トラスト -75ページ目

18. 石の地蔵さんを見ると

石の地蔵さんを見ると、

これが僕の人生なのではないかと、はっとする。

私たちにはそれぞれの人生があっていい。

歌の文句ではないけれど、いろいろな花が咲いていて奇麗だね。

ところが今は多くの国民が偏った教育理念に洗脳されて、

学校の勉強ができる子供たちが学歴を高め、

世の中で活躍する人間に育つのだ、という強い信念が蔓延している。

しかし、現実はどうかといえば、

たとえ優秀な官僚になれたとしても、皆、雇われて労働者になるだけだ。

そして、資本家や企業家といわれる一部の金持ちたちのために

働き蜂となって皆同じ生活を強いられている。

ボーナスなどを与えられ、グルメな食事を楽しんだり、海外旅行を楽しんだり、

自分の幸せがそうした楽しみにあるのだと思わされている。

僕はそうした皆が雇われ労働者になる束縛的人生はもうお仕舞にしよう。

年金だけだけど生きていけるだけの給料を国からいただいているのだから、

なんとか自由な生き方を考え出したい。

石の地蔵さんを見て、はっとした。

悩みを抱え、苦しんでいる人が

地蔵さんに心のうちを吐露するように、

そして少しでも心が安らかになれるように、

話を聴ける人間になろう。

地蔵さんは口が利けないから秘密はだれにも言わない。

そんな生き方で自分の人生の花を咲かせたらどうだろうと思った。

 

17. 太平洋にプラスチックゴミが漂っている

太平洋にプラスチックゴミが漂っている、

それも日本の面積の4倍もある範囲で漂っているそうだ。

僕は今日もお昼にプラスチック容器に入っているサラダを食べた。

レトルトの玄米ごはんもプラスチック容器だよな。

僕はプラスチックはリサイクルされると思ってきた。

日本人は多くがそう信じてプラスチック容器を捨てているのではないだろうか。

ところが、日本の業者はプラスチックを回収し、それをアジアの国に輸出しているそうだ。

実際にはアジアの国のどこかの業者がリサイクル作業をしているそうだ。

で、現実はそのリサイクルがうまくいかず、海に投棄する結果になっているようだ。

僕は一人の人間として、本当に申し訳なく思ってしまった。

僕が結局海を汚染していることになるからだ。

一人の人間としては、誰しも自然を汚染し、破壊などしたくはないのではないだろうか。

もし自分が加害者であれば、すぐにも反省し、生活を見直すのではないだろうか。

私たち日本人は、皆、個人としては他者に対しても自然に対しても温かく優しい気持ちを持っているように思う。今、時の人となっている、ボランティアの老人もそうした優しい国民の代表に思えてならない。

私たちは、いつも偽の情報に騙されている。

経済的満足感と快感を与えられ、その背後で多くの者と物を犠牲にしていることを隠されている。

戦争のときもそうだった。実際は負けているのに、勝っていると思わせられた。

今、車に乗り、電気を消費し、快適に暮らしている裏で、自然を犠牲にし、破壊しているのに、そのことは知らないままでいる。原発のゴミは、どこに捨てることになるのだろう。まさか、民間の業者に?そして海に!原発を稼働するたびにゴミは確実に出ているのに。

僕は、もう、自然を破壊する経済的豊かさにはなるべく組しないようにしよう。

いつか僕が亡くなった後に、少なくとも子供たちや孫たちが、人間として自慢できる生活を創造してゆこう。いつか多くの国民が自然を大切にする気持ちを思い出す国になるよう祈っている自分がいる。

16. 人生は自分で創造するものなのに

人生は自分で創造するものなのに、

親任せの人生にしてしまう子供たちが多いような気がする。

以前に、よく比喩したものだが、

自分という車の運転席に親が乗っていて、

自分は助手席に座らされていると言ったものだ。

こうした場合は子供が最後には引き蘢る可能性が高い。

人生はよくドラマに喩えられるけど、

人生は本当にドラマなのだ。

その脚本は本来自分で書くものなのだ。

だから、子供たちにはいろいろモデルを見せて、

子供がどんな脚本を書くのか親は楽しそうに見ていればいい。

そして年老いるまで自分の世界を築かせてあげればいい。

さて、とうとう年老いて、死ぬまでどういう脚本を書くのか、

それが僕の今の問題だ。

なぜかというと、僕はもう自分で脚本を書くのに飽きたからだ。

これからは、自分で脚本は書かず、

誰か他の人たちの要望に応じて生きていこうと思う。

これから僕の人生のドラマは無為自然、

つまり、神に僕の脚本を書くのを任せようと思う。

僕という車の運転席に神が座る結果となりそうだ。

自分の人生は自分で創造するものだ、

しかし、もう神様に自分の人生を任せたいと思う年頃になったようだ。

これもありのままの自分だと僕は思う。