村井秀夫刺殺事件の真相を追って -36ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

サンデー毎日(1995年5月28日号)151項に興味深い記述がある。

山路徹「突然ドアをノックする音が聞こえたが、ドアにはカギがかかっていました。だれかと思っていたら、そのうち『エレベーターが血だらけだ』という声が聞こえたんです」

この証言は20年後、フジテレビ系列「Mr.サンデー(3月22日放送)」で再現映像として放送された。


目撃者①:山路徹氏(ジャーナリスト)



4月23日。
その日、南青山総本部道場の地下に、一人の取材者がいた。
山路徹氏(当時33)。地下鉄サリン事件当時、海外の戦場を取材していた。

話は4月18日にさかのぼる。
山路の自宅に突然オウムから電話が入ってきた。



山路「突然オウム真理教を名乗る男性から電話が掛かってきたんですね。それで、会ってほしいと」

信者「オウム真理教と申します」

山路「えっ…オウム?」「ご用件は?」

信者「山路さんに折り入って話したいことがあります。お目にかかって話を聞いてほしいのですが」

翌日、指定された新宿の喫茶店へ向かうと、アタッシュケースを手にグレーのスーツを着込んだサラリーマン風の男が現れた。

信者「山路徹さんですね。諜報省の相川(仮名)といいます。オウム真理教を取材してみませんか?」

当時マスメディア対応は上祐率いる外報部が担当していた。
オウムの諜報省は井上嘉浩がトップを務める、裏の実行部隊だった。

(何故自分が?)

オウムは、権力を批判する山路氏のリポートに関心を示したていた。

信者「とても公平な記事です。山路さんだったら本当のことを伝えてくれると思いまして…」

オウム側は山路を調べ尽くしていたのである。



4月22日
電話から3日後、相川から案内役の五十嵐(仮名)を紹介され、独占取材することが決まった。
警察の検問を受けた後、山路はサティアン内へ入った。当時信者以外は入ることが許されない場所を紹介されることになった。



山路は上九一色村のサティアンに一泊二日のスケジュールで泊まり込み、信者の仕事や修行の風景などを取材した。

山路「それこそゴキブリがうろうろしていたりね、そこに信者たちの靴がこう、並んでいたりしてね、臭いもね、やっぱりちょっとこうきつかったりしたんですけれども…」

何とも異様な光景だった。部屋中至る所に麻原の写真が貼られている。

奥へ進むと、建物は印刷会社と見紛うような施設へ続いていた。

ちょうど教団機関誌「亡国日本の悲しみ」や「ヴァジラヤーナ・サッチャ」が製本されているところだった。オウムのメディア戦略の中枢だ。

山路は作業をしてた信者に素朴な疑問をぶつけてみた。

山路「恋愛についてはどうですか?」

女性信者「あのもう…例えば恋愛したとてもその先には完全なる幸福がないというか、本当に苦しみに行き着くしかないっていうのが分かっているので、あえてそれを…そういう道には入らないというか…」

山路「寂しくないの?」

女性信者「寂しくないです」

暫く質問を続けたあと、今度はサリン事件とオウムの関係を質問してみた。

山路「今世の中でさ、あのー、オウム真理教とさ、サリン事件を結びつけて、いろんなこと言われているでしょ」

女性信者「はっきり言って一方的な嫌がらせというかもう…嘘ばっかりというか…なんで私たちがそんな目に遭わなければいけないのかっていう」



自由に聞き過ぎたか?絶えず山路の取材を五十嵐が監視に目が気付きヒヤリとした。
そこで麻原のかぶり物をかぶってみたり、「ダルドリー・シッディ」の修行を体験してみることで、オウム側が満足するようなリアクションを心がけた。



するとオウムは、山路を教団スタジオまで案内してきた。
気付けばオウム側のアピールを自然に撮らされていた。

取材を続けていく間に、日付は23日に変わった。
山路が東京総本部の取材をするため上九一色村から離れようとした。

すると、信者から「いい情報があるからそれを持っていくので、それが到着するまで上九を離れるな」と指示が入った。



電話で伝言をしてきたのは最初に取材を依頼してきた信者相川だった。

山路は相川に「青山(総本部)からいいネタが入りました」と呼び止められた。そこで山路は上九一色村に留まった。

ところが、いつになっても信者が戻って来ない。時間だけが過ぎていく。
信者が戻ってきた頃には4時間も待たされていた。

しかも何故か信者からオウムの機関誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」を渡され、山路は拍子抜けしてしまった。



午後4時、山路は上九一色村を離れ南青山総本部総本部へ向かう。
午後4時30分、山路とは別に村井も東京総本部へ向かっていた。

夜7、8時頃。現地に到着した山路はそこで再び待たされた。

信者「すいません、すぐに戻るのでしばらくお待ちください」



山路は総本部内の地下にある喫茶店アンタカラの待合室に招かれると、そこで待機することになった。



そのまま、30分、1時間、山路は待ち続けた。

その時である。







「ダンダンダン!ガシャガシャガシャ!」






山路「……?」




向こう側から、何か不審な物音がした。振り向くと、音は白いカーテンで覆われたところから聞こえてくる。



実はこの時、白いカーテンの向こう側で、村井が扉を開けようとしていたのだ。






目撃者②:長谷川まさ子氏(テレビ朝日『ワイド!スクランブル』レポーター)



 平成7年4月23日、私は“村井番”で、朝から山梨県上九一色村のサティアンで張り込んでいました。夕方4時半、村井さんが車で出発。公安とマスコミが合わせて二十台もの車が、後を追いかけました。

南青山に着いたのは、八時半くらい。昼間から総本部に張り付いているマスコミと警察官、加えてたくさんの野次馬で、ものすごい人だかりです。

 テレビ朝日はちょうどその時間、久米宏さん司会でオウムの特番を生放送中でした。村井さんは出演予定はなかったのですが、私がマイクを向けて「番組に合流されるんですか」と聞くと、小さくうなずいたように見えました。

 総本部に入るとき、村井さんはいつも外階段から地下の入り口を使っていました。あのときも階段を下りて行ったので、私たちは追うのをやめた。ところが村井さんは、すぐに階段を上がってきて、正面の入り口へ向かったのです。すぐに階段を上がってきて、正面の入り口へ向かったのです。あとで聞いたところでは、あの日に限ってなぜか地下のドアが閉まっていた。

 そして再びもみくちゃになった直後のことです。




目撃者③:梅田恵子氏(日刊スポーツ記者)

95年4月23日午後、東京総本部前。村井秀夫幹部が帰ってくるとの情報があり、200人くらいの報道陣が玄関前をぐるりと囲み、ごった返していた。風の強い小雨で多くのマスコミが傘をさしていたが、そんな輪の最前列に、傘もささず、玄関をじっと見ている男がいた。ずいぶん熱心だが、派手なセーターは雑誌編集者か何かかと思い、名刺交換させてもらおうと思ったら交代要員が来た。




目撃者④:贄田英雄氏(テレビ朝日カメラマン)

贄田は、現場に不審な男がいるのを鮮明に覚えている。

贄田「まぁマスコミか野次馬かわからないんですけれども、プラプラしていると。ああいう電柱か木に、こう寄っかかって…こう、時間を潰しているような、そういうそぶりを見せていましたね」








(次回 第4章「巨星逝く」)


●南青山東京総本部道場

2015年6月。オウム事件の”シンボル”の解体工事が終わろうとしていた。

東京都港区南青山7-5-12、表参道駅から徒歩15分。231平方メートル(70坪)、全面ガラス張りで地上5階、地下1階。

南青山東京総本部道場(マハーポーシャビル)は1992年9月に開設された。
当時オウム関連企業だった「オカムラ鉄工」の名前で、保証金2億2000万円、家賃250万円で入居した。ところが、いつの間にかオウム真理教の看板がビルに掲示され、教団の拠点となった。



内部に一歩足を踏み入れると、瀟洒なビルの外観からは想像できないほど雑然している。
地下1階の喫茶店『アンタカラ』にはグランドピアノやソファがあり、談話室のような内部となっている。信者が本を読んだり、音楽を聴いたりするほか、上祐がインタビューを受けるときにも使われた。



喫茶店の脇にはキッチンがある。ポリタンクの中に入っているのは上九一色村から運んできた水。甘露水ではなく、料理のときに使うという。キッチンの棚には乾燥昆布やホットケーキの素、乾燥めんなどがある。

キッチンはゴキブリが頻繁に出没する。信者達はゴキブリが壁を這っていようが、足下を走ろうが知らん顔である。

「ここのゴキブリは人懐っこくて、私たちの手を噛むことがあるんです。教義で殺生を禁じられていることを、知ってるんですよ」(30代の女性出家信者)



”調理班”の女性によると、食事はやっぱり菜食中心で、肉、魚抜きの1日2食とのこと。ここで作られる”オウム食”は「きちんとカロリー計算されている」らしい。そしてキッチンには”マイトレーヤ正大師専用”とメモ書きされた皿が、サランラップに包んで置いてある。中には小麦粉を使ったお好み焼き風のものが2枚。これだけだと栄養面上、不足しているということで、のりや卵も食べるとか。さらに、ドアには「マイトレーヤ正大師 ただいま休んでいます」の張り紙も。

さて1階はパソコンショップの『マハーポーシャ』。2階は外報部と法務部のオフィス。この本部では20~30の信者が”ワーク”(仕事)している。信者数人が新聞を切り抜き、その傍らで教団あての手紙を仕分けする。多い日には約50通が届くが、(教団によれば)8割が支援の手紙で、残りが脅迫状だという。



3階は修行道場兼記者会見場。エレベーターを3階で降りたすぐの所に、まず大きい空気清浄機が目に飛び込んでくる。『コスモクリーナー』だ。ドラム缶から伸びたパイプは何とも異様である。そばには書籍販売やビデオレンタルコーナーもある。



「修行に騒動の影響はありませんよ。通常、睡眠時間は3時間、よく寝るときで5時間ぐらい。慣れれば平気です」とある信者。この騒ぎの中で、ますます教団の発行する本が売れているのだという。



3階の記者会見場の広報には信者向けにビデオや本を貸し出したり、一般客に本の販売をする受付もある。



4階には上祐外報部長をはじめ青山弁護士、村井秀夫など各3畳ほどの個室がある。以前は麻原の休憩室として利用していた。

オウム真理教のサリン疑惑が報じられると、この建物に連日大勢の見物人が押し駆けるようになった。

95年5月22日午後4時ごろ、プロ野球・野村克也元監督の妻、野村沙知代夫人が岡林投手と一緒に南青山総本部前へ現れる騒ぎがあった。本部の隣にある、蜂針治療経営者が野村夫人の友人なのだという。

「お友達をちょっと訪問しただけですよ。友人が岡林のファンなんですよ」と笑顔で事情を説明していた。

同ビルの所有の不動産業者(大阪)は「売りたくても売れない」と悲鳴を上げている。
バブル期なら43億円の値をいけたが、95年には6億円でも売れないという状況。しかも、銀行による抵当権設定など約36億円の不良債権が、登記簿に記載されている。

不動産業者「バブル崩壊とオウムのダブルパンチですわ」(報知新聞・5月2日号より抜粋)

95年4月以降、村井はこの『南青山東京総本部』を拠点に取材を受け、麻原の指示を聞くために上九一色村と東京を往復しながら教団の潔白を主張し、オウムのために奔走した。しかし、当然のことながら捜査の矛先をかわすことができなかった。

日々悪化する教団の状況と、失態を繰り返す自分に村井は苛立ちを感じていた。自動小銃密造疑惑を聞かれて思わずAK-47をロシア語読みで「アーカー」と答えてしまった。出口のない迷宮をぐるぐる徘徊するような日々ばかり続き、さすがの村井も屈託のない笑顔で取り繕うのは限界だった。総本部から外へ出ると、マスメディアに混じって野次馬たちが怒涛のごとく押し寄せた。



女性「上祐サーン、ガンバッテ~♡」
野次馬「村井サ~ン」「ぎゃははははは」

上祐ギャルの黄色い叫び声が聞こえる。俗世に汚れた若者たちが村井をからかい、ちょっかいを出してきた。あざけりと嘲笑の渦に村井は飲み込まれた。

群衆に押しつぶされて続け、村井は前のめりに姿勢を崩した。
村井「ちょっと押さないで…大変だな、これ」





そんな光景を、ある男がテレビ画面から眺めていた。堅気とはいえない風貌だった。
男は道に転がった排泄物を眺めるような目で、ブラウン管越しの村井に視線を向けていた。

「この状況なら簡単にやれるだろう。村井には消えてもらう」「ポアもやむなし」

男はテレビのスイッチを切ると、手下を呼んで指示を出した。


4月2日、上祐がテレビ番組で「”オウム真理教がサリン事件の犯人である”というビラをまいたのは創価学会の会員」と発言。仮谷さん拉致事件、警察長官狙撃事件に学会の関与をにおわす発言をして放送したフジ、テレビ朝日に700件の抗議電話が殺到。

4月6日、捜査員や土建業者が第7サティアンにあったシバ神の発泡スチロール像を解体。

4月8、9日上九一色村第7サティアン前に右翼の街宣車が出没。
街宣車は大音量でお経を流し、「宗教法人の名の下に、殺人鬼と化したお前らを許さない」「オウムは上九一色村から出て行け」と繰り返した。
最後に住民に対して「お騒がせしました」と言って帰っていった。住民によればオウムが入植する前は来なかったといい、入植後は数年前に一度だけだったという。

「どうやって厳しい検問所を突破してきたんだろう」と不思議がっていた。



●4月13日

フジテレビ「おはよう!ナイスデイ」の生島ヒロシのインタビューに応対する。

ー空中浮揚、村井さんはできますか

村井「まだ完全にはできないが、時々浮かびそうになる」

ー落ちたとき、おしりは痛くない?

村井「完全に上がれば全然痛くないという話ですけど…」

《ここで取ってつけたように「それについては、測定装置を作って、測定しようとしているんです…。精密な体重計のようなもので」と”自分の世界”に話を戻す》

ーどういう人が上がれるのですか?

「修行ステージと関係があります。修行して、はじめはパンパンとジャンプする期間があり、その後にフワッと浮かぶということになります」

ー(村井さんは)まだ?

「ぜひ、修行を進めて上がるようにしたいですね」

ーちょっとやってみてくださいよ

《笑みを絶やさずに淡々と生島氏の質問に答えていた村井がここで苦笑い》

「いや、それはできない…。めい想によってできるものですから…」

このインタビューでは、村井は年間数十億円の予算を独断で決められることも明かしており、教団内における村井の発言力の高さをうかがわせた。





同日、村井は共同通信との単独インタビューに応じ、サリン生成疑惑について次のように答えた。
ーあなたはオウム真理教の科学技術者のトップといわれているが、何をするところで、メンバーはどのぐらいいるのか。科学技術班はあるのか。

「世界中の全産業を自前で再構築しようと考えている。メンバーは二百数十人で、指導的研究者は二、三割。化学班はなく、それに準じたものは『厚生省』にあり、第7サティアン横のプレハブが拠点」

ー第7サティアンでサリン製造は行われていたか。

「第7サティアンではDDVPといわれる農薬をつくろうとしていた。一月に新聞報道で悪臭騒ぎを報じられたため、途中で断念。一月の半ばから製造プラントを祭壇につくり替えた。もともとサリンなどが製造できる施設ではないことは中を見てもらえば分かる。平成五年末に大量購入した三塩化リンは農薬の材料だった」

ー三塩化リンは長期保存が難しいのに、なぜ一時期に購入したのか。

「無知といわれれば仕方ないが、保存の難しさを理解していなかった。大量購入は、買えるときに買っておかないと、警察の横やりが入り入手が難しくなるからだ」

ープラントの設計図を公開してもらえれば主張も理解しやすいが。

「裁判ですべて明らかにしたい。今公開すると私たちが不利になる」

ー押収された薬品でサリンは生成できると思うが。

「第7サティアンから押収されたものと、隣の食品とか水の分析・研究をするプレハブ(厚生省)カから出た薬品を混同してとらえられている。それぞれ別の目的で保有していたものだ。もちろん農薬プランとでも研究室でも、サリンはできないし、つくったことはない」

ードラフトチャンバー(強制排気装置付き実験装置)はあるのか。

「プレハブの研究室に簡単なものはある。危険な化学反応は想定せず、廃棄を浄化する装置はついていない。第7サティアン壁面のパイプ群は既に破棄されたコスモクリーナー(空気清浄機)だ」

ー山梨県富沢市の清流精舎で銃をつくったか。

「プラスチック製品をつくる際の金属製の型などをつくっていた。精密な銃の部品をつくるほどの施設ではないことは見てもらえれば分かる」


●4月16日



テレビ朝日「サンデープロジェクト」に上祐と出演。
番組には司会の田原総一郎、有田ヨシフ、二木啓徹氏、東京農工大学の宮本轍らが登場。
上祐は仮谷さん拉致事件で特別手配されていた松本剛と、既に逮捕されていた林郁夫の接点について討論を行い、またサリン製造疑惑について反論をした。

宮本教授「サリンがこの物質に変化することは考えられず、メチルホス酸ジクロリドが検出されたののなら、そこでサリンが製造された可能性は極めて高い」

村井「亜リン酸トリメチルと別の工程で発生させている塩素が反応したのではないか。ジクロリドがどこでどういう形で検出されたのか、私も知りたい」

上祐「机上の論と実際にプラントで作っていたものでは、全然違いますからね」

宮本教授は上祐の反論に苦笑した。


●4月19日のテレビ取材



なぜ、オウム真理教に?

「一つは、その、尊師の思想のあるところと、その…まぁ、科学…文明プラス、その仏教思想、これに共鳴する、ということですね。まぁ結論を言うと、まぁ『前世からの縁』です」

”クシティガルバ棟”の疑惑について

「まぁあそこでは作れないです。危な過ぎて。はい。あのー、普通のプレハブで、まぁあのー……どういうんでしょうか…防護設備が全くないところですので。あそこで作ったとしたら、まぁ……付近住民、私たちも含めて、かなり被害を受けると思います」

サリン生成過程で出来る薬品が検出された事について

「多分微量だと思うんですがもし出たとしたら、それは何か、あのー…”副反応”といいますか、私たちの目的としない、あの…偶然にできたものだと思います。それだけではサリンを作った証明にならないと」

NC旋盤の疑惑について(銃密造疑惑)

村井「NC旋盤では銃身自体は作れないと思うんですけども、あの、そのような機械加工の、あの銅が出てきたと、これは僕の鉄工所にもあると思いますし」

村井「ですから、もう…どうもあのー、報道聞いてると、まぁ科学プラントだけあると、言われて今度はその機械工場があるかというと、いやこれはあのー、何ですか、あのー…武器なんだと。これは非常に何っていうか、悪質というか、という訳ですね」

疑惑について

村井「松本サリン事件の、会社員、相当あのー、吊るし上げられましたけども……これは……無かった訳ですよね。私たちもその…まぁ最終的にはなかったんだいうたちで…まぁ、決着が、つくと、いう場合に期待しています」

村井「まぁ最終的にはその…どちらが正しかったかというのが、まぁ歴史が証明することになると思います」


●元オウム信者・宮口浩之氏が見た村井秀夫

村井さんについては、それほどよく知っているわけではない。ただ、彼が刺殺される何日か前に話したことがあり、その時のことはやけに印象に残っている。

わたしが第五サティアンのデザイン部にいた時の話である。その時、サリン事件が起きた後でいろいろ慌ただしかったとはいえ、まだ出版活動も続いており、「ヴァジラヤーナ・サッチャ」のレイアウト作業を行っていた。デザイン部というのはかなり時間が不規則で、その日も午前3~4時になったのにもかかわらず、まだ数人のサマナが部屋に残っていた。と、そこに何の前触れもなく村井氏が入ってきた。

不意のできごとに慌てるわたしたちに、彼はにこやかに「ん?今は何のワークをしてるんだ?」と声をかけた。「ヴァジラヤーナ・サッチャ」のレイアウトをしていること、まだ入稿が始まったばかりでそれほど忙しくないことを説明すると、彼は「ああ、そういえばG師(当時の編集部のリーダー)になにか書いてくれって頼まれたような気がする。なんだったかな……」としばらく考えた後、「ま、どっちにしろ今は忙しくて書いている隙もないな」と言って笑った。そして「じゃあ、がんばれよ」という言葉を残して入ってきたときと同じようにひとりでふらりと出ていってしまった。

今考えると不思議なのだが、あの時はサリン事件が起きた後で、彼をはじめとして何人かの幹部はどこに行くにもマスコミの車が付いてまわるほどで、何の用もなくふらりと他の部署に顔を出したりできるような隙な時期ではなかったはずである。ましてや、彼がデザイン部に顔を見せること等それ以前にはなかったことだ。当時、わたしのような平サマナは地下鉄サリン事件がオウム真理教の犯行だとは知らなかったのだが、村井氏は首謀者だったはずだ。それにしてはあの屈託のない笑顔はいったいなんだったのだろう。

4月21日早朝。



上九一色村に現れた村井は、第4サティアン、第8サティアンを拠点に、静岡県富士宮市の富士山総本部や、武器製造工場のある山梨県富沢町の清流精舎などを回った。

午後4時23分、南青山総本部へ戻った村井は、「逮捕が近いということですが」と報道陣に質問される。終始無言のまま建物内へ入った。

●南青山総本部放尿事件

4月21日午後4時55分、酔っぱらったサラリーマンが缶ビールを手に、南青山総本部へ現れた。
サラリーマンは同本部の正面入口に立ち止まると、その場で放尿しはじめた。
サラリーマンは近くにた警官に見つかり、連行されてしまった。

その後、信者らが入口前を掃除していると、今度はやじうまの一人が大声で罵声を浴びせてきた。
「この野郎!お前らも一味だろ!サリンをまいていないならきちんと説明しろ」

この日の午前には総本部前で、中年男性がオウムを非難したビラをばらまく騒動も起きていた。




●元オウム信者・中井修(当時27)=仮名=が見た村井秀夫

村井に最後に会ったのは刺殺事件の二日前だった。強制捜査以来、いつも厳しい表情だった村井が、その日は何故かにこにこと笑顔を浮かべていた。

「何もないよ」
 村井はそう答えたが、胸騒ぎが走ったことを覚えている。

5カ月前の平成6年10月。第十サティアン三階の大道場で、麻原が「ヴァジラヤーナの時代に入った」と説法した直後、村井が諭すように言った言葉が忘れられない。
「修ちゃん、聞いたか。この教義は素晴らしいよ。ついていけば間違いないんや」


●最期の数日間

4月22日。
その日は日本テレビの番組に出演する予定だったが、カイル・オルソンが出演すると知りキャンセル。村井は一旦東京へ向かい、朝日新聞の取材に対応した。



ー本当にサリンを製造していなかったのですか。

村井「製造していません。第7サティアンの工場自体が、できていなかった。本来、農薬を作ろうとしていたわけですけれども、農薬さえできていない。昨年10月に特殊な金属のタンクを購入したが、そのタンクは新品のままですよ」

ーどのような規模の工場なのか、設計図を見せてほしい

村井「いま図面として出したくない。これは裁判でしっかりやりましょうということです」

ー第7サティアンに隣接し、実験施設といわれるプレハブ小屋はいつ造ったのですか。

村井「今は答えたくない」

ー大量の工業製品が押収されているが、全体でどのくらい購入し、何に使ったのですか。

村井「はっきり分からない。伝票などの資料がいまは残っていない」

ー全体の購入計画は。

村井「省庁ごとに必要なものを、それぞれ購入していた。例えばイソプロピルアルコールは印刷部門で、三塩化リンは第7サティアンで使う。目的が違い、購入時期も違うというものだから、一人で把握しているというものではない」

ーサリン製造の際にできる副生成物が施設の内部から検出されている。サリンを造っていなければ、でてこないのでは。

村井「まず、サリンと関係する物質が見つかったということについて、我々は、外部から噴霧によるものだと考えている。ただ出たという報道だけで、(サリン製造について取りざたされて)我々は困っている」

ー生物化学に関連した薬品がなぜあるのですか。

村井「食料用の酵母を作っていただけです」

ー銃を製造できる工作機械も見つかっていますが。

村井「一般的な工作機械です。ラジオや教団の施設で使うポンプや空気清浄機など、いろんな物がある。いろんなところから、いろんな部品を持って来て、(銃を)作っていたんだとされている」

ー世間と折り合いながらの活動が大切なのでは。

村井「法律の範囲で行うのは大切だとは思うが、感情的なものまで理解してもらえるかどうかは疑問である。不法行為はしてきたつもりはないが、それは捜査の進展ではっきりすることだ」


同日、南青山総本部で会見。共同通信の取材に対応する。

「私たち(オウム信者)には、いわゆる世間の一般常識が通用しないかもしれない」

「酵母に尊師(麻原彰晃)のDNAを混ぜて信者に食べさせていることも研究していた。現世の常識にはないでしょう」(教団儀式「イニシエーションの伝授」について)

「一般常識から言うと、宗教団体が持つ施設としては規模が大き過ぎる」(上九一色村の第7サティアンについて)

「尊師の教えや予言を受け、具体的な日常の実務を受けるのが、各省庁の幹部の仕事。言うなれば私たちは官僚です。(施設建設)などにお金を使うのも修行の一部」

「厚生省に属するので私は詳しくは知らない。化学プラントでもサリンはつくっていない」(サリン製造の疑惑がある「化学班」について)

2時間にわたる会見で、食料から薬品、自動車までを教団で自主生産する構想があったことを明かした。

会見中、村井は終始穏やかな表情だったが「そろそろマスコミや警察に追われない普通の生活がしたい」と語った。

インタビューを終えた村井は、直に上九一色村へ戻った。





4月23日。
午前2時過ぎ、村井は南青山総本部から山梨上九一色村に車で向かい、その晩第8サティアンに宿泊した。早朝時は第8サティアンや事務所がある第1、第2サティアンを行き来した。午後4時、第8サティアンを出た村井は、第2・第3・第5サティアンのある『第1上九』に寄った。
この日、村井の車を警察車両6台とテレビや新聞記者らが乗った20台がマークしていた。


(車内では常に蓮華座を組んでいた。)

午後5時、捜査員の検問を終わらせると、上九一色村をベンツ車で出発し、渋滞の酷い中央高速を避け、御殿場インタから東名高速に乗り換え南青山の総本部へ向かった。公安車2台も後を追った。移動中、マスコミが車道になだれ込み車を取り囲むトラブルが起きた。時間の都合からテレビ朝日の「サンデープロジェクト」の出演は取りやめた。



午後7時、同局の「ザ・スーパーサンデー」にVTRで出演。オウム真理教ので占星学にたずさわる高橋英利と麻原の出版した「日出ずる国、災い近し」の件で電話対談をした。

その中では信者でありながら疑問を抱く高橋を、強い口調でやりこめる場面もあった。「君はマスコミ報道に踊らされている」と語り、すごんでみせるなど、教団をとりまく厳しい状況の中でいらだっていた。



午後8時35分頃、南青山総本部前に村井のベンツ車が停まった。
●傍証



村井とカイル・オルソン氏の討論後、番組は次のコーナーへ移った。
題名は「爆弾証言!元オウム”細菌部隊”幹部に上祐氏が猛反論!!」。

元オウム幹部が匿名でサリン生成を告発するVTRが流れ、その特集を元に上祐と出演者たちが討論をする予定だった。ところが、番組は村井とオルソン氏の討論を続けさせる異例の事態となった。


草野「えーということでVTRの方は元信者の方、が、細菌兵器の開発に携わったことがあるという証言、ご覧頂いたと思うんですが、議論をちょっと戻しまして」木村「そうですね、その前の話ですけどね」



草野「先ほどもそうでしたね、オルソンさんの質問の途中になりました」木村「ハイ」村井「何故~」

草「えーあの第7サティアンの施設がどうして、あの、あのープラント自体を隠すような構造になっているのかと、これは非情に疑問だとおっしゃったのですが村井さん、答えて頂きたいと思います」

村井「はい、あれは隠したんではなくて、あのプラントを破棄しまして、そこに新たに作ったんです。それで最大限の大きさをとるためにあのような形になっています。」



木村「破棄するなら全部壊せばよかった、っていう見方もありますけど」

村井「あのー…まぁ事情があって、あの出来るだけ早く作りたかったものですから」

木村「どういう事情ですか?」草野「ウン」村井「ハイ?」

木村「どういう事情で…」草野「その事情というのは?」

村井「事情っていうのは、あの私たちが、その、あらぬ嫌疑を掛けられていると、いうことで」
草野「ウン」

村井「その…タンクその他運び出す所なかったんです」

草「あ、逆に」上祐「付け加えると」草野「ちょっ、ちょっと待ってください上祐さん、あのー」
上祐「あらぬ!」草野「ちょっと待ってください」上祐「説明をしますと」草野「分かりました、ちょっと待ってください」



上祐「ああいうプラントをですね」草野「えぇ」「運び出すときに大変な作業である点と、それからあのプラン、プラントの保存措置、これは全くしていません。そして配管、その他重要な部品を完全に打ち壊し、そしてDDVP関係の、原料も、大部、除去されていることを考えて頂ければ、完全に破壊され、例えば秘密裏に動かそうとかしてとかないということが、論理的に科学的にお分かりになると思います」

草野「あのーDDVPの製造を試みて」
村井「建物をー壊して」草野「村井さん、ちょっといいですか」

草野「製造を試みたけど途中で断念したと、いうことなんですけれども、もしそうであれば、あらぬ嫌疑をかけられたとしても、そのまま放置してもですね、そのことが疑惑に繋がるということは絶対あり得ないんじゃないかと素人はそういう風に判断するんですが」

村井「いや、それは違います、あの、今のお話ですが、あのーもう溶接されていまして、建物自体を完全に壊さないと、あのー出せない状態だったというのが一つあります。それからもう一つは、既に嫌疑のかかった状態で、あの、私たちに、その、申し開きをできる状態じゃなかった訳です。」

草野「んー」有田「じゃあ申し開きを」木村「あのー逆に、そのまま保存した方が申し開き…」
有田「申し開きをするために、申し開きをするために…村井さん」

村井「で、専門家の方にお伺いしたいことがあるんですが」

草野「ちょっ!ちょっと待ってください」



有田「村井さん、村井さん、村井さん」

草野「村井さんちょっと待ってください」

有田「申し開きをするために、発砲スチロールで慌ててシヴァ神を作った訳ですか」

村井「違います、あれはまるでマスコミがー」江川「オウム真理教が…」

有田「それでマスコミの人とか…」

村井「ハイ?」

有田「マスコミの人とか…オウム真理教を擁護する宗教団体を呼んできて、マスコミ操作をしたのは貴方たちじゃない!」村井「もうあれはプラントとして使っておりませんし」



江川「オウム真理教では、その、仏像とかそういうのは普段から発泡スチロールで作る習慣が」



村井「発泡スチロール!発泡スチロール、というのが非情に、あの言葉が、きっ、なんていうか…僕たちに聞こえるので、訂正して頂きたいんですが、あれはあの、一般的なその…例えばテレビが入っている箱の発泡スチロールではなくって、あの、もう少ししっかりした、あの、どちらかというとあの…スタ…えぇっ…なんて言いますかね、スチレンフォームと言いますか」

草野「ハイ道理は分かりました」

江川「でも普段からそういうもので仏像を作る習慣がある」

村井「えぇ、それはあの…材料にはあの…材料はあれで十分だったと思います。それでないと…」

草野「今のね、村井さんの質問、あの、おっ、おくたい、お答えに対しまして、オルソンさんは納得なさったでしょうか、どうでしょうか?」



オ「まぁ、可能性としては、それが、色んなこと説明するために作られたことは考えられるんですが、これらすべて総合したときに、とても説明し難いんじゃないかと思うんですけど、これだけでは。」


村井「……」

(村井、徳光氏に顔を向ける。)

(すぐにうつむく。)

オ「Murai san」村井「」

オ「村井さんが、以前聞かれたんですけれど、サリンが製造可能な場所が他にあるか聞かれたんですけれども、私はサリンが非常に簡単に作れると思っていますし、使用は大変難しいですし、配送という問題でも非常に問題ありますけれども、あと、その使用そのものを、精義つけるのは無理があると思うんですけでども」上祐、小声でぶつぶつ呟く。

草野「村井さん」

村井「えぇ、あの、ちょっとその、答えに一部入っていたんですが、あのー、専門家の方にお伺いしたかったのは、一体どれくらいの設備があれば、サリンが出来るのか、それで、まぁそれで、例えば日本で私たちの所しか、それが出来ないと、言う場合に主張されているのか、そのへんを聞きたかった訳です」

草野「はい、はい、えぇ」村井「えぇ」

村井「で、どれくらいの…期間だったのかと」

オ「まぁ、その生成、小さな実験室レベルでの生成に関して言えば、大して、非常に難しいと言われるものではないと思います。簡単にそれが製造できるレベルの実験室はあると思います」

村井「どれくらい」

オ「しかし、ごく少数の人々しか、そのような原材料、そのような毒性の高いものを、作ろうとしている人たちはいないと思いますし、メチルホスホン酸ということにしても、たとえイソプロピルにしても、あと、周辺の設備から検出されたこのようなものたちから考えても神経ガスの可能性が極めて高いと思います。農薬ではないと思います」

草野「ということで村井さん、よろしいでしょうか。あのー、もう議論としては当然限界があると思います」

村井「数としては、あのーかなりの数の、既設で作ることが出来るとおっしゃっていました。で、私たちとしては、そういう所に捜査、せずまぁ初めに私たちの、機関で作ったと、予断のもとに捜査されておりますので、まぁ、例えば第3、第4の犯行が防げないと危惧を抱いております」

江川「んで、オルソンさんの」草野「第4の犯行が、防げないのではないか」

村井「要するに真犯人が、私たちのところ、捜査しただけでは捕まりませんから、心配なわけです」
草野「んー」



江川「あの、オルソンさんに一つ質問があるんですけども、これだけの設備があってね、販売ルートもなくて、農地も持ってないのに農薬を作っている工場を今までご覧になったことがありますか?」
上祐「農業の専門家じゃないもん(小声)」



オ「まぁ…そのー、農薬に関して言えば、非常に疑惑が多いと思うんですけども、第1にこれは非常に、自給するには非常に奇妙なものだと思いますし、非常に…あんまり一般的ではない、選択肢だと思います。あと、設備としても非常に密なものですし、壁の中とか間とかにありますし、それぞれの事柄がすべての事実というのが、化学薬品が市販向けに作られているとかそういうことは異様と言えば言えるかもしれませんけれども、しかし、非常に懐疑的にならざるを得ないと思いますし、これらのすべて、情報を統合したときに、どうも詳しいような気がします」



草野「あの、まぁオルソンさんに納得できない」
村井「あっ、オルソンさん、是非あのー」草野「ちょっと待ってください」

村井「私たちの所に見に来て頂きたいと」
木村「えぇ、そうですね!はい」

草野「それでこれはあのー、まだ捜査中ですので現在見られませんが、捜査が終わった段階でオルソンさんに、中に入って頂いて、細かくチェックをして頂くと、村井さん約束できますか?」

村井「それはあの、是非やって頂きたいと思います」

常石「ちょっと一つ…」村井「他にも色んな工場がありますので、是非見て頂きたいと」



常石「あのー、村井さんね」

常石「さっき村井さんがおっしゃったですね、まぁ言って見れば大学の研究室やなんかでどこでも出来るからどこにでもサリンがあっておかしくないと、言われたのはその通りだと思う。ただしね、あのこの前その他のテレビ局の後で村井さんとお話したときに、あのー言い忘れたん、で、今村井さん自身はオウムでのそのー信仰とオウムの科学での仕事、それがすべて自分の人生にとって非常に有意義であると、言うようにおっしゃったね?

村井「あーはい」

常石「んー、で、ところがね、僕なんかが見て違うなと思うのは、普通の科学者というのは論文を発表するするのがすごく大事なのね。で、そういう人たちがですね、サリンなどを作ってしまうとね、それは論文が発表できない、周りが死者がバタバタ出てきてしまう。ですからそういう意味では普通のサリンが出来るような大学の施設は、あるいは通常の製品を売る会社なんかですね、サリンを作る危険性というのは非常に少ない、で、一方村井さんたちが確かに科学のサイエンスの能力があってもね、そういうその研究を公表されていない」


村井「してますよ?」

常石「うん、じゃあ論文出てますか?」

村井「その自社の出版物で、かなりやっていますし…」
(同時に村井、上祐、草野、常石、の声がかぶる)

常石「そのへんももう少し」上祐「だからあのー要するに研究レポートを」
常石「上祐さん!上祐さん!手に、私が発言中ですよ」

上祐「出しているか出していないかサリンを作るか作らないか判断基準があるかおかしいじゃないですか」
常石「上祐さん、アッハハハ(苦笑)」


有田「上祐さんまた始めんなよ」草野「上祐さんちょっと待ってください」

上祐「揚げ足だと思いますねぇ」常石「違う!だからね、公表というのはすごく重要なのね」「それは揚げ足といいます」「そこが不十分だから疑惑を招くというのは僕はあると思いますよ?」
草野「えぇ、これは素朴な質問だと」上祐「私は…」



討論が過熱する中、村井は終始無言だった。その横のオルソン氏は通訳に耳を傾け続けていた。ここでCMが始まり、オルソン氏の出演は終わった。


●教団緊急幹部会

村井は4月7日のテレビ朝日の番組で、昨年7月に起きた教団周辺施設の異臭事件の原因は「農薬製造」の際に起きた失敗と発言。それまで教団が主張していた「毒ガス攻撃を受けていた」という説を覆してしまった。

更に早川が、サリン事件に使われたビニール袋が警察に押収されたという情報を掴んだ。

そして今回、村井は自ら設計した第7サティアンの科学プラントに毒ガス製造装置に使われる特殊金属ハステロイを使っていることを明かし、教団のサリン製造疑惑に決定的な傍証を与える発言をしてしまった。

こうした「村井発言」を受け、4月18日、教団緊急幹部会が開かれた。

その席上で、早川紀代秀は麻原、幹部らの目前で村井を殴りつけた、と上祐は証言している。

早川は村井がビニール袋を処分し忘れたのではと疑い、激しく問詰めた。

村井「片付けたはずだ、片付けるよう部下に指示したはずだ」

早川「絶対に嘘をつくなよ!!!」

教団No.2で正大師である村井に、ワークステージ下の正悟師に過ぎない早川が暴力を振るうことは、ふつうなら考えられない。だが、村井は殴られるままだった、と上祐は主張している。

「村井がしゃべってしまう」。

その危機感を幹部の誰もがいだいた。

日本テレビは4月22日に再び村井とカイル・オルソンを討論させようと企画したものの、村井は「オルソン氏と一緒なら出ない」と断った。