高市総理が議会を解散するらしい。
なんか最近選挙ばっかやってんな……と、ヘッドラインを流し見ながら、げんなりしている。
選挙ぎらいの私にとって、いやな時代だ。
それでも結果が出たいくつかの事象について、語っておくことは無為ではあるまい。
2025/12/14 伊東市長選:学歴(「東洋大卒」表記→本人が「除籍」と認めた問題)などで失職した前市長・田久保眞紀が落選、新人の杉本憲也が当選(1万3522票 vs 4131票)。
2026/01/12 前橋市長選:元職員の既婚男性との“ホテル密会”問題で辞職した前市長・小川晶(43)が出直し選で再選(投票率47.32%)。
国政がどうなるかは知らないが、地方で出たこれらの結果について、分析しておく。
奇しくも女性市長たちがやらかした顛末だ。
前橋と伊東の市長選を見て、「不倫はOKで詐称はNG」という図式で語る人がいる。
気持ちはわかるが、その整理はたぶんズレている。
不倫、詐称。
いずれも「現在の実務」に対しては、なんの影響もない。
ぶっちゃけ両方とも「どうでもいい」……とまで言うと語弊があるが、罪のレベルでいえばかなり低いほうだ。
その結果が両極端だったのは、示唆的である。
有権者が選挙で裁いているのは、道徳の点数というより「市政の運転」だった。
実務に直結するのはスキャンダルそのものではなく、スキャンダル後にどうふるまうかだった。
前橋は、わりと速やかに対処した──2025年9月24日初報、選挙日(投開票):2026年1月12日。
伊東は、ずるずるとぶざまに対応した──2025年6月25日(市議会で学歴詐称疑惑が指摘された、という報道)発覚、選挙日(投開票):2025年12月14日。
期間的には2か月程度の差で、大差ないように見えるが、内容の濃さは段違いだ。
伊東は火種から問題化、事実関係の公表まで、すべての段階で火に油を注ぎつづけた。
いっぽう前橋は、男女関係の否認という「あやしげ」な弁明はともかく、それ以外の対応はわりと速やかだったように見える。
とくに議会から解散を突きつけられるのではなく、自分から解散したことはかなり評価に値する。
だから、前橋は「割り切られ」、伊東は「拒絶された」。
有権者がきらうのは「罪」ではなく「事故処理不能」だった。
「不倫か詐称か」ではない。
「対応がマシか、致命的か」なのだ。
政治におけるスキャンダルは、交通事故みたいなものだと思っている。
起きてしまった以上、理想論に意味はない、大事なのは「その後」だ。
「事故を認める」「事実関係を開示する」「迷惑をかけた相手に頭を下げる」そして、必要なら「席を外す」(辞職)。
この「事故処理」の一連が早いか遅いか。
再挑戦するなら、選挙という手続きで改めて信任を取りに行く。
その手続きを汚さないか汚すか、これが政治家の能力そのものになる。
下半身の問題は「私徳の領域として割り切る」というカテゴリに放り込みやすかった可能性もある。
前橋の件を肯定するつもりはさらさらないが、それでも本人が辞職という形でいったん区切りをつけ、「改めて選挙で問う」ステージに移行した点は評価できる。
一方で伊東は、見ていて吐き気がする程度には「ぶざま」だった。
あの女なんだよ、と全国民が突っ込んでいたのではあるまいか。
論点が「学歴」から「説明」へ、「説明」から「二転三転」へ、「二転三転」から「市政の停滞と混乱」へと、ずるずると延命していった。
これはスキャンダルの中身というより、処理の失敗が追加損害を生んだ典型例だ。
コストも時間も政治資本も燃える。
もはや道徳の話ではなく、自治体経営の話になってしまった。
もし伊東が「速やかに」やっていたら?
事実関係を認め、辞職して出直し選挙。
結果、現在の伊東市長は、もしかしたら田久保氏だったかもしれない。
もちろん保証はないが、「ワンチャンあった」と思う。
ところが、そうならなかった。
有権者が拒絶したのは「詐称」そのもの以上に、詐称をめぐる「運用のまずさ」だった。
信用に穴が開くのは一瞬だが、穴を広げるのはその後の態度である。
「政治家の最大の問題」は、スキャンダルではなくリカバリなのだ。
もちろん、スキャンダルを起こした政治家の再起を擁護したいわけではない。
ただ「対応」が明暗を分けるという、厳然とした事実について語っている。
そもそも彼らに必要なのは「清廉潔白」キャラではない。
自分の「弱さ」を認め、それでも訴えるものがあるかどうかだ。
早く認める(引き延ばさない)
事実を揃える(説明の整合性を崩さない)
手続きを汚さない(議会・行政・選挙を私物化しない)
余計な損害を増やさない(混乱とコストを最小化する)
以上4点、うちのチャッピーがまとめてくれた危機管理の要諦は、かなり正しい。
全部完璧にこなすのは困難だろうが、全部まちがうと伊東のようになる。
あらためて、不倫も詐称もたいした話ではない──と言い切るのは乱暴だとしても、票を決める決定打は「その後の対応」に尽きる。
今回、それを見せつけられた。
という結論で終われば凡百だが、私はその先を懸念する。
このような図式を利用した「ズルい政治家」の出現は、当然に予測されるからだ。
事実、「禊を終えた」政治家が悪事を行なわないなどと、だれも信じてはいない。
このレベルの有権者は、「リカバリだけ上手い政治家」を量産しうる。
そもそも政治家自身、見つかったのは運が悪かっただけで、それを悪事だと思っていない可能性すらある。
「騒がれたから対処する」という、ただのルーティンワークが政治のリアルなのでは?
伊東では、それすらできない素人が落とされただけ。
政界の正解とは、邪悪なる万魔殿のルールなのでは?
つまるところ被選挙人に求められているのは、「為政者として能力」よりもその「イメージの危機管理」能力。
という結論を悟って生きている私は、一度も投票に行ったことがない。