映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング -2ページ目

 

1982年に閉鎖した「浅草国際劇場」

ザ・タイガ-スが1968年~1970年まで3年間に渡り「タイガ-ス・フェア」を開催しました。

また、オックスは1969年3月に「オックス・ショ-」で大成功を収めました。

しかし5月にオルガンの赤松愛が脱退し、1回のみの開催となったのは残念です。

 

 

 

 

ザ・タイガ-スは下記3回開催

・1968年11月1日~5日

・1969年11月1日~7日

・1970年6月13日~17日

 

今、手元に1969年と1970年の音源があります。

GSブームが去りつつあると言うのに、凄まじいファンの歓声です。

残念ながら、1968年のトッポ在籍時の音源は私は持っていません。

ただ、タイガ-スDVD-BOXで少しだけ映像を観ることが出来ます。

 

洋楽中心の1969年公演より、オリジナル曲を多く歌い「帰ってきたヨッパライ」のようなコミック・ソング歌った1970年公演の方が好きなので、少し記事を書いてみようと思います。

 

開催日時は1970年6月14日(2日め)

 

<ゲスト>

・ワイルドワンズ

・ロック・パイロット

 

 

【第一部】

ザ・タイガ-ス

・君だけに愛を

・花の首飾り

・僕のマリ-

・雨のレクイエム

・銀河のロマンス

・忘れかけた子守唄

・モナリザの微笑

・シーサイド・バウンド

 

 

オ-プニングから大ヒット曲連発

 

 

 

 

【第二部】

ザ・タイガ-ス&ワイルドワンズ

 

 

・サウンド・オブ・サイレンス

(岸部四郎・鳥塚繁樹)

 

・虹に消えた恋

(岸部四郎・鳥塚繁樹・渡辺茂樹))

 

・ヘルプ!

(瞳みのる・岸部四郎・島英二)

 

・モンキ-ズのテ-マ

(沢田研二・岸部修三・植田芳暁)

 

・サティス・ファクション

(沢田研二・瞳みのる・加瀬邦彦)

 

・ブル-・スエ-ド・シュ-ズ

(瞳みのる・島英二・渡辺茂樹)

 

・ウォ-ク・ドント・ラン

(瞳みのる・森本太郎・渡辺茂樹)

 

・白い色は恋人の色

(岸部四郎・鳥塚繁樹)

 

・帰ってきたヨッパライ

(岸部修三・岸部四郎・瞳みのる)

 

・恋のチャンス

(ザ・タイガ-ス&ワイルドワンズ)

 

・ちっちゃな恋人

(ザ・タイガ-ス&ワイルドワンズ)

 

 

 

 

【第三部】

ロック・パイロット

 

 

・ワイルドで行こう

・ビーナス

・ジョニー・ビー・グッド

 

ロック・パイロットの音源はないので、別のコンサ-ト映像をアップします。

 

 

 

 

【第四部】

ザ・タイガ-ス

 

・ファンへのプレゼントコーナー

 

この日は、森本太郎からのプレゼントの日。

「B-6」の女性が【ザ・タイガ-ス・ティ-カップ】をゲット。

舞台に上がり森本太郎と握手して、客席も羨ましさからか大歓声。

 

 

 

【第五部】

加瀬邦彦とワイルドワンズ

 

・漕げよマイケル

・ラ・バンバ

・いいのかな

・つのる想い 他

 

 

ワイルドワンズは客席も巻き込んで大熱唱。

特に客席との掛け合いは、楽しく盛り上がっていました。

 

 

 

 

【第六部】

ザ・タイガ-ス

 

・二ュ-バディ・アンサ-

・ノータイム

・ロック・アラウンド・クロック

・想いい出を胸に

・ハ-トブレイカー

・散りゆく青春

・素晴らしい旅行

・都会

・ラブ・ラブ・ラブ

 

 

 

岸部四郎と鳥塚繁樹の二人の司会で、コンサートそのものは大盛り上がりでした。

1970年はグル-プサウンズ・ブームも去り大半のバンドが解散。

しかし、このコンサ-トは大盛況でした。

 

 

 

ザ・タイガ-スの浅草国際劇場ライブから1年。

メンバ-だった沢田研二と岸辺修三は、PYGのメンバ-として浅草国際劇場のステ-ジに立ちました。

ただ、沢田研二のソロ・コ-ナ-を設けたり、どちらかと言うと沢田研二のソロ活動を意識した雰囲気のステ-ジでした。

ちょうど、萩原健一(ショ-ケン)の誕生日も期間中にあり、ステ-ジ上でお祝いもありました。

 

 

 

 

1971年7月25日の最終日のステ-ジ音源

 

 

 

今回、ロック・パイロットとともにゲスト出演したのが

ハイ・スパンキ-。

スク-ルメイツのメンバ-から選ばれた4人組のグル-プで、シングルを2枚発売しましたが、ヒットには至らなかった。

 

スク-ルメイツと言えば、キャンディ-ズの3人もデビュ-前に、「スク-ルメイツ」としてレコ-ドを発売しています。

 

 

ランちゃん、ミキちゃん、ス―ちゃんの3人がジャケットに写っています。

 

ハイ・スパンキ-のメンバ-である、チャオこと遠藤いさお氏は、解散後に野村義男が在籍していた THE GOOD-BYE のマネ-ジャ-をやっていました。

 

 

 

 

 

ザ・タイガ-ス・浅草公園がPYGの話になり、最後はハイスパンキ-になってしまい申し訳ございません。

 

当時、これらのライブに行かれたファンがいましたら、思い出話を聞かせてください。

アメブロで直接メールでも全然構いませんせんよ。

 

今年も元グループサウンズ・メンバーの訃報が伝わってくる。

7月に「小さなスナック」で有名な パ-プル・シャドウズのメンバーだった「綿引則史さん」の訃報があったと思ったら、9月には寺内タケシとバニ-ズの「黒沢博さん」の訃報。

バニ-ズと言うより、「三年目の浮気」のヒロシ&キ-ボ-の ヒロシ の方が知られているかも知れない。

まだ若いから残念です。

 

年々、GSブ-ムの頃のバンドでフルメンバーが揃うグループサウンズも少なくなってきました。

 

 

ザ・タイガ-スは岸辺シロ-さんが亡くなられているが、全盛時のメンバ-5人は健在で各方面で活躍している。

 

あと浮かんでくるのが、ヴィレッジシンガース。

「亜麻色の髪の少女」や「バラ色の雲」のヒット曲が知られているが、1966年~1971年の5年間で16枚のシングルレコードと4枚のLPを発売。

 

デビューから「暗い砂浜」~「君を求めて」の2作はフォ-クソング。

 

 

3作目の「バラ色の雲」からメンバーが代わり、GSスタイルとなったが、「星が降るまで」から歌謡曲化。

さらに13枚目の「悲しい星空」からム-ド歌謡グループとなった。

 

初期からのファンは、フォ-クや歌謡曲さらにはム-ド歌謡まで楽しめたようだ。

 

発売されたLPレコード

 

・「GSの貴公子」 1968年3月発売

・「海と空と愛」 1969年2月発売

・「青い果実」 1969年11月発売

・「恋と女とむせび泣き」 1970年7月

 

 

単独ではないが、原田実とワゴン・エースと合同で、LPレコード「ゴ-ルデン・フォ-ク」を発売。

14曲中9曲に参加(全曲インスト)

 

 

 

 

 

 

また、ロビー和田とニューフォークスのLP 「シャウトシャウト!武道館ライブ」 ではエレキバンドとし素晴らしい演奏を聞かせてくれる。

フォ-クバンドとして聞くには、もったいない。

 

 

 

 

 

ヴィレッジシンガース解散後、ボーカルの清水道夫さんはソロ歌手として活動。

シングル数枚とLPレコードを発売。

 

 

 

 

 

ヴィレッジシンガースには、もう1枚参加したアルバムが存在します。

GS末期に発売され子供向けのレコードなので、雑誌などでは紹介される事もないが、全曲ヴィレッジシンガースが演奏しており、12曲中8曲をヴィレッジシンガースが歌っているので、個人的にはヴィレッジシンガースの5枚目のアルバムとして紹介してもいいのではと考えています。

演奏もGS期の音を彷彿させ、清水道夫さんのボ-カルにメンバーのコ-ラスがからみあい、GS期のヴィレッジ・サウンドを引き立てている。

と言っても、あくまでも子供向け企画アルバムで、GSファンでも興味ないかも知れない。

 

 

ゾウのお父さんになったおじさん(1970年5月5日発売)

 

 

 

 

1981年。

最後のウエスタンカ-二バルが開催されました。

購入したばかりのビデオデッキの録画スイッチを、何分も前から手に握りドキドキしていたのが昨日のように思い出されます。

放送数日前の新聞記事で、日劇で開催される事やテレビ放送があるのを知りました。

 

出演者は、ザ・スパイダスやブル-コメッツの名前と写真が載っていました。

タイガ-スが出演したのを知ったのは、テレビ放送でした。

 

「僕のマリ-」での岸辺一徳のベ-スの音が流れた瞬間の感動は今も忘れません。

 

 

 

主な出演者

ジャッキ-吉川とブル-コメッツ

ザ・スパイダース

ザ・タイガ-ス

ザ・ジャガース

カ-ナビ-ツ

シャ-プホ-クス

ワイルドワンズ

萩原健一(ザ・テンプタ-ズ)

デイブ平尾(ゴ-ルデンカップス)

 

私はグループサウンズ・ブ-ムのピ-クは、1968年1月~3月だと思っています。

 

1968年1月のウエスタンカ-二バルは、テンプタ-ズが初出演しワイルドワンズに渡辺茂樹(チャッピー)が新メンバーとして参加しました。

 

少し、そのあたりの音源も交えて紹介します。

 

 

加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ

 

1981年1月25日

 

1968年1月15日

 

 

ジャッキ-吉川とブル-コメッツ

 

1981年1月25日

 

 

1968年1月15日

 

 

ザ・スパイダース

1981年1月25日

 

 

1968年1月15日

 

 

ザ・タイガ-ス

1981年1月25日

 

 

1981年1月25日  客席からの録音

 

 

1968年1月15日

 

1969年1月14日   

 

 

1969年1月は、テンプタ-ズやカ-ナビ-ツなども初出場。

記念すべきウエスタンカ-二バルとなりました。

 

 

 

沢田研二のコンサート・チケットの入手が困難と聞きました。

デビューからのファン、最近ファンになった人も含めて、色々な意味でワクワクさせてくれる。

 

 

1979年5月号の「月刊明星」に沢田研二本人のコメントつきの全44枚のシングルを紹介する記事がありました。

ジュリ-のコメントと言っても、一言だけですが音源も含めて紹介します。  

 

※今回、なるべくCDやレコードになっていない音源を使いましたのでお聞きください。

 

 

①僕のマリ-/こっちを向いて

 

昭和41年11月9日(水曜日)、新幹線で僕ら5人は上京した。

髪の長い女の子がひとり、東京駅で出迎えてくれたな。

翌年2月5日(日曜日)デビュ-。

 

 

 

 

 

②シ-サイドバウンド/星のプリンス

 

段々ベットに5人の男。

近所の商店街に、ジャガイモなんかも買いに行ったよ。

烏山の合宿生活・・・・・・

夏に向かって、この曲大ヒットや。

 

 

 

 

 

③モナリザの微笑/真赤なジャケット

 

この頃の僕らの髪型ね、これでもかなり革命的なロング・ヘヤだったんだ。

男が美容院へ行くこと自体がヘンタイ視されてね。

 

 

 

 

 

④君だけに愛を/落葉の物語

 

♪君だけに~♪ってところで、人差し指で指さすフリがあるんや。

これ、昔オヤジに連れてってもらった歌舞伎の ”大見え” のアレンジや。

 

 

 

 

 

 

⑤銀河のロマンス/花の首飾り

 

昭和43年3月25日発売。デビュ-して1年ちょっと。

映画「世界は僕らを待っている」にも出演。

この歌は「明星」募集歌だったね。

 

 

 

 

 

 

⑥シ-シ-シ-/白夜の騎士

 

今じぁ、みんなやってるけど、この夏の8月13日に後楽園球場でタイガ-ス・ショ-。

1万3000人のファン!やったぁと実感ヒシヒシ。

 

 

 

 

 

⑦廃墟の鳩/光ある世界

 

ちょっと反戦っぽい歌だ。

トッポがソロで歌ったんや。

この秋に、合宿生活から離れて麻布で2DKひとり暮らし。

家賃6万円、ゼイタク。

 

 

 

 

 

⑧青い鳥/ジンジン・バンバン

 

地方へ行っても楽しくなかったな。

外出を見合わせるように警察から指示されていた。

この曲はメンバーのタロ-の作詞作曲だ。

 

 

 

 

 

⑨美しき愛の掟/風は知らない

 

デビューのとき、48キロだったんやけど3kgも太ってしまった。

昭和44年3月、加橋かつみが脱退して岸辺シロ-が新しく加入した。

 

 

 

 

 

 

⑩嘆き/はだしで

 

風呂は2日にいちど。

下着や靴下は自分でセンタク。

家財道具はゼンブあり。

ないのはテレビだけ。

3ヶ月の自宅訪問者14名-生活白書。

 

 

 

 

 

⑪スマイル・フォ-・ミ-/淋しい雨

 

昭和44年8月、映画「ハ-イ!ロンドン」の挿入歌。

この曲は、なんとビ-ジ-ズの3兄弟の作詞作曲なんだね。

彼らもシブトイ!

 

 

 

 

 

⑫ラブ・ラブ・ラブ/君を許す

 

シングルはこの頃400円。

僕らがデビューの頃は370円やった。

デビュー曲は、ちゃんとお金を出してレコード店で買ったんだ。

 

 

 

 

 

⑬都会/怒りの鐘をならせ

 

本格的に、他人の曲も作ってみた。

ザ・ピ-ナッツの「東京の女」、奥村チヨの「いたずら」などね。

このジャケットしぶいでしょ?

 

 

 

 

 

⑭素晴らしい旅行/散りゆく青春

 

昭和45年7月1日発売。

デビュー4年目に入って余裕が出来たんやろうか。

この歌の作曲は僕がやったんです。

ヒットにいまひとつ!

 

 

 

 

 

⑮誓いの明日/出発の他に何がある

 

昭和45年11月20日発売。

GSブ-ムももう下火。

この年の12月8日に解散を発表。

そう言えば、このジャケット寂しそうやなぁ。

 

 

 

 

 

⑯花・太陽・雨/やすらぎを求めて

 

昭和46年4月10日発売。

明けて昭和46年1月24日、タイガ-スとして解散コンサ-ト。

2月に、井上さんや大野さん、ショ-ケンらとPYGを結成した。

 

 

 

 

 

⑰自由に歩いて愛して/淋しさをわかりかけた時

 

昭和46年7月21日発売。

PYGの第一作は、予想ほど伸びなかった。

少しむずかし過ぎたんやないやろか。

このジャケットの真ん中の井上さん、かわゆいでんな。

 

 

 

 

 

⑱もどらない日々/何もない部屋

 

昭和46年11月1日発売。

ショ-ケンのソロ。

 

 

 

 

 

⑲君をのせて/恋から愛へ

 

昭和46年11月1日発売。

初めてのソロシングルや。

この曲は今でもショ-で歌ってるんだ。

知ってる人がいて拍手が来ると嬉しいね。

 

 

 

 

 

⑳遠いふるさとへ/おもいでの恋

 

昭和47年8月21日発売。

僕がソロ活動を始めてからも、PYGの一員として参加していたんだ。

昭和47年8月発売だ。

この10月に日生劇場で初リサイタル。

 

 

 

 

 

㉑初めての涙/お前と俺

 

昭和47年12月21日発売。

PYGは楽しいグル-やった。

井上さんとはよく飲んだし・・・・・

成功はしなかったけど、あの時の僕らには必要だったんだ!

 


 

 

 

 

 

 

【追伸】

4月に友人が事故に遭い、3か月経った今も意識がありません。

友人はジュリ-やタイガ-スが大好きで、一緒にみんなでコンサ-トへ何度か行きました。

昨年11月にも、みんなで久しぶりにカラオケへ行ったばかり。

今、願うのはジュリ-が長く現役でコンサ-トをやってくれること。

友人が目覚めるまで、頑張ってライブ活動をして欲しい。

かと言ってご家族に相当負担がかかっていると思います。

でも、友人として復活して欲しい。

すみません、余談でした。

 

 

     

 

 

カセットテープ ・カ-トリッジ (販売品) を最近見かけなくなりました。

昔は、レコード化されず、テ-プやカ-トリッジだけの商品もあったようです。

 

例えば、1981年の「さよなら日劇」も、カセットテープのみ発売。

3本セットで値段も高く、購入するかどうか半年くらい悩みました。

しかし、いつの間にか店頭から消えてしまい、買いそびれて後悔。

 

  

 

色々と調べていくと、カセットテープやカ-トリッジは謎が多い。

特にレコードとは違う「貴重な別テイク音源」や「ライブ音源」が存在します。

 

自分が驚いたのが1969年発売の「ブル-コメッツ・ベスト」で全曲新録音。

「青い彗星」「愛の終わりに」「甘いお話」「すみれ色の涙」などシングルB面まで再録音されている。

 

また「パ-プルシャドウズ・ベスト」は単なるベスト盤だと思ったら、当時のコンサート・ライブ音源だった。

 

ザ・テリーズには、寺内タケシが参加したカセットテープもある。

荻野達也とバニ-ズは「ロックスタンダード」や「ヘア-」、ホワイトキックスは「魅惑のスキャット」、ザ・サンダ-バ-ズ「GO!GO!GTSOUND」、フィフィ・ザ・フリ-「R&Bベスト」などよくわからないカセットまで発売されている。

 

ホワイトキックスの「魅惑のスキャット」は、GSを期待するとガッカリしてしまうが、このバンドは何と「寺尾聰」がベースを弾いていたのだ。

 

また、完全な別バ-ジョンの「おやじのロック/フィフィ・ザ・フリ-」や「そよ風のバラ-ド/スイングウエスト」、「ラブ・ミ-/ザ・フィンガース」なども存在し、カセットテープの世界はよくわからない。

が、期待して購入して期待外れに終わるのが大半です。

 

カセットではないが、同じようにGSを期待してはいけない楽曲として、ミッキーカ-チスとザ・サムイイズの「愛のテナ-サックス1967」と言うレコードが存在します。しかし心静かに聞けばなかなかいい演奏だ。

 

 

 

さらにGSを意識して聴いたらダメなのが、ザ・ワンダース「軍歌を歌う」。

何と12曲入りである。

 

 

 

また、町田義人在籍のズ-二-ブ-も「歌謡曲を歌う」と言うカセットを発売し、全曲メンバーによる演奏で、「空よ」や「長崎は今日も雨だった」などを歌っています。

町田義人は、歌謡曲を歌わせても素晴らしい。

 

 

 

一般的に知られているのが「ザ・タイガ-ス・チャリティ-ショ-1967」。

2000年代に入りCD化されたが、当時の物とはMCや曲が少し違う。

 

  

 

 

GS関連で「レコード化されていない曲を歌ったテ-プ」も、いくつか当時は発売されていました。

ブル-コメッツ、スイングウエスト、シャ-プ5、ハプニングス・フォ-、フィフィ・ザ・フリー、ズ-二-ブ-、ファイターズ、キッパーズ、フィンガース、ワンダース、ワイルドワンズなどが主だったグループです。

 

ブル-コメッツは数年前に6本がCD化。

歌謡曲中心ながら、聞きやすい曲が多い印象でした。

 

 

 

また、ライブ音源のカセットテープでは「合歓の木ポピュラーフェスティバルより」が発売されました。

 

雨/モップス  青春/ハプ二ングス4  朝陽に祈る/ブル-コメッツ などのライブが聞けます。

 

アポロン音楽工業、ポニー、日本マ-キュリ-辺りから発売されたカセットテープや8トラは注意が必要だ。

 

 

どうでも良い話をしてしまったが、沢田研二もタイガ-ス時代の1970年に「ロックカクテル」を発売。

このカセットテープを持っている人は知っているが、私はいまだに現物を手にしたことがない。

某レコード店では買取り価格が20万円。

私なら喜んで売ってしまうのだが・・・・

 

<曲目>

・ブルージンと皮ジャンパー

・ラブ・ミ-テンダ-

・ミスタ-ム-ンライト

・ア・ハ-ドデイズ・ナイト

・イエスタディ

・アンチェインドメロディ

・最後の恋

・ヴィ-ナス

・雨に濡れても

・涙の口づけ

・好きにならずにいられない

・恋はフェニックス

・グッド・モ-ニング・サンシャイン

 

 

また、同じくタイガ-ス時代の1970年に「ジュリ-の魅力」と言うカセットテープも発売。

これも全曲ソロの録音でジャケット違いの2本を発売(曲は同じ)

 

 

 

ソロデビュー曲「君をのせて」のB面「恋から愛へ」や「ホワイトル-ム」のライブ音源もカセット・オンリーで発売されました。

 

 

 

<追伸>

40年くらい前、「Forever Magazin」と言う雑誌で知り合ったGSマニアの方がいました。

一般読者の投稿ぺ-ジ「GSレコ―ド探しています」で見かけ、載っていた住所に手紙を出して図々しく

 

>色々なGSを録音してもらえませんか

 

すぐ返信が来て快く対応して頂きました。

 

>GSを知らない世代の人が、GSに興味があるのは嬉しいです。

>自分が持っているものなら、何でも録音しますので遠慮なくリストを送ってください

 

その人とは、そこから交流が始まりました。

その方は、GS研究科である黒澤進さんから先生と呼ばれ、珍しい物を提供していたようで黒澤進さんの出版物の巻末で時々名前を見かけました。

 

特に自主制作や誰も知らないようなカセットテープ、8トラ収集を一生懸命やっていました。

 

ここ数年は、Tuyoshi-N・・・ の名前で連日、大量の写真をFacebookにアップして、元GSメンバーやGSマニアの方たちと交流していたようですが、連日アップしていたGS関連の写真を1月中旬を最後にアップをやめてしまい、皆さん心配していたようです。

 

私はここ数年は連絡を取ってませんでしたが、数年前に電話で話した時は

 

>朝起きたらグループサウンズの事を考えてしまい、1日考え続けてしまう。でも、それが楽しくてね・・・・

 

>タイガ-スの珍しい全盛期のビデオが入ってね、テレビ関係者からの入手だから、たぶん誰も持ってないと思う。今度送るから。。。。。

 

結局、見ることができませんでした。

 

50年以上GS熱が燃えてた方です。

 

先日、突然亡くなったと聞きました。

九州の山口さんとTuyoshi-N・・・さんは私の師匠でした。

 

驚きと悲しみが入り混じりながら、色々な思い出が甦ります。

あんなにGSが好きで好きでたまらなかった人だし、まだ60代でした。

せめて一言、自分のブログに書いて追悼したいと思いました。

 

数年前にTuyoshi-Nhi・・・・さんから頂いた当時の貴重なオックスのコンサート映像、加山雄三コンサート映像、1975年~1976年頃の各GS復活コンサート、それから私が1970年代前半の、歌を歌っていた頃のブル-ジ―ンズが好きだと言ったのを覚えててくれて送ってくれたライブ音源。

映像は無理として、音源だけでもアップして聞いてもらいたいと思いました。

よかったら聞いてください。

 

 

今年も終わりが近づいてきました。

毎年恒例の紅白歌挑戦。

取りあえず毎年録画はしているが、ここ数年観ていない。

知らない曲が増えてしまったのが要因か。

NHKが、「若者をタ-ゲットにしている」との方針だから仕方ないかな。

 

そんなわけで、ユ-チュ-ブに昔の「紅白歌合戦」を編集してアップしいています。

2023年は、もう少し動画アップを増やそうと思っています。

 

今回紹介するのは、1974年(昭和49年12月31日放送)の紅白歌合戦。

第25回NHK紅白歌合戦 - Wikipedia

 

 

 

1986年~2003年の17年間、年末に「思い出の紅白歌合戦」と言う番組がありました。

過去の紅白歌合戦を、オ-プニングからエンディングまで完全放送。

 

自分は、年末近くになると

 

>今年は何年度の紅白が放送されるんだろう?

 

と、新聞の番組表を楽しみにしていました。

 

参考までに各年度の放送内容は

 

昭和61年放送・・・・昭和50年  51年  54年

昭和62年放送・・・・昭和48年  51年  52年   

昭和63年放送・・・・昭和48年  54年

 

平成元年放送・・・・昭和38年   41年   50年   40年(白黒)

平成2年放送・・・・昭和48年   54年   60年

平成3年放送・・・・昭和49年   51年     55年     59年

平成4年放送・・・・昭和49年     63年

平成5年放送・・・・昭和38年   48年   53年     57年  

平成6年放送・・・・昭和49年   51年     55年     59年

平成7年放送・・・・昭和54年   56年     58年     60年

平成8年放送・・・・昭和47年   52年   57年   40年(カラー)

平成9年放送・・・・昭和48年   61年

平成10年放送・・・  昭和49年     63年

平成11年放送・・・  昭和53年     58年

平成12年放送・・・  昭和44年     54年

平成13年放送・・・  昭和38年     52年

平成14年放送・・・  昭和41年     61年     平成元年    平成10年

平成15年放送・・・  昭和43年     60年

 

平成15年以降は放送が終了。

放送されなかった、下記年度の放送をNHKに御願いしたいものです。

しかし、保存状態的に無理かも知れません。

 

・昭和42年 昭和45年 昭和46年 

 

昭和39年・・・・カラー・モノクロとも現存していない(ラジオ音声は現存)

昭和42年・・・・白黒VTRが現存するが、映像が全体的にぶれて大変見にくい

昭和45年・・・・現存しているフィルムは165分中の137分間で画像劣化

昭和46年・・・・カラーが現存しているが、大半が画像劣化で大変見にくい

 

 

 

 

 

最近、電車に揺れながらオックスを聴いています。

 

自分の中での「ベスト5」は

 

・僕は燃えてる

・オ-ビ-バ-

・ガ-ルフレンド

・僕のハ-トをどうぞ

・テル・ミ-(ライブ・LPレコードより)

 

たった3年の活動にも関わらず、インパクトが強いバンドでした。

オックスと言えば、やはり「失神」。

GSブ-ムに拍車をかけ「失神」が社会現象になりました。

 

 

 

3年間の活動で、シングル9枚とLPレコード2枚発売。

また、非売品レコードや企画物LPのオムニバスにも参加しました。

 

 

 

また、田浦幸(キ-ボ-ド)は、オックス在籍時に「涙が燃えて」でソロデビュー。

この曲は、オックスの演奏でライブでも歌われました。

 

 

 

 

 

 

1969年に発売されたLP「オン・ステ-ジ」で魅了された後追いファンも多いだろう。

特に「わらべ歌メドレー」は当時のGSを取り巻く背景を象徴している気がします。

 

オックスと言えば「失神」

ただ「失神」だけではなく、音楽性でも魅力あるバンドでした。

しかし、やはり「失神バンド」のイメージが強いのも事実です。

 

 

そんなオックスも、1980年代に再結成しイベントに出演したりしました。

 

 

テレビ放送「BS永遠のグループサウンズ」は、多くのバンドが出演し楽しみでした。

自分は「真木ひでと」の当時と変わらぬ熱唱が好きです。

 

昔の音楽を古くさく感じさせない迫力、まさに永遠のグループサウンズそのものです。

 

1990年頃までは、オックスは何度も再結成してテレビやライブで活躍していました。

今は「真木ひでと」がオックスの名曲を歌い続けていますが、出来れば再結成して欲しいGSでした。

 

2010年にオルガン担当の「夏夕介」が59歳で亡くなりました。

後期のオックス人気を支えた「田浦幸」で、俳優転向後に改名。

「特捜最前線」の叶刑事役は印象深い。

 

 

「夏夕介」は、和田アキ子のバックバンド「グランプリ-ズ」でプロデビュー。

オルガンが弾けないのに、いきなりステ-ジに立たされたようです。

また、GS「オリ-ブ」に加入するため、東京へ行く事が決まっていました。

しかし直前に、和田アキ子の推薦でオックスに参加したそうです。

その頃の話をト-ク番組で語っていました。

 

 

 

そして2022年、オックスのベ-ス担当「福井利男」が5月に亡くなった。

あの独得のベ-スを弾く姿と歌声が好きでした。

 

 

 

福井さんが亡くなった2ヶ月後、7月にオルガン担当の「赤松愛」が亡くなった。

芸能界を引退して一般人になったとは言え、日本の音楽を作り上げた功績は凄いことです。

独得のキャラクターで、音楽センスは抜群でした。

芸能界引退後も、テレビ出演や雑誌のインタビューに登場しました。

 

 

 

 

 

いつかオックスが揃ったステ-ジを見たいと言う夢が終わり残念です。

 

 

久しぶりに行った古本屋に「沢田研二・コ-ナ-」が出来ていた。

ザ・タイガ-ス時代から現在までのパンフや写真集、さらには雑誌も山ほど並んでいた。

月刊誌、週刊誌・・・

さらには、ザ・タイガ-スの映画3作の非売品写真集や生写真など。

気になったのが「沢田研二新聞」。

何だこれ?・・・・・・

 

と言うわけで、人気が今も根強くコンサート・チケットが手に入らないとか。

永遠のアイドルを通り越した存在だ。

 

そんな沢田研二だが、本人が司会を担当したテレビ番組は少ない。

自分が知ってるのは

 

・「虹のお祭り広場」

・「あなたとジュリ-」

・「沢田研二ショ-」

 

 

<虹のお祭り広場>

最終回は、ザ・タイガースのメンバ-も出演。

また萩原健一がゲストで、沢田研二と共演したりもしました。

 

 

 

<あなたとジュリ->

全13回の放送のうち8回タイガ-スが出演。

また、テンプターズやワイルドワンズ、トワエモアなどがゲストでした。

 

「沢田研二ショ-」は、ソロになって初めての司会番組。

日曜・夜23:00 - 23:30放送でしたので、必死に眠い目をこすりながら見ていました。

またビデオにも録画し、いつかタイガ-ス特集やってくれないかなぁと願っていました。

そして、その「いつか」が遂にやってきました。

1984年9月4日。

当時は今のようにビデオも発売しておらず、「写真以外の動くタイガ-ス」が見られる機会は、懐かしい映像を流す特番の中のGS特集で、10秒ほど映像が流れる程度でした。

そんな中での「沢田研二ショ-」は衝撃でした。

 

「虹のお祭り広場」や「あなたとジュリ-」が放送された1970年は、GSブ-ムは完全に衰退し、フォ-クソングや歌謡曲などが主流でした。

芸能雑誌を見ても、「にしきのあきら」や「野村将希」がグラビアを飾っていました。

 


 

「沖 雅也」「仲 雅美」の区別が難しかった時代でもあった。

 

次回は「沢田研二ショ-」の記事を書きますので、宜しく御願いします。

 

「沢田研二ショ-」はユ-チュ-ブでも普通に観れるので、特に珍しい映像はないです。

 

 

 

 

アダムとイブ/これが真実

つまんない/ロック 

 

(自主制作レコード)

 

 

昨年、アダムスの記事を2回に分けて書きました。

 

1年半の活動にも関わらず、GSファンへ強烈なインパクトを残したGS・アダムス

 

まさに「旧約聖書」はカルトGSファンのバイブル曲かも知れない。

 

80年代~グループサウンズの再結成が相次ぎました。

 

しかし、アダムスは残念ながら再結成はされませんでした。

多くのGSがメンバーの死去や行方不明で、再結成が年々困難になってきています。

 

アダムスもドラムス担当川上幸夫さん」が解散後に一般人になり、今ではアダムスのメンバーも連絡がつかないようです。

 

千原さんは亡くなりましたが、アダムスとして1度でいいから演奏して欲しい。

 

一般人になった「川上幸夫さん」今はどうしているのでしょう。

引退後の仕事はわかっていますが、ノンビリ過ごしているのでしょうか。

当時、家族で住んでた家も今は違う人が住んでいます。

何か手がかりがあればいいのですが・・・・

 

身内や知人が偶然ブログを見てくれればと言う【奇跡】を願う日々です。

 

 

1969年1月5日(日)「キャンペーン」 を富士スバルランドで開催。

十数人のファンが、富士スバルランドまで同行しました。

 

下の写真左は、ゴ-カ-トを楽しむドラム担当の川上幸夫氏。

右は、ファンと一緒にスケ-トを楽しむ、オルガン担当の土屋守氏。

 

その後、スケ-ト場の横にあるステ-ジで演奏。

 

偶然居合わせた観客や、地元の人などで盛り上がったようです。

一般の入場者も驚いたでしょうね。

いきなり 「旧約聖書」 が大音量で流れてきたわけですから。

 

それにしても、年が明けたばかりの1月5日。

メンバーもファンも寒かったでしょう。

 

  

 

 

  

 

   

 

 

ワイルドワンズも、富士スバルランドで1月3日~6日まで 「キャンペーン」を行いました。

当時の雑誌で、その時の様子が紹介されていました。

 

 

 

 

 

 

<1969年1月・アダムス>

・2日   池袋ドラム

・5日  富士スバルランド

・6日  池袋ドラム

・7日    新年会・新宿ACB

・8日    新宿ニューACB

・9日    池袋ドラム

・10日   新宿ニューACB

・11日   新宿ACB

・12日   池袋ドラム

・13日   練習

・14日   ウエスタン・カ-二バル

 

 

1969年1月 ウエスタンカ-二バル・オ-プ二ング

(アダムス/轟健二)

 

 

 

1969年1月には、すでのGSブ-ム下降ぎみでした。

 

 

GSブ-ムが下火になりつつも、アダムスは仕事が埋まっていました。

2月以降も、テレビ出演やジャズ喫茶を中心に活動。

 

2月6日にシングル第3弾 「地球はせますぎる」を レコ-ディング。

 

B面 「にくい時計」 は川上幸夫氏が泣きながら歌ったとか。

ジャズ喫茶でも、感情が入り過ぎて泣いた事もあったようです。

 

 

 

それ以外の活動として主だったものとして

 

・3月21日 ファンの集い

・3月30日 富士急ランド

 

この頃、こんな投稿がありました。

 

 

4月は、静岡~名古屋~岡山~仙台~大阪~新潟などで公演。

 

またジャズ喫茶でも活動。

 

 

それにしても、対バンが【ジュニア・ボ-イズ】とは面白い。

 

ジュニア・ボ-イズについて説明します。

1968年11月、東芝レコードから 「謎の瞳」 でレコードデビュー予定。

しかし、発売中止。平尾昌章作詩:作曲であった。

 

1969年2月 「明星」 で新しいバンド名を募集。

 

 

1万通の応募の中から 「ジ・アルファ」 に決定。

秋田県の男性が考えたバンド名です。

さらに、キャピタルレコードから3月にレコードデビュー予定!

 

 

しかし、発売中止に。

 

残念なのは、「残念賞」 に選ばれた100名の方達。

レコード・プレゼントは、どうなったのでしょうか。

「3月下旬発送」 と書いてあるが・・・・

 

その後、 「グリーングラス」 と名前を変えて、やっとレコードデビュー。

GSでもなく、ロックでもない歌謡曲。

 

 

 

ボ-カルの青山一也は、解散後ソロ歌手として活躍。

 

 

 

 

 

メンバーの松木恒秀と田中清司は、ステ-ジ101の専属バンド 「リズム101」 に参加。

「リズム101」は、アダムスの武部秀明(千原秀明)もメンバーでした。

 

 

話をアダムスに戻します。

 

2月6日の録音から3ヶ月。

ついに新曲を発売。

 

地球はせますぎる / にくい時計(1969年5月1日発売)

 

 

  

 

 

謎の円盤UFOをイメージさせるイントロから始まる。

いつまでも耳に残るイントロです。

このジャケットは、少しアイドルGSを彷彿させる。

 

B面 「にくい時計」 は、川上幸夫氏が見事に歌い上げるバラード。

 

下記のキャンペーン写真、微妙に違います。

右は、楽しそうですね。

 

  

 

キャンペーンで、名古屋や静岡、福岡や広島へ。

 

東京駅では、多くのファンが見送りました。

 

 

 

 

 

5月20日には、初めてのアダムス・ショ-を開催。

 

GSブ-ムは下降気味だが、根強いファンに支えられていました。

 

 

 

 

 

 

7月5日(土)、ファンの集い「アダムとイブ」を開催(東条ホ-ル)

 

 

同じ頃、ザ・タイガ-ス(7月公開映画) 「ハ-イ・ロンドン」に出演。

ジャズ喫茶シ-ンで 「にくい時計」 を熱唱。

 

せっかくのライブ映像なのに、音はレコード音源を使用。

 

さらに、映画パンフレットでは、「PSビ-ナス」 と名前を間違えてアダムスは紹介されています。

 

その後も連日、ジャズ喫茶やテレビ出演など中心に活動。

 

 

1969年8月の明け明けのスケジュールを見ると

 

・8月16日    ヤングメイツ

・8月17日    名古屋グランドキャニオン

・8月18日   新宿ニュ-ACB

 

東京から名古屋、そして東京と忙しい。

1日だけの為に、名古屋移動も大変だと思う。

 

ちなみに、名古屋グランドキャニオンのビルは、昨年取り壊されました。

 

 

そして9月に入り、4枚目のシングル 「明日なき世界」 を発売。

(ボ-カル・川上幸夫)

なぜか突然、夜中に頭の中を駆けめぐり眠れなくなるポップス調の曲。

 

B面 「影」 は悲しくなるバラ-ド。

(ボ-カル・川上・轟)

 

意外と 「影」 が好きだ!と言うファンも多い。

 


GS衰退期であったが、ジャズ喫茶を中心に活動していたアダムス。

 

各自の演奏技術が高かった為、ステ-ジではロック中心に演奏。

特に水谷公夫氏は、ロック志向が強かった。

 

この頃のライブ音源を聞くと、時代を突っ走っている感じです。

 

 

 

 

4枚のシングル以外に、自主制作レコード(日本CAC)が2枚残されています。

 

ファンが作成したと言うのは凄い。

殆ど出回っておらず、高値で取引されているのが残念。

 

・アダムとイブ/つまんない

・これが真実/アダムとイブ~ロングバ-ジョン

 

「アダムとイブ」 は、ウエスタン・カ-二バルでも歌われました。

「アダムとイブ」 は、ウエスタンカ-二バル音源ではないだろうか。

あくまでも、個人の意見です。

 

「これが真実」 はロック志向のアダムスらしい楽曲。

「アダムとイブ~ロングバ-ジョン」 は、突然にハ-ドな曲調に変わる不思議な曲。

 

 

大手プロダクションに所属していたためか、1969年9月に入っても仕事は順調でした。

 

9月初旬は、福岡県で新曲キャンペーン、ラジオ出演やジャズ喫茶で忙しい日々。

 

おそらく、裏では解散について話合いをしていたのではないか。

 

「アダムスシャツの女の子」のブログ記事に少し書かれています。

この時期、メンバーの心境に変化が見られるようになってきています。

ADAMS・クーキーさようなら、それは突然だった。 | GSアダムスのクーキーファン・アダムスシャツの女の子 (ameblo.jp)

 

そして、突然の解散発表。

 

確かにGSブ-ムは下火だが、まだ完全に灯が消えていたわけでもなかった。

ただ、仕事としていくには不安もあったでしょうね。

 

11月2日(土)に、目黒パ-クにて 「お別れ会」 を開催。

 

  

 

「お別れ会」の写真を見ると、メンバーが大人っぽくなっている気がします。

この 「お別れ会」 を最後に「アダムス」は解散。

 

2002年、残念ながらべ-スの千原秀明氏が死去。

再結成の夢が消えてしまいました。

 

解散後、水谷公夫氏は、ソロでLPなどを発売。

 

また、話題のミュージカル 「ヘヤ-」 にも、ギタ-で参加しました。

映像も残されています。

 

     

 

 

土屋守氏は、「里見洋と一番星」に参加。

このバンド、ヤンガ-スとレオ・ビ-ツのメンバーが中心。

 

  

 

  

 

 

 

轟健二氏は、解散後は音楽プロデューサー。

 

川上幸夫氏は、芸能界を引退。

 

当時のライブを聞いてみて思ったのが、川上さんはMCで客席を笑いに巻き込んでいました。

また、アダムスのレコードで8曲中、4曲のボ-カルを担当。

堺正章のような、「司会、歌に役者」 と、幅広い活躍が期待出来た気もするので残念であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2年前に定年退職した方で、とてもお世話になった人がいます。

古い音楽が好きで、よく飲みに行きました。

スナックへ行くと、必ず最初に「岬めぐり」を歌いました。

 

少し酔いはじめると「白いブランコ」。

 

疲れてきて、もう帰るぞぉ~~の合図は・・・・

 

「あの素晴らしい愛をもう一度」を周囲を巻き込んで大合唱。

 

毎回パターンが同じだが、いつも楽しい時間を作ってくれました。

そんな先輩が、7月1日に天国へ行きました。

 

訃報を聞いてから「岬めぐり」が毎日のように自分の頭の中を駆けめぐっていました。

 

歌ったあとにいつも

 

>この歌はなぁ~恋人だった彼女が亡くなってしまい、ひとり残された彼氏の歌なんだぞ。

>だから心に染みる歌詞なんじゃ、わかるか~

 

毎回、この話を聞かされました。

あまり気にもしなかったけど、ここ数週間は歌詞を意識して聞いてみました。

 

あなたがいつか 話してくれた
岬を僕は たずねて来た
二人で行くと 約束したが
今ではそれも かなわないこと

 

そんな中、山本コ-タロ-の訃報。

「岬めぐり」がますます頭から離れなくなりました。

 

明るいメロディなのに、とても悲しい歌詞。

改めて聴くと、いい歌だなぁと思います。

 

目を閉じると「あの素晴らしい愛をもう一度」をみんなで歌った思い出が蘇ります。

本来は「恋人もいないのに」をヒットさせた2人組のシモンズの為に作られた歌。

結局、加藤和彦と北山修の二人で歌いました。

 

どうせなら「はしだのりひこ」も加えて、3人で歌ったら面白かったのにと考えてしまいます。

古い歌だけど「岬めぐり」も「あの素晴らしい愛をもう一度」も1970年代の名曲だと思います。

 

それにしても、人の死がだんだん身近に感じられる世代にいつの間にかなった気がします。