アダムとイヴ アダムス ③ | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング

映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング

GS(グループサウンズ)やフォ-ク。映像や音楽を紹介します。

 

 

 

アダムとイブ/これが真実

つまんない/ロック 

 

(自主制作レコード)

 

 

昨年、アダムスの記事を2回に分けて書きました。

 

1年半の活動にも関わらず、GSファンへ強烈なインパクトを残したGS・アダムス

 

まさに「旧約聖書」はカルトGSファンのバイブル曲かも知れない。

 

80年代~グループサウンズの再結成が相次ぎました。

 

しかし、アダムスは残念ながら再結成はされませんでした。

多くのGSがメンバーの死去や行方不明で、再結成が年々困難になってきています。

 

アダムスもドラムス担当川上幸夫さん」が解散後に一般人になり、今ではアダムスのメンバーも連絡がつかないようです。

 

千原さんは亡くなりましたが、アダムスとして1度でいいから演奏して欲しい。

 

一般人になった「川上幸夫さん」今はどうしているのでしょう。

引退後の仕事はわかっていますが、ノンビリ過ごしているのでしょうか。

当時、家族で住んでた家も今は違う人が住んでいます。

何か手がかりがあればいいのですが・・・・

 

身内や知人が偶然ブログを見てくれればと言う【奇跡】を願う日々です。

 

 

1969年1月5日(日)「キャンペーン」 を富士スバルランドで開催。

十数人のファンが、富士スバルランドまで同行しました。

 

下の写真左は、ゴ-カ-トを楽しむドラム担当の川上幸夫氏。

右は、ファンと一緒にスケ-トを楽しむ、オルガン担当の土屋守氏。

 

その後、スケ-ト場の横にあるステ-ジで演奏。

 

偶然居合わせた観客や、地元の人などで盛り上がったようです。

一般の入場者も驚いたでしょうね。

いきなり 「旧約聖書」 が大音量で流れてきたわけですから。

 

それにしても、年が明けたばかりの1月5日。

メンバーもファンも寒かったでしょう。

 

  

 

 

  

 

   

 

 

ワイルドワンズも、富士スバルランドで1月3日~6日まで 「キャンペーン」を行いました。

当時の雑誌で、その時の様子が紹介されていました。

 

 

 

 

 

 

<1969年1月・アダムス>

・2日   池袋ドラム

・5日  富士スバルランド

・6日  池袋ドラム

・7日    新年会・新宿ACB

・8日    新宿ニューACB

・9日    池袋ドラム

・10日   新宿ニューACB

・11日   新宿ACB

・12日   池袋ドラム

・13日   練習

・14日   ウエスタン・カ-二バル

 

 

1969年1月 ウエスタンカ-二バル・オ-プ二ング

(アダムス/轟健二)

 

 

 

1969年1月には、すでのGSブ-ム下降ぎみでした。

 

 

GSブ-ムが下火になりつつも、アダムスは仕事が埋まっていました。

2月以降も、テレビ出演やジャズ喫茶を中心に活動。

 

2月6日にシングル第3弾 「地球はせますぎる」を レコ-ディング。

 

B面 「にくい時計」 は川上幸夫氏が泣きながら歌ったとか。

ジャズ喫茶でも、感情が入り過ぎて泣いた事もあったようです。

 

 

 

それ以外の活動として主だったものとして

 

・3月21日 ファンの集い

・3月30日 富士急ランド

 

この頃、こんな投稿がありました。

 

 

4月は、静岡~名古屋~岡山~仙台~大阪~新潟などで公演。

 

またジャズ喫茶でも活動。

 

 

それにしても、対バンが【ジュニア・ボ-イズ】とは面白い。

 

ジュニア・ボ-イズについて説明します。

1968年11月、東芝レコードから 「謎の瞳」 でレコードデビュー予定。

しかし、発売中止。平尾昌章作詩:作曲であった。

 

1969年2月 「明星」 で新しいバンド名を募集。

 

 

1万通の応募の中から 「ジ・アルファ」 に決定。

秋田県の男性が考えたバンド名です。

さらに、キャピタルレコードから3月にレコードデビュー予定!

 

 

しかし、発売中止に。

 

残念なのは、「残念賞」 に選ばれた100名の方達。

レコード・プレゼントは、どうなったのでしょうか。

「3月下旬発送」 と書いてあるが・・・・

 

その後、 「グリーングラス」 と名前を変えて、やっとレコードデビュー。

GSでもなく、ロックでもない歌謡曲。

 

 

 

ボ-カルの青山一也は、解散後ソロ歌手として活躍。

 

 

 

 

 

メンバーの松木恒秀と田中清司は、ステ-ジ101の専属バンド 「リズム101」 に参加。

「リズム101」は、アダムスの武部秀明(千原秀明)もメンバーでした。

 

 

話をアダムスに戻します。

 

2月6日の録音から3ヶ月。

ついに新曲を発売。

 

地球はせますぎる / にくい時計(1969年5月1日発売)

 

 

  

 

 

謎の円盤UFOをイメージさせるイントロから始まる。

いつまでも耳に残るイントロです。

このジャケットは、少しアイドルGSを彷彿させる。

 

B面 「にくい時計」 は、川上幸夫氏が見事に歌い上げるバラード。

 

下記のキャンペーン写真、微妙に違います。

右は、楽しそうですね。

 

  

 

キャンペーンで、名古屋や静岡、福岡や広島へ。

 

東京駅では、多くのファンが見送りました。

 

 

 

 

 

5月20日には、初めてのアダムス・ショ-を開催。

 

GSブ-ムは下降気味だが、根強いファンに支えられていました。

 

 

 

 

 

 

7月5日(土)、ファンの集い「アダムとイブ」を開催(東条ホ-ル)

 

 

同じ頃、ザ・タイガ-ス(7月公開映画) 「ハ-イ・ロンドン」に出演。

ジャズ喫茶シ-ンで 「にくい時計」 を熱唱。

 

せっかくのライブ映像なのに、音はレコード音源を使用。

 

さらに、映画パンフレットでは、「PSビ-ナス」 と名前を間違えてアダムスは紹介されています。

 

その後も連日、ジャズ喫茶やテレビ出演など中心に活動。

 

 

1969年8月の明け明けのスケジュールを見ると

 

・8月16日    ヤングメイツ

・8月17日    名古屋グランドキャニオン

・8月18日   新宿ニュ-ACB

 

東京から名古屋、そして東京と忙しい。

1日だけの為に、名古屋移動も大変だと思う。

 

ちなみに、名古屋グランドキャニオンのビルは、昨年取り壊されました。

 

 

そして9月に入り、4枚目のシングル 「明日なき世界」 を発売。

(ボ-カル・川上幸夫)

なぜか突然、夜中に頭の中を駆けめぐり眠れなくなるポップス調の曲。

 

B面 「影」 は悲しくなるバラ-ド。

(ボ-カル・川上・轟)

 

意外と 「影」 が好きだ!と言うファンも多い。

 


GS衰退期であったが、ジャズ喫茶を中心に活動していたアダムス。

 

各自の演奏技術が高かった為、ステ-ジではロック中心に演奏。

特に水谷公夫氏は、ロック志向が強かった。

 

この頃のライブ音源を聞くと、時代を突っ走っている感じです。

 

 

 

 

4枚のシングル以外に、自主制作レコード(日本CAC)が2枚残されています。

 

ファンが作成したと言うのは凄い。

殆ど出回っておらず、高値で取引されているのが残念。

 

・アダムとイブ/つまんない

・これが真実/アダムとイブ~ロングバ-ジョン

 

「アダムとイブ」 は、ウエスタン・カ-二バルでも歌われました。

「アダムとイブ」 は、ウエスタンカ-二バル音源ではないだろうか。

あくまでも、個人の意見です。

 

「これが真実」 はロック志向のアダムスらしい楽曲。

「アダムとイブ~ロングバ-ジョン」 は、突然にハ-ドな曲調に変わる不思議な曲。

 

 

大手プロダクションに所属していたためか、1969年9月に入っても仕事は順調でした。

 

9月初旬は、福岡県で新曲キャンペーン、ラジオ出演やジャズ喫茶で忙しい日々。

 

おそらく、裏では解散について話合いをしていたのではないか。

 

「アダムスシャツの女の子」のブログ記事に少し書かれています。

この時期、メンバーの心境に変化が見られるようになってきています。

ADAMS・クーキーさようなら、それは突然だった。 | GSアダムスのクーキーファン・アダムスシャツの女の子 (ameblo.jp)

 

そして、突然の解散発表。

 

確かにGSブ-ムは下火だが、まだ完全に灯が消えていたわけでもなかった。

ただ、仕事としていくには不安もあったでしょうね。

 

11月2日(土)に、目黒パ-クにて 「お別れ会」 を開催。

 

  

 

「お別れ会」の写真を見ると、メンバーが大人っぽくなっている気がします。

この 「お別れ会」 を最後に「アダムス」は解散。

 

2002年、残念ながらべ-スの千原秀明氏が死去。

再結成の夢が消えてしまいました。

 

解散後、水谷公夫氏は、ソロでLPなどを発売。

 

また、話題のミュージカル 「ヘヤ-」 にも、ギタ-で参加しました。

映像も残されています。

 

     

 

 

土屋守氏は、「里見洋と一番星」に参加。

このバンド、ヤンガ-スとレオ・ビ-ツのメンバーが中心。

 

  

 

  

 

 

 

轟健二氏は、解散後は音楽プロデューサー。

 

川上幸夫氏は、芸能界を引退。

 

当時のライブを聞いてみて思ったのが、川上さんはMCで客席を笑いに巻き込んでいました。

また、アダムスのレコードで8曲中、4曲のボ-カルを担当。

堺正章のような、「司会、歌に役者」 と、幅広い活躍が期待出来た気もするので残念であります。