☆ 占い師・画家…人間のようなもの ☆ -7ページ目

☆ 占い師・画家…人間のようなもの ☆

画家・伝説の魔術師☆ 相馬 英樹 の愉快な毎日♪

これは一匹の魔術師の話である。

 

2016年、スピリチュアル界の崩壊は留まるところを知らず、生命の樹は音を立てて崩れ落ちようとしている。


魔術師(占い師)の霊感は弱体化し、占い協会のヒエラルキーは崩壊。


心のやり取りをするセラピーセッションも、ついに弱肉強食の時代に突入した。


かつて異端だった占い師は、初期投資の安さから成り手が激増、利潤にばかり気を取られ、相談者の足元を見る占い師も少なくない。

そんな中、危機的なイベント会場の穴埋めに、全く新しいタイプの占い師が登場した。

 

占い師のメニューには、霊的秘術・気学的なものと、ある数式や相などによって相談者を分類し、そのサイクルに当て嵌めて相談内容に答えて行くものの2種類がある。


話は飛んで、かつて殆どの占い師が、先輩占い師によって支配されていたが、

 

協会やサロンに属さないフリーランス、
すなわち、一匹狼の占い師が現れたのである。


例えばこの男…


群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、生まれつきの霊的感性と、研ぎ澄まされたピカピカの魂、叩き上げのスキルだけが彼の武器だ。


伝説の魔術師・相馬英樹、

 

またの名を「ミスター英ちゃん」

 

 

 

こんな感じです。

 

これからもよろしく!

 

ニュートラルとは…力が掛からない状態を指します。

 

陰にも陽にも力が掛からない状態。

 

即ち、陰で在り、陽でさえある段階を指す。

 

私やあなたの『自分』は、誰が何を言おうと社会がどうであろうと、決して揺らぐこのない純粋な自分と、誰かが何かを言えば揺らいでしまう自分とで、出来ています。

 

 

『こんな世の中だから…』

 

『子供がいるから…』

 

『お金がないから…』

 

まずはじめに、今のあなたを取り巻く、あらゆる環境で在ったり、状況である、如何なる現象に於いても…

 

あなたの存在のすべては、

 

私のせいではなく、

 

あなたを生んだ親のせいでも…

あたが生まれた世界のせいでも…

あなたが受けた教育のせいでも…

あなたの生まれた国の文化や風習のせいでも…

あなたが愛したり憎んだりした人のせいでも…

あなたが自ら好んで主催したり参加したりしているエンターテイメントのせいでも…

 

ましてや、短い様で長い人生の中で、あなたがほんの少しの間すれ違うだけの流行や、社会風潮などといった、どうでもよい過去になるだけの現象のせいでなど…ないのです。

 

今、あなたが感情を動かすことで精いっぱいなら…今はそういう段階なのでしょう。

 

今、あなたが幸せを感じることで精いっぱいなら…今はそういう段階なのでしょう。

 

今、あなたが読んでいる文章について、何も感じることが出来ないなら、私はこの文章を通して、今のあなたの力にはなれない。という事なのです。

 

それが現段階での、私と、そしてあなたのニュートラルなのですから。

 

あなたは、どんな段階を生きていますか?

 

私はいつでも時間が出来たら海へ行って魚を釣ってくるので、あなたはあなたの人生をヨロシク♪

 

そんなわけで今もGO!!!きげんよう!

 

 

今日AM11:00~ PM9:00は、 士別ヒルサイドボックスさんの十周年記念イベントにTHOTH タロットで出店します。

11時からだというのに、なんと8時半に着いてしまい、近くのコンビニで途方に暮れています。

何はともあれ、皆さま方にとって有意義で幸せな一日でありますように。



こんにちは。

今日はsakuraアート部さんで点描画講座のあと、軽食喫茶sakura で友人とランチを食べながらノンビリお喋りして来ました。

明日は士別市で最も有名なレストラン『ヒルサイドボックス』で開催される『ナチュラルマルシェ』というイベントにて、THOTH タロットと過去世&未来リーディング&クリアランスで出店します。



今日はあいにくの空模様でしたが明日は快復しますので、会いに来てくれると嬉しいです。

また、本日14日(火)夜20~22時に、ラジオでのDJ龍太 氏による当イベントについてのご案内があるという事ですので、お時間のある方は聴いてみてください。
旭川76.4
札幌80.4
ここ最近の僕の家に来たことがある人は、こういう光景を見たことがあると思いますが、自分大好き自意識過剰な私であるが故、同時にこの障子の向こうに繰り広げられる光景に聊か興味をそそられるのではないだろうかと勝手に空想してしまうのです。

障子の向こうは趣味の部屋兼寝室で、このようになっております。

つまり私の趣味は昨年の7月から『釣り』ということに決定いたしまして、今ではこのように自作の釣り竿を作ったり

100円ショップダイソーのメタルジグをカスタムしたりして優雅な釣りライフを堪能しているわけでございます。


一昨日は自作のヘチ釣り(堤防や岸壁のきわスレスレに仕掛けを落とし込む釣法)&ルアー兼用ロッドと、ヘチ釣り用に考案したタックルを持って石狩湾新港樽川埠頭で釣りをして来ました。


お土産には25センチのアブラコ(アイナメ)が釣れたほか、巨大ウグイとヒトデが3枚も釣れてしまいました。

ウグイは樽川埠頭の守り神であるキタキツネにお供えし、ヒトデは彼らの故郷である海に帰しました。

他にも数組の釣り人が居ましたが、僕以外には右隣に居たシャコ釣りのカップルがシャコ一匹とハゼ一匹、左隣に来た50歳代の釣りガールがクロガシラを一枚釣りあげた他に釣果は無かったようです。

昼頃、遠投名人のカスミ夫妻が偶然現れ、アブラコの血抜きの仕方を伝授して頂いた上、自作の魚籠と高価なエギ(イカ釣り用の疑似餌)を数点くれました。

そして今日は、一昨日右隣のカップルが釣り上げたシャコのことを思い出して急にシャコが食べたくなり、妻と石狩湾東埠頭にある朝市へシャコを買いに行ってきました。

シャコ5匹¥400を購入して2匹オマケしてもらい合計7匹購入したほか、40センチ程のヒラメ3枚¥1000のところを1枚¥300に負けて貰い2枚購入しました。

帰宅してヒラメを5枚におろして刺身をつくり、シャコを漉きながら軽く真昼の宴をしました。


ところで本題ですが、明日は苫小牧駅直通のココトマで開催される『わくわくビューティーフェスタ』にTHOTHタロットで出店します。

このブログを見てしまった人が遊びに来てくれると非常に嬉しいです。


ぜひ遊びに来てください。

ちなみにイベント終了後は、苫小牧西港或いは東港のいずれかで釣りでもしようかと企んでいます。
私は札幌市民である。

そして誰よりも札幌を愛していると自負している。


好きです、札幌!


しかし最近、札幌市内で一日を過ごす日が少ないということに今日になって気付いた。

フェイスブックのウォールに投稿した記事も、悉く市外からのものばかりだ。

この一週間を振り返ると

4月23日(曇り)
札幌→小樽2往復 釣り・ちえりあ講座研修

4月24日(晴れ)
札幌→帯広 イベント出店

4月25日(晴れ)
帯広→札幌 帰省・絵画作成

4月26日(曇り)
札幌市内講座出張

4月27日(晴れ)
札幌→石狩湾新港 釣り

4月28日(晴れ・雨)
札幌→士別往復+札幌市内講座出張

4月29日(雨)
札幌市内野暮用+妻の小樽出張

そんなわけで、市内で野暮用や買い物に出かけたりする距離を合計すると、ここ一週間の自家用車の稼動距離数は2千キロを軽く超えてしまった。

プリウスの過去一週間の燃料平均使用量表示灯の数値は20km/ℓなので、使用したガソリンは、100リッターということになる。

つまり、この一週間で僕と同じ位移動した人が全世界に一億人居るとすると、全世界の一週間のガソリン使用量が100億リッターということになる。

一年に換算すると52週間+1日あるので、5千200億と14リッター強のガソリンが必要と言うことになる。


但しこれは全ての車の平均燃費が20km/ℓだった場合の数値なので、


明日もまた曇天の下、小樽に行く予定があるし、明後日も苫小牧に行くかもしれないのだ。

9日には再び帯広での仕事が入っているし、釧路や函館方面に行く予定もある。

実際には毎週毎週このように移動する訳ではないのだろうが、ここ一週間の走行距離を単純計算すると一ヶ月で1万キロ弱、一年で10万キロ以上を走らせることになる。

トラック運転手で一日中移動していた頃でさえ、2千キロ走らない週はザラにあった。

こういう生活は、正直言って少しく疲れるが、それ以上にめっちゃ楽しい♪

我ながら、キャラクターに似合わずタフなものである。


夜毎宴会ばかり開いていた数年前とはまるで異なる、エレガントでアクティブな毎日である。


地方でのお仕事、大歓迎である。


5月の予定を今確認してみたところ結構空いているので、絵画作成やデザインのオーダー、タロット講座・点描講座・絵画教室など、私に出来そうなことがあれば気軽に連絡して欲しい。


続々と各方面から、これまで受けたことがない面白そうなご相談も頂いているので、予定が埋まってしまう前に連絡頂けると非常に有り難い。


最近、アクリル画を描き始めた。


下の写真の作品がこのサイズでは初仕事で、詞人くまさんとの共同作品である。
IMG_20160430_001113086.jpg
士別市にあるレストラン『ヒルサイドボックス』さんの予約席にあるので、見たい方は食事しに行って欲しい。



ついでといっては何だが、アクリル画など絵画の注文販売も常時承っている。

ジャンルは日本画・洋画・抽象画・幾何学模様・景色・人物・動植物は勿論、名画のカヴァーやパロディーなど、写真や実景をもとにデッサンして描くことも想像や創造で描くことも出来るので、描けない絵はないと考えて欲しい。


大きさにも限定はなく、足場や外壁用塗料と保険さえ用意して頂ければ、ビルの壁面に描くことも可能である。

畳一畳分の面積につき納期は他の予定がなければ3日から一週間、価格は未だ無名なので同条件だと3万円~5万円(点描画は×10倍)の枠内+額装代金である。


ある物ない物、どんなものでも描けるので、特に難しそうな注文を楽しみに待っている。



そんなわけで、ごきげんよう。
2年前に父が他界して、実家の物置の中から大量の釣具が出てきた。

釣具を眺めていると…

父親が健在だった頃、たまに釣りに連れて行かれたことがあったが、釣りたくないのに何故か釣れてしまう魚を触った際、手に付いた匂いが取れず気分を害した思い出…

釣り針が指を貫通して流血した思い出…

などなど、時間軸を逆回転させると、楽しくなかった思い出ばかりが蘇るのだ。

成人して色々な社会経験を積み重ねるうちに気まぐれで能天気な性格となった僕は…

昨年の6月になって突然何を思ったか、実家の物置にあったものの中から渓流竿と仕掛け一式を積み込んで支笏湖でカヌーツーリングに出かけたのである。

餌も持たずに出かけたのだが、たまたまウグイの産卵期に出くわした為、ウグイの産卵場所に群がる大量の魚影に揉まれて弱って浮いてきた小さな魚を餌にウグイを釣り上げ、釣り上げたウグイを細切れにしたものを餌に大量のアメマスを釣り上げ、そのアメマスを塩焼きにしてみたらなかなか美味かったことを機に、僕はちょっと真面目に釣りをやり始めようと決心した。

父の遺していった釣具は、どれも20年から40年前のものであるため相当古く、川釣り海釣り船釣りと、全てのジャンルに於いて、かなりの品数である。

なので僕は古い釣具しか使ったことがない。

幾ら道具が古いからといって魚が釣れないこともなく、比較対象となる現代の釣具を使用したことがない為、不便を感じることもないままに、現在に至る。

更に古い道具には、現代のものにはないシンプルな機能美、そしてその道具が経てきた年月を感じさせる傷や汚れによる使用感が醸し出す独特のオーラがある。



デカくて重い、オリムピックの『レッツゴー550』

この鉄人28号の如くプレーンでレトロな重厚感のあるシルエットに加え…

一切の工夫や文学的センスを感じさせない、ストレートかつ意味不明なネーミング。

このリールはダイワ製4.5メートルのグラスロッドとの組み合わせで40センチオーバーのカワガレイをはじめ尺物を数枚釣り上げた実績を持つ。



ストレートかつ意味不明なネーミングといえば、『レッツゴー550』に比べると格段とサイズダウンして軽くなってしまうが、ダイワのオールド『パンチ1000』も負けては居ない。

このリールでは石狩湾新港東埠頭で数十匹に及ぶ小型の黒ソイを巻き上げたが、20センチに満たない小魚でも、重くてなかなか回らないシブいリールであり、結構気に入っている。



魚の重みに対して消耗する体力の比率が割に合わないリールといえば、このベイトリール、オールドダイワが誇る世界最小リール『ミリオネアGS-1000』である。

このリールでは昨年晩秋に漁川支流のラルマナイ川上流で第一投目にして20センチのウグイを釣り上げたが、その時の指の疲れは半端なく、2投目でバックラッシュさせてしまい、修復不可能な糸絡みに至らせて半泣きになりながら納竿した思い出がある。


湖沼河川といった淡水域でのベイトロッドとの組み合わせで『ミリオネアGS-1000』より使いやすいのが、このオリムピック製スピンキャストリール『オリムペット1100RLⅡ』である。

このリールではまだ一度も魚をヒットさせては居ないが、気を抜くと直ぐに糸絡みを起こしてしまう『ミリオネアGS-1000』などの両軸リールに比べてトラブルが少なく、フローティングミノーなどの軽量ルアーを長距離飛ばせるので、今後の釣果に期待している。


この様に古い道具と言うのは美しいものである。


本日の極めつけは、富士製のタイコリール。

いつごろのものなのかは解らないが、結構古そうである。

僕は未だ使ったことはないが、ネットで色々と調べてみると様々なカスタムを施された当該品が、ヘチ釣り愛好家の間では現役で使用されているようである。

この飾り気のない野暮なシルエット。

まだ実釣で使用していないが、いつか飄々とちゃんちゃんこを羽織り、このリールに似合う竿に括り付けて下駄を鳴らしながら、防波堤の上を闊歩してみたいリールである。



今日紹介したオールドリールは、僕の手持ちのリールのほんの一部に過ぎず、他にもまだまだ沢山のリアルヴィンテージを所有しているので、今後も小出しに紹介していきたいと思っている。





おわり
突然ですが、明日12月1日は苫小牧に行く用事が出来てしまったので、午前10時半位から午後2時位までは苫小牧港で久々に釣りでもしようかと思ってます。


独りで釣る予定ですが、もし良く釣れる場所などご存知の方などいらっしゃいましたら、道具は沢山あるので一緒に行きませんか?


※カレイなどの底物からソイ・ホッケ・アブラコなど、小モノのサビキ釣り&鮭釣り以外なら竿も仕掛けも数組揃います。


午後3時から午後6時半位までは、苫小牧市桜木町3丁目11-17 さくらぎ笑楽好でのタロットセッション及び点描画講座のお申し込み募集します。


お問い合わせ・お申し込みはコメント欄かメッセージにて受け付けます♪


お問い合わせがあった順で早い者勝ちですので、そこんとこ宜しくです。
僕の釣り歴についてですが、今年の6月16日に支笏湖で単独カヤックツーリングをした際に、アメマスが数匹釣れてしまったのが、僕が釣りの面白さにハマってしまった切っ掛けです。


それから渓流釣りにハマり、札幌近郊の川を釣り歩きました。



海釣りは、9月15日に石狩湾新港東埠頭トイレ側船溜まりに行ってみたところ、小物ながらも結構な釣果があり、やはりハマってしまいました。

釣り歴5ヶ月、海釣り歴2ヶ月のビギナーです。

5ヶ月間の釣行の合計回数は66回で、うち坊主(釣果ゼロ匹)は4回です。

先日11月3日の午前中、石狩湾新港東埠頭トイレ側船溜まりから投げ釣りして来ました。

この場所は綺麗なトイレもあり、水深も浅く車から竿を出せるほど便利な場所。

週末は、チカやサバのサビキ釣りをしに来た子供連れの家族などで賑わいます。

サビキ釣りの人が殆どですが、実は色んな魚が釣れて面白い場所です。

僕はサビキで釣れる魚には余り興味がないので、自作のルアーで小型の黒ゾイを狙ったり、餌釣りではカレイ・ハゼ・アブラコ・ホッケ・カジカなどを狙います。

投げ釣りをしている人はほぼ居なく、週末以外は閑散としているので、キャスティングの練習や特に僕の様なビギナーが釣りをするには最適です。

第66回目の釣果

カワガレイ
①42cm

②32cm

③30cm

④26cm

他にカワガレイ15cmとハゼ11匹が釣れました。

大きなカレイは頭と内臓を外して4枚におろし


刺身に。





小さなカレイとハゼは唐揚げ&天麩羅です。



食べ残した刺身も唐揚げに



カレイの卵はコンニャクと子和えにしました。


釣りは面白いし、調理も楽しいし、味は美味しいし、

最倖!



釣り行こうぜ♪
『私、感情が薄いんじゃないかと思うんです。』

『何をしていても面白いとか楽しいといった感情がわいてこない。』

で、どうすれば良いのか、という一見、救いどころのなさそうな相談を受けることが結構頻繁にある。



そういう相談を持ちかけてくださる方は、多くの場合は裕福で容姿端正、周囲からは何の不服もない、生活水準の高い人、と言った印象を受けがちな美人が多いように思える。


刺激を受けたり雑菌に侵されぬよう大切に自分のみを守る概念を植えつけられ、これまでの半生を、脳幹に反響するような刺激を受けぬまま、現状のレールからそれることのない様にと最善と思われる環境ばかり選び、無益な行為や都合の悪そうな場所を避けてばかりいた結果、感性の揺れが少ない、平坦で退屈でつまらない毎日となってしまうのだ。

物事が飛躍するためにはバウンドが必要である。

陰と陽で成立を成す三次元で希望を見出すためには絶望の過程が必要なのである。


カバラっぽい言い方をすると、物事が誕生から完成に至るには、平坦な日常から動力を発生させることによる腐敗の過程を経ることによってのみ、熟成~完成に至り得る、と言い換えることも出来る。


そこで、腐敗に至ってからバウンドするような提案を促すと

『常識的に見て、そんな単純に物事が上手くなんか行かないのよ。』とか

『ウチには病気の母や子供が居るし、そういう単純な問題じゃないのよ。』

『仕事がないのにお金が作れるわけない、お金がないのに生活が守れるわけがないじゃないか。』


などなど、雑菌を避ける為ふんだんに添加物を盛られて来たような答えが返ってくる。


お金の添加物、家族の添加物、仕事の添加物、社会の添加物、常識の添加物、生活水準の添加物、物欲の添加物、平和概念の添加物、宗教の添加物。


人間の進化の過程に於いて、如何に純粋であることを拒絶したがっているか…



全ての環境や状況は、個の責任に於いて自分自身がそれを選ぶことによって、現実という段階的な結論にたどり着いているだけなのである。

まずは段階的に自分の撒いた種から出て来た実りを摘み、堕落する必要があるということだ。


今はただ、退屈でつまらない日常と根拠のない疲労、不安、ストレスの収穫の段階を楽しみ尽くせばよいだけなのではないかと私は客観視する。



喜怒哀楽という言葉が在るが、それを楽しむ覚悟が出来る段階、即ち個の純粋な感情の開放に至って初めてバランスを保持できるのである。


楽しむ覚悟が決まらぬ段階で喜怒哀楽という言葉を持ち出そうとした結果、反原発、反肉食、反阿部首相、反韓、嫌中、ありとあらゆる怒りの感情に依存し、偏り果てたアンチテーゼに脳を犯され、喜怒哀楽のバランスを失うこととなり、感情の抑制が効かなくなるのである。


私はハッキリ言って、政治にも社会情勢にも無関心である。


困窮に陥った人に手を差し伸べもせず見殺しにする人の群れが、困窮に追いやった社会が悪い!と批判の矛先を外部に向けているだけの醜い光景である。


そんなことをしている暇があったら点描画を描き、まずは環境に触蝕しない純粋な自分の喜びや豊かさに焦点を当て、現時点で与えられた環境の中で、自分がどう生きるかを構築する方が先決であり『美しいものを美しいと思える』大切な心を守る力を身に付けるほうが大事なのだ。


決して、『脱』とか『反』とか、連合赤軍みたいでカッコいいネガティブワードが大好きな人達に対して、『諦めろ』と言っているのではない。


『色んな社会現象に対する負の感情ばかりに焦点を当て惑わされて、肝心の単体としての自分がどう在りたいかと言うことを忘れて居ると、人は添加物にまみれて本来の魂の輝きを失ってしまうよ。』と伝えたいだけである。



自爆装置の引き金に指を掛けた大勢の人が我を忘れて怒りにとらわれている姿が痛々しくて見ていられないのである。



添加物をふんだんに使えば腐敗することもない代わりに、醗酵することも熟成することも出来得ないのだ。


腐敗は他所の概念(菌)に惑わされると酸化しやがて腐敗に終わるが、単に純粋(単純)であることに専念すれば醗酵→熟成に至る切っ掛けとなる。

熟成の一歩手前、完成の二歩手前である。


不安や不平や不満がよぎったとき、歴史や普遍的概念を含む環境や外部からの助言に惑わされると、不安は不安のまま酸化し、腐敗に至るであろう。



自分と言う小さな宇宙さえ楽しむことにフォーカス出来ぬ者が、それ以上に規模を増した社会で持論を唱えることは、良い結果を招き得ない、と言っているのである。


人々が純粋なアンチテーゼを生成し、宇宙倫理を破壊して自らを滅びの道へと導くために、レプティリアンがばら撒いた、一見正義の形をした宗教概念の罠にまんまと引っ掛かってしまっているよ、というささやかな警鐘である。


私が出来ることは『私は無知な一人のたかが人間に過ぎません。だからこの生き方でどこか違う所があったら、ちゃんと教えて下さいね。』とインナーセルフを通して神様にお願いすることだけ。


そんなものに惑わされて貴重な時間を費やしている暇があったら釣りをしている方が幾分か幸せなのだ。





釣りしようぜ。


あっ、今日はこんなことばかりしてる暇はないのだ。

講座講座。