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駿府城跡天守台発掘調査現場見学会3(2019年2月23日)

  

 平成28年度(2016)から平成31年度(2019)まで、4年間の計画で進められている 『駿府城天守台発掘調査』 ですが、毎年この時期に、その年度の発掘成果を説明する現場見学会が行われています。

 平成30年度(2019)の見学会は2月23日(土)に開催されるということで、一昨年、昨年に引き続き、今年も行ってまいりました。

 (ちなみに、一昨年度の見学会の様子は こちら

 (昨年度の見学会の様子は こちら

 

 今年度の発掘調査に関する話題といえば、なんと言っても家康の天守台の内側から豊臣時代の天守台の石垣が発見され、近くからは金箔瓦も出土したということですね。昨年の10月には2日間限定で見学会が開催されましたが、その時は行けなかったので、今回楽しみにして行ってきました。

 

 駿府城公園は、翌日に開催される静岡マラソンの準備が進められていました。

 

 あらためて申し上げるまでもないですが、発掘がすすめられている天守台のあった場所は、本丸の北西部になります。(の点線部分)

  

 この大御所様の銅像が立っている背後の、土塀風のフェンスで囲まれた場所です。

 

  

 開場時間の午前9時が近づいてくると、徐々に人が集まってきました。

 

 午前9時になり、入口で資料をいただいて、発掘調査現場へ入ります。

 (発掘された天守台石垣の南西部分)

 

 4年間の調査区域はこんな感じです。今年度(平成30年度)は緑色の箇所ですね。

 

 下の概略図の①と②の2箇所で、調査員の方の説明があるということです。

 

 天守台の北辺石垣の外側の見学通路のところに、以前にはなかったポールが建てられていました。高さは12mということで、当時の天守台の高さを表しているのだそうです。天守台がいかに巨大だったかが分かります。 

 

  今回の見学会は、天守台北東部の堀底に降りて、間近で石垣を見ることができました。

 

  

 自分も早速、堀底へ降りてみました。

 

 

 

 午前9時30分になり、1回目の説明が始まりました。まずは堀底で担当者の方から説明を受けますが、堀底が人でいっぱいになってしまったので、堀の上から説明を伺うことにしました。

 

 家康の天守台の北辺では、石垣の最下部にある石が発見されたということです。これらの石は不規則に並べられていて、さらに、その石の下には川原石が敷き詰められていたということです。

 一般的に石垣の基礎としては胴木が置かれるが、この天守台では、基礎として、大きな石や川原石が使われているそうです。

 

 次に、二ノ丸から本丸への出入り口である天守下門を含む枡形虎口の説明を聴きます。

 

 下の絵図のピンク色の四角で囲まれた部分ですね。

 

 写真奥の天守台からつながる石垣の上に高麗門形式の天守下門が建っていて、本丸堀にかかる木橋で二ノ丸側(写真右側の方)とつながっていたそうです。

 

 こんなイメージ?(下手くそっ^^;)

 

 天守下門を入って真直ぐ進むと・・・

 

 

 正面の石垣に突き当たり、そこを右に折れて・・・

 

 

 さらに左に折れて、この通路を進みます・・・

 

 

 頂いた資料にあった図で見ると、こんな形式の枡形だったそうです。

 

 二ノ丸側から本丸堀を挟んで見るとこんな感じ。

 

  (もう絵が下手くそっ!)

 

 

  さあそして今年度の調査で発見されたもう一つの天守台の石垣です。

 平成30年8月までに、家康の天守台の内側から、家康の天守台とは形状の異なる石垣が発見されたということです。確認できた範囲で、南北約37m×東西約33mという、同時代では最大級の大きさの天守台であることが分かったそうです。

 発見された石垣の近くから、金箔瓦も見つかったということで、石垣の形状や瓦の特徴などから、豊臣秀吉が家臣の中村一氏に命じて築かせたものと考えられるということです。

 

 (カラーコーンのラインが豊臣方天守台の石垣ライン)

 

 

 

 下の写真で、手前に見えるのが慶長12年(1607)に家康が築いた石垣で、その奥に見えるのが、秀吉が天正18年(1590)に関東に移封となった家康に代わって駿府領主とした中村一氏に築かせた石垣ということです。

 

 

 家康の石垣は「打ち込み接」、豊臣方の石垣は「野面積み」で、家康の石垣には矢穴が確認できるが、豊臣方の石垣には確認できないとのことです。

 

 また、家康の石垣は勾配が比較的急であり、裏込め栗石の範囲が広くなっているのに対し、豊臣方の石垣は家康の石垣と比べると比較的緩やかで、裏込め栗石の範囲が狭くなっているそうです。

 築かれた年代により石垣を積む技術が異なっていたことが分かるという。

 

 (金箔瓦大量出土地)

 金箔瓦330点が、豊臣方の天守台の南西部から見つかったということで、この場所は大御所家康が大改修を行った際に、もともと存在した豊臣方の天守を解体し、瓦を大量に破棄して埋めた場所だと考えられるそうです。

 

 (家康の小天守台)

 

 この場所は、家康の天守台の南側にあたり、いくつかの史料には「小天守台」と記述されているところだとのことです。

 家康による築城当時、小天守台にどのような建物があったのかはよく分かっていないということですが、「駿府城御本丸御天主台跡之図」の絵図には、天守台へと登る階段や石垣などが描かれていることから、天守台を防御する機能を果たしていたと考えられるそうです。

 

 写っている石は、石垣の最下部にある根石で、当時は地中に埋まっていたものとのことです。

 

 以上、3年目となる平成30年度の駿府城天守台発掘調査現場見学会の様子でした。

 最終の4年目となる来年度は、駿府城築城以前の今川時代の遺構の調査が行われるそうですよ。

 

海部歴史研究会講演会「近世への転換期と海部地域」(2019年2月9日)

 

 2月9日(土)に開催された、海部歴史研究会講演会 『近世への転換期と海部地域』 へ行ってきました。

 会場は、あま市甚目寺公民館大ホール。800人くらいは入るのかな。立派なホールでした。大体半分弱くらいは席が埋まっていたように思います。

 

 

  内容は2本立てで、最初は、蟹江町歴史民俗資料館学芸員の 花井昂大による、『近代における蟹江合戦の認識』 と題した研究報告がありました。

 

 蟹江合戦は、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康との間で争われた 「小牧・長久手の戦い」 の中で起こった蟹江城をめぐる戦いです。

 この蟹江合戦について記された8つの近代の史料(主に明治から昭和初期のもの)の内容を比較検証することで、当時の蟹江合戦の認識がどのようであったのか、という研究報告でした。

 

 8つの史料を比較すると、

 ○ 滝川・九鬼軍の蟹江侵攻

 ○ 織田・徳川軍の蟹江城攻撃

 ○ 滝川一益の降伏

という部分の記述では共通しているが、

 ● 月日のズレ

 ● 大野城、下市場城、下一色城攻撃の有無

 ● 織田・徳川軍はどのように謀反を知ったか

という点では各史料に相違があるということでした。

 また、現在では、「小牧・長久手の戦い」の翌年に発生した天正大地震により蟹江城は壊滅し、その後は田畑、宅地となったという認識であるが、近代に記された史料には、天正大地震に関する記述は見られないといい、近代と現在では認識が異なることが判明したということです。

 

 蟹江合戦や蟹江城の状況などについては、近代と現在の認識の違いがあるなど、不明な点も多く、引き続き調査が必要とされておられました。

 

 花井 氏の報告の後は、三重大学教授 藤田達生による講演です。

 

 演題は、『本能寺の変の直後の織田重臣の動向 ―「中国大返し」考― 』 です。

 『謎とき本能寺の変』 の著者でも知られる藤田先生。本能寺の変については、この20年間で大いに研究が進んだといい、新しい史料がどんどん出てきてかなり明らかになってきたといいます。

 

 今回の講演の内容は大きく2点。

 1点目は、なぜ柴田勝家が上方方面に出陣できなかったのか。

 2点目は、なぜ羽柴秀吉が最も早く上方に帰還できたのか。(中国大返し)

 

 昨年11月に、柴田勝家が本能寺の変の8日後に、織田方の武将・溝口半左衛門に宛てた直筆の書状が発見されたということが報じられたが、この溝口家文書により、当時の勝家の状況が読み取れるということです。

 明智光秀が最も恐れていたのは京都に最も近くにいて大軍を動員できたであろう柴田勝家であったことは間違いない。勝家は6月9日には本城である越前北庄城へ帰還。大坂に在城していた丹羽長秀らと連携して一刻も早く光秀を討ち果たしたいと考えていた。しかしながら、隣国の若狭は国主の丹羽長秀が大坂にいて不在のため、情勢が不安定。勝家は光秀の居場所もつかめておらず、直接大坂方との連絡も取れていない状況の中、やみくもに出陣すれば、後方から光秀方である武田・京極牢人衆に襲われる可能性がある中、動くに動けなかった。光秀の勝家対策は完全に成功していたということです。

 

 2点目について、こちらも石谷家文書など近年相次いで新史料が発見され、いろいろと明らかになってきたといいます。

 毛利輝元は、信長の攻撃を前にした天正10年2月に、足利義昭の仲介で長宗我部元親との同盟を画策していた。(芸土入魂)同時に足利義昭は土佐に下っていた石谷光政・頼辰親子を仲介役として、光秀に接近し、天正10年5月までに帰洛に向けての態勢を整えた。本能寺の変は完ぺきなクーデターであったが、秀吉のみはこれらの情報を察知していた可能性が高いことがうかがえるとのことです。

 また秀吉は本能寺の変の直後から、沿道の領主の協力を得て、播磨→但馬→丹波→丹後→若狭を経て近江長浜までのルートを確保していた可能性は高いといい、勝家が、北庄城から近江→山城を抜けて大坂城に至るルートを光秀方に封鎖されていたのとは対照的であったといいます。

 

 結果、勝家と秀吉における情報収集能力の差が、後の二人の運命を決定づけたといえるとのことでした。

 

 なかなか興味深い講演でした。

 

豊橋市図書館資料展「続・ふるさと城めぐり ~御殿・陣屋・砦・城郭寺院も~」(2019年2月9日)

 2月9日(土)から、豊橋市中央図書館展示コーナーで、平成30年度図書館資料展 ふるさと探訪(第2回) 『続・ふるさと城めぐり ~ 御殿・陣屋・砦・城郭寺院も ~』 が始まりましたので、早速行ってきました。

 

 表題に 『続』 とあるように、昨年のこの時期にも同様の展示が行われました。(昨年の資料展の記事は こちら

 昨年第1回を開催したところ、昨今の城ブームもあってか、例年以上の入場者があり、アンケートにも、「2回目を楽しみにしています」などの声が寄せられたということで、今年度も開催することにしたということです。

 

 場所は、豊橋市中央図書館の2階展示コーナーです。(展示は撮影禁止なので会場入口の写真のみ)

 

 今回も、16ページからなる展示目録が無料でいただけます。

 

 また、日本100名城、続日本100名城をはじめとする全国各地のお城のパンフレット類もいただくことができるのも嬉しいですね。(数に限りがありますのでお一人様一部ですよ。)

 

 展示では、100名城などのよく知られた城だけでなく、豊橋市内のあまり知られていない西郷氏や畔田氏の城、西三河や三遠地方の城も紹介されています。

 (以下展示目録よりいくつか紹介)

 

 

   

 

 

 また、今回は城の範疇を広げて、御殿や陣屋、砦、城郭寺院についても紹介されていました。

 

 

 

 

 

 会場には、吉田城の本丸御殿の模型も展示されていました。(こちらは写真撮影可です。)

  

 なお、2月23日(土)13;30~ 豊橋市中央図書館集会室において、記念行事 『城を楽しむ』 が開催され、おなじみの 加藤理文 先生の講演などがあるそうですよ。

 

2019新年のごあいさつ

 

謹 賀 新 年

 本年もどうぞよろしくお願いします

<(_ _)>

 

 平成最後のお正月ですね。今年5月には新しい元号になるということで・・・

 若い頃、明治・大正・昭和と三年代に渡って生きてきた人というと、何か生き字引のような長老というイメージがありましたが、自分も三つ目の年代を生きることになるんですね。

 読み返してみると、このブログを書き始めたのは、2010年4月9日ですので、もうすぐ丸10年になります。早いものです。そりゃあ歳をとるはずですわ。

 始めた頃に覗かせていただいていた他の方のお城ブログ、今ではその多くの方々が、いろんなきっかけでアメブロを卒業されたようで・・・時の流れを感じます。

 自分も最近はほとんど城レポと呼べる内容は投稿しなくなってしまいましたが、元々は自分の覚書のつもりで始めたものですから(^^;)、自分が生きている間は残しておきますよ。(その前にアメブロがなくなるかもしれませんが・・・)

 そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。

 

                        平成31年 元旦

 

 

 

 

 

お城EXPO2018(2018年12月22日)

 今年も、12月22日(土) お城EXPO に行ってきました。

 今年で3回目の開催。会場はこれまでと同様、パシフィコ横浜会議センターです。

 毎年3日間の開催ですが、今年はうまい具合に三連休での開催となりました。

 いつも一番の目的は、「厳選プログラム」という、お城のスペシャリストの先生方の講演会やトークショーなのですが、去年、一昨年は事前に前売りで、会場への入場と一日のすべてのプログラムを聴講できる「ワンデイ入城券」を購入していたのですが、今年は発売初日にあっという間に売り切れ。

 それと、過去2回は一人での参戦だったのですが、今年は、お城好きというわけではない人と二人で行くことになりましたので、「厳選プログラム」は一つだけにして、あとは会場をまたーりと観て回るにとどめました。

 

 聴講したのは、『信長の城を語ってみよう』と題した、春風亭昇太 師匠と城郭ライターの 萩原さちこ さんのトークショーです。信長の城を・・・といいながら、今年お二人が訪れた城について、楽しくお話しするという内容でした。

 

 そして、毎年ワクワクして写真を撮りながら観ている「お城ジオラマ」。当然今年もありました。一番楽しみにしているといっても過言ではありません。

 今年は、部屋の壁側に一列にずらりと展示されていて、自分はこの方が見やすく感じました。

 では、今年もたっぷりと紹介・・・

 

【小机城】

 

【増山城】

 

【長浜城】

          (城名が書かれた札に滋賀県長浜市とありましたが、伊豆長浜城ですよね^^;)

  

【勝幡城】

 

【丸子城】

 今年は、それぞれの模型と併せて、香川元太郎 先生のお城イラストも一緒に展示されていました。

                       (ちょっとガラスに照明が反射して見難いですけど…)

 

【丸岡城】

 

【安土城】

                              (毎年言ってますが、これ欲しい・・・)

 

【備中高松城】

 

【金沢城】

                                      (細かく作りこんでありますねぇ~)

  

【豊臣期 大坂城】

 

【高松城】

                                      (天守は南蛮造りですねぇ~)

 

【石垣山城】

 

【会津若松城】

                                      (赤瓦が鮮やか^^)

 

【岡山城】

 

【仙台城】

                                          (懸造り ^^)

 

【弘前城】

 

【和歌山城】

 

【松山城】

                                                (登り石垣 ^^)

 

  

 もちろん天守の模型もありますよ。(高さが比較できますよ。)

 

【江戸城】

 

【熊本城】

 

【安土城】

 

【名古屋城】

 

【大坂城】

 

 ここからは国宝天守

【犬山城】

 

【姫路城】

                                         (し、白いぞ・・・)

 

【彦根城】

 

【松江城】

 

【松本城】

 

 あとは、毎年、日本城郭協会と学研プラスの共催で開催される小中学生対象の「城の自由研究コンテスト」ですが、その受賞作品、22点の力作が展示されています。この中に、将来のお城博士が埋もれていることでしょう。

 それから、今年、駿府城天守台の発掘調査現場から出土した金箔瓦や、この会場で初公開となる明智光秀に関する新史料 「明智秀満書状」や、信長、秀吉の制札、朱印状などの展示もありました。

 

 「城めぐり観光情報ゾーン」 では、今年も多くの城郭関連団体がブースを設置しており、一周するとパンフレット類でいっぱいになります。

 

 上州真田三名城(東吾妻町・みなかみ町・沼田市)のブースでいただいたパンフレットが入ったビニール袋。名胡桃城の縄張図が描かれています。こういうの、何気に嬉しい^^

 

 

 お昼は、会場で崎陽軒の「お城EXPO2018 炒飯弁当」を買って食べました。

 

 今年も楽しかったです。