沢田研二のコンサート・チケットの入手が困難と聞きました。
デビューからのファン、最近ファンになった人も含めて、色々な意味でワクワクさせてくれる。
1979年5月号の「月刊明星」に沢田研二本人のコメントつきの全44枚のシングルを紹介する記事がありました。
ジュリ-のコメントと言っても、一言だけですが音源も含めて紹介します。
※今回、なるべくCDやレコードになっていない音源を使いましたのでお聞きください。
①僕のマリ-/こっちを向いて
昭和41年11月9日(水曜日)、新幹線で僕ら5人は上京した。
髪の長い女の子がひとり、東京駅で出迎えてくれたな。
翌年2月5日(日曜日)デビュ-。
②シ-サイドバウンド/星のプリンス
段々ベットに5人の男。
近所の商店街に、ジャガイモなんかも買いに行ったよ。
烏山の合宿生活・・・・・・
夏に向かって、この曲大ヒットや。
③モナリザの微笑/真赤なジャケット
この頃の僕らの髪型ね、これでもかなり革命的なロング・ヘヤだったんだ。
男が美容院へ行くこと自体がヘンタイ視されてね。
④君だけに愛を/落葉の物語
♪君だけに~♪ってところで、人差し指で指さすフリがあるんや。
これ、昔オヤジに連れてってもらった歌舞伎の ”大見え” のアレンジや。
⑤銀河のロマンス/花の首飾り
昭和43年3月25日発売。デビュ-して1年ちょっと。
映画「世界は僕らを待っている」にも出演。
この歌は「明星」募集歌だったね。
⑥シ-シ-シ-/白夜の騎士
今じぁ、みんなやってるけど、この夏の8月13日に後楽園球場でタイガ-ス・ショ-。
1万3000人のファン!やったぁと実感ヒシヒシ。
⑦廃墟の鳩/光ある世界
ちょっと反戦っぽい歌だ。
トッポがソロで歌ったんや。
この秋に、合宿生活から離れて麻布で2DKひとり暮らし。
家賃6万円、ゼイタク。
⑧青い鳥/ジンジン・バンバン
地方へ行っても楽しくなかったな。
外出を見合わせるように警察から指示されていた。
この曲はメンバーのタロ-の作詞作曲だ。
⑨美しき愛の掟/風は知らない
デビューのとき、48キロだったんやけど3kgも太ってしまった。
昭和44年3月、加橋かつみが脱退して岸辺シロ-が新しく加入した。
⑩嘆き/はだしで
風呂は2日にいちど。
下着や靴下は自分でセンタク。
家財道具はゼンブあり。
ないのはテレビだけ。
3ヶ月の自宅訪問者14名-生活白書。
⑪スマイル・フォ-・ミ-/淋しい雨
昭和44年8月、映画「ハ-イ!ロンドン」の挿入歌。
この曲は、なんとビ-ジ-ズの3兄弟の作詞作曲なんだね。
彼らもシブトイ!
⑫ラブ・ラブ・ラブ/君を許す
シングルはこの頃400円。
僕らがデビューの頃は370円やった。
デビュー曲は、ちゃんとお金を出してレコード店で買ったんだ。
⑬都会/怒りの鐘をならせ
本格的に、他人の曲も作ってみた。
ザ・ピ-ナッツの「東京の女」、奥村チヨの「いたずら」などね。
このジャケットしぶいでしょ?
⑭素晴らしい旅行/散りゆく青春
昭和45年7月1日発売。
デビュー4年目に入って余裕が出来たんやろうか。
この歌の作曲は僕がやったんです。
ヒットにいまひとつ!
⑮誓いの明日/出発の他に何がある
昭和45年11月20日発売。
GSブ-ムももう下火。
この年の12月8日に解散を発表。
そう言えば、このジャケット寂しそうやなぁ。
⑯花・太陽・雨/やすらぎを求めて
昭和46年4月10日発売。
明けて昭和46年1月24日、タイガ-スとして解散コンサ-ト。
2月に、井上さんや大野さん、ショ-ケンらとPYGを結成した。
⑰自由に歩いて愛して/淋しさをわかりかけた時
昭和46年7月21日発売。
PYGの第一作は、予想ほど伸びなかった。
少しむずかし過ぎたんやないやろか。
このジャケットの真ん中の井上さん、かわゆいでんな。
⑱もどらない日々/何もない部屋
昭和46年11月1日発売。
ショ-ケンのソロ。
⑲君をのせて/恋から愛へ
昭和46年11月1日発売。
初めてのソロシングルや。
この曲は今でもショ-で歌ってるんだ。
知ってる人がいて拍手が来ると嬉しいね。
⑳遠いふるさとへ/おもいでの恋
昭和47年8月21日発売。
僕がソロ活動を始めてからも、PYGの一員として参加していたんだ。
昭和47年8月発売だ。
この10月に日生劇場で初リサイタル。
㉑初めての涙/お前と俺
昭和47年12月21日発売。
PYGは楽しいグル-プやった。
井上さんとはよく飲んだし・・・・・
成功はしなかったけど、あの時の僕らには必要だったんだ!
【追伸】
4月に友人が事故に遭い、3か月経った今も意識がありません。
友人はジュリ-やタイガ-スが大好きで、一緒にみんなでコンサ-トへ何度か行きました。
昨年11月にも、みんなで久しぶりにカラオケへ行ったばかり。
今、願うのはジュリ-が長く現役でコンサ-トをやってくれること。
友人が目覚めるまで、頑張ってライブ活動をして欲しい。
かと言ってご家族に相当負担がかかっていると思います。
でも、友人として復活して欲しい。
すみません、余談でした。