罪である。
もちろん、ナニもない。事業で知り合ってから半年間、彼女とは月に2、3度の文通が続いていた。
(当時はメールもなく、意思疎通は文通だった。でもこの文通で韓国語作文能力がかなり鍛えられた)
写真:当時の手紙の一部
彼女のお父さんは大学で神学を教えている。つい最近までイギリスで研究をしていた。
だから真徳は韓国語より英語が得意。
受験にはとっても有利![]()
そんな彼女との半年ぶりの再会を果たすため、僕は彼女の住む銅雀区舎堂洞(ドンジャクク サダンドン)へ向かった。
目指すは地下鉄4号線「総神大入口」駅である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
当時、ソウルの地下鉄は4号線までしかできていませんでした。
(現在は8号線プラス4路線の計12路線があります)
ソウルの地下鉄はちょっと変わっています。
切符の自動販売機がないのです。
だから窓口で切符を買わなければなりません。
窓口でおじさんに行き先を叫び、お金を投げ入れると、おじさんが切符を投げてよこすのです。
ある意味、機能は自販機といっしょ。
この「行き先を告げる」のが至難の業。
「総神大入口」の発音は特に難しいのです。
「ジョンシンデイップクッ」
カナで書くのも難しいのです。
まだ韓国語に自信がなかったころ、この地下鉄の切符購入がとってもとってもプレッシャーでした。
(現在のソウルではSuicaのようなICカード「T-money」が普及しているので、交通機関に乗るのもとても便利になっています)
