朝、長女のゴミ箱のような部屋を掃除したときの、ため息をつきながらの感想![]()
「みんな、娘に喜んでほしいから、クリスマス、誕生日、その他いろんな機会にプレゼントをした。その結果がなんでこんなゴミ箱のような部屋なんだろう…。消費社会に完敗してるよ
。」
私が「アートを買いたい!」というのも、結局のところ、他の人が作ったものの消費。
さらに言うなら、今まで消費を娯楽としてしてきたことの延長。
苫米地英人さんが「コンフォートゾーン」を解説している動画で、
「今あなたが、自分の会社の社長になりたいというゴールは、現実の延長だから、コンフォートゾーン内のゴール。コンフォートゾーン外のゴールというのは、今、やり方が想像つかないようなことをゴールにすること。」
というようなことをおっしゃってました。
アートを買う、っていうのは、まだやり方がはっきりと分からないけど、買い方を勉強すれば見えてきて、お金さえあれば達成できること。今までの消費行為とその意味では一緒で、コンフォートゾーン内のゴールと言えるんじゃないかな??と気づいてしまった…。
今、表ブログと裏ブログを毎日のように更新しています。
そして、自分で毎日書き物をしていると、人の描いたものを読む欲求がそんなにおこらないことに気が付きました。
以前は、ありとあらゆるSNS、ブログ、興味がある分野の記事を読み漁っていました。
自分の中の「表現したい!」という欲求を、人が書いたものを読むことで満足させようとしていたのでしょう。
その論理で行くと、私の「美しいものに囲まれて生きたい」という願いは、「自分が美しくありたい」という欲求を外側で満たそうとしている行為だといえます。精神的にも肉体的にも美しくありたいけど、その理想に自分が追いつけていないから、所有することで満たそうとする。
実はそれは、アートコレクターのクリスチャン・ボロスさんと奥さんの写真を見ていたときに、ピン!ときました。この人、美しいものが大好きで、自分が本当は一番美しくありたいけど、それが肉体的な制限から無理だから、理想の美しさをもつ奥さんと結婚して、超幸せ
なんだろうなー、って。(私が感情移入しすぎているせいで、もしかしたら全然違うかもしれません。人のこと決めつけてすみません
)
私が、心のどこかで夫の方が偉い、と思っているのは、精神的にも、彼の方が美しい、と思っているからです。
(その話はここで書きました)
ということは、その欲求を内面化して、自分が美しくなって、美しいものを創造できるようになればいいわけです。
肉体的な理想を達成するのは、生まれ持ったものの制約があるから無理としても、自分の限界を受け入れながら、「自分が」求める美しさを追求することは出来る。精神的な美しさ、これは今、「自分に還る」、「自分の心に究極に正直になる」ことで目指しています。
そして、美しいアートを所有したい、という欲求は、自分で制作して満たせばいいんじゃないのかな??
私が欲しいのは、明るい色の抽象画です。前にも上げましたが、こんなの↓
私は細かい作業が苦手で、漫研時代は自分の絵に常に不満足でした。そして、手芸も何回も挑戦しましたが、なにしろ大雑把なので、自分の作品に満足したことがありません。できた途端、捨てたくなる。だから、自分は創作の才能はないものと決めつけていました。
でも抽象画だったら、私の大雑把さと直観力が逆に武器になって、しばらく描き続けていればもしかしたら何とかなるんじゃない?
今まで何度挑戦しても、「やっぱりだめ」と思って消費するほうに戻ってきてしまったんだから、「創作を続ける」ことこそ、ラーニングゾーンかな??
きゃー、ますます楽しくなってきた!!


















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