おはです(*´∀`*)
今日は私と一緒に会社へ出勤の次男です
事務所は上司と私だけしかいないので、今日は上司お休みなんでね
許可とって連れてきました
午後から心電図と脳波の検査があるので、学校によらずそのまま連れて行けると楽だなぁなんて
ついでに今日も神社に呼ばれてますと勝手に思っています
それはまた明日にでも
さてさて、表題の期待すると期待をかけるの違いですが、意味は一緒です
ただ、私の場合使うニュアンスが異なるといいますか、
するとかけるでは雲泥の差があると勝手に思っています。
発達障害を持つ子供に期待するのは間違っています。
期待をかけるのは大いにしてもよいと思います。
期待するのは親です。期待をかけるのもまた親です。
期待は子どもがこうあって欲しいと心に思うことです。
期待するというのは子どもがこうあって欲しいと思い、行動することです。
つまりはエゴが入るんです。
子どもがこうしてくれるだろうという見返りがあります。
期待を懸ける(かける)というのは子どもがこうあって欲しいと思い、託し思い遣ることなんです!!
これ全然意味が変わってくるんですよ。
アドラー心理学を少しでもかじったことのある方ならピンとくるかもしれませんが、
自己の問題と他者の問題を明確に切り分け、
自己の領域は自分で変えられますが、他社の領域は自分で変えることは難しいということを理解せねばならないのです。
例えば、次男は現在絶賛保健室登校中です。
もちろん授業に出ていないため勉強は遅れています。
そのため教科書ワークを買い与え、現在の授業の内容に当てはまる箇所を付箋で印をつけています。
毎日保健室に持っていき、空き時間に自分のペースでこなしています。
ここで自己の領域と他者の領域が含まれているのがわかりますか?
青字の部分は自己(私)の領域
黄色の部分は他者(次男)の領域
となります。
自分で変えられる環境は整える必要がありますが、
次男が教科書ワークをするというのは次男の問題なのです。
ここに、期待をすると次男が私が思うように教科書ワークをどんどんしてくれるだろうとなるわけですね。
期待をかけるというのは次男が思ったペースで教科書ワークをやってくれるかな?くれるといいな?ということになるのです。
期待をするとやっていないときに、怒り、失望といったネガティブな感情が溢れます。
期待をかけると託しているので、やっていなくてもしんどかったのかな?
もしくはやっていたら、え?頑張って少しでもやったんだね!とポジティブな感情が溢れます。
発達障害あるなしに関わらず、子育てには期待を懸けるというこが大事だと思っています。
ほったらかしで、期待も懸けてもらえなかったら、子どもは頑張っても褒めてもらえないことを知っています
期待されすぎても子どもは辛いです。
ですので、ぜひ期待を懸けて欲しいと切に願うのです。
いつからでも始められますので、ぜひ今日から意識してみてくださいね