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ひでのブログ

おもいうかんだことをいろいろかきます

久しぶりに小説を読んだ。
こども向けの本ではあるが,
十分に楽しめた。

とても売れているらしいので,
買ってみたのだが,
同時に買った本より優先順位が低く,
しばらく放擲していた。
内容が軽いので,
空き時間にぺらぺら読む程度だったのだが,
途中から急に面白くなりだして,
あっという間に読み終えてしまった。

英米の低予算映画や短編小説によくある
機知に富んだprettyなお話で,
読めば少し幸せな気持ちになれること請け合いだ。

主人公はさえない太っちょの中学生。
けっしておバカさんではないのだけれど,
いつもちょっととしたヘマをしてしまう。
そして,ツいてない。
それも,うまい具合に。
それでも,彼には誰にも負けない優しさと根性がある。

教育的な配慮もあったりするのだろうけど,
説教臭さは微塵もなくて,
ストーリーを邪魔しないところがいい。
ときどき無駄に伏線を張りまくって,
大風呂敷を広げた挙句,
うまく回収できていない話があったりするが,
この話はとてもコンパクトでできがいいと思うな。

Holes/Louis Sachar

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ロラン・パルトは

言語学とファッションという一見無関係なもの同士を結びつける

つまり,ファッションとは一種の言語活動であるというわけだ


衣服が20世紀以前に学問的に追究されてこなかったわけではないが,

その関心は主に下記の3つに限定されていた

1. 体温調節 (医学的観点)

2. 身体を隠す (道徳的観点)

3. 身体を飾る (美的観点)

この3つに加えて,バルトが導入したのが,

4. 意味作用

という視点である

身に着ける個々のアイテムは,ことば,あるいは記号であり,

いつも「何かを意味する」

もちろん,衣服は古代から人の身分や職業を表すものでもあったわけだし,

ファッションが人の内面を表現しているというのも,

今となってはそれほど新しい考えではない

つまり単純に言ってしまうと,

着ている服を見れば,

どこで暮らしていて,

どんなことをしていて,

どんなものが好きで

どんな人と付き合っていて,

どれくらいお金を稼いでいて,

どういう風に自分を見ているか,

あるいはどういう風に見られたいと思っているか...

何となく分かってしまうよ,
ということなのだが,

「ひとは,意味を生み出すために衣服を着る」とか,

「服を着ることは…本質的に意味作用の行為だ」という

ポストモダンなことを言ってのけたのはバルトが初めてであろうし,

この考えを徹底させ,

ファッションをまじめに言語学的方法で緻密に分析しようとしたのも,

彼が初めてであろう

その方法論つまり学問的基礎は下記に要約できる


1.社会と個人の区別

  総体:社会:個人

= Language: Langue: Parole

= 衣服:服飾 : 服装

ことばと衣服には,

人が,ことば全体のなかの,ある言語を,それぞれの話し方で使うように,

人は,あらゆる衣服のなかの,ある文化の服飾を,自分の着こなしで着る,

という関係があって,

この「服飾」と「服装」を区別しなくてはいけない


2.違い方の区別

言語と同じように,

衣服にも通時態と共時態があり,

時代による違いと文化による違いを区別しなくてはいけない


3.形と意味の区別

「ねこ」が「ねこ」と呼ばれることに,

「太郎」が「太郎」と呼ばれることに,理由がないのと同じく,

銀行員がスーツで仕事をすることに必然的な理由はない

たまたまスーツを着ることが決まりだから着ているだけだ

言語学が

signifiant(記号そのもの)とsignifié(記号の意味)を区別するように,

衣服もその見た目とそれが意味するところのものを区別しなくてはいけない


4. 歴史的時間の区別

歴史には3種類の時間がある

a. 一回きりの時間(出来事)

b. しばらく続く時間(情勢)

c. もっと長く続く時間(構造)

現代は情勢という観点で見れば

めまぐるしく流行が遷移する時代であるが,

それでも構造という観点で見ればひとつの時代であり,

その中での変わり方には規則性がある


5.アイテムの関係性の区別

単語の関係性には,

統辞的関係syntagmeと範列的関係paradigme,

どういう風につなげるかとどういう語彙を選ぶかという2つの方法がある

人間の身体の制約上,

衣服の個々のアイテムのsyntagmeには自ずと限界があるため,

モードとは主にparadigmの問題であり,

モードの変化とはパラダイム・チェンジ,

服の選び方そのものの変化,であるといえる

そしてファッション雑誌は,

春らしい色は○○です,○○が大人の着こなしです,

今年は○○がモテる,俳優××は普段○○を着ている,

などのようにコードづけをする

それは,一種の定義集,目録のようなものなのだ

ヒュームの経験論が唱えているように,

普遍的な「春らしい色」や「モテ服」は存在しない

あるのは目録上のことばの組み合わせによる習慣的な法則だけだ,


というわけである



これらは初期バルトを特徴づける典型的な構造主義の捉え方であり,

モード論というよりむしろソシュール言語学そのものに近い


「モードというものはクチュリエたちの独創性によってではなく,

何かの規則性によって生まれるものだ」
というバルトの主張は,

またしてもポストモダン的な,実にポレミックなものであるが,

新しいものは何もないとか,

ファッションの重要性を何ら否定するものではなく,

むしろ変化の仕方に対する彼の関心を示しているのだ




以上,別に言うべきこともないので,ただの要約ということで。


ロラン・バルト モード論集 (ちくま学芸文庫)/ロラン バルト

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「人はいかにして悪をなしえるのか」
ナチス・ドイツの親衛隊隊員アドルフ・アイヒマンが
諸国の人々に与えた衝撃は,
いわゆるユダヤ人の『最終解決』の事実そのもののみならず,
彼がユダヤ人嫌いで,流血を好む,社会的逸脱者などでは決してなく,
彼がまじめで凡庸な役人であった(と言われている)ということである。
ただし,こうした「常識から外れた」結論を好むこともまた,
社会の常識であるので,彼へのこの評価も信頼に値するかは疑問である。
話を面白くするために,しばしば犯罪者や被害者の評価が変わるのは,
ごく頻繁にあることだ。

ミルグラムの行った有名な実験は,
権威というものが服従する人に対して
どの程度,そしてどのように作用するのか,
という疑問点に関わるものであり,
アイヒマンの事例とも大きな関わりをもっている。
実験とその分析については,
すでに『服従の心理』とその解説において,
非常にわかりやすい形でまとめられているので詳述は避けることにするが,
興味があるのは,
この分析が社会にどのように影響を与えたのか,
という点である。

ミルグラムの実験は「アイヒマン実験」と呼ばれ,
アイヒマンの事例に限定して解釈されたり,
「まじめな人こそ危ないんだよ」などという一般論に要約されてしまい,
結局その影響は限定的なものにすぎなかった。
世界は決して悪しき服従から自由になどなっていないのだ。
そして逆説的にミルグラムの実験結果が一種の権威になってしまっている。

ミルグラムが本書で指摘していることで見落とされがちなのは,
服従よりも同調の方が強い力を発揮しうるということだ。
そして服従した人は,
自分のした行為が服従によるものであることを素直に認めるが,
同調した人は自分が同調したことを認めず,
自分の意志で決定して行動したと主張しがちであるという点である。

訳者はあとがきで指摘をしているように,
人はいつでも他人を傷つけることを嫌がるわけではなく,
戦争における残虐行為は必ずしも権威への服従を意味するわけでもない。
むしろ残虐行為は軍の規律への服従よりも,
仲間への同調の影響が強かったために生じることもあるのだ。

権威とは政府,学校,会社など目に見える組織を指すのではなく,
フーコーが主張しつづけたように,
社会の配置(アレンジメント)の形態によって生じる力の流れなのである。
ミルグラムは本書において,
(上への)「服従」と(仲間への)「同調」を弁別しているが,
それは権威の作用する社会的配置の差異であるとも言える。
人は結局のところ「何にも服従しない」という選択はできない。
ニーチェ的に言えば,人は無にさえ服従するのだ。
私たちは自分が何に服従しているのか,
その服従にはどんな意味があるのか,
ということに意識的であることが求められているのであろう。

とても読みやすい本であるが,
非常に示唆に富んだ本であり,
読み物として純粋に面白い。


服従の心理 (河出文庫)/スタンレー ミルグラム

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極限状態にある人間の心理を描いた同傾向の本であるが,
こちらもまた読みやすく,面白い。
実験ではなく,実話であるだけによりヘビーではあるが。

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)/デーヴ グロスマン

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