愛しの韓国女優 イム・スジョン
- 今日は女優、イム・スジョンを紹介したい。
この女優さんです↓
- ¥3,019
- Amazon.co.jp
イム・スジョン。1980年7月11日、ソウル生まれ。
日本では何といっても、大ヒットドラマ「ごめん、愛してる」で有名だ。
- ごめん、愛してる DVD-BOX 完全版
- ¥22,717
- Amazon.co.jp
この「ごめん、愛してる」は2004年、韓国で視聴率27%を記録した話題作である。
また主題歌に中島美嘉の「雪の華」が韓国語でカバーされ、大ヒットとなった。
韓国人の中には、この歌が韓国の歌だと思っている人が多い。
それほど社会現象になったドラマである。
あまり韓国ドラマを見ない僕だが、このドラマはおもしろかった。ハマった。
童顔であどけなさが残るイム・スジョンだが、このときすでに24歳。
今年はもう29歳になると思うと、ちょっと感慨深いものがあるのであった。
三清洞(サムチョンドン)素描(下)
初めて三清洞を訪れたのは、もう4年前だ。
韓国の女友達・スンヒと一緒に、半日デートした。
三清洞は全長2キロ。
ギャラリー、カフェ、雑貨屋と、あちこち寄り道していたら、あっという間に1日が経ってしまう。
(↑敢えてモノクロにした1枚。僕のお気に入りのカフェだ)
当時スンヒは、派遣社員としての契約期間が切れ、フリーターをしていた。
一応、元の派遣先はサムソン電子。韓国一の一流企業である。
そんな彼女とはもう10年近くの付き合いになる。
今は別の建設会社で派遣社員として元気に働いている。
僕はソウルでイタリアンや夜景のきれいなバーへ行ったりするが、そういう時は大抵スンヒと一緒のような気がする。
僕にとっては大切なソウルの友人なのである。 いずれまたスンヒのことはこのブログで書くことになるだろう。
(完)
三清洞(サムチョンドン)素描(上)
ソウルの景福宮の東側、仁寺洞から北側に広がる一帯は「三清洞(サムチョンドン)」と呼ばれる。
ここは、古い家屋を改装したおしゃれなギャラリーやカフェが立ち並び、若者の定番のデートスポットとなっている。
数年前まで、日本のガイドブックにもほとんど紹介されることもなく、訪れる日本人も少なかった。
ところが近年、日本の女性雑誌に相次いで取り上げられ、韓国を訪れる日本人女性の間でも人気のスポットとなっている。
その「伝統」と「近代」が調和した街並みの美しさのため、写真愛好家も多く訪れている。
三清洞へ行くと、熱心にシャッターを切るアマチュアカメラマンをたくさん見ることができる。
3月に撮った写真から何枚か、アップしてみた。
(つづく)
1950年6月25日(下)
朝鮮戦争は、未だ終わっていない戦争だ。
1953年7月27日に休戦協定が結ばれ、戦闘は一応終わったが、これはあくまで「休戦」であって「終戦」ではない。
韓国は今でも準戦時体制下にあるのだ。
ソウルの街には妙に地下道が多いが、これはいざという時に防空壕にするために作られたのである。
また道路はいざという時に、戦闘機の滑走路として使えるように設計されている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冷戦が終結し、ベトナム、ドイツが統一された。
また、共産主義の呪縛が解かれ、世界中で民族独立が実現されている。
朝鮮半島は、第二次大戦後に残った最後の分断国家だ。
僕たちが生きている間に、半島統一が実現されるのか。
未来のことは誰にも分からない。
北朝鮮が核実験を強行し、孤立の道を歩んでいる今、「朝鮮半島有事」がにわかに現実味を帯びてきている。
「第二次朝鮮戦争」が起こるやもしれないのだ。
僕には韓国にたくさんの友人がいる。彼らに不幸が起こらないよう、平和裏に問題が解決されることを願ってやまない。
(完)
注:
韓国では一般に朝鮮戦争のことを、勃発の日にちを取って「6.25動乱」と呼ぶことが多い。
1950年6月25日(上)
今日6月25日は、朝鮮戦争が勃発した日だ。
1950年6月25日、北朝鮮軍は突如38度線を突破し南侵。朝鮮戦争が始まった。
第二次大戦後、朝鮮半島は南北に分断統治され、それぞれが「大韓民国」「朝鮮民主主義人民共和国」として独立を宣言。分断が固定化された。
それに至るまでの過程は複雑な政治状況が絡んでおり、また激動の歴史なので、ここで述べるには紙幅が足りない。
しかし朝鮮半島の武力統一を目論んだ金日成の、南への侵略戦争であることはまちがいなく、また、米ソ両陣営の代理戦争でもあった。
3年に渡る戦争により、おびただしい韓国・朝鮮人の血が流れ、国土が荒廃した。
朝鮮戦争の直接の原因は日本にはないが、米ソによる分断統治とそれに伴う国家分断の間接的な原因は、言うまでもなく日本にある。
そしてこの戦争を契機に、日本が高度経済成長を遂げたのも事実である。
ある意味、今の日本の繁栄は、韓国・朝鮮の人々の犠牲を踏み台にして成り立ってきたと言えるのである。
その意味で、われわれ日本人は、この戦争の事実を直視する義務があるの ではないだろうか。
(つづく)





