純粋な堕落 | ☆ 占い師・画家…人間のようなもの ☆

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画家・伝説の魔術師☆ 相馬 英樹 の愉快な毎日♪

『私、感情が薄いんじゃないかと思うんです。』

『何をしていても面白いとか楽しいといった感情がわいてこない。』

で、どうすれば良いのか、という一見、救いどころのなさそうな相談を受けることが結構頻繁にある。



そういう相談を持ちかけてくださる方は、多くの場合は裕福で容姿端正、周囲からは何の不服もない、生活水準の高い人、と言った印象を受けがちな美人が多いように思える。


刺激を受けたり雑菌に侵されぬよう大切に自分のみを守る概念を植えつけられ、これまでの半生を、脳幹に反響するような刺激を受けぬまま、現状のレールからそれることのない様にと最善と思われる環境ばかり選び、無益な行為や都合の悪そうな場所を避けてばかりいた結果、感性の揺れが少ない、平坦で退屈でつまらない毎日となってしまうのだ。

物事が飛躍するためにはバウンドが必要である。

陰と陽で成立を成す三次元で希望を見出すためには絶望の過程が必要なのである。


カバラっぽい言い方をすると、物事が誕生から完成に至るには、平坦な日常から動力を発生させることによる腐敗の過程を経ることによってのみ、熟成~完成に至り得る、と言い換えることも出来る。


そこで、腐敗に至ってからバウンドするような提案を促すと

『常識的に見て、そんな単純に物事が上手くなんか行かないのよ。』とか

『ウチには病気の母や子供が居るし、そういう単純な問題じゃないのよ。』

『仕事がないのにお金が作れるわけない、お金がないのに生活が守れるわけがないじゃないか。』


などなど、雑菌を避ける為ふんだんに添加物を盛られて来たような答えが返ってくる。


お金の添加物、家族の添加物、仕事の添加物、社会の添加物、常識の添加物、生活水準の添加物、物欲の添加物、平和概念の添加物、宗教の添加物。


人間の進化の過程に於いて、如何に純粋であることを拒絶したがっているか…



全ての環境や状況は、個の責任に於いて自分自身がそれを選ぶことによって、現実という段階的な結論にたどり着いているだけなのである。

まずは段階的に自分の撒いた種から出て来た実りを摘み、堕落する必要があるということだ。


今はただ、退屈でつまらない日常と根拠のない疲労、不安、ストレスの収穫の段階を楽しみ尽くせばよいだけなのではないかと私は客観視する。



喜怒哀楽という言葉が在るが、それを楽しむ覚悟が出来る段階、即ち個の純粋な感情の開放に至って初めてバランスを保持できるのである。


楽しむ覚悟が決まらぬ段階で喜怒哀楽という言葉を持ち出そうとした結果、反原発、反肉食、反阿部首相、反韓、嫌中、ありとあらゆる怒りの感情に依存し、偏り果てたアンチテーゼに脳を犯され、喜怒哀楽のバランスを失うこととなり、感情の抑制が効かなくなるのである。


私はハッキリ言って、政治にも社会情勢にも無関心である。


困窮に陥った人に手を差し伸べもせず見殺しにする人の群れが、困窮に追いやった社会が悪い!と批判の矛先を外部に向けているだけの醜い光景である。


そんなことをしている暇があったら点描画を描き、まずは環境に触蝕しない純粋な自分の喜びや豊かさに焦点を当て、現時点で与えられた環境の中で、自分がどう生きるかを構築する方が先決であり『美しいものを美しいと思える』大切な心を守る力を身に付けるほうが大事なのだ。


決して、『脱』とか『反』とか、連合赤軍みたいでカッコいいネガティブワードが大好きな人達に対して、『諦めろ』と言っているのではない。


『色んな社会現象に対する負の感情ばかりに焦点を当て惑わされて、肝心の単体としての自分がどう在りたいかと言うことを忘れて居ると、人は添加物にまみれて本来の魂の輝きを失ってしまうよ。』と伝えたいだけである。



自爆装置の引き金に指を掛けた大勢の人が我を忘れて怒りにとらわれている姿が痛々しくて見ていられないのである。



添加物をふんだんに使えば腐敗することもない代わりに、醗酵することも熟成することも出来得ないのだ。


腐敗は他所の概念(菌)に惑わされると酸化しやがて腐敗に終わるが、単に純粋(単純)であることに専念すれば醗酵→熟成に至る切っ掛けとなる。

熟成の一歩手前、完成の二歩手前である。


不安や不平や不満がよぎったとき、歴史や普遍的概念を含む環境や外部からの助言に惑わされると、不安は不安のまま酸化し、腐敗に至るであろう。



自分と言う小さな宇宙さえ楽しむことにフォーカス出来ぬ者が、それ以上に規模を増した社会で持論を唱えることは、良い結果を招き得ない、と言っているのである。


人々が純粋なアンチテーゼを生成し、宇宙倫理を破壊して自らを滅びの道へと導くために、レプティリアンがばら撒いた、一見正義の形をした宗教概念の罠にまんまと引っ掛かってしまっているよ、というささやかな警鐘である。


私が出来ることは『私は無知な一人のたかが人間に過ぎません。だからこの生き方でどこか違う所があったら、ちゃんと教えて下さいね。』とインナーセルフを通して神様にお願いすることだけ。


そんなものに惑わされて貴重な時間を費やしている暇があったら釣りをしている方が幾分か幸せなのだ。





釣りしようぜ。


あっ、今日はこんなことばかりしてる暇はないのだ。

講座講座。