第二章:南青山総本部道場ってどんなところ?・村井、最期の数日間 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)



●南青山東京総本部道場

2015年6月。オウム事件の”シンボル”の解体工事が終わろうとしていた。

東京都港区南青山7-5-12、表参道駅から徒歩15分。231平方メートル(70坪)、全面ガラス張りで地上5階、地下1階。

南青山東京総本部道場(マハーポーシャビル)は1992年9月に開設された。
当時オウム関連企業だった「オカムラ鉄工」の名前で、保証金2億2000万円、家賃250万円で入居した。ところが、いつの間にかオウム真理教の看板がビルに掲示され、教団の拠点となった。



内部に一歩足を踏み入れると、瀟洒なビルの外観からは想像できないほど雑然している。
地下1階の喫茶店『アンタカラ』にはグランドピアノやソファがあり、談話室のような内部となっている。信者が本を読んだり、音楽を聴いたりするほか、上祐がインタビューを受けるときにも使われた。



喫茶店の脇にはキッチンがある。ポリタンクの中に入っているのは上九一色村から運んできた水。甘露水ではなく、料理のときに使うという。キッチンの棚には乾燥昆布やホットケーキの素、乾燥めんなどがある。

キッチンはゴキブリが頻繁に出没する。信者達はゴキブリが壁を這っていようが、足下を走ろうが知らん顔である。

「ここのゴキブリは人懐っこくて、私たちの手を噛むことがあるんです。教義で殺生を禁じられていることを、知ってるんですよ」(30代の女性出家信者)



”調理班”の女性によると、食事はやっぱり菜食中心で、肉、魚抜きの1日2食とのこと。ここで作られる”オウム食”は「きちんとカロリー計算されている」らしい。そしてキッチンには”マイトレーヤ正大師専用”とメモ書きされた皿が、サランラップに包んで置いてある。中には小麦粉を使ったお好み焼き風のものが2枚。これだけだと栄養面上、不足しているということで、のりや卵も食べるとか。さらに、ドアには「マイトレーヤ正大師 ただいま休んでいます」の張り紙も。

さて1階はパソコンショップの『マハーポーシャ』。2階は外報部と法務部のオフィス。この本部では20~30の信者が”ワーク”(仕事)している。信者数人が新聞を切り抜き、その傍らで教団あての手紙を仕分けする。多い日には約50通が届くが、(教団によれば)8割が支援の手紙で、残りが脅迫状だという。



3階は修行道場兼記者会見場。エレベーターを3階で降りたすぐの所に、まず大きい空気清浄機が目に飛び込んでくる。『コスモクリーナー』だ。ドラム缶から伸びたパイプは何とも異様である。そばには書籍販売やビデオレンタルコーナーもある。



「修行に騒動の影響はありませんよ。通常、睡眠時間は3時間、よく寝るときで5時間ぐらい。慣れれば平気です」とある信者。この騒ぎの中で、ますます教団の発行する本が売れているのだという。



3階の記者会見場の広報には信者向けにビデオや本を貸し出したり、一般客に本の販売をする受付もある。



4階には上祐外報部長をはじめ青山弁護士、村井秀夫など各3畳ほどの個室がある。以前は麻原の休憩室として利用していた。

オウム真理教のサリン疑惑が報じられると、この建物に連日大勢の見物人が押し駆けるようになった。

95年5月22日午後4時ごろ、プロ野球・野村克也元監督の妻、野村沙知代夫人が岡林投手と一緒に南青山総本部前へ現れる騒ぎがあった。本部の隣にある、蜂針治療経営者が野村夫人の友人なのだという。

「お友達をちょっと訪問しただけですよ。友人が岡林のファンなんですよ」と笑顔で事情を説明していた。

同ビルの所有の不動産業者(大阪)は「売りたくても売れない」と悲鳴を上げている。
バブル期なら43億円の値をいけたが、95年には6億円でも売れないという状況。しかも、銀行による抵当権設定など約36億円の不良債権が、登記簿に記載されている。

不動産業者「バブル崩壊とオウムのダブルパンチですわ」(報知新聞・5月2日号より抜粋)

95年4月以降、村井はこの『南青山東京総本部』を拠点に取材を受け、麻原の指示を聞くために上九一色村と東京を往復しながら教団の潔白を主張し、オウムのために奔走した。しかし、当然のことながら捜査の矛先をかわすことができなかった。

日々悪化する教団の状況と、失態を繰り返す自分に村井は苛立ちを感じていた。自動小銃密造疑惑を聞かれて思わずAK-47をロシア語読みで「アーカー」と答えてしまった。出口のない迷宮をぐるぐる徘徊するような日々ばかり続き、さすがの村井も屈託のない笑顔で取り繕うのは限界だった。総本部から外へ出ると、マスメディアに混じって野次馬たちが怒涛のごとく押し寄せた。



女性「上祐サーン、ガンバッテ~♡」
野次馬「村井サ~ン」「ぎゃははははは」

上祐ギャルの黄色い叫び声が聞こえる。俗世に汚れた若者たちが村井をからかい、ちょっかいを出してきた。あざけりと嘲笑の渦に村井は飲み込まれた。

群衆に押しつぶされて続け、村井は前のめりに姿勢を崩した。
村井「ちょっと押さないで…大変だな、これ」





そんな光景を、ある男がテレビ画面から眺めていた。堅気とはいえない風貌だった。
男は道に転がった排泄物を眺めるような目で、ブラウン管越しの村井に視線を向けていた。

「この状況なら簡単にやれるだろう。村井には消えてもらう」「ポアもやむなし」

男はテレビのスイッチを切ると、手下を呼んで指示を出した。


4月2日、上祐がテレビ番組で「”オウム真理教がサリン事件の犯人である”というビラをまいたのは創価学会の会員」と発言。仮谷さん拉致事件、警察長官狙撃事件に学会の関与をにおわす発言をして放送したフジ、テレビ朝日に700件の抗議電話が殺到。

4月6日、捜査員や土建業者が第7サティアンにあったシバ神の発泡スチロール像を解体。

4月8、9日上九一色村第7サティアン前に右翼の街宣車が出没。
街宣車は大音量でお経を流し、「宗教法人の名の下に、殺人鬼と化したお前らを許さない」「オウムは上九一色村から出て行け」と繰り返した。
最後に住民に対して「お騒がせしました」と言って帰っていった。住民によればオウムが入植する前は来なかったといい、入植後は数年前に一度だけだったという。

「どうやって厳しい検問所を突破してきたんだろう」と不思議がっていた。



●4月13日

フジテレビ「おはよう!ナイスデイ」の生島ヒロシのインタビューに応対する。

ー空中浮揚、村井さんはできますか

村井「まだ完全にはできないが、時々浮かびそうになる」

ー落ちたとき、おしりは痛くない?

村井「完全に上がれば全然痛くないという話ですけど…」

《ここで取ってつけたように「それについては、測定装置を作って、測定しようとしているんです…。精密な体重計のようなもので」と”自分の世界”に話を戻す》

ーどういう人が上がれるのですか?

「修行ステージと関係があります。修行して、はじめはパンパンとジャンプする期間があり、その後にフワッと浮かぶということになります」

ー(村井さんは)まだ?

「ぜひ、修行を進めて上がるようにしたいですね」

ーちょっとやってみてくださいよ

《笑みを絶やさずに淡々と生島氏の質問に答えていた村井がここで苦笑い》

「いや、それはできない…。めい想によってできるものですから…」

このインタビューでは、村井は年間数十億円の予算を独断で決められることも明かしており、教団内における村井の発言力の高さをうかがわせた。





同日、村井は共同通信との単独インタビューに応じ、サリン生成疑惑について次のように答えた。
ーあなたはオウム真理教の科学技術者のトップといわれているが、何をするところで、メンバーはどのぐらいいるのか。科学技術班はあるのか。

「世界中の全産業を自前で再構築しようと考えている。メンバーは二百数十人で、指導的研究者は二、三割。化学班はなく、それに準じたものは『厚生省』にあり、第7サティアン横のプレハブが拠点」

ー第7サティアンでサリン製造は行われていたか。

「第7サティアンではDDVPといわれる農薬をつくろうとしていた。一月に新聞報道で悪臭騒ぎを報じられたため、途中で断念。一月の半ばから製造プラントを祭壇につくり替えた。もともとサリンなどが製造できる施設ではないことは中を見てもらえば分かる。平成五年末に大量購入した三塩化リンは農薬の材料だった」

ー三塩化リンは長期保存が難しいのに、なぜ一時期に購入したのか。

「無知といわれれば仕方ないが、保存の難しさを理解していなかった。大量購入は、買えるときに買っておかないと、警察の横やりが入り入手が難しくなるからだ」

ープラントの設計図を公開してもらえれば主張も理解しやすいが。

「裁判ですべて明らかにしたい。今公開すると私たちが不利になる」

ー押収された薬品でサリンは生成できると思うが。

「第7サティアンから押収されたものと、隣の食品とか水の分析・研究をするプレハブ(厚生省)カから出た薬品を混同してとらえられている。それぞれ別の目的で保有していたものだ。もちろん農薬プランとでも研究室でも、サリンはできないし、つくったことはない」

ードラフトチャンバー(強制排気装置付き実験装置)はあるのか。

「プレハブの研究室に簡単なものはある。危険な化学反応は想定せず、廃棄を浄化する装置はついていない。第7サティアン壁面のパイプ群は既に破棄されたコスモクリーナー(空気清浄機)だ」

ー山梨県富沢市の清流精舎で銃をつくったか。

「プラスチック製品をつくる際の金属製の型などをつくっていた。精密な銃の部品をつくるほどの施設ではないことは見てもらえれば分かる」


●4月16日



テレビ朝日「サンデープロジェクト」に上祐と出演。
番組には司会の田原総一郎、有田ヨシフ、二木啓徹氏、東京農工大学の宮本轍らが登場。
上祐は仮谷さん拉致事件で特別手配されていた松本剛と、既に逮捕されていた林郁夫の接点について討論を行い、またサリン製造疑惑について反論をした。

宮本教授「サリンがこの物質に変化することは考えられず、メチルホス酸ジクロリドが検出されたののなら、そこでサリンが製造された可能性は極めて高い」

村井「亜リン酸トリメチルと別の工程で発生させている塩素が反応したのではないか。ジクロリドがどこでどういう形で検出されたのか、私も知りたい」

上祐「机上の論と実際にプラントで作っていたものでは、全然違いますからね」

宮本教授は上祐の反論に苦笑した。


●4月19日のテレビ取材



なぜ、オウム真理教に?

「一つは、その、尊師の思想のあるところと、その…まぁ、科学…文明プラス、その仏教思想、これに共鳴する、ということですね。まぁ結論を言うと、まぁ『前世からの縁』です」

”クシティガルバ棟”の疑惑について

「まぁあそこでは作れないです。危な過ぎて。はい。あのー、普通のプレハブで、まぁあのー……どういうんでしょうか…防護設備が全くないところですので。あそこで作ったとしたら、まぁ……付近住民、私たちも含めて、かなり被害を受けると思います」

サリン生成過程で出来る薬品が検出された事について

「多分微量だと思うんですがもし出たとしたら、それは何か、あのー…”副反応”といいますか、私たちの目的としない、あの…偶然にできたものだと思います。それだけではサリンを作った証明にならないと」

NC旋盤の疑惑について(銃密造疑惑)

村井「NC旋盤では銃身自体は作れないと思うんですけども、あの、そのような機械加工の、あの銅が出てきたと、これは僕の鉄工所にもあると思いますし」

村井「ですから、もう…どうもあのー、報道聞いてると、まぁ科学プラントだけあると、言われて今度はその機械工場があるかというと、いやこれはあのー、何ですか、あのー…武器なんだと。これは非常に何っていうか、悪質というか、という訳ですね」

疑惑について

村井「松本サリン事件の、会社員、相当あのー、吊るし上げられましたけども……これは……無かった訳ですよね。私たちもその…まぁ最終的にはなかったんだいうたちで…まぁ、決着が、つくと、いう場合に期待しています」

村井「まぁ最終的にはその…どちらが正しかったかというのが、まぁ歴史が証明することになると思います」


●元オウム信者・宮口浩之氏が見た村井秀夫

村井さんについては、それほどよく知っているわけではない。ただ、彼が刺殺される何日か前に話したことがあり、その時のことはやけに印象に残っている。

わたしが第五サティアンのデザイン部にいた時の話である。その時、サリン事件が起きた後でいろいろ慌ただしかったとはいえ、まだ出版活動も続いており、「ヴァジラヤーナ・サッチャ」のレイアウト作業を行っていた。デザイン部というのはかなり時間が不規則で、その日も午前3~4時になったのにもかかわらず、まだ数人のサマナが部屋に残っていた。と、そこに何の前触れもなく村井氏が入ってきた。

不意のできごとに慌てるわたしたちに、彼はにこやかに「ん?今は何のワークをしてるんだ?」と声をかけた。「ヴァジラヤーナ・サッチャ」のレイアウトをしていること、まだ入稿が始まったばかりでそれほど忙しくないことを説明すると、彼は「ああ、そういえばG師(当時の編集部のリーダー)になにか書いてくれって頼まれたような気がする。なんだったかな……」としばらく考えた後、「ま、どっちにしろ今は忙しくて書いている隙もないな」と言って笑った。そして「じゃあ、がんばれよ」という言葉を残して入ってきたときと同じようにひとりでふらりと出ていってしまった。

今考えると不思議なのだが、あの時はサリン事件が起きた後で、彼をはじめとして何人かの幹部はどこに行くにもマスコミの車が付いてまわるほどで、何の用もなくふらりと他の部署に顔を出したりできるような隙な時期ではなかったはずである。ましてや、彼がデザイン部に顔を見せること等それ以前にはなかったことだ。当時、わたしのような平サマナは地下鉄サリン事件がオウム真理教の犯行だとは知らなかったのだが、村井氏は首謀者だったはずだ。それにしてはあの屈託のない笑顔はいったいなんだったのだろう。

4月21日早朝。



上九一色村に現れた村井は、第4サティアン、第8サティアンを拠点に、静岡県富士宮市の富士山総本部や、武器製造工場のある山梨県富沢町の清流精舎などを回った。

午後4時23分、南青山総本部へ戻った村井は、「逮捕が近いということですが」と報道陣に質問される。終始無言のまま建物内へ入った。

●南青山総本部放尿事件

4月21日午後4時55分、酔っぱらったサラリーマンが缶ビールを手に、南青山総本部へ現れた。
サラリーマンは同本部の正面入口に立ち止まると、その場で放尿しはじめた。
サラリーマンは近くにた警官に見つかり、連行されてしまった。

その後、信者らが入口前を掃除していると、今度はやじうまの一人が大声で罵声を浴びせてきた。
「この野郎!お前らも一味だろ!サリンをまいていないならきちんと説明しろ」

この日の午前には総本部前で、中年男性がオウムを非難したビラをばらまく騒動も起きていた。




●元オウム信者・中井修(当時27)=仮名=が見た村井秀夫

村井に最後に会ったのは刺殺事件の二日前だった。強制捜査以来、いつも厳しい表情だった村井が、その日は何故かにこにこと笑顔を浮かべていた。

「何もないよ」
 村井はそう答えたが、胸騒ぎが走ったことを覚えている。

5カ月前の平成6年10月。第十サティアン三階の大道場で、麻原が「ヴァジラヤーナの時代に入った」と説法した直後、村井が諭すように言った言葉が忘れられない。
「修ちゃん、聞いたか。この教義は素晴らしいよ。ついていけば間違いないんや」


●最期の数日間

4月22日。
その日は日本テレビの番組に出演する予定だったが、カイル・オルソンが出演すると知りキャンセル。村井は一旦東京へ向かい、朝日新聞の取材に対応した。



ー本当にサリンを製造していなかったのですか。

村井「製造していません。第7サティアンの工場自体が、できていなかった。本来、農薬を作ろうとしていたわけですけれども、農薬さえできていない。昨年10月に特殊な金属のタンクを購入したが、そのタンクは新品のままですよ」

ーどのような規模の工場なのか、設計図を見せてほしい

村井「いま図面として出したくない。これは裁判でしっかりやりましょうということです」

ー第7サティアンに隣接し、実験施設といわれるプレハブ小屋はいつ造ったのですか。

村井「今は答えたくない」

ー大量の工業製品が押収されているが、全体でどのくらい購入し、何に使ったのですか。

村井「はっきり分からない。伝票などの資料がいまは残っていない」

ー全体の購入計画は。

村井「省庁ごとに必要なものを、それぞれ購入していた。例えばイソプロピルアルコールは印刷部門で、三塩化リンは第7サティアンで使う。目的が違い、購入時期も違うというものだから、一人で把握しているというものではない」

ーサリン製造の際にできる副生成物が施設の内部から検出されている。サリンを造っていなければ、でてこないのでは。

村井「まず、サリンと関係する物質が見つかったということについて、我々は、外部から噴霧によるものだと考えている。ただ出たという報道だけで、(サリン製造について取りざたされて)我々は困っている」

ー生物化学に関連した薬品がなぜあるのですか。

村井「食料用の酵母を作っていただけです」

ー銃を製造できる工作機械も見つかっていますが。

村井「一般的な工作機械です。ラジオや教団の施設で使うポンプや空気清浄機など、いろんな物がある。いろんなところから、いろんな部品を持って来て、(銃を)作っていたんだとされている」

ー世間と折り合いながらの活動が大切なのでは。

村井「法律の範囲で行うのは大切だとは思うが、感情的なものまで理解してもらえるかどうかは疑問である。不法行為はしてきたつもりはないが、それは捜査の進展ではっきりすることだ」


同日、南青山総本部で会見。共同通信の取材に対応する。

「私たち(オウム信者)には、いわゆる世間の一般常識が通用しないかもしれない」

「酵母に尊師(麻原彰晃)のDNAを混ぜて信者に食べさせていることも研究していた。現世の常識にはないでしょう」(教団儀式「イニシエーションの伝授」について)

「一般常識から言うと、宗教団体が持つ施設としては規模が大き過ぎる」(上九一色村の第7サティアンについて)

「尊師の教えや予言を受け、具体的な日常の実務を受けるのが、各省庁の幹部の仕事。言うなれば私たちは官僚です。(施設建設)などにお金を使うのも修行の一部」

「厚生省に属するので私は詳しくは知らない。化学プラントでもサリンはつくっていない」(サリン製造の疑惑がある「化学班」について)

2時間にわたる会見で、食料から薬品、自動車までを教団で自主生産する構想があったことを明かした。

会見中、村井は終始穏やかな表情だったが「そろそろマスコミや警察に追われない普通の生活がしたい」と語った。

インタビューを終えた村井は、直に上九一色村へ戻った。





4月23日。
午前2時過ぎ、村井は南青山総本部から山梨上九一色村に車で向かい、その晩第8サティアンに宿泊した。早朝時は第8サティアンや事務所がある第1、第2サティアンを行き来した。午後4時、第8サティアンを出た村井は、第2・第3・第5サティアンのある『第1上九』に寄った。
この日、村井の車を警察車両6台とテレビや新聞記者らが乗った20台がマークしていた。


(車内では常に蓮華座を組んでいた。)

午後5時、捜査員の検問を終わらせると、上九一色村をベンツ車で出発し、渋滞の酷い中央高速を避け、御殿場インタから東名高速に乗り換え南青山の総本部へ向かった。公安車2台も後を追った。移動中、マスコミが車道になだれ込み車を取り囲むトラブルが起きた。時間の都合からテレビ朝日の「サンデープロジェクト」の出演は取りやめた。



午後7時、同局の「ザ・スーパーサンデー」にVTRで出演。オウム真理教ので占星学にたずさわる高橋英利と麻原の出版した「日出ずる国、災い近し」の件で電話対談をした。

その中では信者でありながら疑問を抱く高橋を、強い口調でやりこめる場面もあった。「君はマスコミ報道に踊らされている」と語り、すごんでみせるなど、教団をとりまく厳しい状況の中でいらだっていた。



午後8時35分頃、南青山総本部前に村井のベンツ車が停まった。