ジャーナリスト 石川秀樹 -30ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

今度、電本として出版する
『秀樹さんが教える まだまだ奥が深い Facebookの教科書』
の「あとがき」を書いた。
予想外に長くなってしまった。(反省)
近日中にリリースする予定。


■   □
やっと書き終わりました。
Vol. 1、2、3を通して読んでいただいた方、ほんとうにお疲れ様でした。
Facebookが「書けば届く」という当たり前のメディアなら、どんなに楽だったことでしょう。
投稿しても友達に届いていない場合がある、その逆に、頼まれもしないのに友達の近況情報がバンバン入ってくる、奇妙なメディアだなぁ――というのが、この本を書き始めたきっかけです。Facebookは実にわかりにくいソーシャルメディアであり、好奇心を刺激されました。


書きたいことはあらかた本編にまとめましたが最後に3つだけ、“蛇足ながら”付け加えさせていただきたいと思います。
実名、クチコミ、ビジネス利用についてです。

ジャーナリスト 石川秀樹


まず、「ネットワークに実名で書く」ということの重大さについて。
私たちは、ほんとうは大それたことをしていると思います。
パソコンやスマートフォンに文章を打ち込んで「公開」で投稿することは、人々が行き交う雑踏でラウドスピーカ―で叫んでいるのと同じです。もしくは大講堂で数百人、数千人を前にスピーチすることと。
こういう経験は、有名人やスター、政治家でもない限りふつうはしません。彼らでさえ毎日毎日、話すごとに一挙手一投足が注目されるなんてことはないでしょう。ところがFacebookでは、ごく普通の人にそれが起こります。これは大げさに言えば、人類史上初の経験であり、突如として出現した状況といえましょう。
でも、誰も気にとめていません。
「Facebookはリアルと同じ」などといわれますが、とんでもない。リアルなら個人が影響力をもつ範囲は限られますが、Facebookは無限かもしれないんですから。この点、心してかからないとまずいですよ、というのが1つ。


2つ目はクチコミです。
クチコミが起こるメカニズムについてはVol.1で詳しく説明しました。しかし、その原理原則のようなものを会得したとしても、クチコミを操作して自由自在に情報拡散をする、なんてことはできにくい。
インターネットや本を探せば「クチコミを起こすノウハウ」は、いくつでも見つけられます。でも、「自由自在」も「鉄板の法則」もありません。よしんばAさんが成功したとしても、同じ方法でBさんが成功するとは限りません。いや、もっといえば、Aさんのきょうの成功があすもまた通用するとは限らないのです。Facebookは実にやっかいです。
強いていうなら、成功法則はたった1つしかありません。
「コンテンツを磨きぬく」
これです。


<Facebookは“読む人にとって価値のある情報”を届ける>
これがFacebookでクチコミが起こる原理ですが、私はこの本を書き上げる寸前にこの当たり前ともいえる事実に気がつき、ハッとしました。
もう1度いいます。
<読む人にとって価値のある情報>です。


私も何度もFacebookに投稿しています。
いつも記事が拡散してくれればいいと願っていました。自分の都合です。「多くの人に知ってもらいたい」というのはこちらの欲。読んでくれる人が欲するものではなかったのです。
クチコミ爆発が起きたのは「偽アカウント」のことを書いた時でした。ユーザーの多くがザワザとした不安を感じていたのでしょう。「Facebook友達の個人情報狙いだから“カギをかける人になりましょう”」と写真管理の徹底を提案しました。同じテーマは過去に2回書いているので特に力を入れて書いたわけではありません。ところが、この記事は多数に表示されクチコミ比率(ファン以外の人のニュースフィードに表示された倍率)は90倍を超えました。


たくさんのいいね!、コメント、シェア。「写真拡大」や「もっと見る」のクリックなどなど、多くの要素が絡んだ結果だと思いますが、これを次の投稿でも続けるのは至難の業で、私には無理なことでした。
それで思ったのは、「価値があるとは、“読み手にとって価値がある”であって、自分の都合や願望とは関係ないんだな」ということでした。
コンテンツを磨くとは、自己宣伝や自分の能力の誇示ではなく、相手が「なるほど」「ためになる」「読んで得した」「感動した」と自然に反応をする記事を書くということなんですね。しかもそれを「続ける」ということ。これはけっこう至難です。


だから私は何度も「励ます意味でいいね!を量産してください」と、Facebookや今度の電本でいい続けているのです。
現実的には、多くの人にとっていいね!を数多くもらうというのは高いハードルだし、思い通りにはいかないものだと思います。
でも、これも覚えておいてください。
いいね!の数が少なくても、見ている人はかなりいるのだということを。潜在読者はいいね!の何倍もいるんです。いなければクチコミ爆発なんて起きません。書き続けていれ、ばチャンスは誰にでもあるでしょう。


最後に「Facebookのビジネス活用」についても触れておきます。
Facebookを私は、自分の出版ビジネスの中央に置こうと思っています。その点、多くの方々が指摘しているように「Facebookはビジネスに使える」を否定はしません。
しかし、「Eコマース(ネット取引)の中核に置く」というのは、この本で書いてきたことと明確に違うと思っています。ブログ、メルマガ、ツイッター、Youtube(動画サイト)などと連携させればそれも可能だとは思いますが、そこには踏み込みませんでした。
違う方法論を書かなければならないからです。
そしてそれは、私が今回書きたかったことではありません。


この本で扱っているのは「交流」と「ブランディング」です。
Vol.3で紹介した中で、Eコマースの発想をお持ちなの“竹虎4代目”の山岸義浩さんだけです。その山岸さんもFacebookページで展開しているのは、“竹のブランディング”であって、商品の売り込みではありません。独特の語り(土佐なまりの短文)と美しい写真を武器に、虎斑竹の魅力を伝えるだけす。商品ページへの誘導もしていません。広告はそのコンテンツの表示率を高めるために使っているだけ。Facebookからの実入りを今はほとんど度外視して、「交流できるのがすごい」と喜々としていました。Facebookマーケティングのまことに正当な方法だと思いました。


Facebookは勝手に個人をブランディングしてくれます。
商圏は地域に限られているのに、ネット内の知名度を圧倒的に高めて、商売(仕事)でも地域活動でも大きな成果を出している代表が熊本の橋本由里さん。動画を駆使している福岡の吉積佳奈さんも同じタイプです。
純然たる客商売で、看板のない店を経営する岡村佳明さんは“岡村さん個人のファンづくり”に成功しています。若手のネット系経営者の宮川千明さんの存在も、個人がFacebookの中でスター化していく典型です。ゼロからスタートして2年足らずで、拡散しにくいFacebookでこれだけの知名度を獲得するというのは、並みの戦略ではありません。


交流重視によって独特の立ち位置を確保しているのは、静岡の安部恵さん、山崎なるさん。川根あけぼのの榊原広之さんやコバンさん(山本剛史さん)も同じ系譜です。
これらの人たちは(竹虎さんを除き)、「ビジネスはFacebookページで」といわれる中で、個人のページでブランディングに成功しているのです。Eコマース的な発想から離れるなら、無理してFacebookページを使わなくても、Facebookを活かす道はあることを示しています。


ビジネスとはやや離れたところで“巨人”が生まれています。
佐賀県武雄市の樋渡啓介市長は地方自治の世界の著名人ですが、Facebookでさらにそれを確固たるものにしました。今や記者たちは樋渡さんのFacebookとブログを見ないわけにはいきません。マスメディアより先にソーシャルメディアでニュースが発信される、そんな状況を創りだしたのです。
Facebookをテコに社会的なムーブメント、コトを起こすことに成功しているのが映画「ペコロスの母に会いに行く」の村岡克彦さんたちだし、ドキュメンタリー映画「うたごころ」の榛葉健監督です。拡散しにくいFacebookですが、強いつながりをつくります。つながりが連鎖すれば拡散以上の大きな力が生まれることを立証しました。“アラブの春”のような政治性こそありませんが、ソーシャルメディアが社会を動かし得るシステムであることを世に示しました。


Facebookは「ビジネスに使える」以上のものです。
河野實さん、清岡隆二さんはFacebookの中で昔の自分に匹敵する自分を取り戻しました。飯田計さん、村上文一さんの生き方はFacebookとの出会いによって変わりつつあります。糸永伸哉さんに寄れば、Facebookは高校生の就職活動にも力を発揮しています。


Facebookのテーマは「ビジネスに使えるかどうか」、そんな底の浅いものばかりではありません。
一歩を踏み出すとあなたの人生を変えてしまうかもしれない。
Facebookは奇妙で気難しく、でも承知して使えば想像以上の世界を開いてくれる不可思議なツールなのです。
ハーバード大学の一学生が「すごいと言わせたい」一心で作った仕組みが、こんなドラマを世界中で引き起こしているなんて、当の本人も想像もできないことでしょう。






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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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Facebookではクチコミが起きる。
でも、プチ・クチコミ(ファン以外に読む人が2倍~10倍程度の現象)はたびたび起きるけれど、クチコミが100倍などというメガ・クチコミは滅多に起きない。
<なぜなんだろう>
と、ずっと考えていました。
Facebookページのインサイトで、自分の投稿に対する反響の数字をジーッと見つめていて、ある日、突然ひらめいた。


<そうか、Facebookは“読む人にとって価値のある情報”をお届けするんだ!>


情報を拡散させる、という発想ばかりで考えていたんです。
つまり、「この情報を広げたい」というこちらの都合ばかりで。
Facebookの原理は逆なのではないか。
Facebookはまず、「必要な情報」を「必要な人」に届ける。
「良き情報」なら、それを大勢に届けようとする。
Facebookの仕組みは、そのようにできている!!


ジャーナリスト 石川秀樹



良き情報とは、友達やファンが興味をもった記事のこと。
いいね!やコメントをされた記事、これを友達やファンに届け、さらに友達の友達にまで届けるようにした。
友達やファンが「この情報は多くの人に知ってもらいたい」と思った記事は……
シェアやタグ付けをされ、大勢が「もっと見る」をクリックしたような記事は、
もっと多くの人に届けるべくFacebookは動き出す。
クチコミ爆発が起きるのはこんなとき……。


Facebookは、いつもの記事はいつもの人たちに届ける。
誕生日や出産、結婚などのお祝い事は比較的広い範囲に。
そして「良き記事」は大勢に。
ものすごくメリハリのあるメディアです。
“お客さん”の反応に実にきめ細かく反応する。
読み手の反応であって、書き手の都合や願望ではないところがおもしろい。



ソーシャルの世界ではすべてが「透明化」していく。
企業も、政府・公共機関も変わっていかざるを得ない。
はずだけれど、あまり自覚をしていない。
これは私たちも同様です。
私たちの人格はただ1つ。
これはプライベート、こちらはビジネスの顔なんてことはありません。


Facebookは商用ページとしてFacebookページを創ったものだから、個人事業主は混乱している。
個人ウォールとFacebookページの書き分けがわからない。
元々無理なことを強いているように私は感じています。
つくった当初、Facebookページは「個人事業主」を想定していなかったのでしょう。
でも多くの人がクチコミを期待して参入した。
だから、個人ウォールとの整合性に困惑するというのは至極当然。


解決法はいろいろなパターンがあると思う。
私の場合は徐々に軸足がFacebookページの方に移ってきた。
「交流」を主体にFacebookを使う場合は個人ページの方が向いている。
いずれにしてもFacebookは売り買いの場ではありません。
ブログや通販ホームページに誘う場でもなさそうです。


思い出しましょう。
Facebookは交流し人と結びつきを強めるためのツールです。
だからFacebookは特定の人に熱心に情報を届け、そうでない人には届けないという選別をする。
その中で、重大な記事は最大限多くの人にお届けする。
友達→友達の友達→さらには「不特定多数」に。
“クチコミ”は結果として生まれた機能なのです。


みんながクチコミを欲する。
なのに思うようにならない。
だから期待と落胆が交錯している。


もっとシンプルに考えましょう。
<Facebookは“読む人にとって価値のある情報”をお届けする>
あなたの得ではなく、読む人が得になる情報を発信し続ける!
不特定多数にではなく、友達やファンに向かって。
それが“Facebookで勝つ”ただ一つの方法です。


※奈良を散策してきました(写真は本文とは関係ありません)。



<ここからは「著者ページ」と「著書」の紹介です>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな視点、はじめてだ!
「なぜ?」を徹底追究
ジャーナリストの視点で電本3部作

※著者ページ
http://denhonkan.jp/meikan/detail.html?ab_id=7



※著書
『秀樹さんが教える まだまだ奥が深い Facebookの教科書』





 Vol1.
 Facebookの基本のキ」。
 「入門書」ですがかなり濃い内容です。
 いいね!の原理、エッジランクやクチコミ発生機能について  核心を伝えます。
 
 









 Vol.2
 Facebookのビジネス活用術。
 個人やお店、小さな会社は大企業や有名人を見習ってはい けません。
 バラマキマーケティングより友達を大切に。
 











 Vol.3
 Facebookのスーパースターたちを紹介しています。
 「誰か」って? 
 まあ、立ち読みでご確認ください。
 インフルエンサーの投稿術を詳しく伝えます。




静岡県牧之原市の市長選で、原発永久停止を主張している現職の西原茂樹さん(59)が当選した。67歳の新人候補を抑えて3選目である。
静岡市民の僕には無縁の選挙だが、牧之原市は浜岡原発が在る御前崎市の北隣。
原発再稼働には隣接市町の合意が必要だから、西原さんのような人にはどうしても踏ん張ってほしかった。


政治家は「カネの都合」とは言わないが、「諸事情に鑑み」主張を曲げるのを常とする。
原発など利権に絡む代物においては特にその傾向が強い。
今日日(きょうび)は札束など積まれなくても、原発再稼働反対の空気が薄くなったと見れば、なだれを打ったように「仕方ないだろう、日本の経済のためだ」と宗旨替えをして恥じない。
信用ならない政治家が多い中で、西原さんは少し違うようである。
いや「大いに」違っているように、僕には思える。


当選の報を聞きながら、以前メモしておいた文章を懐かしく読み直したところだ。


◇(2012年8月末のこと)
先日、西原茂樹牧之原市長と静岡市内でお会いした。
今度書こうと思っているFacebookの本の事をFacebookに書いたところ、次のようなコメントをいただいたからだ。
「今、武雄市の樋渡市長とFB良品について『連携しましょう!』と話しています。その話と行動の早いこと…」
この話に興味を引かれ、ウォール上でコメントを返す形で取材を申し込んだ。しかし、相手は現職の市長さんである。簡単に会えるとは思っていず、『運がよければ、忘れたころに返事がいただけるだろうか』くらいの気持だった。すると、すぐさまメッセージが届いた。
「21日に静岡で会合があるので、その前に」
こうして実現した取材である。その時の話は別の機会に書くとして、きょうお伝えしたいのは別のことである。

ジャーナリスト 石川秀樹


西原市長はご存じのように、浜岡原発の永久停止を個人としてでなく「牧之原市長」として宣言している。原発廃炉を願っている僕としては、浜岡原発のある御前崎市の隣の市長のこの決断にはものすごく興味を引かれる。
それで本筋の話とは別に、浜岡の話も聞いてみたのだった。
いや、実に明快。勇気づけられた。


──静岡県でも浜岡原発再稼働の賛否は「県民投票」で決めようという署名活動がありました。18万人の署名を集め、一応「有権者の50分の1」という請願要件は超えたけれども、どうせ県議会では否決されるでしょう。


「Facebookは、きちんと名前を出して賛成、反対を言って来なかった日本に、名前を出してきちんという文化を持ち込んだ。多数決の前に、徹底した議論が必要です。原発立地地域と言うのは、今までは我慢する側、被害者だった。ところが今度は(事故を起こしたら)加害者になるんですよ。周辺にも、遠くの地域にもね」


──では、県民投票には賛成ですか?


「当然、やるべきでしょう」
※原発県民投票実施の提案は静岡県議会により2012年10月11日、否決された
(原案は賛成0、反対65、修正案は賛成17、反対48だった)



──牧之原市としてはどうですか、浜岡原発を再稼働するかどうかというとき、どう判断されますか?


「首長や議会と言うのは、決断する張本人です。イエスかノーか、そんな重大な判断、決められっこない。仮に(浜岡原発を)動かすのであれば、私だけでなく、議会だけでなく、住民に信を問いますよ。住民投票をやります。動かさないなら、黙っていますが」


──西原さんは、中部電力の株主総会(2012年6月27日)で浜岡原発永久停止の意見書を出しましたが、あれも市長としてですか?


「そうです。隣接市の市長として意見を出している」


──国の意見聴取会で中電社員が意見を出しましたね。「原発の直接の事故で死んだ人はいない」とかなんとか。


「法律違反ですよ。普通の工場・会社なら、事故を出せば倒産するのが普通です。雪印なんか消えてしまった。それが、あれほどの事故を引き起こしておいて電力会社は残っている。だいたい国は、原発をどうするかという重要な国策を決める時に、なぜ立地市町村の意見を聞かないのか」


──えっ、聞いてないんですか?


「大飯原発再稼働のときでさえ、知事と地元の町長に聞いている。それを今度は意見聴取会、ワークショップとアンケートごときで…。それが『国民の声』とはとんでもない。全国の立地自治体に聞くべきだ。そして地元は、住民の声を聞いて判断していく」


かくのごとくに西原市長の原発に対する姿勢は一貫していた。
──西原さん、だいぶ風当たりが強いでしょうね。


「いや、静岡県は原発に対する姿勢、反対が多いですよ」


と言いながら西原さんはiPadから資料を探し、2、3の資料を見せてくれた。講演するときのための資料をパワーポイントで作りiPadに入れているようだ。
僕は資料を詳細に見たくなり市長にお願いした。
「ファイルになっているなら、後で送ってくれませんか?」
「いいですよ」


ところがパソコンからは(何らかの不調で)送れなかったようで、きのうFacebookのメッセージが届き「きょうも静岡に行くから住所を教えて」との問い合わせ。てっきり職員の誰かが届けてくれるのだと思っていたら、午後4時過ぎチャイムが鳴った。
出てみると、市長その人が玄関に立っていた!
恐縮の極み……。



こういう人が原発立地隣接地の市長に3選した。
原発は立地市町村(議会と首長)の賛成と都道府県の賛成があれば立地できてしまう。
一度事故が起きれば災厄は広範囲に及ぶ。
いや、世代を超えてその災禍が伝わる場合もある。
人類は放射能除去装置を持っていない。
後処理さえ“トイレのないマンション”同様、方法を知らない。
こんなものを“地元”の意向で決められてはたまらないが、今のところ法律ではそのような手順になっている。
西原さんのような市長がいるうちに法律を変えるか、
世間の空気をもう一度「原発はいらない」に染めていかなければならない。

〈写真は2013/10/28 静岡新聞朝刊から〉




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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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1月から書き始めていたFacebookの本が、ようやく脱稿した。
馬力がなくなって来たのか、思いがけず10ヶ月もかかってしまった。


全国を取材した。
忘れられない人がいる。
僕の取材は“失敗”から始まったのだった。


千葉在住の大物を東京で取材させてもらうことになった。
車で2時間、そう計算して余裕を見て2時間半前に家を出た。
甘かった。首都高の渋滞につかまった。
結果、30分の大遅刻。


河野實さんは東京駅前の「オアゾ」で辛抱強く待ってくださっていた。
取材は2時間以上に及んだ。
いろいろな話を伺った。
河野さんは経済誌「経済界」で記者から副社長にまで上った人。
米「フォーブス」日本版の嘱託記者でもあった。
それより何より、昭和30年代の大ベストセラー『愛と死をみつめて』の筆者である。
「ミコとマコ」のその「マコ」であった。

ジャーナリスト 石川秀樹


このことは、取材時にはもちろん知っていた。
しかし本人のFacebookのウォールをいくら見ても、一言半句も「マコ」に触れていない。
若い時節の大成功は、後の人生に複雑な波紋を残すのだろうか……。
そう思ったので根掘り葉掘りは聞かなかったのだが、
その話はごく自然に取材中の話題になった。


しかし、河野さんは「過去の事績」で語られるべき人ではない。
僕が取材したいと思ったのは、ウォールからとてつもない熱を感じたからだ。
70歳を超えている人の“仕事”とはとうてい思えない。
どうしてそんなモチベーションを持ち続けることができるのか。
インタビューでさまざま伺って、自分なりに了解できた。


お礼を申し上げて、取材が終了した。
その後、都内をいろいろ見て深夜遅く帰宅、そのまま床に就いた。
翌朝、河野さんからFacebookのメッセージが届いていた。
それは怒り心頭に発した“言葉のつぶて”だった。


まいった。
「取材をするということは、取材される側の時間をkill or spoilすることだと分かっていない」
まったくもってその通りで、僕は30分も遅着し、冒頭、言葉で謝ったのみで、帰って礼状を書くでなし、メール1本書くだけのこともしなかった。
「失礼千万なブンヤ稼業から足を洗っていながら、その汚れが落ちていない」との指摘。
現役時代、取材先には謙虚に接してきたつもりでいたが、
「つもり」であって、心は上の空であったのだろう。


記事にすることを、きっぱり断られてしまった。
この時のインタビュー中、河野さんは将棋の天才升田幸三(故人)とのエピソードを話していた。
思いつきの手土産で烈火のごとく怒らせてしまった失敗談である。
その名誉挽回の話が実に興味深かった。
それを思い出し、僕なりに工夫して二枚煎じを行ってみたのだが……。
手は見え透いており、怒りを解くことはできなかった。


それっきりで終わるところが、僕は河野さんのウォールを注視し続けたし、
(コワくてコメントはできなかったが)
河野さんも時々は僕の投稿も読んでくださっている気配が感じられた。


それから1年たった。
やはり河野さんの話を外したくはなかった。
Facebookでまったく新しい人生を切り開いているからだ。
Facebookへの愛を感じた。
近ごろはますます執筆が濃く、深くなっている。
だから、とにかく原稿にした。


読んで心が動かないなら、僕の思いが足りないということだろう。
そのときは、顔を洗って出直すしかない。
原稿をEメールでお届けした。
怒られると思ったが、原稿にていねいに手を入れ送り返してくださった。
つっかえていたものが降りたような気がした。


Facebookはこんな出会いをもたらしてくれる。
マスメディアのことしか知らずに「書くこと」をリタイヤしていたら、
つまらない人生に終わっていたと思う。
還暦過ぎても人間が未熟であるのは恥ずかしいが、
幸いにして叱ってくれる人がいた。


人間は古希を過ぎても古びはしない。
興味と関心があり、烈々とした気迫を持ち続けている限り。
河野さんを見ていると、自分なぞ鼻たれ小僧のように感じられる。
河野さんのFacebook三昧の一端でも表現できていれば、幸いである。



本は結局、400ページになってしまったので3分冊にし、
まず電本(電子書籍)として近日中にリリースしたいと思っている。
1部は「基本編」、2部は「仕事に活用編」、
3部はFacebookを楽しく、かつ真剣に使っている人を紹介している。
河野さんの記事はその巻頭に配した。




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3日連続でFacebookのことを書いている。
きょうも高飛車に聞こえるかもしれない。
横町の隠居のたわごとと思って、ご容赦願いたい。


言いたいのは「Facebookと広告」という話だ。
難しいね、これは。
今の日本のFacebook事情では、宣伝するなんてとてもむつかしい。


それで、困ってしまう。
それじゃあFacebookの普及はどうなるのか?
“社会を変えるツールだ”と息巻いてきたのに、形無しだ……。


おっしゃる通り、Facebookは交流のツールです。
「Facebookは売り場じゃない」それもごもっとも。
だいたい“自分自慢”なんてのは性に合わないから、
僕だって人の自慢話なんて聞きたくない。
商品のPR? そんなこと、する人がいれば野暮でしょう。
このFacebookという公共の場で!
自分の店や会社を宣伝したい?
ならば、広告でどうぞ。


と、素直でクレバーな日本人はこう言いそうだ。
Facebookが流行り始めたころ、セミナー講師はしきりに言ったものだ。
「Facebookはビジネスに使える!」
ドッとばかりに、その手の本も出てきた。
踊らされ、真に受けて、にわかマーケティングが横行した。
売りたい、集客したい本音を隠して“友達”のフリ。
ああ、気持ち悪い……。
こう感じた人も多かったに違いない。
それで、あつものに懲りてナマスを吹いている?

ジャーナリスト 石川秀樹


この話、何が間違ってしまったのだろうか。
「いかにも今の日本ですなあ」と、僕はいいたくなる。
テクニックばかりが「先行」なんだよ。
もっと素直で自然なのがいいのに……。


かろうじて僕ら世代は、戦後、落ち着き始めた昭和の時代を知っている。
まだスーパーマーケットもなかったころ(無論、コンビニも)。
母は毎日近所の八百屋や魚屋に通ったものだ。
対面商売、「安いよ、安いよ、見ていってよ」
「奥さん美人だから、1本おまけしちゃうよ」
売らんかな、むき出しだ。
でも誰も、イヤだなんて思わなかった。
商売だもの、当たり前、ご近所だから気心も知れている。


実名のソーシャルメディア、Facebookによって、こんな昭和の時代が
(疑似的仮想空間ではあるにせよ)再来するのではないかと僕は想像した。
でも、完全に裏切られた。ガッカリだよ。
みーんな“よそ行き”!
売り込み、宣伝のにおいがすれば、見事にスルーだ。
どうしてそんなに気取っているのだろう?


「おまちバルやるから、おいでよ」
「グループで劇をやります」
「Facebookの講習会やるよ」
イベントは毎日毎日盛り沢山。
でもお客殺到でうれしい悲鳴なんて、見たこともない。


友達のイベントに閑古鳥鳴かせるなよ!
僕は行けなくても、気がつけばいいね!くらいはする。
素晴らしい企画だと思えば自分の「友達を招待」する
(「イベント」にはそういう機能もある)。


誰だって、イベントを企画すれば「来てほしい」さ。
いい商品ができたら買ってほしい、
サービスを工夫したら喜んでほしい。
でも今のFacebook、そういうことを書くとソッポを向かれる。
これはどういう心理なのか。


教室の空気に怯えて友達に声も掛けられない子どもたちと一緒じゃないか。
確かに確かに、今のFacebookの中では、
バカか鈍感でなければ、店や商品のことも語れない。
これは潔癖というのか、いらぬ自己規制というのか。
あっ、そうだ、『はだかの王様』だ。
見えているのに見えないふり、
明らかに「ヘンだ」と思っているのにそれを言えない。


そりゃあ、共感のツールでしょうよ、Facebookは。
場違いな“アピール”は失笑ものと切り捨てる。
しかし、大事なことを忘れていないか。


実名のFacebookは、社会とおんなじだと思いますがね。
高貴もあれば下賤もある、まこともあればウソもある、
謙虚な人がいれば高慢ちきもいる。
だから面白いんじゃないか。


「広告を使えばいい」という人がいそうだ。
その考えはナイーブすぎる!!
いや、Facebookのことを知らなすぎる。
広告は「ふだんの投稿の増幅装置」だ。だから―
ふだん「いいね!」が少ない人が広告を打っても効果は出ない。
カネをかけてもFacebookは応えてくれない。


だからこそ言っておきたい。
僕らフツーの人のFacebookでは、
「いいね!くらいケチるなよ」と。
お互い様だ。
アピールできなくて、むみんな困っている。
ならば、人の一所懸命には拍手を送ればいいじゃないか。
いいね!してもこころは減らない。


商売に熱心なんて、みんながやってきた。
昔も今も。
そして昔は、少なくとも一所懸命がイヤな顔をされることはなかった。
ソッポを向く今の日本のFacebook状況は異常だ。


Facebookなんて、やめたい人が出てくるでしょうな。
このままでは。
ユーザーの心が閉じっぱなしなら。
やめたくなる気持ち、僕も同じくだ。
理想があるので踏みとどまってはいるが……。







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