ジャーナリスト 石川秀樹 -49ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

朝、書道の関係で出掛ける家内をJR静岡駅まで送った。
車中、きのう読んだ『坂の上の坂』という本のことを話した。
著者は藤原和博さん。
リクルート社で部長まで駆け上がったが、41歳でフェロー(契約専門スタッフ)を希望し会社から片足抜け出した。そして47歳で杉並区立和田中学校の初の民間校長に。
1955年生まれだから僕より5つ若い。


この本、一言で言えば「サラリーマンにしがみつくのはやめましょう。登りきった坂の上にあるのは、まだ延々と続く道ですよ。その道をずっと下り続けて人生を終えるより、(定年前のある時期から)準備を整えて、さらなる坂を登りませんか」と、旧来の価値観からの脱却を強く求めている。

hidekidos かく語り記


タイトルにひかれて衝動買いした1冊だ。
司馬遼太郎が描いた『坂の上の雲』の時代、平均寿命は45歳からせいぜ50歳だった。
坂を登りきれば、余命はもういくらも残っていない。
今は、定年60歳から数えて、なお25年~30年は生きなくてはならない。
もうひと山越えるには十分な年月だ。
そこで著者は、徹底的に会社を利用して、次の、「自分で決めた坂道」を登っていけるだけのスキルを身につけなさい、と言う。


「会社(組織)あっての自分」という価値観も、今日び、あまりにリスクが高いのでは?
会社は永続しない。
会社は社員を年次年次で選別していく。
その間に現場で培ったスキルは確実に落ちる。
得意技を立ち枯れさせながら、人は階段を一歩上がる。
てっぺんまで登れるのは1、2%。
わずかな確率をかいくぐったとしても、会社から離れればただの老人。
居場所はどこにもない…。


自分の体験に照らして僕は、ある程度著者に共感した。
54歳で会社人生の頂点を経験し、その後、急坂を転げ落ちた。
59歳で行政書士受験のための勉強を始め、同じころツイッター、Facebookに出合った。
ソーシャルメディアの世界に強くひかれた。
仕事とSNSへの投稿、その余の時間は睡眠以外、すべて受験勉強に充てた。
61歳で合格。
直後に会社を定年退職。
そして1か月後、小さな出版社を開業した。
合わせて行政書士の看板も掲げた。
もうかりはしないが、おかげさまで「忙しい日常」を再び手に入れた


本の中には、夫婦の関係についても興味深いことが書いてある。
会社人間で、組織第一を貫いて行けば夫婦は別々の方向を向き、成人した子どもからは見向きもされない
(一番見守ってほしい時期に父親はよそを向いていた訳だから)。
家にも地域のコミュニティーにも居場所のない自分。
定年後は妻とのんびり旅行を、などと考えていても、本当につきあってくれるのかどうか。
著者が語る多くのことは、サラリーマンなら誰しも薄々は感じていること。
その末路をはっきり口にされると、ドキリとする人は多いのではないか。


こんな話を車中でしていると、家内は首をかしげた。
誰だって、与えられた役割、出合った仕事を一心不乱にやるのは当たり前じゃない。なんだかその人の言っていること、違うと思う」
僕はもう一度、著者の受け売りを言う。
「それは『坂の上の雲』の時代のことだろう。出世して社内の階段を登っていけば、個人のスキルはどんどん落ちていく。会社以外では通用しない人間になる…」
しかし妻は納得しない。


納得しない妻が何を言おうとしているか、実は僕はよくわかっている。
同時代を一緒に生きてきた。
都度都度に、喜怒哀楽をきっちり伝えてきたし、僕は何度も何度も家内の言葉で救われてきた。
彼女はいつも「与えられた環境の中で一所懸命にやる」のが人間の在り方だと思っている。
評価は人がする。
時にそれが自分の思いとズレたとしても、自分を否定することはない。
だから僕は、自分の(サラリーマン人生の)有為転変に、予想外に平気でいられたのだ。


話の結論が出ないうちに、車は駅に着いてしまった。
帰路、充電中の家内のiPhoneが車内に残っていることに気が付いた。
僕はあわててUターンする。
やれやれ、そそっかしい人だ…。






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週末金曜日、毎週官邸を囲んで脱原発、大飯原発の再稼働反対を訴えてきた市民の代表が昨日、野田首相に直接面会し主張を訴えた。門前払いと言う印象こそなかったものの、首相VS反対派の主張は平行線、と言うより、言いっぱなしの聞きっぱなし。
つまり聞き置かれるに終わった。
しかし、これは「想定通り」。
日本では間接民主主義が全く機能していないことをあらためて示したにすぎない。


「民の声」はなんと言っているだろう。
格好の資料を朝日新聞朝刊が提示してくれている。「2030年の原発割合」についての討論型世論調査、意見聴取会、パブリックコメントの数字をまとめた。
「原発ゼロ」の数字のみを列記してみる。


電話調査(7月、全国を対象) 33%
討論前調査(8月4日、285人対象) 41%
討論後調査(8月5日、285人対象) 47%
意見聴取会(7~8月、計10会場) 68%
パブコメ(7~8月) 90%(うち81%が「即時ゼロ」)



2030年時点で日本のエネルギーにおける原発比率をどうすべきか。政府は3案を提示した。
原発0%・15%・20~25%
の3案である。足して2で割って、というわけでもないだろうが、「15%に収れんするだろう」とこの政権は踏んでいた。特に期待をかけたのは「討論型世論調査」。識者が討論会で▽割高な代替エネルギー▽地球温暖化への影響▽電気料金値上げの可能性▽日本経済への打撃(雇用の海外への流出)-などを指摘すれば、尖鋭な希望案から現実的な妥協案「15%」に収束するだろう、と見ていたのだ。
だが、多くの国民が見ていたのは「安全への視点」だった。原発は生命(いのち)の問題だと見抜いていたのだ。

hidekidos かく語り記


もう1つ、重大なことを指摘しておきたい。
説明があれば誰でも分かることだが、政府が説明を怠っている話についてだ。
現政権は「原発を40年間で廃炉にする」という方針を打ち出している。これを現在の国内の原発に適用すれば、2030年に原発の割合はほぼ15%になる。
一方、いま現在の日本の原発依存度は何%かご存じだろうか。26%(10年度)である。
つまり政府が提示した3つの選択肢のうち、
「原発依存度15%」は、既定方針通り粛々と順次廃炉を実施すればおのずと達成される数字。
「20~25%」は、新規の原発建設を認め、スクラップ&ビルドで現状維持(2010年時点の依存度を20年間ずっと維持し続ける)と言う案なのだ。

さて、国民のうち何%の人が3択の意味を理解して一連の報道を見ただろうか。
この政権は、頭が悪いので国民への説明を十分にできなかったのだろうか、それとも何か他に意図があって「当然するべき説明」についてねんごろさを欠いたのだろうか。


3.11の福島第一原発の事故を見て、国民の意識は明確に変わった。原発は安全でないことが分かったし、いったん破たんすればとめどない災厄が多くに及ぶことも分かった。放射能被害は世代を超えて続くし、被害者は「被害者」であるのに差別されることも分かった。被害の範囲は広い。風向き、その時の降雨次第。いや、破局的な事故なら日本列島どころか、世界を汚染するかもしれない。怖い、おぞましい、気持が悪い…。たかが電気を得るために、たまさかの便利さを求めるために払う代償としては大きすぎる。
こんなことは誰でも思う。
人類が核を使うことへの抵抗感は、「生命」(いのち)を守るという根源的な欲求に基づいている。しかし、私たちがいま感じている怒りは、いのちの問題を引き合いに出すまでもない問題のような気がする。

「疑念」である。
この政府(この政治は、と言い換えてもいい)は国民を守ってくれるのか、守る意思はあるのか、という疑念。
事故直後、ただの1人も明確な指示を出せず、政権内外に知識のある者さえいなかった。そのくせ「安全神話」に何の疑問も持たず、さまざまな危険の指摘にも一顧だにせず、高をくくっていた。それは国民の誰しもに言えることだから不問に付したとしても、事故の原因を真摯に究明しようともせず、責任者を追及することもなく、事故終息もまだ、被害者たちへの補償も途中の今、経済界だか誰の要求なのかも明かさないまま、安全検証がされたとも言えない原発再稼働に“政治判断”による決断でGOサイン!


この政権は、うそをつく政権である。
この政権は、国民の声よりは経済界に動かされている。
この政権は、1度「こうだ」と決めるとそのシナリオに沿った既成事実を作ろうとする。
この政権は、国民の「待った!」の声をただ聞き置き、結局は既定方針を突っ走ろうとする。



いのちの危機、いのちの危険以前に、政治そのものに対して私たち国民は強い疑念を持たされた。
こういう話をすると決まって出て来るのは「選んだのは私たち」「私たちにも責任がある」という声だ。お人よしもいい加減にしてもらいたい。
選ばれた以上、クズだろうが、アホだろうが、政治家には責任を果たしてもらわなければならない。
責任とは「民の声」を聞くということだ。

この国では、国民に選ばれた者たちが国民の意思を無視することを平気でやる。
「衆愚政治」という言葉がある。
「ポピュリズム」などと、国民をなめた言い方を大マスコミもしばしば使う。
上に挙げた2つの言葉は、ばかな国民の熱狂にあおられて、ばかな政策を行うことを言うのだろうが、それでは伺いたい。
「脱原発」を願う国民の気持ちは「ばか」なのだろうか。
「衆愚」なのだろうか。


「国民」の中には無論、経済界の大物も入るし、商工会の中小零細事業者たちも入る。
脱原発=倒産の危機なのか?
冷静に考えてほしい。
エネルギー政策の転換は、既存の経済体制に否も応なく変革を突き付ける。
危機ではあろうが、チャンスもある。
機会はニュートラルのはずだ。自分ばかりが損するわけではない。
いつの時代でも、現状維持などいう世界はない。物事は変わる、条件は移ろう。みな必死でそれに対応しようとして生きている。
原発は過疎地に限って作られてきた。「貧困」「産業の不活性」を人質に取られ、地域に札ビラがまかれて着工が強行されてきた。いま原発が廃炉になれば困るだろう。しかし「永久に原発がある未来」はもはや保証されない。
推進してきた電力会社と地元自治体と、県と国とが責任を持って後々の方策を考えていかなければならない。
後々の方策がないから廃炉は無理だ、などというのは通らない理屈である。


衆にまさってすべての判断ができ、日本の未来を保証できる「神」のごとき政治家はいるだろうか。百歩譲ってそんな者がいたとしても、民の声を聞くのが間接民主主義というものだ。
まして今、神のごとき英知を持つ政治家はいない。私たちと五十歩百歩、優れた面もあるが欠点も多い、そんな政治家が大半だ。ごく普通の人々が選挙をくぐり抜けて当選しているにすぎない。
まだしも、国をよくしたいという意欲だけは持っているであろう。
ならば、国民の声を聞け。
民意から飛びぬけて離れた“政治決断”などやってはならない。
それは「決断」などではなく、暴挙である。



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このところ、ちょっとFacebookを離れていた。
夏風邪をひいて体調を崩していたのが主な理由だが、少し離れたところからFacebookを見つめ直したかった。
昨年の暮れ僕は、なぜ「Facebook活用本を書きたい」などと言ったのか、そのことを考えていたのだ。


あの時点で、たくさん読んだFacebook関連本の大半に『俺のとは違う』と感じていた
Facebookへの評価、可能性、もたらす影響、分析…、全部違う!
あき足らなかった。
それ以上に、『これ以上間違った情報が流されると、Facebookの日本における普及が危くなる』とも思った。
自分はFacebook研究者ではないし、特別にすぐれた洞察力をもつ人間でもない。
Facebookの一利用者にすぎない。
ただFacebookについては(ちょっと異常ではないかと思うくらいに)可能性を強く感じている者である。
そんな僕から見て、『著者はどこを見てテッポウ撃っているんだ』という本が多かった。
水準をいってると思ったのは樺沢紫苑さんの一部の著書だけ(これは参考になった)だった。
いや、もう一人いた。
直接のFacebook関連本ではないが、名刺の達人・高木芳紀氏の「営業いらずのソーシャルメディア人脈術」
これはすぐれた着想と著者の熱意が感じられ、参考になった。


僕も出版業の端くれだ。
できれば自分で書くより、書ける人を発見したい。
でもその時点で、僕の不満を解消してくれそうな書き手はいなかった。
あれから早、半年以上がたってしまった。
この半年で状況は変わっただろうか。
さらに本を買って読んでみたが、事態はむしろひどくなっていた。
『やはり、自分で書こうか』それを、じーっと考えていた。


僕はFacebookの「口コミ影響力」というものを限定的に考えている。
他のSNSに比べれば優れているが、魔法のツールではない。
広く多方面に拡散していくかと言えば、むしろ逆で小さく「塊りをつくるツール」だと考えている。
大きな企業、有名人には使いやすく効果満点のビジネスツールだが、
僕を含めて大多数の『ごく普通の』Facebookの使い手にとって、
Facebookを使ってなんらかの成果を得られるかと言えば、それもかなり限定的だろう。


誤解されないように言っておくと、Facebookで成果を上げることはもちろんできる。
しかし、寝ていてもうまくいくなんてことはないし、効果が出るには時間がかかる。
偶然(運不運)にも左右されるし、Facebookの原理原則を熟知して使うのが前提で、
相当な気力と能力、アイデアを駆使して、ようやくなんとかなるかもしれない。
Facebookとはそういうツールだと思う。


しかし、考えても見てほしい。
HPは出現してからもう20年にもなろうと言うのに、個店や中小企業の成功例がいくつある?
情報発信は誰でもできる、世界中に発信できる。
多くの人が作ってみた、世に出した。
どれほどお客さんは増えただろうか。
メルマガも同じ。ブログも同じ。
ツイッターも「ビジネスに使える」と騒がれた。
多くの人が参入する。力つきて半ば放棄、になっていないか。
個人がメディアとなって発信するツールは昔からある。
試みる人は、多くの場合、重なっているのではないか。
ツール変われど人変わらずだ。
どのツールも大企業、有名人に有利! 普通の人が世の中に知られるのは難しい。



当たり前ではないか。
そうしたツールの中で、Facebookはモノが違う、と僕は思う。
難しくてクセがあるけど、仲良くやれれば多くのものを返してくれる。
単なる勝った負けただ、得しただの話ではなく、人生を変えるかもしれないとさえ思う。


どうだろう、こんなことを本に書いてもみなさんはつまらないだけだろうか。
今までのFacebook関連本が伝える結論は、楽観に満ちている。
有名人の事例や、自分の特殊な事例をあたかも成功譚のように書いているが、
普通の僕らにはそんな事例はゴミのようなものだ。
何の参考にもならない。
この数か月、僕が試してきたことは失敗の連続だ。
自分をブランド化するなどと簡単に言ってくれるが、どこかに立派なプロデューサーがいてくれるわけでもない、
その道のりは「ものすごく大変だよ」と言うしかない。


僕が書くと、Facebookの夢語りでは終わらない。
Facebookの現状を語り、機能が限定されていることを伝え、難しさを説くだろう。

「成功」と言っても小さな成功、それがいつまで続くという保証があるわけではない成功、
絶えず工夫や努力が必要な成功。
そういう成功事例なら僕は書く気満々だ。
あっ、それと「本気さ」が問われるね。
見込み客に向かって、ツイッターとFacebookとアメブロを使ってゼロ円集客!
な~んてことは、間違っても書かない。
Facebook関連ビジネス本で書かれていることを真似しようなど思っている人がいたら、
「99%うまくいかないよ」と僕は忠告してあげたい。
だいたい、Facebookの友達のことを「見込み客」のように書き、その人たちの思いや行動を好きに動かせる、などと思うとしたら、それは著者の下品さしか証明しないだろう。


僕も成功事例を探している。
でも「僕のイメージ」は彼らのとは全然、違う。
例えば、こんな風だ──


友達なんて多くなくてもいい。
彼女のつぶやきは1円の利益を産むわけでもない。
でも僕はたまに見かける彼女の投稿をとても愛している。
時には勇気づけられる。
若い子のホッコリとしたやさしさ、それでいてたくましいエネルギー。
そういうものを感じて、『いいなぁー』と思う。


もちろん、そんな話ばかりではない。
ビジネスにおけるFacebook活用成功事例も入れるつもりだ。
しかしその成功は、ユニークであり、その人の個性と一つのものであって、真似られるものではない。
Facebookにおける普遍的な成功法則なんてないし、あったとしたらつまらない。
あるのは創意と工夫、努力と粘りと、少しばかりの運のさ。
そして、Facebookの力を信じる気持ち。


僕のアイデアも随所に入れるつもりだ。
だから、この本はものすごくユニークだが、個性は強い。
定価も安くはしない。
僕の持っている発想力、分析力のほとんどすべてを出し切るつもりだ。
こんな本を読んでくれるだろうか。


この数日、こんなことばかり考えていた。
おかげで、だいぶ本の構想がまとまってきた。
決して万人向きではないが、値段が張る本を買ってくれた人に損はさせない。
真剣に読めば1つや2つ、人生を変えるかもしれないヒントが詰まった本

───それが僕のコンセプトだ。





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8月15日。この日はいつもセミしぐれと「うだるような暑い1日」という記憶がある。天皇陛下の玉音放送の“記憶”からの連想がそうさせるのだろう。しかし僕ら世代が“あの日”を知っているわけがないのだ。


何しろ僕らフォークソング世代は『戦争を知らない子どもたち』と呼ばれた世代だ。敗戦から4、5年たって僕らは生まれた。だから「8月15日」は特別な日でも何でもない。ただ夏休みの普通の1日にすぎなかった。“特別の日”に昇格したのはいつごろからだろう。


けさの朝日新聞、1面トップは「橋下新党旗揚げへ」だ。国会議員20人くらいから参加の打診があると言う。中段に「戻らぬ遺骨113万人」とある。海外・沖縄・硫黄島での戦没者240万人。その半数以上が帰国もならず野ざらしのまま…。


「終戦記念日」のニュースがトップを飾るのは各紙、夕刊からだろうか。この辺も最近、変わってきた。やはり風化だろうか。すくなくとも旧盆のこの時期、新聞は「あの戦争」一色に染まるのが風物詩だった。今年はさびしい。他に重大ニュースが多すぎるのか。


日本はおかしな国だ。殊に、今の日本という国は。怖いものは見ない、見てないものは知らない、知らないことには責任がない。よくも悪くも、関心はただ自分のことのみ。オリンピックの活躍には熱狂するが、それもただ一時期のこと…。


戦後世代の僕は、そんな日本のことを心底から批判する気はないかもしれない。自分もその一人だから。尖閣、竹島など熱狂して我を忘れる韓国人選手を冷ややかに見ている自分がいる。領土に沸騰する“愛国”を奇異なもの、危険なもの感じるのだ。


愛国心などというものを異物のように感じる感情は、戦後世代独特のものだろう。それは戦後67年間に渡りただ1つの戦争・紛争にも巻き込まれことなく平和が「もたらされた」結果と言える。まるで平和は自明のものとして在るような錯覚がある。


僕らは余りに無知だ。世間(世界)のことを知らない。学び損なっているのだ。戦争のことを。日本人がしてきたことを。よいも悪いも含めて、明治以降、近代日本が世界史に登場して何を成し、何をされてきたかについて、余りにも学んでいない。


朝日新聞に転載された地図(北は満州、南はボルネオ、シンガポール)を見て、僕は記事とは無縁の感想をもった。『なんと気宇壮大な企図だったことか』。誉めているのではない。荒唐無稽、誇大妄想とも言える戦線の拡大。しかし、こうも思うのだ…

hidekidos かく語り記


軍部や一部官僚、政治家たちが考えた大東亜共栄圏は、「外へ外へ」という時代の空気あってこその拡大戦略であったに違いないと。戦争の危険など顧みず、紛争で終わるとタカを括り、「局地戦など何ほどの事やある」の大楽観主義。旺盛な戦闘意欲。


戦後メディアは、悪玉・軍部、善玉・天皇側近、被害者・国民の安易な論に乗り「反省」ばかりを促すが、時代の空気を作った主役の一人は疑うべくもなくメディアである。メディア悪玉論を言うのではない。なだれを打って戦争に向かった歴史を指摘したいのだ。


世界で1000万人もの死者を出し、日本人の犠牲300万人。一方、日本人の加害行為で何百万人が殺されたのか。戦争以上に劣悪な災害などありはしない。自明のことなのに、誰もそれを止められない。人類の宿痾(しゅくあ・治らぬ病)と言うしかないかもしれない。


にもかかわらず僕ら戦争を知らない子どもたちは、学校で戦争の歴史を学ばなかった。幕末維新から昭和前期に至る近代日本の歴史を学ぶことなく僕らは育った。中学の歴史は明治まで、高校では日本の歴史は必修科目でさえなかった。


学ぶような空気ではないのだ。「日本史?めんどくせェーよ。地理の方がダンゼン楽だぜ」大学受験のテクニックの一つとしてしか「歴史」はなかった。だから韓国、中国の日本に向ける目の険しさに気づきもしない。歴史への無知は罪である! 恥ずべき怠惰だ!!


と、今さらながら僕は声を大にして自分の無知だった時代を恥じ、告白せざるを得ない。
「昔の日本人がやった行為の責任をなぜ今の日本人が負わなければならないのか」そんなことを思うほど僕らは幼稚だった。過去と切り離して今の国が在るわけではないのに。


しかし危うい。今の日本は。他人のことには無関心。まして過去の出来事など。「人がやった戦争だ」と、今は大多数がそんな風に思っているに違いない。「60数年たってもまた蒸し返される…」そんなイラつく空気が、嫌韓・嫌中感情として跳ね返る。


「あの戦争」に対して今は、生きている誰もが「リアリティー」を欠く「今」となった。戦争を直接知る世代は絶えつつある。戦争を知らない子どもたちだった僕ら世代も早(はや)、現役を退きつつある。「戦争の影」さえ見なかった世代が今は世の中心にいる。


広島、長崎の原爆投下は人類の犯した罪だ。30万人を死傷させた償うことができない犯罪。しかし、罪を糾弾する声は聞こえない。逆に被害者がヒバクシャとして差別されてきた歴史がある。そうやって当事者でない人々は直視できない事実を忘れようとしてきた。


フクシマも同じだ。「8.15」を人々が厳粛な気持ちで迎えるように、「3.11」も日本人なら同じ気持ちで迎える。昨年は「絆」が言われた。家族回帰だとも。「忘れない!」も同様に心に響いた言葉の一つ。本当にそうであってほしいと思う。


戦後68回目の暑い暑い「8月15日」を迎えた。ロンドン五輪が終わり、甲子園たけなわ。正午には高校球児も1分間の黙とうを捧げる。日本人にとって特別の1日。「忘れない!」「忘れてはいけない」日だが、本当にそうか。時の移ろいが今はほんとうに怖い。





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ミーツ出版に今朝、手紙が届いた。
見覚えのある銀座・鳩居堂の和紙の封筒、達筆な堂々としたペン字。
旧友のEさんからのものとすぐ分かった。


先日、わが社をわざわざ訪ねてくれた。
Eさんは共同通信社の元編集局長。
サラリーマン人生の晩年には社団共同通信の役員を務めると同時に、不正献金疑惑で悪名を馳せたN建設のコンプライアンス委員長も引き受けていた。
社団は6月で退任。
手紙にはその後の近況が綴られていた。
お元気な様子で、安心した。


2人で久方ぶりに会話した時、Eさんは
「退社したら会社を興し長男や家内の事業を手伝いたい」と話していた。
「それもいいけれど、もったいないですね」
と僕は余計な一言を加えた。
記者・ジャーナリストとしての経験に加え、幅広い人脈を持ち、
組織の管理者としても実績を残している。
企業の行儀が問われている時代、コンプライアンス委員会を持つ会社も少なくない。
その中で、なぜEさんに火中の栗を拾う役回りがめぐってきたのか。
彼が社会部記者としてならし、その間に談合の実態、政治家と癒着のあれこれを見、
一方で、通信社の幹部として政治の世界も知り、広く一般企業の幹部とも交流をもつ
というキャリアがあったからだ。


コンプライアンス委の長は、社内なら総務系か社長室・企画室系のエリートが多いだろうか。
社外の人を充てるならたいていは法曹系。
N建設のような会社(地方の土建屋に見られがちだが業界の大手企業である)に
杓子定規に法律を説くだけでは説得力を持たない。
業界の裏も表も分かり、かつ社会の常識を知った人間が”業界の常識”に浸かっている会社に”社会の常識”を翻訳して伝えてあげる必要がある。
その点、Eさんは適役であった。


この仕事、社団共同通信トップの当職(あてしょく)として与えられたわけではない。
Eさんのキャリアあってのお役目だった。


サラリーマン廃業。
一線からサッと引いて後は悠々自適というのも潔くてよいが、
新聞社や通信社にいるような偏屈者は往生際が悪くて当たり前である。
世間を食って生きてきた分だけ、次のステージでは社会のお役に立つ仕事を、
と考えるのは悪くない。


そこで僕は言ったものだ。
「一般社団法人をつくってコンブライアンスのお手伝いをしたり、社外取締役を務めたらどうですか」


あれから1カ月とちょっと。
Eさんは真剣に社団のことを考え始めているようである。
還暦を2、3年過ぎたばかりで「役割終了!」ではさみしくって仕方ない。
僕としては「悪あがき組にようこそ!!」と言いたいところだ。




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