山本新一

山本新一

山本新一のブログです。

サンクチュアリ出版より「働くきみをアゲる18の冒険」を出版しています。
JR千葉駅にて、Beach Cafeを営んでいます。

表現は何であれ、prove LiFE (生きた証)をテーマに生きてます。
Amebaでブログを始めよう!
スタバ、店、家。
スタバ、店、家。
タリーズ、店、家。

最近のライフスタイルはほぼこれです。

昨日はスタバの後、ひょんな事から『千葉の街並みを作った』という殿方に出会いました。
道端でたまたま話し掛けた事で、大きな出会いに発展。


5分立ち話をした後、1時間散歩をする事に。
殿方の口からは、うそでしょ?っていう目から鱗の話ばかり。
そしてとにかく経験値のスケールが違いました。
自分もこういう経験があるのでお気持ちはお察しします、とすら言えないくらい、スケールが違ったので、自分の事は一ミリも話さずに、ひたすら聞き役に徹していました。

すると、初めの方は言えないと言っていた事も徐々に話してくれるようになりました。
後日ランチの約束をし、その日は頭を下げお別れをしました。


きっと重要な出会いになる気がする。というかそうします。

一期一会とはまさに。

と出会いの貴重さと重要さを身に染みた一日でした。



そして今日は、小太リーマンに「就職とは、人生とは何か」的な説明を受けていた大学生が正面の席に5人程いました。

話を盗み聞きしていると、就職活動の勝ち方を真剣に説き、エントリーシートの書き方を教え、年収が100万円変われば人生が変わる的な話をめっさ力説してました。

彼らの考えや夢や目標は一切聞かず、ただただリーマン節をパッションパッションしている。

学生の彼らは、まずはメモだ!と言われていたので、そのパッションを真剣にメモる、という図。

その図を見て僕も負けじとパッションパッション。
こういう小太リーマンがつまらねー常識を学生達に植えつけるから、彼らの選択肢が狭まり、社会人とはこうあるべきものだと勘違いをし、そして数年後また彼らがそれを下の世代へ伝染させ、日本の大人が舐められてしまう。

これはいかん。

誰の人生でもない、自分の人生だ。
どんな時でも自分の頭で考え自分の体で表現していかないと、そうして自立をしていかないといつまでたっても日本の大人はキッズのまんまだ。
やりたい事をやる時に、誰かに許可を取る事で守られた感覚になってしまうようなRDTになっちまう。

と僕は勝手に憂い、

「ようし!俺が彼らの常識をひとまずぶっ壊さねば。あの小太りの100倍の衝撃をおまいらの人生に与えたるわ!お店でビールたらふく奢りながら、おまいらの夢をパッションしたるわ!この図を見てしまった以上、俺がやらなあかん。。。」

と勝手な使命感に駆られ、
その小太リーマンの説明が終わった後、彼らに話し掛けてみました。
使命感をもって、話しかけてみました。
この上ない愛をもって、話しかけてみたんだけどね、



一瞬であしらわれましたよ。500パー警戒されましたわ。



破れたジーパンにちょんまげでサングラスっていう僕の格好もどうかと思うんだけれどね、にしてもあの警戒っぷりは凄かった。

「何なんですか?僕たち今大事な時期なんです。あなたと話してる程暇じゃないんです。すいません、もういいですか?」

って感じ。


おいおいおいおいキッズ達
へいへいへいへいキッズ達


こういう出会いを大切にしないでどーすんのよ?
出会いとチャンスは毎日その辺にゴロゴロ転がっとんじゃ。

それに気付くかどうかは受けてのアンテナの感度の問題であって、
そんな鈍い状態じゃー閉じっぱなしの人生になっちまうぞ。

学校を卒業したら就職をする、という道以外に選択肢が無さそうな感じがとってもナローダローよ。

おまいらのそのスタンスは、
今日はこの社会人の話を聞く、という単なる予定なだけであって、
社会人の話を聞いて自分の世界を広める、というそもそもの目的を見失ってないか?

それは電子辞書世代で、調べたい事を点で調べたら満足する様な感覚に似ている。
普通の辞書ならその隣にある単語も目に入り、そしてその下の単語も目に入り、というように寄り道を楽しむ事が出来る。

寄り道は無駄を楽しむセンスであり、人生の隙間を楽しむセンスだ。
もちろん実務にだって活かされる。

スタンスを変えろ!
社会人の言う事を信じるのではなく、多くの社会人の言う事を見比べろ。
その上で自分の頭で考えて仕事と向き合っていけばいい。
自分の幸せを創っていけばいい。

そのスタンスを変えないと、10個も若いおまいらよりも、2児の父である俺の方がはるかに化ける可能性があるな。負ける気がしないよ。


という訳でおまいらが今日小太リーマンから聞いたしょうもない常識をぶっ壊したるけん、このブログを見たらお店においで。
心配だったら財布はママに預けてきな。

Beach Cafe PROVE 山本新一
今日サンクチュアリ出版からトークライブのお話がありました。
まだお返事していないのですが、近々やらせて頂きますのでお時間在る方は是非僕の
自慢話と歌
を聞きに来てください。

僕には学生時代の頃から夢がありました。

その夢とは、
講演会をする時に、登場はダンスで、小1時間位くっちゃべって、退場前は歌を歌う
という夢です。
来てくれたお客さんの感想は、
「あの人結局何者だったのかよく分かんなかったけど、楽しかったしなんだか魅力的な人だった。」
という感想がベストです。

前回のトークライブでは、2時間の尺なのに3時間半くっちゃべり、最後に歌を歌ったのですが、
そりゃもう楽しかったですよ。

ただ、ダンスで登場する事が出来なかったのが心残りだったので、次回こそは自分の夢を完結させようと思っています。



話はぜんっぜん変わりますが、
生きていく上で、知識ではなく知恵を身につけなさい
的な言葉を良く聞きますけど、それってホントかなーと最近考えていたんですが、
自分なりに納得のいく見解をに到着したのでメモがてら書いておきます。


簡単な例えでは、会社の上司に
「この書類個人情報だから処理しといて。」
と言われたとする。

知識がある人は、シュレッダーにかければその書類は細かく裁断出来る、という事を知っているので、すぐにシュレッダーを探そうとする。けれどもしも社内にシュレッダーが無かった場合、
「シュレッダーねぇじゃん。だめじゃん。上司に報告しよ。」という思考になり、
「ぱいせ~ん。シュレッダーが無かったんで裁断出来なかったですよぉ。」
という報告で片付けてしまいます。

けれど上司に言われたのは
「この書類シュレッダーかけて。」
と言われたのではなく、あくまでも
「この書類個人情報だから処理しといて。」
と言われたに過ぎないので、そのミッションをクリアするためには、どうにかしてその書類を
●個人情報として機能しないための紙くずにする事
が結果として求められます。

知識だけある人は、往々にしてこのような思考に成りがちです。


逆に知識は無いけど知恵がある人は、求められた事に対してその通りの結果を出そうとします。
シュレッダーがあれば簡単に裁断出来る、という事は知らないけれど、この個人情報が記載されている書類をなんとか
●個人情報として機能しないための紙くずにする事
をまっすぐに考えます。
はさみやらカッターやらを使って細かく裁断しようとします。

なので結果として上司に「成果」を差し出す事が出来るのは「知恵が在る人」であると思います。

ただ、知恵が在る人はその知恵に頼り、目の前の小さな課題を解決する事は出来ても、
将来的にやってくる大きな課題を解決するのは限界があります。

一枚の個人情報の書類なら、はさみやらカッターやらを使って裁断する事は可能ですが、
100枚1000枚単位になってくるとシュレッダーが無ければ話になりません。
時間だけが奪われ、1日個人情報の処理だけに終わってしまいます。

結果、
シュレッダーがあれば個人情報を簡単に処理出来るけれど、もし無いのであれば別の方法で同じ結果を導き出せる方法は無いかを考える人、
或は、
シュレッダーが社内にあった方がいい事を上司に分かりやすく「数字」を使ってプレゼン書を先に書いておいて、勝手に買ってしまう人、
が最強だと思います。

僕はこの、「勝手に買ってしまう人」になりたいなといつも思います。

知識がある人は、「会社」では設備が整っているのでそこそこ発揮出来るとは思いますが、個人経営は難しいです。
逆に知恵がある人は、限られた条件の中でも結果を出そうとするので個人経営ではそこそこ発揮しますが、組織の中の大きな問題を解決する能力には限界があると思います。

なのでこの、「知識よりも知恵を身につけなさい」という言葉は安易に信用しない方が良さそうだなという結論に至りました。

大きな問題を解決するためには、やっぱり知識はどうしても必要になってくるし、その知識が使えなかった場合、同じ結果を出すための別の方法論を導き出すための知恵もやっぱり必要になってくる。

お店を動かす、会社を動かす、社会を動かす、日本を動かす、世界を動かすためには、目の前の小さな課題を解決する知恵はもちろん、将来的な大きな課題を解決するための知識に基づいた説得力が無ければ間違いなくムリ。

「目の前の小さな課題を解決する知恵」には昔から自信があるのですが、「知識に基づいた説得力」が欠落しているので、その辺のパワーアップを狙って社会勉強をしようと思います。

数年後の自分が楽しみです。

あとは時間との勝負です。
身体が元気な間はフル稼働して常に生み出すか発見するか創るか発信するかをしていたいのですが、
毎日マラソンをしている父母もそろそろいい歳ですので、いつ何があるか分かりません。
自分の家族もいつ何があってもおかしくない、というシビアなスタンスも持っています。

もしそうなったら、現代社会に対して憂う事をせず、全てをしょうがないものとして受け入れ、自分の環境だけを考える様にガラリとシフトチェンジしますが、それまでの間は何らかのカタチで社会をロマンチックに出来ないもんかなぁと、無力非力ながら企み続けます。

先はながーい、深ーい、すな。




月に一度はこれを聞きたくなる。




「合コンの底上げ」
今後の日本の課題だと踏んでいます。

そもそも、巷で良く耳にする、
「合コンしようぜぇマジしようぜぇ」
という言葉の最終的な目標は、

●恋人候補を見つける事

だと思うのです。

合コンをする その目的は 恋人候補を見つける事

恋人候補を見つける事 その方法として 合コンをする

という事です。

それなのに、その目的を無視して「単なる楽しい飲み会」に成り下がっているのがとても問題だなぁと常々感じていたのですが、その解決作が見つからずにいました。

ですが、先日その答えを雑談の中で見つけました。

これはかなりの発見だと思います。

これがスタンダードになれば間違いなく日本の合コンの底上げ、ボトムアップに繋がります。合コンのパラダイムシフトです。

具体的な企画としては、

「合コン時に、2人っきりになって1年間を模擬体験してもらう。」
というもの。

ずばり皆さんがよくご存知の

アニメドラゴンボールの「精神と時の部屋」

を、運営側が作り出すのです。

具体的に言うと、1つの空間を4つのブースに区切ります。

春ブース 夏ブース 秋ブース 冬ブース の4つです。

それぞれの季節のブースには、桜が散っていたり、貝殻と花火が置いてあったり、ぶどう狩りが出来る様になっていたり、じゃらんとパソコンが置いてあって旅行の計画を立てれたりと、それぞれの季節に合ったアイテムが置いてあります。

そこで、2人きりで各ブース約10分位ずつ模擬体験して過ごしてもらい、この人と過ごしたら年間通じて楽しそうだな、この人は恋人候補ではないな、と判断をしてもらう空間を演出するのです。

2人きりで、40分で1年間を過ごしてもらうのです。空間を演出する事で時間に革命を起こします。

何度か会ってみないとどんな人か分からない、という1つのハードルは、こっちから連絡するのか、あっちから連絡を待った方がいいのか、メールを送り過ぎか、送らなすぎか、どう思っているんだろうなど、カップルが成立するまでのいくつもの障害物を生み出してしまいます。

なので、即断即決を可能にするために、
一回の合コンで1年間を過ごし、お互いを深く知ってもらうのです。

目的に超直結したファンタスティックな企画だと思いませんか!?



巷の合コンの課題点は、「複数である」という事と、次のデートの連絡をちょっとしたいんだけどまぁ別にいいか、と思ってしまう事に尽きます。

同性が同じ空間の中にいて、その人がもしも自分よりいい男だ、と自分が思っているとすると、なかなかガツガツ行けなくなってしまい、どうせあいつが持ってくだろうなと攻めるのを躊躇し、結局攻める事無く二時間が経ってしまいますし、お目当ての女の子の隣に性格がとても良い女の子がいたりすると、お目当ての子だけに話しかけるのも申し訳ないなとかそんな心情が芽生え、攻める事を拒み、「まぁ普通に楽しかったよね今日の合コン」というフレーズで自分に決着を付けてしまいます。

ちょっとかわいかったから今度は2人で会ってみたいな、とそんな気持ちが芽生えたとしても、まぁ相手から連絡がくれば行ってみようかな、くらいの重い腰になってしまいます。

その2つの課題を解決するために、この企画は非常に価値のあるものだと思います。


「まぁ普通に楽しかったよね今日の合コン」

「まぁ普通に楽しかったよね今日の合コン」



「まぁ普通に楽しかったよね今日の合コン」

この慰めのフレーズが無くならない限り、目的に直結した合コンはあり得ません。

「恋人候補に成る人はいなかったね今日の合コン」or「恋人候補が見つかったよ今日の合コン」

のいずれかのフレーズしか出てこない合コンこそ、目的に直結した質の高い正しい合コンだと思います。



僕は、例外として「バトル合コン」という超過酷な合コンを一度だけ開催した事がありますが、学生時代から合コンには全く縁がありませんでした。ですが、晩婚化から引き起こされる少子化問題はそろそろマジで何らかの手を打たないとマズいと思うので、合コンを切り口にし、この少子高齢化問題に対して一躍を担えればと思っています。



1,「精神と時の部屋コン~4seasons」(空間演出する事で時間に革命を起こすニュースタイル合コン (新スタイル合コン))
2,「草男集まれ草合コン」(告白までの丁寧な研修がプログラム化されている草には非常に嬉しい合コン)
3,「ファットボーイ&スリムコン」(ファットなボーイが好きなスリムガールは統計上以外と多いので、そのマッチングを担う)
4,「秋葉系in浅草橋合コン」(秋葉系の人々に試練を与え、お隣の浅草橋にて風情のあるデートを企画、秋葉用語はNG)

下3つは今適当に書いただけなので全然リアルじゃないですが、1に関しては準備が整い次第開催するつもりです。

乞うご期待。


$prove LiFE SiN
クレームが入りました。

「お前もうさ、文章書くの辞めたの?もう十分なの?なくね?まだ全然想い叶ってなくね?公的に謝罪してもっかいキーボード打てよ!店の宣伝とかそーゆーのいいから山本新一出してけよ!」

とクレームが入りました。

ありがたい言葉なので、そのお叱り通りキーボードを打ちます。

長らくブログをさぼっていてすみませんでした。

「忙しかった」

の一言に尽きるのですが、忙しかったんですマジで。

最近の僕はと言えば、人生初めての「マジな就職活動」をしていました。

環境をがらりと変えて新たなステージに身を置いてみたいなという想いで、仕事を変えるために東奔西走してました。
1月から活動を始めて3月には新しい場所へ行こうと思っており、予定通りそうなりそうです。

まーまだ2社で迷ってる状態なんですが、どっちかには確実に行きます。


その仕事内容は、

「小中学生に向けた、5教科以外の、人として必要な能力を養うための授業の提案を現役教師達と共に企画する。」
というものです。


話が前後しますが、僕は本を出版しました。

何故本を出したのかと言うと、電車に乗っているサラリーマン達があまりにつまらなそうな顔をして通勤をしているのが、見てて腹が立つんですよ。そんな状況を変えたいなという想いで本を創りました。
お店に来る方々の中でも、

新「お仕事お疲れ様でしたぁ。どうです?順調ですか?」
客「いやぁ職場は地獄だよ。順調どうこうよりも土日が待ち遠しくてしょうがないよ。仕事は甘くないねぇ。」
新「そうですよね~。でも今日は金曜日じゃないですか!明日はどっか行かれるんですか?」
客「いやいや、一週間頑張ったんだから土曜日ぐらいは寝かせてくれよぉ。」
新「確かにそうですねぇ。じゃぁ日曜日は何されるんですかぁ?」
客「日曜日は次の日に備えてゆっくり過ごすねぇ。出かけると疲れるからなあ。」

じゃー逆にあんたいつ楽しいの?


とね、そんなイライラがどんどん募っていった訳で、そのダサイサイクル通称ダサイクルを解消出来るのは仕事以外の時間の過ごし方であって、仕事以外の代表される休みと言えば夏休みで、だったら夏休みを日本の企業戦士達に創ろうぜと、こういう志があの本の根底にはあるんです。

単に「アクティビティのススメ」

じゃないです。

「休日を楽しんで人生楽しんだら仕事にもきっと活かされるぜ」

って本です。

それを誰もが読みやすく尚かつ流行に乗せるために

「働くきみをアゲる18の冒険」

という本になりました。

子供達が大人に成る事に対して希望が持てないのは、大人達が楽しんでいないからに他なりません。
だったら大人達に訴えて、子供達に希望を持たせようぜという僕の中のプロジェクトです。





という流れから、今度は子供達やこれから社会人になる学生に直接訴えかけたいなと思い、そんな業界に身を置いてみたくなりました。

どんな毎日になるのか楽しみです。

鬼嫁には
「あんたいい加減落ち着きなさいよ!私のお腹にはもう一人子供がいるのよ!」
と正論で怒鳴られますが、

「そらそうなんだけどやる事があるんだわ。にしてもかわいーねラブ100パーだぜっ♡」

と返すと万事上手く行きます。

と言う訳で、また動きが変わりますが、今後ともどうぞ宜しくです。



久々ではない友人に、
「今は何やってんの?」
と聞かれるのが好きです。

prove LiFE SiNprove LiFE SiN
prove LiFE SiN
メッセージとして、表現として、作品として物凄ぇ。

こういう作品が爆発してほしいけれど、爆発するとメディアにのっかって安っぽくなるが、

多くの人の心に届くためにはメディアに乗っかったほうがいい。

ブルーハーブ以来の感動だ。

震災続きでもう1つ。

先日昼間の仕事で、ボロボロの家に訪問しました。
話をしているとどうも訛っているしこの辺の事を余り知らない様子。

なので
「ご出身はどちらなんですか?」
と尋ねたら、
「陸前高田市から避難して来たのよ。」
と奥さんが言ってました。

家の中を見渡すと、節約のためであろう街中で貰って来たポケットティッシュが大量にストックされていて、あるものは冷蔵庫とテレビと食器とテーブルくらい。ほとんど者は無く、希望もない。



国から出た補助金は40万円のみ。
家も土地も財産も全て失い、あげくの果てにご主人は身体障害者。

そんな状況を見て聞いて、流石にこれ以上家の出費を増やす事は出来ない。
月々1000円未満とは言え、この家庭には明らかに重くのしかかる。
けれどこの契約をしないとテレビは見れなくなる。

どうにかこの家からはお金がかからないようにならないかと会社に聞いてみたものの、当たり前だけれど、それはムリとの事。

ならばと思い、奥さんにお願いをしてみました。

「あのー、月々のお支払いなんですが、これ僕のクレジット使ってもらって大丈夫です!震災は日本全体の問題なんで、この金額であれば僕何も問題ないですから!」

「いや悪いわよ。会社が持ってくれるんなら甘えるけれど、お兄ちゃんが個人的に負担してくれるなんてのは出来ないわ。」

「いや、奥さんこれは僕の勝手なお願いです。多額の募金をする事も出来ないし、被災地へ行ってボランティアを続ける事も出来ないので、カタチの違ったボランティアだと思います。全然問題ないですからお願いします!それに僕別の仕事として飲食店のオーナー業もやってるんで、けっこうあるんすよ笑」

と、重苦しくならない様に懇願してみました。


現状として自分の生活を変えるようなボランティアは出来ない。
けれど出来る範囲では力になりたい。
多くの人が出来る範囲で力になれば、間違いなく大きなパワーが生まれる。


けれど、最後まで奥さんは首を縦には振ってくれませんでした。


その時の無力感ったらないですよ。

オレ個人には甘えてくれない、けど会社になら甘える事が出来る。

あなたは弱いからムリ、もっと強いんなら甘える。

表現が過度だけれど、言い方を変えれば現実としてそういう事だと思うんです。

つまりは、会社に山本新一個人は完全に負けているって話です。山本新一がもっと世の中でパワーがある存在で、その人も知っているような人間であれば甘えてくれたと思うんです。もし僕が西城秀樹だったら、奥さんはきっと西城秀樹に甘えてたと思うんです。

「ソフトバンクの孫正義です。私があなたの毎月のテレビの受信料を賄いましょう。」と言えば
「ありがとうございます。」と甘えるだろうに、
「prove LiFEの山本新一です。私があなたの毎月のテレビの受信料を賄いましょう。」と言っても
「悪いからいいわ。」
と言われてしまう。

これは凹みますよ。

人には自尊心があり、迷惑を掛けたくないと強く思いますが、『現状』ってもんがあります。
その現状は、モノの価値を変え、金額を変えます。

月々10,000円、僕が払いますよ!
とは言えないから言わないけれど、
月々1000円僕が払いますよ!
とは言えるのに、
それをも相手に遠慮されてしまう自分のひ弱さが腹立たしいです。


だから最近よく思うのです。
もっともっとでかいパワーが欲しいなと。


遠慮されないパワーが欲しいっす。
相手の自尊心は置いといて、綺麗事と偽善者は上等です。


$prove LiFE SiN
コンビニが節電のために看板の明かりを消しています。
なのにクリスマスのイルミネーションを外に飾ってあります。
そこには愛と希望があると思うのです。

夏、花火大会に行きました。
多くの花火大会が中止になった中、地元の小さな花火大会は開催していました。
そこには愛と希望があると思うのです。

節電をせざるを得ない。資金が無い。
けれど多くの人がその時期に求めているものを提供する義務が私たちにはある。

無いなら無いなりに、工夫を凝らして日常を演出する。
そこには愛と希望があると思うのです。

夏休みを利用して石巻にボランティアに行きました。
もっともっと早く行きたかったのですが、震災から5ヶ月も経った被災地へ赴きました。震災から5ヶ月も経った被災地は、教科書で見た事のある原爆が落ちた後のあの写真の様な絵でした。それでも少し内陸の地では日常を保つために人々が行き交い、商店はギリギリ営業していて、ぼこぼこになったバーも『OPEN』の看板が置いてありました。
そこには愛と希望があると思うのです。

生徒の8割が無くなったという大川小学校へ行きました。
柱はへし折れ、建物は崩壊し、グランドもくそも無かったです。

「ガレキ処理か、思い出洗い隊か、どちらがご希望ですか?」
「思い出洗い隊でお願いします。」

個人の心へ入れる様にと思い、思い出洗い隊へ入団しました。

そこには泥まみれの写真やらランドセルやら筆箱やらアルバムやらとにかくありとあらゆる物がありました。

きっと主人はもういないであろう物達を綺麗に綺麗に歯ブラシで泥をとり、返せる状態にしていきました。

そこには夢も希望もありませんでしたが、彼らに対してリスペクトと情けがありました。

当時、世界で一番の地獄絵図であった、被災地。

「修学旅行でもいいから、この現状を見て欲しいですよ。」

震災を乗り越えようとしていたおじいちゃんは、そう言ってましたよ。


コンビニのイルミネーションを見て、思い出しました。




prove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiNprove LiFE SiN
お久しぶりです。
週末冒険家、山本新一です。

先日サンクチュアリ出版からお便りを頂きました。
いえ、お便りというよりかは挑戦状のような感じでしょうか。

内容はこんな感じです。



前略 山本新一 様

いかがお過ごしでしょうか?
最近、ブログなどでお見受けしたところ、歌ったり踊ったりトークをしたり・・・もはや「冒険」とは全く関係ないことばかりしていますね。

もう冒険は辞めちゃったんですか?
あなたはただの遊び好きのB系のお兄ちゃんですか?

“週末冒険家“と名乗ってらっしゃる以上、もっともっと週末に冒険して頂かないと困ります。

指令書を同封したので、ご検討ください。

サンクチュアリ出版



$『18の冒険』$『18の冒険』




パードゥンミ?


確かに最近冒険ブログは止まっています。
冒険らしい事は特にしていなく、謳ったり踊ったりトークをしたりしています。

が、なんですかこの手紙は??

完全に僕をバカにしているじゃないですか!?


僕は週末冒険家な訳ですが、そもそも飲食店のオーナーであり、営業マンであり、そして一児のパパでも在ります。尚かつ最近ではベネッセコーポレーションから出版されている「サンキュ」という雑誌のファミリーモデルに運良く選ばれたので(さらりと宣伝す)その撮影もチラホラと入ったりするわけです。
prove LiFE SiNという訳で週末冒険に行く事はなかなか時間が許さない訳です。

が、忙しい仕事の合間を縫って遊びも充実させるのが出来るサラリーマン。


遊びを真剣にやらないで仕事を真剣に出来るか!?
世のサラリーマンよ、週末に冒険をしな!
冒険には多くの刺激と感動が溢れているぞ。その刺激と感動にこそ、今悩んでいるその問題の答えがあるはずだ。


「仕事の答えは、会社には無いぜ。」

と、声を大にして言っている僕ですから、こんな挑戦状が来て

「いや、ちょっと忙しいんで出来ないっす。」

なんてダサイ事は言えない訳です。

という事で、行って来ました静岡まで。
やってきましたこの指令書。
走って来ました夢の吊り橋。


「吊り橋を全力で走ってこい」


というだけの指令だったんですが、指示以上の結果を出す事が出来るサラリーマンの基本です。
期待以上の結果を出す事が人を感動させる大切な要因です。

Mission①吊り橋をダッシュしろ!

我ながらかっこよく仕上げました。



あなたはただの遊び好きのB系のお兄ちゃんですか?

“週末冒険家“と名乗ってらっしゃる以上・・・




と言われてしまったので、

B系×冒険
というイメージでこのミッションを見事にクリアしてきました。

どうぞ、ご覧下さい。








<吊り橋DATE>
『18の冒険』『18の冒険』『18の冒険』$『18の冒険』

南アルプスの山並みが眼前に迫る秘境奥大井・寸又峡。
大間ダム湖にかかる『夢のつり橋』は長さ90m高さ8m。橋の真ん中で若い女性が恋の成熟を祈ると夢が叶うという、ロマンチックな吊り橋。


●FEE  特に料金はかかりません
●PLACE 428-0411静岡県榛原郡本川根町寸又峡
●ACCESS 車/東名高速 静岡IC-国道362号(基本的に舗装路ですが、かなり狭いカーブが続きます)-千頭-県道川根寸又峡線
●PARKING 寸又峡温泉入口に広めのパーキングがあり、そこに車を置いて散策出来ます
●備考 ※途中にも、大井川鉄道・鉄橋・吊り橋・峡谷など見所が色々あるので、結構楽しみながら行けます。




因みに吊り橋の効果、(夢が叶う)は、今の所まだ叶っていませんね。


「この本の感想がJ-WAVEのナビゲーター、秀島史香さんから送られてきますように!」


叶い次第、こちらで報告いたします。



「働くきみをアゲる18の冒険」
サンクチュアリ出版 山本新一

http://www.sanctuarybooks.jp/bouken/



冒険に協力してくれたマイメンたち。
prove LiFE SiNprove LiFE SiN
prove LiFE SiN

久々にキーボードにゆっくりと手を置きます。

なんて幸せな時間なんでしょう。

what a wonderful time.

以前、本を執筆していた頃は毎晩デニーズに足を運んで「遊びとは」「冒険とは」「仕事とは」
そんな事を毎日考えてはキーボードを叩いていたのですが、5月以来、なかなか時間を作れずにいました。

お店のオープンで何だかんだと5月6月は忙しく、7月8月は本を売り歩きにと書店を巡りに西へ東へ北へ南へ。
9月はパワーアップさせるためにお店に尽きっきりになり、やっぱり夏は外に出なきゃなってことで時間があればサーフボードを抱いて海へ。

そんなこんなでゆっくりとパソコンに向かうのは本当に久々です。
5月ぶりに、デニーズに来ました。

久々だったので店員さんが集まって来てくれました。嬉しい。




で、最近の主な考え事は

「マザーテレサと孫正義はどっちが困っている人を助けたか」

って事です。

twitter上で良くぼやいてますが、マザーテレサって本当に凄いですよね。

僕はお店を出そうと決意したとき、まず始めにお店の理念を作ろう、と思ったんです。
理念無くして感動は無いし、志無くして人は集まらないと思うのです。
で、お店の理念を作るにはマザーテレサに学んだ方がいいでしょうよもちろん、と思い、マザーテレサの自伝を読み返してドキュメンタリー映画を見たんですが、やっぱりすげーなーと心がかき乱されましたよ。
で、その中でももの凄くパワーを感じたのが、

「life is life」

というフレーズです。

マザーが壇上で、言うんですが、ハンパないっすよこのシーン。

文法英語あがりのジャパニには、

「パードゥンミ?」

って感じなんですが、このフレーズに全身鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えています。

自分の生活全てを貧しき人々に捧げるその愛は、僕が100回「♡♡♡♡♡♡♡♡♡LIFE」を持っていても恐らく1回も出来ないんじゃないかというくらい、それはそれは尋常じゃない神レベルの愛ですよ。

「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」

いやー、ムリですね。
マザーの愛はもちろん死んだ今でも多くの人に受け継がれているし、現にカタチとしてコルカタに「死を待つ人々の家」があるのは周知の通り。

マザーヤバー。





で、僕は今までマザーが最強だと思っていたんですが、孫正義も相当すげーんじゃねーか、って思う様になりました。

8月に東北へボランティアに行って来たんですが、ボランティアセンターの近くに設置してある携帯電話の簡易基地局はどれもソフトバンク。

100億円の募金は明らかに東北だけでなく、東北を援助しなければならない日本人全体に対してかなり大きな現実的な意味が在る。

さらには、ニュースでも騒がれてましたがソフトバンクとしての報酬を全額寄付することを表明したり、震災孤児に対しての通信料の無料化とかとにかく考えられないレベルのお金で困っている人の実生活を助けている。

自分が誰よりも努力して作り上げて来た資産を捧げられるそのお金と愛は、僕が100回「♡♡♡♡♡♡♡♡♡LIFE」を持っていても恐らく1回も出来ないんじゃないかというくらい、それはそれは尋常じゃない神レベルのお金と愛ですよ。



どっちもすげぇ。どっちもすげぇっす。



困っている人を助ける、という所に焦点をあてて冷静に見た時、
マザーの方が心に訴えかけ、永遠に人の心に語り継がれる綺麗さとロマンチックさと夢があるのでもの凄くイメージがいい「援助」だと思うのですが、現実的に多くの困っている人の生活を助けるという意味では、孫正義の方に分があるんじゃないか、とも思います。




どっちがかっけーんだろう。。。

どっちだ。。?







どっちがかっけーんだろう、とか言ってる時点でどっちにもなれん事は明らかなんですが、それでもやっぱ、

「どっちタイプで貢献すっかなー。つーかオレってどっちタイプなのかな~。うっわ迷うわ~!」

なんつってどっちにもなりきれん奴がそういう風に真剣に悩むのって、楽しいじゃないですか。


あり得ないのに、
「付き合うとしたら加藤あいと柴崎コウどっちにする?」

「うっわ迷うわ~!」

みたいなね。


非常に迷っています。







けど、最近腹の底から強く思うのです。

おもっくそダセー偽善者になりたいのです。

善人ぶって人助けしてナルシストな感じで
「これ、オレが募金して作った病院。アツくね?」
みたいな風にほくそ笑んでいるようなものすげーうざってー偽善者に、めちゃくちゃなりたいのです。



そして、
成りたいものには大体成るので、成れる気がします。

成りたい自分に成るために、頑張ります。








まず僕らが当たり前に現実的に今の世の中を見てみると、
基本的に食う事には困らない、と言う事。

僕は生まれてこの方お金を持った事は一度も無いが、食う事に困った事も無い。

それからこの国にはやたらと仕事があるという事。
例えば時給850円で一日働いたとすると、
850円×8時間=6800円
6800円×21日出勤=142800円

収入の三分の一程度の貸家に住めば、生活は賄えるという一般常識になぞらえると、約47000円の家賃の家に住む事が出来る。

残りの約95000円で一ヶ月を賄う事は、はっきり言って今の世の中では難しい事じゃない。つまり、経営者だ正社員だ派遣社員だパートだアルバイトだなんていうカテゴリ分けをしてそこに優劣を持って来ている事自体が、生きるという事の根本ではない。経営者とアルバイトの違いは数字的な差であって、生きるか死ぬかを決める様な大きな差はない。

うってかわって、インドネシアだったかフィリピンだったかのスモーキングマウンテンで生きる少女達の夢は
「私の夢は、大人になる事です。」
だそう。

これが本当に食うのに困るという現実。これが本当に生きるという根本。
お腹がぽっこり膨らんで来ている若手社員が、給料が少なくて困っている、なんて言うのは、お前が食い過ぎだから、だって話だ。日本人が言う、食うのに困るというのは明らかに鼻くそレベル。

どうあがいても、というかあがくという感覚に行かぬまでも「何か1つだけ」を我慢するだけでこの国では簡単に生きる事が出来る。

だとしたら、この国で僕らが次に目指す事は一体なんなのか。

自分の親世代とは考え方が合わないのは当然。

平安時代や江戸時代の様な
「100年経っても、変わりまへんな~」
というような緩やかな時代では全然なく、たった1年足らずで去年の当たり前が変わっていく時代。

戦後の日本を支えて来た1つ、2つ上の世代の先輩達は、敗戦国日本の復興やまだまだ食う事に必死になっていた時代だからこそ、その感覚のまま僕らに食う事の大事さを伝えようとする。食う事に困らないように、しっかりと働く事、を願っている。

けれど僕らの世代はもうそういう感覚をもったやつは恐らく、誰もいない。

飢え死に怯えている人よりも、自分の生き甲斐を見つける事が出来ずに無になってしまう事に恐怖を感じている人の方がきっと何百倍もいるだろう。

そーいや何で頭下げてんだっけ。
そーいや何で働いてるんだっけ。
そーいや何で食ってんだっけ。
そーだ死んでみっか。

みたいなね。

必死に食う事に対して努力してきた世代の人たちは、必死に好きな事を見つけようとする僕らの世代の人間達を贅沢だ、と批判するが、それは違う。人間の根本はきっと変わらない。いつの時代も何かに対してもがき、必死になっている。その努力の的がただ「違う」というだけだ。

ビジネスで成功をしたいという感覚はかなり薄れ、それよりもスローライフ的な生き方がかっこいいとされているこの時代に、正社員がどうのこうのというのは、嫁が僕に聞く、
「サラダのドレッシング、胡麻ドレか和風かどっちか迷ってるんだけどどっちがいい?」
という質問くらいどうでも良くて、聞き流してしまう。

どんな時代でも、この時代は大変だ、この時代は良かった、と言われるけれど、もちろん今だってこの時代は大変だし、この時代はとても良い時代。

大丈夫、ホームレスになっても死なねーよ
死なねーんなら、好きな事をやる以外する事はないでしょう。

と僕はいつも思う。

ただ、最近の若い世代に思う事は、いずれ背負うモノがあると言う事を意識してなさ過ぎるという事。
その現実を無視して、「自由最高っす旅最高っすリーマンファックっす~」というフレーバーを出すのは良くない。

企業戦士達も何かを我慢して得ている物が在るし、自由を愛する人たちも何かを我慢して何かを得ている。

いずれにしても、生きている事は素晴らしい、という感覚を見いだせる力が無いのは、この時代では生きる事がかなり困難。

ウィキペディアで自殺を調べていたら、俄然いらいらして来た。

好き勝手ポコポコ死んでんじゃねーぞブロッコリーども。

お前を生むために母は死ぬ程痛い思いしてるんじゃ。


今の時代飢えよりも恐ろしいのは、間違いなく虚無感。