「人間には善良で無力な羊と、それらを食い物にする狼がいる。

 おまえは狼には決してならず、羊を守る牧羊犬となれ!」

 

 ある「英雄」を育てた父親が、息子に伝えたのは、要するにこういうことだ。

 自分がやられたら、その相手を徹底的に叩きのめせ──。

 

 いじめられた子どもに対して、とにかく「やり返せ」と教育した。

 「思い知らせたか?」と息子に問いかける聖職者の父は、タフでなければ生きていけない世界の住人なのだろう。

 

 そのような教育方針のもと、伝説の狙撃手は育まれた。

 この手の男がたくさんいる国と戦争するのは、なかなか骨が折れる。

 

 

 公開当時、戦争映画史上最高の興行収入となった『アメリカン・スナイパー』。

 実在の人物クリス・カイルを主人公に、その自伝をクリント・イーストウッドが映画化した。

 

 イラク戦争という大枠の正否について語るつもりはない。

 個別の事象から、われわれがなにを読み取るかだ。

 

 ──子どもに銃を向けて撃つ必要がある場面。

 爆弾を背負って、仲間の近くに歩み寄っている少年を、撃つか。

 

 もちろん殺す。

 仔殺し、というテーマにもつながるが、生物である以上「殺すのは当然」なのだ。

 

 きれいごとを宣ったところで意味がない。

 戦場で殺し合いをしているのだから、殺すことは義務である。

 

 

 無防備な女や子どもを遠くからスコープ越しに殺しまくっていれば、PTSDのひとつやふたつ、背負うこともあるだろう。

 そうして自分の子どもを看護師が助けずに放置している、という主人公の妄想にもつながっていく。

 

 だれが敵で、だれが味方なのか?

 主人公の狙撃手に、それを判断させるわけにはいかない。

 

 だから命令する。

 殺せと。

 

 

 アメリカ合衆国が主体となり、2003年から開始されたイラク戦争は、多国籍軍と旧イラク国軍などとのあいだに展開された。

 お互い多くの戦死者を出したわけだが、一般的リザルトによると、アメリカは自軍の被害の数倍の敵兵を殺すことに成功している。

 

 それを「勝利」と呼びたいなら、好きにすればいい。

 ただ、敗者の犠牲の上に、はじめて星条旗がひるがえる姿には、強い皮肉をおぼえる。

 

 そうして都合のいい「英雄伝説」をでっちあげる。

 その陰には、忘却される「歴史の敗者」がいる。

 

 敵とはいえ160人に及ぶ人間を、みずから引き金を引くことで射殺した主人公。

 たくさん殺した人間が英雄になる──ナポレオンの昔から用いられてきた金言だ。

 

 

 やられたからやり返している、という理屈でくくられているが、ほんとうにそうか?

 アメリカ映画なので、主人公側が正しく相手のほうがおかしい、という演出にならざるをえないことは理解しているが、その狭窄の程度はどうか。

 

 相手が自分を攻撃した理由については、ほとんど無視している。

 現実問題、相手にも正義があるというのに。

 

 結局、戦争にまでスケールアップさせてしまった時点で、あまり同意できない。

 そんなに殺し合いがしたければ、人を殺せと命じる政治家や将軍自身がリングに立って、同じ職掌の相手と殴り合えばいい、と言いたくもなる。

 

 

 プーチン氏が、ウクライナ戦争の責任はすべてヨーロッパにある、的なことをよく言っている。

 全世界からのツッコミについては、書くまでもない。

 

 あまりにも意識的にボケすぎて、もしかして当人も半分くらい信じているのではないか? と若干不安になるレベルだが、まあ彼がどう考えるかは彼の自由だ。

 願わくは、ゼレンスキー氏と同じリングに立って、殴り合ってほしい。

 

 タフなプーチン氏なら、コメディアンあがりのゼレンスキー氏など、黄金の左一発で倒せるだろう。

 いずれにしろ、そんなに殺し合いがしたいなら、命じている人間自身が戦ってもらいたいと切に願う。

 

 

 ここまで書いたものを俯瞰して、戦争否定のブログのひとつ、とカテゴライズされることが予想される。

 申し訳ないが、冷水を浴びせておく必要はあるだろう。

 

 私は「戦」そのものを否定しているわけではない。

 しょせん裸のサルなので、ケモノのように殺し合いをするのが分相応、と思っている。

 

 戦国時代モノもきらいではないし、テストステロンの塊が言葉のいらない世界で戦うのを眺める、という娯楽まで否定する者は少ないだろう。

 そういうのが得意だったり、好きな者どもが集まってファイトクラブをやっている分には、まったく問題ない。

 

 

 一線を越えて問題なのは、「戦いたくない人間」まで動員することだ。

 戦争モノのドキュメンタリーで、大日本帝国海軍がおもしろいアンケートをとっていた。

 

 特攻隊に行きたいかどうかを問いかける三択。

 「熱烈望」「熱望」「志望」……おい、ふざけんなよ、「辞退」がないぞ。

 

 死ぬ必然性のない人間に死ねと命じるような体制は、おしなべて誤っている。

 戦争をしたい人間だけが集まって、戦争ごっこをやっていればいいのに。

 

 そのための洗脳教育まで遡って分析すると、話が長くなる。

 ともかく戦争をしたい、国家という枠組みを利用したい、宗教を広めたい、という偏った人々の存在によって左右されてきたのが「歴史」だった。

 

 ただ残念ながら、彼らも利用可能なリソースを活用しているだけなので、全否定はできない。

 あとはただ、距離をとって判断してくれる「神の視点」に期待するのみだ。

 

 

 たくさん人を殺せば殺すほど英雄。

 そんな妄想からは、いいかげん卒業してもらいたい。

 

 しょせん人殺し、という表現は好きではないが、言いたくもなる。

 グラディエーターの誇りと、集団戦の混沌は似て非なるものだ。

 

 納得ずくで殺し合いをしている人々の自由を、否定はしない。

 ただ「殺さずに済ませる回路」をつくれる人間こそ英雄だ、という思いは共有したい。