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まのっちゃお! season3

真野恵里菜&カントリー・ガールズ&神社巡りが大好きブログ

1/4に、西尾市の伊文神社(いぶんじんじゃ)に行ってきました

 

 

一の鳥居をくぐり、50メートルほど歩くと、ちょっと低い二の鳥居

 

 

二の鳥居をくぐって行くと、正面に拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコ)・大己貴命(オオナムチノミコト)・文徳天皇(モントクテンノウ)

 

 

伊文神社は今よりおよそ1,500年前の平安文化華やかなりし頃、人皇五十五代文徳天皇の皇子八條院宮が三河国渥美郡伊川津の地より当地へ御轉住の折に、随遷し奉祀されました。

 

承久(1219~1222)の頃より、本所の産土神、総鎮守として西尾城主を始め士民一般の崇敬厚く、特に夏の祭礼は祇園祭と称され、神輿の渡御を中心に六ヶ町(天王町・肴町・本町・中町・幸町・須田町)の神賑行事も盛大に町中総出の賑わいで、西尾の町の風物詩として広く親しまれてまいりました。

また江戸の世になってからは、神階における最高位である正一位を宣下賜わり、徳川幕府より朱印地十八石五斗の寄進を受けるなど益々神威を増し、夏の祭礼においては、祭事を厳ならしめんと西尾城主より遣わされた鉄砲・弓・槍等を神幸行事に随行させ、また祭費として米五俵銭四貫などを奉納することが通例となっていきました。(伊文神社公式HPより)

 

 

また、毎年7月には、西尾祇園祭というのがあり、

 

(写真は西尾市観光協会HPから)

 

伊文神社から、西尾城内の御剱八幡宮まで神輿を担いで行くそうです

 

 

境内には、境内社がありました

 

 

他に、琴平社・多賀社・稲荷社・秋葉社があったみたいですけど、どこにあったんだろ?

 

 

あと、拝殿横には、子安の泉というのがあり、子供の病気平癒や安産に御神徳あると伝わります

 

 

1/4という事もあり、かなりの人で賑わっていました

 

 

伊文神社の御朱印

 

12/23に、岐阜県の阿遅加神社(あぢかじんじゃ)に行ってきました

 

 

社号標から100メートルほど先に、鳥居があり、

 

 

鳥居をくぐって、また100メートルほど先に、阿遅加神社があります

 

 

境内に入ると、正面に神門

 

 

神門をくぐると、その先に階段があり、

 

 

階段を上りきると、拝殿本殿があります

 

 

御祭神は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

 

 

東征を終えた日本武尊は、伊吹山の神を倒すために美濃国へ向かう途中、ここに坂井の霊泉がある事を知り、しばらく休憩したそうです

 

他に、阿遅加神社の伝説というのがあり、

 

『昔、日照りが続いていたある夏の日のこと。近江の国の村人たちが、はるばる阿遅加神社にやって来て雨乞い祈願をしていました。その村人たちは、これからは自分たちの村でも雨乞いをしたいものだと相談すると、社宝の「雨石さま」の霊石をこっそり盗んで持ち帰っていきました。たっぷり水の入った桶の中に霊石を沈めてみると、たちまち何日も大雨が降り、洪水になってしまいました。神罰を恐れた村人たちは、またこっそり阿遅加神社にやって来て、近江縮緬(ちりめん)をお供えし、雨石さまを返していったそうな・・・。』(羽島市公式HPより)

 

 

拝殿と本殿は、石垣の上に建ってます

 

 

境内には、境内社などはなく、ひっそりとした神社でした

 

葛木御歳神社の次は、鴨都波神社(かもつばじんじゃ)に行ってきました

 

 

鳥居をくぐり、左右に住宅が立ち並ぶ参道を150メートルくらい歩いて行くと、

 

 

狛犬がお出迎え

 

 

鳥居はないけど、ここから神社の境内の感じ

 

50メートルくらい歩いて、右手に拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、積羽八重事代主命(ツワヤエコトシロヌシノミコト)・下照比売命(シタテルヒメノミコト)

 

 

第10代崇神天皇(スジンテンノウ)の御代、大国主命の第11世太田田根子(オオタタネコ)の孫、大賀茂都美命(オオカモツミノミコト)に勅を奉りて、葛城邑加茂の地に奉斎されたのが始めとされているそうです

 

鴨族の発祥地としてこの地を治め、全国に分布する鴨(加茂)社の根源の社

 

 

境内には、境内社と遥拝所がありました

 

 

鴨都波神社ススキ提灯献灯行事というのが7月と10月にあるそうで、奈良県指定無形民俗文化財になってるそうです

 

 

鴨都波神社の御朱印