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まのっちゃお! season3

真野恵里菜&カントリー・ガールズ&神社巡りが大好きブログ

大石神社の次は、大阪府にある百濟王神社(くだらおうじんじゃ)に行ってきました

 

 

一の鳥居をくぐると、車が1台しか通れないような細い参道

 

ちなみに、駐車場は一番奥にあります

 

100メートルほど先の右手に、二の鳥居と社号標

 

 

鳥居をくぐり、50メートルほど先に、拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、百濟国王(クダラコクオウ)・牛頭天王(ゴズテンノウ)

 

 

あまり歴史に詳しくないのですが、百濟とは、朝鮮半島の南西部にあった国家で、660年に滅亡したそうです

 

 

境内には、境内社がありました

 

 

境内の右端には、旧拝殿があります

 

 

境内図はこんな感じ

 

 

そして、この神社の隣には、百濟寺跡があります

 

 

750年頃に、百濟王敬福(クダラノコニキシケイフク)によって創建されたと伝わります

 

昭和27年に国の特別史跡に指定され、昭和41年に日本初の史跡公園に整備されたそうです

 

 

お寺らしいものは何もありませんが、いろんな所に松が植えてあり、『百濟寺跡の松風』として、枚方八景に指定されています

 

 

百濟王神社の御朱印

 

山科神社の次は、大石神社(おおいしじんじゃ)に行ってきました

 

ここは、山科神社から歩いて来れる距離

 

 

こんな感じで、5分くらいで来れます

 

 

鳥居をくぐり、参道を50メートルくらい歩き、

 

 

左に曲がると、社務所が見えます

 

 

社務所の右手に、鳥居があり、

 

 

その奥に、拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、大石内蔵助良雄公(オオイシクラノスケヨシオ)

 

 

昭和十年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため大石内蔵助良雄公をご祭神として、大石隠棲の地に京都府知事を会長とする大石神社建設 会、山科義士会、また、当時浪曲界の重鎮であった吉田大和之丞 (奈良丸) を会長とするもの等の団体が組織され、全国の崇敬者により創建された。【公式HPより

 

山科神社でも紹介しましたが、大石内蔵助良雄は、1701年から1702年に、山科で隠棲(いんせい:俗世間逃れて静かに住む事)していたそうです

 

大石内蔵助といえば、忠臣蔵ですけど、実はあんまり詳しくは知らない(^^;

 

昔、大石内蔵助の内蔵助は、役職名みたいなもので、正式な名前は大石良雄…って聞いたことがある

 

御祭神の大石内蔵助良雄の石像が、拝殿の前にあります

 

 

境内には、義人社という境内社がありました

 

 

また、境内の隅に、花子ちゃんというミニホースがいました音譜

 

 

普段、宝物殿とかあんまり入らないんですけど、

 

 

拝観無料だったので、入ってみました

 

 

キムタクがここに来たことがあるんですねー

 

 

忠臣蔵にまつわる宝物が、たくさん展示されてました

 

 

大石神社の御朱印

 

岩屋神社の次は、山科神社(やましなじんじゃ)に行ってきました

 

岩屋神社でも紹介しましたが、ここが岩屋三社の一つの山科神社

 

 

鳥居をくぐり、かなり急な参道を歩いて行くと、階段があり、

 

 

階段を上がると、拝殿と本殿があります

 

 

御祭神は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)・稚武王(ワカタケノミコト)

 

 

稚武王は、日本武尊の子

 

 

1701年から1702年に、赤穂浪士の大石良雄(大石内蔵助)が、山科で隠棲(いんせい:俗世間逃れて静かに住む事)していたそうで、その時、山科神社奥之院の岩屋神社に参篭(さんろう:祈願するため神社や寺院にこもる事)して、大願成就を祈ったと云われてるそうです

 

 

境内には、境内社がありました

 

 

また、境内の奥に柵がありまして、

 

 

イノシシが出るので、柵を開けたら閉めてください、というやつ

 

チェーンがグルグル巻きにされてますけど、行ってみたい気持ちが…

 

柵の向こうに祠が見えるひらめき電球

 

 

結局、雨が降ってきて、足元がビチョビチョだし、岩屋神社の奥之院への登山で足が疲れちゃってたので、奥まで行きませんでした汗

 

いろいろ調べても、行った人のレポートが見つからないのも怖いし(-_-)

 

 

すぐ近くに、大石神社というのがありまして、次はそこへ行くんですけど、大石神社はすごい人だったのに、こっちまで来る人はあまりいないみたい(*´з`)

 

ちなみに、御朱印はないらしいです