第三部のはじめに(Ⅲー1) | 仮説・彼岸世界

仮説・彼岸世界

彼岸世界への神秘体験について書かれたブログ


東日本大震災により3万人近い死者・行方不明者が出ている現状では、2月18日のブログ開始時に掲げたこのテーマは、時期的に不謹慎との謗りを免れかねないが、この言葉が誰にどのような場面で発せられたのかを考えれば、案外、時宜を得たテーマ選択だったのかもしれない。


私が、この言葉に初めて出会ったのは、釈尊(お釈迦様)は、悟りを開いて仏教を創始されたと伝えられているけれども、その悟りとは一体どんなものだったのだろうか、という疑問を解消するために、「ブッダ入門」(中村 元著 春秋社)という本を読んだときだった。


その本の最後のほうの206ページに、この言葉はある。


齢80に達し、自分の死期を悟った釈尊は、滞在していたヴェーサーリーを去って、生まれ故郷を目指して最後の旅に出発された。

出発のとき、釈尊が、ヴェーサーリーの郊外の高い峠から振り返ってもらした感懐が、テーマとして掲げた「世界は美しい 人生は甘美なものだ」という言葉である。

「ブッダ入門」では、この部分の記述は、次のようになっている。


《さらにサンスクリットのテキストには釈尊の感懐として、

 「ああ、この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」

 という言葉があります。ここを漢訳では、

 「この世界の土地は五色もて画いたようなもので、人がこの世に生まれたならば、生きているのは 楽しいことだ」

とあります。》


世間一般の仏教徒の方は、この釈尊の言葉に大きな違和感を感じられるだろう。

私も、初めてこの文章を読んだときは、エーッ、これが本当にお釈迦様の言葉なのか?、と大いに戸惑った。


人間は、生まれてから死に至るまでの全ての過程が苦の連続であり(一切皆苦)、その苦の連鎖から脱却(解脱)するために八正道等の修行をする、というのが釈尊の教えである仏教の根本思想ではなかったのか?


釈尊の多くの弟子たちも、その教えに忠実に従って日々の仏道修行に励んでいたであろうから、この言葉は、なんとも釈然としない感懐ではあるが、サンスクリットの経典には、釈尊の言葉としてちゃんと書かれているという。


仏教の原点とも言うべき思想(一切皆苦)を完全に否定しているようにも思えるこの言葉を、釈尊はなぜ発せられたのか?

迫り来る死の予感を前にして、釈尊は何を思われたのか?


その真意のほどは、もはや確かめる術もないが、信頼していた二大弟子の舎利弗と目連に先立たれ、釈尊の出身部族である釈迦族もコーサラ国に滅ぼされた悲運の中で発せられた言葉であることを考えると、この言葉は、現在の日本の状況にも通じる言葉であり、次の時代への指針となる言葉なのではないだろうか。


第3部では、この釈尊の感懐の言葉を手がかりとして、これから私たちはどう生きるべきか、どう生きていけばいいのかについて考えてみたい。