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永遠の姉妹 第51話『迫り来る恐怖』

愛実が姿を消してから一週間。知香子は、依然として愛実の居場所を突き止められずにいた。日々、苛立ちばかりが募る。
「愛実…一体、どこにいるって言うのよ」
社長室の椅子に座り込み、机に爪を打ちつけながらひとりごちた。
「社長…蒔田様という方が、いらっしゃっております」
新しい秘書が、腫れ物に触れるような口調で、知香子に告げる。知香子は、慎治の入室を促した。
「どうだった!?手がかりは…見つかったの?」
知香子は、慎治が姿を見せるが早いか彼を問い詰める。慎治は、力無く首を振った。
「済まない。俺も、方々に聞き回っているんだが…全く情報が掴めないんだ」
「…そう」
言いながら、知香子は頭を抱える。
「愛実…本当に、今どこにいるのよ」
愛実に届かないことは解り切っていたが、呟かずにはいられなかった。こうしているだけでも、気が狂いそうになる。
「もう、東京にはいないんじゃないか。どこか、地方にでも高飛びしたんじゃ…」
「そんなはずはないわ!!」
慎治の言葉を、知香子の叫びが打ち消した。
「…でも」
「愛実は…東京にいるわ。あたしには解るの。言ったでしょう、あたしは鼻が利くって」
知香子は、祈りを捧げるように手を合わせる。愛実への思いが募るほどに、知永子への憎しみも昂まっていった。



「そんなことはあたしがしとくから、早く二階に行って愛実ちゃんの相手をしてやんなよ」
流しに溜まった洗い物を片づけていた知永子に、フキは言った。
「…そんな勝手は出来ません。フキママには、これ以上にないほどお世話になっているんだもの。後片づけくらいしないと、罰が当たるわ。フキママこそ、早く休んで下さい。後は、わたしがするから」
知永子はそう言って笑ったが、フキは半ば強引に知永子からスポンジを奪い取る。
「何勘違いしてんだ。あんたの為なんかじゃないよ。愛実ちゃんの為に決まってるだろう。あんなに辛い目に遭ったんだ。今は、少しでも長く傍にいてやんな」
言いながら、知永子を払うように手を振った。フキに押し切られた知永子は前掛けで手を拭く。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「それから…もう少し落ち着いたら学校のこととかも、ちゃんとしてやんなきゃね。いつまでも、こんなところに押し込められてたら…そのうち体を壊しちまうよ」
知永子に背を向けたまま、フキはぼそりと言った。
「ええ…」
知永子は、フキの小さな背中を見つめたまま頷く。


二階に上がった知永子は、愛実から抱きつかれた。
「愛実ちゃん、ひとりで寂しくなかった?」
「うん。おばちゃんもフキママも下にいてくれるんだもん。ちっとも、寂しくなかったよ」
愛実は、言いながら甘えてくる。知恵子は、愛実の髪を愛おしげに撫でた。
「なら、良かったわ。でも…もう遅いから、そろそろ寝ないとね」
知永子は、ぐずる愛実を宥め賺して、寝室へと向かう。
「ねえ、愛実ちゃん…」
「何?」
「ずっと…お外に出れなくて辛くない?学校にも、ちゃんと通いたいでしょう」
愛実の手を握りながら、尋ねた。愛実は小首を傾げ、黙り込む。
「う~ん。お友達には会いたいけど…。おばちゃんやフキママと暮らせるんだったら大丈夫。愛実、平気だよ」
しばらくの間考えてから、愛実は答えた。
愛実が余計な負担をかけないよう、自分に気遣っているのが容易に見てとれる。そんな愛実を、知永子はいじらしく思った。
果たして、愛実にとって何が正しい道なのか。いくら考えても答えの出ない難問に、知永子は苦悩していた。



<ついに訪れた愛実との平穏な暮らしの中、知永子は愛実の進むべき道に思いを馳せ、悩んでいた。
しかし、やがてこの生活は終わりを告げる。終焉の時は、確実に迫っていた。>



知香子は、ひょんなことから愛実の消息を知ることになる。
「あら、知香子ちゃん。久しぶりね」
帰り際、知香子はふいに声をかけられた。幼い頃から知香子を知っている、近所の主婦である。
「この不景気に…知香子ちゃんのとこは、随分と順調みたいね。うちの娘も知香子ちゃんの会社の商品を使っているらしいわ。使い勝手がいいんですって」
「ありがとうございます。貧乏暇なしで、なかなか自分の時間もままならなくて…」
暗に催促を匂わせる主婦に、知香子は謙遜で返した。
「そう言えば…最近、愛実ちゃんを見かけない気がするんだけど…病気でもこじらせているのかしら。」
主婦が尋ねて来る。その目には、下世話な詮索心がありありと見てとれた。
知香子は、思わず舌打ちしてしまいそうになるのを、ぐっと堪える。
「いえ。実は、今旅行に行っているんです。転校したお友達が地方に住んでいて…」
我ながら苦しい言い訳だったが、咄嗟に思いついた嘘を並べた。
あまり信じていない素振りであったが、一応主婦は頷く。
「そうなのね…なら、いいんだけど。あぁ、そうそう…知永子ちゃんが帰って来てるって聞いたんだけど、本当なのかしら?」
ふと思いついたように、主婦が切り出した。知香子は、表情を強ばらせる。
「…近くのスナックにいるのを見たって人がいるのよ。何か、そこで働いてるみたいだって。ほら、知永子ちゃんって…あれでしょう」
主婦は、そう言って言葉を濁した。瞬間、知香子は主婦に掴みかかる。
「どこ…どこで見たの?」
強く主婦の肩を揺さぶった。
「教えてちょうだい!一体、どこで…あの女を見たって言うのよ!!」
知香子の剣幕に、主婦は声を震わせながら駅前にあるフキの店の名を告げる。
「そんな…近くにいたのね。待ってなさい。今すぐ、愛実を取り返しに行ってやるわ」
知香子の形相に怯え上がる主婦を尻目に、知香子は呻いた。



「いらっしゃいませ…あっ!?」
カウンターの中にいた知永子は、衝撃に言葉を失う。入り口に、知香子が仁王立ちしていた。
「やっと見つけたわよ。まさか…こんなとこに逃げ込んでいただなんてね。とんだ盲点だったわ」
言いながら、ずかずかと店内に入って来る。
「ち、知香子…」
「愛実は、どこにいるのよ!」
蒼白の表情で知香子を見つめる知永子に、知香子は詰め寄った。思わず、知永子の視線が奥に泳ぐ。
知香子は、にやりと笑った。
「この奥にいるのね…」
「あんた、いきなり何をするんだい!!」
カウンターの中に侵入しようとする知香子を、フキが止める。
「何なのよ!離しなさい。あたしは、愛実の母親なのよ!!」
振り払おうとする知香子に、フキは必死でしがみついた。小さな体で、受け止める。
「あんた…逃げて!愛実ちゃんを連れて勝手口から逃げるんだよ!!」
フキは、知永子を振り返り叫んだ。
「…で、でも」
「あたしのことはいいから、早くお行き!!愛実ちゃんの母親は他の誰でもない…あんたなんだから!」
躊躇する知永子を急かすように、早口で捲くし立てる。
「フキママ…」
「愛実ちゃんを守ってやれるのは…あんなしかいないんだよ!!」
「…ありがとうございます!」
そう言って、知永子は奥に走り込んだ。愛実がいる、母屋に向かう。
「離せよ、この糞婆!愛実の母親は、このあたしなんだよ!!」
「違うね!あんたは、母親なんかじゃない…」
揉み合いになりながら、ふたりは言い争った。
「あんたに何が解るって言うのよ!あの娘が生まれてからずっと…このあたしが愛実を育てて来たのよ!!」
「だから…何だって言うのさ。あたしには解るよ。あんたのは愛なんかじゃない。それは…ただのエゴって言うのさ!!」
フキの言葉に、知香子は獣じみた唸り声を上げる。



つづく

永遠の姉妹 第50話『執念の炎』

「…そ、そんな、恐ろしいことが!?全く…とんでもない鬼婆がいたもんだねぇ」
事情を聞いたフキは、しみじみと呟きながら愛実を見遣る。
さすがに疲れたのか、愛実は知永子の膝の上で、小さな寝息を立てていた。知永子は、愛実の頭を撫でる。
「えぇ。昔から…気性の激しい人ではあったんですけど。まさか、そんなことまでするなんて…」
「…で、これからどうするつもりなんだい?」
天使のような愛実の寝顔を眺めながら、フキが尋ねた。
「…何にも、決めていません。いても立ってもいられなくて…気がつけば、ここに足を運んでいました」
知永子は、言いながら途方に暮れる。まだ幼い愛実を抱え、一体どうすればいいのか解らなかった。
「とりあえず、しばらくはうちにいなよ」
フキは、そう言って知永子の手を握る。
「…えっ!?」
「ここは知っての通り、あたしの独り住まいだろ。広かないけど、あんた達母娘が寝起きするくらいの場所はあるさ」
「本当に…いいんですか?」
知永子は、フキの優しさに言葉を震わせた。
「あぁ。何せあんたは今、職も住むところさえもないんだ。このままあたしがおん出せば、野垂れ死にが関の山だろ。そんなの、寝覚めが悪いからね」
フキは、愛実を見つめたまま言う。
フキの手の甲を、知永子の涙が濡らした。知永子は、フキの手を強く握り返す。
「本当に、フキママには何から何までお世話してもらって…何とお礼をしていいか…」
そう言って、フキに頭を下げた。
「まあ、乗りかかった船さ。気にしなくていいよ。その代わり…あんたには明日からまた店に出てもらうからね」
フキが、知永子の顔に視線を移す。知永子は、涙を拭いながら頷いた。
「…はい、もちろんです。また、明日からよろしくお願いします」
「よろしく頼むよ。まあ、こんな婆がポツンといるより、あんたがいてくれるだけで、よっぽど華があるからね」
フキは、からからと笑う。
フキの懐の深さに、知永子は言葉では言い尽くせない感謝を感じていた。ふたりは、まるで母娘のように笑い合う。



<フキの家に身を寄せた知永子と愛実。共に孤独を抱えた三人での平穏な生活が、訪れようとしていた。
しかし、それは浜辺に築かれた砂の城のように脆く、儚いものだったのである。>



「君には、本当に感謝するよ」
多英の向かいに座った男が、封筒を差し出した。多英は軽く会釈して、それをバッグに仕舞い込む。
高級レストランの個室の中、ふたりは雑誌を挟んで向き合っていた。知香子の怒りを買った広告ページが開かれている。
「私も、そちらのお力になれて…光栄ですわ」
「いやあ、最近『office C』にはやられっ放しだったからね。あの高慢女の鼻をあかせて…俺も気分がいいよ」
男は、心底愉快そうにグラスを飲み干した。多英は、空に空になった男のグラスにワインを注ぎ足す。
「ええ。きっと、いい薬になりますわ。あの人は、人を人とも思わない鬼のような女なんですもの…」
多英は、そう言って笑った。自らも、勝利の美酒に酔う。
『office C』の内部情報を漏らしたのは、多英だった。慎治に捨てられた腹いせから、多英は同業他社の重役に今回の話を持ちかけたのである。
「それにしても…皮肉な話だが、お宅の社長のセンスは抜群だね。お陰で、すごい反響らしいよ」
「ぜひ、これからもそちらのお力になりたいですわ」
「…とゆうことは、この先もお宅の情報を、売ってくれると言うことかな?」
男は、にやりと笑った。
「えぇ、もちろん」

「そんなことは許さないわ!!」

多英の言葉を遮るように、知香子の怒号が響く。
驚いて振り返った多英の頬が、鋭い音を立てて鳴った。知香子が、思い切り多英を殴りつけたのである。
多英は、衝撃で椅子から転がり落ちた。
「社長…」
多英は、打たれた頬を押さえながら知香子を見上げる。
「全く…飼い犬に手を噛まれるとは、まさにこのことね。あたしも、見くびられたもんだわ」
言いながら多英の髪を掴み上げ、顔に唾を吐きかけた。
「あんたは、クビよ!」
多英の耳元で囁きかける。
知香子の迫力に、多英は力無くその場にへたれ込んだ。
「あんたも…随分と薄汚い真似をしてくれたものね」
多英を見限った知香子は、奥に座って動揺していた男に、標的を移す。テーブルの上に、腰を滑らせた。
「…な、何が悪いって言うんだ。この取り引きは、あの女から持ちかけて来たんだぞ。社員に不信を抱かれる、お前が悪いんじゃないか…」
男は、上擦った声を絞り出す。
「盗作を…認めるのね」
「…そ、それがどうしたんだ!?」
男の言葉に、知香子はにやりと笑った。テーブルの下に、手を忍ばせる。小さな黒い箱を取り上げた。
「あたしの知り合いの知り合いにあんたの会社の社員がいてね…あんたの動きを探らせていたのよ。店員に金を掴ませて、盗聴器を仕込ませてもらったわ」
「…なっ」
男は、言葉を失う。
「これを公表したら、どうなるかしら。歴史も名誉もある老舗企業が盗作騒動だなんて…とんだ醜聞よね」
知香子は男に顔を寄せ、囁いた。
「な、何が望みなんだ…。大々的に発表してしまったんだ。今さら…なかったことになんて出来ないぞ」
「もちろんよ。あたしだって…今さらあんたの小汚い手垢にまみれた商品になんて、もう興味はないもの。その代わり…今回はアイデア料を頂かせて頂くことにするわ」
そう言って、男の前に一本指を突き出す。
「一億よ」
知香子は、きっぱりと言い切った。
「そ、そんな…」
「売り上げを考えたら、けして法外な金額じゃないはずよ。むしろ…由緒ある会社の看板に泥を塗ることを思えば、安い買い物じゃないかしら」
有無を言わせない口調で、じりじりと男を追い詰める。
「よりよい返事を期待してるわね。期限は三日後。一円だって…まけるつもりはないから」
言いながら、知香子はボトルに残っていたワインを男の頭から注いだ。仕立てのいい男のシャツが、赤く染まる。
男が何も言い返せないのを確認してから、知香子は颯爽と個室を出た。

「どうだったんだ?」
店の外で知香子を待っていた慎治が、聞いてくる。
「もちろん、上手く行ったに決まっているじゃない。三日後に、現金で一億円が手に入るわ」
知香子は、さらりと答えた。手持ちのバッグから剥き出しの札束を取り出し、慎治に投げ渡す。
「これは、あなたへのお礼よ。気にせず取って置いて」
「俺も…知香子の役に立てて嬉しいよ」
「さすが…ホストクラブの代表の人脈は頼りになるわね。これからも、よろしく頼むわ」
そう言って、慎治の前に手を差し出した。慎治は無言で手を取り、その甲に口づける。
「あぁ。俺はもう…お前の虜だ」
知香子に誓いを立てるように呟いた。知香子は、満足そうに笑う。



「何ですって!?」
帰宅した知香子は、玄関で声を張り上げた。おろおろする澄江を、思い切り睨みつける。
「本当にごめんなさい!あたしが…どうかしていたの。すぐ正気に戻って知永子さんの荒ら屋に行ってみたんだけど、もうもぬけのからで…」
「ふざけないで!!」
言い訳を繰り返す澄江の胸座を、乱暴に掴んだ。澄江は半狂乱になって、謝罪の言葉を繰り返す。ふいに、知香子が力を抜いた。
「…許してくれるの!?」
「違うわ。そもそも…あんたなんかを頼ったあたしが、馬鹿だったのよ。つくづくと、それを痛感させられたわ」
そう言って、澄江を解放する。
「お願い!それだけは…勘弁してちょうだい。知香子ちゃんに見捨てられたら、もうどうすればいいか解らないわ。あたし…生きてさえ行けないのよ」
知香子は、譫言のように呟きながら自分に縋りついて来る澄江を、力任せに跳ね退けた。澄江は、嗚咽しながら廊下に倒れ込む。
「絶対に…草の根を灼き尽くしてでも、地獄の果てまでだって追いかけてでも、愛実を見つけ出して…取り返して見せるわ。愛実は、あたしだけのものよ」
知香子は、激しい執念の炎をたぎらせた瞳で呻いた。



つづく

永遠の姉妹 第49話『果たされなかった約束』

「何だって!?」
知永子の言葉に、フキは言葉を裏返らせた。
「いきなり店を止めたいって…どうしたって言うのさ。せっかく、この店にも馴染んできたって言うのに」
「…はい。フキママに何から何までお世話になって置いて、本当に心苦しいんですけど…ここを去ることにしたんです」
知永子は、深々と頭を下げる。
「別に、あたしのことなんかどうでもいいのさ。全部、あたしが勝手にやったことなんだから。それより…近くに住んでるってゆう、娘さんのことはいいのかい?その為に、わざわざあんなボロ屋にまで拘ってたんだろう…」
「実は…そのことで、あそこにはもう住めなくなってしまって…」
知永子は、自分を心配するフキに事の成り行きを説明した。知永子の話に、フキは黙って耳を傾ける。
「…そんなことがあっただなんて…」
全てをを聞き終えたフキは、溜め息をついた。
「あんたは、つくづく辛い運命の元に生まれて来たんだね…可哀相に」
「いえ…全ては自分から招いたことなんです」
知永子は、首を振る。
「本当に…短い間でしたけど、お世話になりました」
そう言って、再び頭を下げた。
「そんな…止めとくれよ。あたしゃ、湿っぽいのは苦手なんだからさ」
フキは、ひらひらと手を振りながら言った。
「でも…あんたがいなくなると、この店もまた寂しくなっちまうね…」
天井を見上げながら、ひとりごとのように呟く。開店前の店内を、重い空気が包んだ。



「じゃあ、ママはこれからお仕事に行くけど…おばあちゃんと、ちゃんとお留守番していてね」
週末の日曜日、玄関先に立った知香子は、愛実からの見送りを受けている。
「うん…。お夕飯までには帰って来れる?」
愛実は、知香子に向かって問いかけた。
「ええ。愛実の為に、頑張って早めに仕事を終わらせるから。愛実の好きなショートケーキを、お土産に買って来てあげるわ」
知香子は、愛実の髪を撫でながら笑う。愛実は、無邪気に喜んだ。
「わぁい。絶対に、約束よ」
そう言って、愛実は指切りをせがむ。知香子は、愛実の小さな小指に、小指を絡ませた。
「ママにもお願いするわね。きちんと、愛実の面倒を見てちょうだい」
愛実の後ろに控えていた澄江に、言づける。
「え、えぇ…もちろんよ。ねえ、愛実はお利口にしていられるわよね」
知香子の無言の圧力に、澄江は萎縮しながら愛実に同意を求めた。しかし、愛実は澄江の言葉を無視して、知香子に手を振る。
「ママ、行ってらっしゃい」
「ええ。行ってくるわね」
愛実に手を振り返して、知香子は家を出る。知香子を見送った愛実は、その場から逃げ去るように、澄江に背を向けた。
「愛実。おやつは何がいいかしら」
猫撫で声で機嫌を窺う澄江を一瞥だけして、階段を駆け上がって行く。そのまま、自分の部屋に籠もってしまった。
「本当に、可愛げのない娘。日に日に、母親に似ていくわね。やっぱり…血は争えないんだわ」
愛実が昇った階段を見上げ、澄江は憎々しげに呟く。



「社長。大変です!!」
仕事を終え、帰り支度をしていた知香子の元に、血相を変えた社員が転がり込んで来た。
「何よ。騒々しいわね。今日は、娘との約束があるのよ。悪いけど、話は明日にしてくれないかしら」
「こ、これを見て下さい!!」
知香子の言葉を振り切り、社員は手に持っていた雑誌を広げる。知香子に見せつけた。
「一体、何だって言うのよ…」
社員の剣幕に押され、渋々雑誌に目を落とした知香子は、愕然とする。思わず、社員から雑誌をもぎ取った。
それは他社から発売される、コスメの新商品の広告ページだった。もちろん、驚いたのはそこにではない。
それは、知香子が現在発表を目前に控えていた新商品と、パッケージもコンセプトも瓜二つのものだった。社員の誰かが、内部情報を漏らしたとしか考えられない。
「…どうゆうことなの」
ようやくと、そう口にした。
知香子は雑誌を握り締めたまま、怒りに打ち震える。大きく舌打ちをした。



「愛実。早く、お夕飯食べちゃいなさい!」
澄江は言うことを聞かない愛実に、思わず声を荒げる。
「嫌だ!ママが帰って来るまで待ってるんだもん」
しかし、愛実はきっぱりと言い返した。
「…だから、急なお仕事が入っちゃって帰りが遅くなるって、ママからお電話があったの。何度も言ってるでしょう」
「…だって、ちゃんとお約束したもん。一緒に、お夕飯食べようって…」
「ママは、お電話で謝っていたわ。今度こそ、絶対に守るからって…。」
「そんなこと言って…ママはいっつもお仕事じゃない!もう二度と…お約束なんてしないんだから」
愛実は、頬を膨らませながらぷいと顔を背ける。
澄江は、粟立ちそうになる気持ちを、ぐっと堪えた。
「…お願いだから、ちゃんと言うことを聞いてちょうだい。愛実が悪い子にしていたら、ママから叱られるのはおばあちゃんなのよ」
「そんなの知らない。…悪いのは、お約束を破ったママじゃない」
頑な愛実の態度に、澄江の中の何かが壊れる。
「ちゃんと言うことを聞きなさい!」
突然、叫び出した。
「口を開けば憎まれ口ばっかり…。愛実は、本当に悪い子ね。そんな悪いお口は、切り取ってしまえばいいのよ」
言いながらキッチンに姿を消し、包丁を手に戻って来る。怯える愛実に、包丁を突きつけた。
「ほら、口を出してご覧なさい。おばあちゃんが、愛実のお口を直してあげるわ」
常軌を逸した瞳で、愛実に語りかける。愛実は小さな悲鳴を上げ、裸足のまま外へと逃げて行った。乾いた澄江の笑い声が、室内に響く。


引っ越しを翌日に控えた知香子は、更にがらんとしたその部屋で、最後の夜を過ごしていた。
愛実との日々に、思いを馳せる。ほんの僅かな期間だったが、その輝かしい思い出を胸に、残りの人生を行きようと心に決めていた。
その時、玄関のドアがノックされる。
最後に、フキが会いに来て来れたのかと思いドアを開けた知永子は、突然愛実に抱きつかれた。もう二度と会えないと諦めていた愛娘との突然の再会に、知永子は戸惑う。
「愛実ちゃん…どうしてここに?」
「もう嫌!あんな家になんていたくないよ…。愛実、おばちゃんと一緒に暮らしたい!!」
知永子の胸にしがみつき、愛実は泣きじゃくった。涙で顔に貼りついた柔らかい髪を撫でながら、知永子は愛実をひしと抱き締める。



<果たして、愛実に何があったのかは解らなかったが、知永子はその胸に誓った。たとえ、この先にどんな辛い試練が待ち受けていようと、愛実の傍で生きていこうと。
愛する娘を巡るふたりの母の闘いは、こうしてだんだんと激化して行くのであった。>



「悪いけど、今日はもう暖簾なんだ。帰ってくれないかい」
流しで洗い物をしていたフキは、目線を下げたまま言った。
「フキママ…」
その声に、驚いて顔を上げる。
案の定、そこには知永子が立っていた。脇に、小学生くらいの女児を連れている。
「…一体、どうしたって言うんだよ…」
いつも以上に思い詰めた表情の知永子に、フキが駆け寄った。



つづく