世界は今、どちらに向かっているのか?(Ⅲー2) | 仮説・彼岸世界

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彼岸世界への神秘体験について書かれたブログ


世界の人口は、現在約67億人くらいらしい。

この世界人口が、30~40年後には、約90億人に膨れ上がると予測されている。

そんなに人口が増えて、やっていけるのだろうか?


このような疑問は、第2次世界大戦が終了し、人口が急激に増加し、科学技術が急速に発達して工業化社会が急進展しだした1960年代末にもクローズアップされ、1972年に、国際的な賢人会議とも言うべきローマクラブから「成長の限界」というレポート名で、研究成果が刊行されている。


そのレポートで提起された、食糧問題、公害問題、資源問題、エネルギー問題等についての憂慮すべき問題点は、その後の科学技術の発達や社会情勢の大変革によって、杞憂に過ぎなかった、と今日では見なされている。


しかし、飽くことなき経済成長が世界各国の共通の至上命題となっている今日、50年後、100年後に、やっぱり杞憂に過ぎなかった、と笑って過ごせる明るい未来が、果たして到来しているだろうか?


世界を見渡してみれば、つい先日まで、発展途上国・後進国と言われていた国々が、目を見張る速度で次々と発展しつつある。

世界が等しく豊かになっていくということは、喜ばしいことであり、歓迎すべきことだろう。


しかし、地球は有限であり、その表面で生活する人類の生存にも、どこかに限界がある。

その限界を超えることなく、安定的に人類が共存・共栄していける社会が到来することが、もっとも望ましい。


今、世界の現状、社会体制・制度は、それを可能にするシステムになっているだろうか?

私は、世界の現状を見るとき、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

物質的側面を見るとき、確かに我々は格段に豊かになり、平均寿命も飛躍的に延びた。

にもかかわらず、世界の趨勢は、環境問題を筆頭にして、明らかに、じわじわと悪化するほうに向かって進んでいると考えざるを得ない。


豪華客船タイタニック号の中では、連日パーティーが開かれ、乗客は、浮かれ楽しんでいた。

数日後、氷山にぶつかり、大半が海の藻屑となり、死んでしまうことを知らずに。

我々は、今、このタイタニック号の乗客と同じ状況にあるのではないだろうか。


発達した科学技術の成果として、危機はすでに察知され、警報も鳴らされ続けている。

今、進路を少し変更すれば、将来、氷山にぶつかるという危機を避けることは可能である。

進路を変えさえすれば・・・。


長い歴史の果てに、人類は、民主主義と資本主義という、社会を大きく進歩・発展させる車の両輪を手に入れた。

中東各国で始まった民主化運動が次々と燃え広がっているように、この二つの指導原理は、世界標準を目指すものとして、これからも高々と掲げられていくだろう。


民主主義と資本主義、この二つの指導原理で世界の危機は回避できるだろうか?


残念ながら、私は否定的な考えを持っている。

むしろ、民主主義と資本主義、この二つの指導原理こそが、危機を加速させるほうに働くのではないかと危惧している。


世界の現状と今後のことを考えるとき、いつも、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が頭に浮かぶ。

天国から垂らされた蜘蛛の糸をよじ登っている男(=先進国)が、ひょいと下を見ると、沢山の男達(=発展途上国・後進国)が、後を追いかけて登って来ている、というあれである。


小説では、男が、下から登ってきている男達を振り落とそうとしたために、糸が切れて全員が地獄にまっ逆さまに落下してしまう、という結末になっている。


際限なく増え続ける人口を吸収し、上がり続ける平均気温の影響を克服し、全員が天国にたどり着けるようなシナリオは、果たして可能なのだろうか?

可能だとしても、そのシナリオは、実際に実現できるのだろうか?


私は、「第二部 般若心経と彼岸世界」の中で、未来は既に確定しているし変更することは出来ない、と書いた。

どんな未来が待ち受けているか、誰にもわからない。

しかし、その未来を作りつつあるのは、今の我々であり、今の我々の行為・行動が未来の姿を決定していることだけは間違いない。


私は、「第一部 生きたままでも、あの世にはいける」で書いた神秘体験を通して、人生は苦の連鎖ではなく、生まれたこと、生きていることが喜びだと捉える生き方をすることが、何よりも肝心だという思いを得た。

釈尊が、最後の旅で発した「世界は美しい 人生は甘美なものだ」という感懐を初めて知ったとき、あのお釈迦様もやっぱり同じ結論に達していたのか、と深い親近感を感じた。


もし、世界中の人たちが、もっとお金を、もっと豊かさを、もっとおしゃれを、もっと名声を、といった「もっと」を抑えて、今を楽しく生きるという生き方をするようになれば、徐々にではあるが、地球号の進路は変わり、末永く安定した平和な生活が実現するのではないかと夢想している。


地球号という船は、一時も止まることなく進み続けてきたし、これからも進み続ける。

たとえ、そこに人類という乗客が一人も乗っていなくても・・・。