連日坂口さんの話ですみません。
昨日の「お金の学校」に続いて、今日は別のシリーズ、「土になる」を読みました。
躁鬱状態が落ち着いているらしく、ずいぶん文章の感じも落ち着いています。
これは、坂口さんがファミリー農園を借りることを思い立ち、野菜を育て、その関係でいろいろな人と知り合っていく様子を日記として書いたものです。
突然畑をやろう、と思い立ち、即行動。そして、めっちゃ真剣に畑と向かい合っていく様子が克明に綴られています。畑の様子をじっくり観察し、ちょっと教えてもらったヒントをそれはどう言う意味かと熟考し、また行動に移す。
以下、
より。
…
毎日、畑に行く。雨の日も水を撒く必要はないが、様子は見に行く。朝、仕事して、昼過ぎに畑に行っていたが、どうも水撒きの感触がわからない。撒いている量が多いのか少ないのかわからず、しかも翌日はすっかり干からびていた。わからないから、ヒダカさんに聞いたら「野菜は夜育つからねえ」と教えてくれた。それだと朝や昼に撒くと、成長する夜まで時間がありすぎるし、その間に太陽の光で水が蒸発するような気がする。昼間暑くなったところに、お水をあげた方がいいんじゃないかと思っていたが、暑くなった体に冷たい水をかけると、びっくりしそうだ。残った水が煮えちゃうかもしれない。僕は夕方に畑に行くことにした。午後5時から畑に行くという日課になった。
ところが、僕は西日が苦手で、これまで毎日午後3時から午後6時まではアトリエの中にカーテンを閉めてこもって絵を描いていた。西日を少しも浴びずに過ごすようになったら鬱になることがなくなった。だからこの日課は崩せないと思っていたのに、畑のためだと思った途端、午後2時から午後5時まではアトリエ、そして午後5時から午後7時までは畑と、すぐに日課を変更した。
この時に何かが変わったような気がする。僕の時間で動こうとしていたが、そうではなくなった。野菜の時間に合わせるようになったというよりも、土だ。土の時間に合わせているわけでもない。そうではなく、土のことを考えて、二人で時間を合わせたような感覚に近い。待ち合わせして、一緒に何かをする、つまり、野菜を育てる、ということをしようと、僕がようやく声をかけたのかもしれない。しかし、不思議と、それによって日課がまた変更したのだが、それは僕の体にもいい作用を起こしている。本来の時間が戻ってきたと感じている。経験していないことなのに、初めての畑なのに、そうではないと何か感じている。何か、としか言えないが、わからないわけではない、僕はわかっている。知っていると思っている。土は僕に時間を調整するように、昼間、畝の表面と水との具合で伝えてきた。僕もそれを感じたからヒダカさんに聞いた。ヒダカさんは何も言わない。だんだん百姓になってきたな、とこの前言われた。
…
自分が絶対だと思ってたことも飄々とかえる。そこからまた成長する。
自分に全く嘘がなく、興味を持ったら即行動、はじめたことに120%真剣に取り組む。だからものすごく成長する。
こんな風に生きたいです。
そして、日記を読んでたら、野菜が育てたくなりました。今まで全く興味がないどころか、拒否してたのに!
ちょうどいい時期だし、庭の一部を畑にして、真剣に遊んでみようかな。
ハーブコーナーも作りたいです![]()


















