ジャーナリスト 石川秀樹 -19ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

★Facebookのタイムラインは電子掲示板だ! 自分の個室と勘違いしないで・・・・


みんなが常識と思っていることが「非常識」であることを伝えるのは難しい。
最近、Facebookのタイムラインのことをずっと考えていた。


<タイムラインの本質とは何か?>


ヒントは昔、Facebookのページを「ウォール」と言っていたことにあった。
昔も今もFacebookは「実名の電子掲示板」の機能を果たしている。
2006年9月、ニュースフィードがFacebookに加わり、タイムラインは執筆部屋みたいな様相を呈してきた。自分の「書庫」を整えたい人が出てきた。
むしろそれが常識とされる。


この"常識"は正しいのだろうか。


むろんタイムラインの使い方はユーザーに任されている。
どう使おうと自由だ。
しかし・・・・


やはり私はタイムラインとニュースフィードが協力し合ってより深い交流、
より精度の高い「電子掲示板」の役目を果たしていると思う。
タイムラインも友達との交流の場として活用すべきなのだ。


※「タイムライン解説」の前篇。
★Facebookの「シェア」実はすごい機能だ、活用すれば世界が変わる!

★タイムラインの価値、「友達を受け入れ記事拡散を後押し」こそがFacebook流だ!


「シェアの多様性」について書いたきのうの記事<上>が思わぬ反響を得ている。
「友達のタイムライン」にもシェアできることに注目が集まったようだ。
きのうの"発見"は「タイムラインの価値」に対する認識が
欧米と日本ではまったく違うらしい、ということ。
きのうの記事はやや舌足らずだったので、あらためて書き直した<下の記事>。


「友達のタイムライン」にシェアするという設定は前から知っていた。
知っていたけれども、さすがに使う気にはならなかった。
しかし昨日、論を進めているうちに「私のタイムラインへの認識も多くのユーザーと変わらない、たぶんに日本的な感覚に染まっている」ということに気がついた。



「日本的な感覚」とは、「タイムライン(ウォール)は私の部屋」、
だから「人に無断で書き込まれたら腹が立つ」という感じ方のことだ。
「それは違いますよ」と以前から言ってきたのだが、
私自身、人のウォールに書き込むことには抵抗があった。
だから「友達のタイムラインにシェア、なんてトンデモナイ」と
思ってきたこと自体、私も勘違いしていたというわけだ。


Facebookが考えるタイムラインは(想像するに)「私の部屋」ではない。
むしろ情報を自分の友達に広げていくための「ハブ」の役割をもっている。
そう考えると、ウォールはただ自分の作品集として1人で使うべきものではない。
むしろ多くの友達に来訪してもらい、(直接来ないまでも)シェアやタグ付けに
よってウォールにどんどん記事を貼り付けてもらう。
貼り付けられた記事はタイムラインを「ハブ」にして、自分の友達のニュースフィードに(アルゴリズムに従って)表示されていく。


そうやって友達の記事の拡散に一役買うのがタイムラインの意味だ、
と考えるようになった。
あくまで私見だが、日本のFacebookがそういうマインドを持つようになれば
すてきだな、と考えている。


きのう書いたこのブログ記事が今、ブレイクしている。


★Facebookの「シェア」実はすごい機能だ、活用すれば世界が変わる!



一晩で記事に200いいね!をいただいた。
誰か影響力のある人の目に止まったか、と思ったのだが、
Facebookで何人かがシェアしてくれたことが起点になっているようだ。


正直言って、記事はあまりうまく書けなかった。
目からウロコのガイド的な一面と、後半に自分の主張を入れたものだから、
(その主張にまとまりがなかった)我ながらかみ合わない感じがしていた。


しかし読んでくれた人は、以下の点に注目してくれたようだ。
シェアは自分のタイムラインだけでなく、「友達のタイムライン」にもできる。


日本人の私の感覚では(空気を読むことをしない私のような性格の者でも)、
人のタイムラインに誰かの記事を(それがとても良い記事であっても)
シェアすることは気が引ける。
まるで"領空侵犯"するような気分になるのだ。


ところがFacebookは「当たり前でしょ?」とでもいうみたいに、
「友達のタイムライン」もシェアの場所にしている。
その記事はタイムラインを起点にして「友達の友達のニュースフィード」にまで
広がっていくわけだ。


アメリカなど欧米諸国では、友達に良い記事をシェアの形で伝えることは
奇異なアクションではないのだろう。
ということは「タイムライン」の意味が日本人とは違う。
とかく日本では、タイムラインを「自分の部屋」と考える。
これも「勘違いだろう」というのが私の推測だ。


タイムライン起点→友達のニュースフィードに
という投稿記事の流れを考えれば、
タイムラインで自分も、そして友達も交流する(投稿する)
そういう社交的なにぎわい創出こそ本来のタイムラインではないか。

まあ、そういうことを伝えたかった。
力不足でうまく伝わらなかったと思っていたが、
ともあれ「シェア」の意味はもっと深いことを感じてくれたようだ。

★友達は“展覧会”を見に来ない! あなたに限らない、Facebookへの誤解

この記事はちょうど1年前に書いた。
タイムラインとニュースフィードの物語なのだけれど。
常識のように思われている「タイムラインは私のページ」という感覚。
実はこれがFacebookを理解しにくくさせている最大の誤解だ。

ていねいに説明したつもりだったが、わからない人はやはりわからない。
人は無意識に、本当に無意識にとしかいいようがないのだが、
「友達はブログやWEBのホームページのように自分のページを見に来る」
と思ってしまう。

だから"自分の部屋"を大事にする。
だから友達が投稿しようものならイヤな顔をする。
まして誰かが何かをシェアしてウォールに貼り付けようものなら・・・・。

タイムラインへの書き込みは、自分が仕様が友達がしようが、
シェアした投稿であろうが、タイムラインを経由して友達のニュースフィードに流れていく。
その意味では「バトンを手渡す1つの場」なのだ。
自分(だけ)の部屋ではない。
多くの人、多くの異質な投稿がひしめいている方が部屋は魅力的だ!

そのことをわかってほしくて、もう一度書き直した。

★タグ付けとシェア①|Facebookの「タグ付け」とは何か? 拡散機能であり、漏えいの原因にも!?


この記事は昨年10月10日、「電本カリスマ.com」に書いた。
その後、今年に入り1月19日に全面的に書き直した。
読んでみると、難解でよみにくかったからだ。
また「タグ付け」が強力な拡散機能を持っていることがうまく伝わっていなかった。
2度の書き直しで、少しはよくなったと思っていたのだが・・・・。


ブログの読まれ方を分析すると、以前は少なかった「タグ」への興味が、
最近はコンスタントにポピュラーポストになりつつある。
そこで「タグの基本中の基本」を書いたこの記事をまた読み返してみた。
すると、「読んでもらうに足るでき」になっていないような気がした。
それできょう、3度目の書き直しを行ったわけだった。


「コンパクトにする」と肝に銘じ、イラストもすべて作り直した。
以前の半分になった。盛るべき内容も「タグとは何か」に絞った。
なぜ「思わぬ漏えいにつながりんねないのか」という点は、
次回の解説に回した。これで全体がスッキリした。

"日本一わかりやすいタグ付けの基礎解説"になっただろうか。
読んでもらえるとありがたい・・・・。