駿府城跡天守台発掘調査現場見学会(2017年2月25日) | 城めぐりん

駿府城跡天守台発掘調査現場見学会(2017年2月25日)

 2月25日(土)に、駿府城跡天守台発掘調査現場見学会に行ってきました。

 昨年10月に続き、今年度最後の見学会で、前日の24日(金)には、講演会とセットになった特別見学会も行われたようです。

 

 

 

 徳川家康の隠居城として築かれた駿府城。本丸の全周を二ノ丸が、二ノ丸の全周を三ノ丸が囲み、三重の堀を持つ輪郭式の縄張の城で、本丸の北西角に、五層七階とも六層七階ともされる天守が築かれていたといいます。その天守は、寛永12年(1635)の火災で焼失し、御殿や櫓などの建物はその後再建されたが、天守は再建されることがなかったといいます。

 現在、本丸跡と二ノ丸跡は駿府城公園となっています。

 静岡市では、公園の整備計画に基づき、順次整備が進めているということで、平成元年(1989)に巽櫓、平成8年(1996)に東御門、平成26年(2014)には坤櫓がそれぞれ復元整備されています。

 

【巽櫓と東御門】

 

【坤櫓】

 

 火災による天守焼失後も、天守台は残されていたそうですが、明治29年(1896)に陸軍歩兵第34連隊が置かれることになり、天守台は取り壊され、本丸堀は埋め立てられてしまったということです。

 ということで、しばらく前までは、駿府城の天守台跡はこんな感じだったんですね。

 何の遺構もなく真っ平らで、天守台跡といっても、単に「天守台があった場所」というだけだったんですね。

 

 実はこの下に天守台の遺構が眠っているということで、公園の再整備事業の一環として、駿府城再建に向け、天守台の正確な位置や大きさ、構造、残存状況等を確認するため、平成28年度から平成31年度までの4年をかけて天守台全体の発掘調査が行われる計画ということです。

 

 1年目である平成28年度は、天守台西側一辺が対象ということで、去年の8月から発掘調査が行われてきたとのことです。

 赤の点線部分が今年度の調査箇所)

 

 東御門で展示されている駿府城模型で見ると、下の写真で青の点線で囲まれた箇所になりますね。

 

 それでは発掘調査現場へ向かいます。

 発掘現場の仮囲いには城壁風のラッピングがされています。

 

 入口で見学会の資料をいただき中へ入ります。

【当日の資料】

  

 静岡市では、駿府城跡天守台発掘調査の “見える化事業” に取り組んでおられるということで、見学会の日でなくても、現場に見学ゾーンを設けて、発掘調査の様子を毎日一般公開されているとのことです。 

 

 

  

 現場で働いておられる発掘作業員の方も、徳川家康公愛用の歯朶具足風ヘルメットと葵紋入りビブスを着用しています。

  

 

 10時から調査担当者の方の説明があるということですので、それまで見学ゾーンから発掘された天守台の石垣を眺めて過ごします。

 あの真っ平らな「天守台跡」の下には、こんなに見事な石垣が埋もれていたのですね。

 最も残りの良い所で、現地表から約1m下で発見され、そこから堀底の地表下6.6mまで、約5.6mの高さの石垣が残っていたそうです。ちなみに、上部が取り壊される前の天守台の石垣の高さは約19mあったと推定されるとのことです。

 

 

 この天守台西辺ですが、江戸時代の天守台の絵図「駿府城御本丸御天守台跡之図」の記録によると、石垣の下端で南北幅は33間4尺(約66m)あったとされているのに対し、発掘調査の結果では、確認された範囲で約67m、調査区外に延びている部分を合わせると約68mとなり、絵図よりも2m程長いこととなるそうです。

 ただ、この程度は誤差の範囲とも考えられ、江戸時代の絵図の記録は実際と大きくは違わない信憑性のある資料であるということが確かめられたとのことです。

 江戸城の天守台が南北約45mということですので、その1.5倍ということで、目を見張るものがありますね。

 

 それから、石垣は、石の加工の違い、石の並ぶ目地の違いから、積まれた時期が違うということが分かるとのことです。

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 赤線のラインが積み方の境界。石の目地が異なり、右上側が後で積まれているとのこと。

 

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 こちらも赤線が積み方の境界で、右側は、やや小さく四角に加工された石が積まれているとのこと。

 

 江戸時代に大地震が2回あり、石垣が崩れて修復したとの記録があるといい、どの部分がいつの修復のものか特定はできないということですが、かつての修復の履歴を裏付けるものといえるとのことです。

 

 今年度の調査区外まで延びている天守台石垣の南西角下端については、来年度の調査で確認する予定とのこと。

 

 今年度の調査で確認された天守台石垣の北西角

 

 北西角を北側から見たところ。普段の見学ゾーンからはこの角度では見ることができません。

 

 その他、前回10月の現場見学会以降に分かったこととして、天守台西辺の石垣全体の観察と記録を行ったところ、現存する石垣に10の刻印が確認されたということです。

(分かりやすいようにチョークで印がされています。)

 

 堀の中に崩されていた石にも複数の刻印が見られることから、本来はもっと多くの刻印があったといえるとのことです。

 

 石垣の中には矢穴がある石も見られますね。

 

 見学ゾーンには、作業員の衣装を着て、掘り出された刻印のある石と矢穴のある石の前で記念撮影ができるよう、見学記念ボードも用意されていました。

 

 

 さすがに “おじさん” なので記念撮影はしません^^;

 

 そうこうしている間に、10時になり、調査担当者の方の説明が始まりました。

 このころになると、かなりたくさんの人が集まってきていました。

 この日は、1日で1,500人程の人が訪れたそうです。 

 15分程説明をお伺いします。

 

 その後、普段は見学ゾーンからしか石垣を眺めることができないのですが、この日はなんと、本丸堀の堀底へ下りて、間近で発掘された石垣を見ることができました。

 みなさん、続々と堀底へ下りていきます。

 

 

 

 間近で見た天守台石垣の北西角

 2月14日に、天守台石垣北西角の根石と本丸堀の堀底を確認したということです。

 今のところ根石の下に胴木と思われる木材は見つかっていないそうです。

 

 間近で見ると、やはり迫力があります。

 

 こちらは北面になります。こちらにも刻印がありますね。

 

 こちらは天守台の向い(対岸)に当たる本丸堀の石垣です。

 本丸堀の石垣は、残っている部分が少なく、この部分以外は確認できないとのことです。

 写真の左側と右側では、明らかに石の積み方が違いますね。

 

 元々の石垣は、左側の1段だけ残っている部分だそうです。

 

 右側の部分は、後に積み直されたと考えられるとのことです。

 

 さらにそれから、普段は見学ゾーンから天守台石垣の外側を眺めるだけですが、この日は、天守台側に回って見ることもできました。

 

 10月以降、天守台の構造が判明したということです。

 一番外側に石垣の積石があり、その内側は栗石を大量に詰めた裏込の層となっていて、その裏込の内側は、直径20~40cm程度の石を使用した裏込巻石をもち、さらにその内側は盛土層になっているということです。

 

 それから、今回の調査区では、裏込巻石と同じような大きさの石を、裏込巻石のラインと直行するように並べて、栗石層を区画している様子が観察できたそうです。これは、栗石を詰める作業における単位であったとも考えられるとのことです。

 

 調査箇所の北、バックヤードには、堀から発見されたたくさんの石材が山積みになっています。

 

 この中には、幅1.1m×長さ1.9mの天守台隅石も見られます。重さは推定約4.5tもあるそうです。

 

 人と比べて、こんな大きさです。

 (石の下部は少し埋まっています。写っている人は身長1m75cmくらいだそうです。)

 

 発掘現場には、これも “見える化事業” の一環で、「発掘情報館 きゃっしる」が設置されています。

 

 「きゃっしる」では、「駿府城ってどんな城」という映像や、発掘調査の出土品の展示、最新の発掘情報などを見ることができます。

 

 

 慶長期駿府城の地表面の下から発見された柱

 

 瓦製や青銅製の鯱が発見されているとのこと。

 

 出土した石塔

 

 出土した瓦

 

 発掘調査現場の見学の後、静岡県庁別館の21階にある展望ロビーへ行き、駿府城公園を上から眺めてみました。

 

 先ほどまでいた天守台発掘調査現場

 

 本丸堀跡や東御門・巽櫓も良く見えます。

 

 上から見ると、枡形門の構造が一目瞭然ですね。

 

 それから、『見て歩いてなるほど!「駿府城」まるわかり』という駿府城ガイドブックを購入しました。500円で、発掘調査現場でしか買えないとのことです。

 

 あと、静岡市では「駿府城天守台発掘調査」への寄附金を募集しています。

 あくまでも「発掘調査事業」のための寄附金であって、「天守閣及び天守台の再建」のための寄附金募集ではないということです。