サムエル記上29章6~11節
〔新共同訳〕
【ダビデ、ペリシテ軍から離脱する】(2)
6アキシュはダビデを呼んで言った。
「主は生きておられる。お前はまっすぐな人間だし、わたしと共に戦いに参加するのをわたしは喜んでいる。わたしのもとに来たときから今日まで、何ら悪意は見られなかった。だが、武将たちはお前を好まない。 7今は、平和に帰ってほしい。ペリシテの武将たちの好まないことをしてはならない。」
8ダビデはアキシュに言った。
「わたしが何をしたとおっしゃるのですか。あなたに仕えた日から今日までに、どのような間違いが僕にあって、わが主君、王の敵と戦うために出てはならないというのでしょう。」
9アキシュはダビデに答えた。
「わたしには分かっている。お前は神の御使いのように良い人間だ。しかし、ペリシテの武将たちは、『彼は、我々と共に戦いに上ってはならない』と言うのだ。10だからお前も、お前と一緒に来たお前の主君の部下も、明日の朝早く起きて、日が昇ったら出発しなさい。」
11ダビデとその兵は朝早く起きて出発し、ペリシテの地へ引き返して行った。ペリシテ軍はイズレエルに向かった。
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(聖句雑感)
ダビデさんの弁明。
「わたしが何をしたとおっしゃるのですか。あなたに仕えた日から今日までに、どのような間違いが僕にあって、わが主君、王の敵と戦うために出てはならないというのでしょう。」
これって、本音?
違うわよネ、ダビデさん。
でも、ダビデさんなら、
戦場でも上手に立ち振る舞ったのでしょうか。
たしかに、一癖も二癖もあるダビデ軍団。
サウル王をよしとしない人々の集まり。
だけど、どうだろう。
ペリシテのためにイスラエルに挑めるのか。
ヤハウェを敵に回せるのか…。
ダビデさん、
ほんとうにギリギリの歩み、です。
このときのダビデさんを
イスラエルの神、主はどのように御覧になっていたのだろう?
御目に適っていなかった。
だからこそ、ペリシテの首長達を通して
反ダビデ意見が用いられた。
ダビデ軍団は、イスラエルとの戦いを回避できた。
アキシュには最後まで疑われず、
しかも、
ダビデ軍団の誰一人命を落とすことなく
領地に戻ることができました。
あっぱれです。
主の助け。
そんなこと思いました。
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解説を見てみました。
■新実用聖書注解465p
6節で異教の王アキシュが《主は生きておられる》と言っているのに驚かされる。ダビデに敬意を表して言ったのであろうが、アキシュに与えたダビデの感化も感じさせる。アキシュは、ダビデを買いかぶりすぎるほど、彼に好意を覚えていたので、ペリシテ人の首長たちの抱いた疑惑を申し訳なく思い、ダビデにわびる思いで、ペリシテ帰還を彼に頼んでいる(6-7)。ダビデは、内心ほっとしたはずであるが、アキシュに対し、一緒に行けないのは心外であると答えている(8)。しかし、彼はアキシュの願い通りに、部下たちと共に朝早く起き、ツィケラグへ帰って行った。ペリシテ人は、戦場を目指して行軍を続けた(11)。
■牧師の書斎
リンク☞窮地の中で「主の御名によって奮い立った」ダビデ - 牧師の書斎 (meigata-bokushin.secret.jp)
はじめに
- 詩篇23篇の結論となる最後の節に「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみ(トーヴ)と恵み(ヘセド)とが私を追いかけてくる」とあります。サムエル記29章と30章は、そんな告白をしたダビデの背景を垣間見させてくれます。まさにダビデはその名前が意味するところの神に「愛される者」なのです。神に「愛されたダビデ」を知ることは、実は神を知ることでもあるのです。
- 29~30章には神による三つの逆転劇が記されています。神の助けはいつも予期せぬところからやってくるということを教えています。
1. イスラエルとの戦いに参戦しなくともよくなったダビデ
- ペリシテ人とイスラエルが全面戦争になった場合、ダビデの立場は苦境に立たせられたはずです。サウルとの戦いも予想されました。ペリシテの領主の一人アキシュのもとに身を寄せたダビデは、アキシュから絶大の信頼を得ていました。その信頼はダビデが偽って得てきたものでした。二重生活を続けてきたつけがここで試されるときが来たのです。ダビデが自らそれを回避することはできない立場(状況)にありました。
- ところが、ダビデがアキシュの信任の下でいざ参戦の構えを見せたとき、他のペリシテの領主たちからの信任を得ることはできませんでした。いつ裏切られるかもしれないという領主たちの懸念があったために戦いから排斥されたのです。そのためにダビデは自分たちの住処に引き返すことになりました。
- イスラエルとの戦いに参戦しなくてもよくなったことにダビデは内心ほっとしたはずです。全く予期しなかったことでした。ここに神の配剤を見ることができます。主の守りと導きがあったと言えます。
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■clay解説全文
アキシュの釈明
人のいいアキシュ
アキシュはダビデを呼んで、なぜ彼を戦場に連れて行けないかを説明します。ペリシテ人の領主でありながら、アキシュは実に人のいい人物だったようです。ダビデのことを完全に信頼しきっています。見方を変えれば、それだけダビデが完璧に相手を欺いていたとも言えます。
(1)異教の王アキシュが、「主は生きておられる」と語っています。彼はペリシテ人の神を持ち出さずに、ダビデの神の名を呼んでいます。これは、彼が誠実に事態の釈明をしようとしていることを表わしています。
(2)アキシュは、自分としてはダビデに行動をともにしてほしいと願っているが、他の領主たちがそれに反対していると告げます。
(3)結論として、他の領主たちを怒らせないために、穏やかにツィケラグに帰ってほしいと告げます。
ダビデの演技
この申し出に、ダビデは内心ほっとしたはずですが、アキシュに対しては、いっしょに行けないのは心外であると答えています。しかし最後は、アキシュの願いを聞き入れて、部下たちとともに翌朝早く、ツィケラグへ帰って行きました。かくしてダビデは、自分で努力することなしに、板挟みから解放されました。
(1)彼は同胞のイスラエル人と戦う意思は全くありませんでした。
(2)しかし、戦いの中でペリシテ人を攻撃するのも、非常に危険なことでした。この時点では、ダビデはまだ気づいていませんでしたが、今回の戦いではサウルとその息子たちは戦死することになっていました。これが、主のご計画でした(私たちには、28:3~25でそのことが知らされていました)。もしダビデがペリシテ人と戦って、サウルを助けたとしたら、それは主のご計画に反する行為です。
(3)ペリシテ人の領主たちの異議申し立てによって、ダビデをその戦いから解放することは主のみこころでした。
私たちの人生においても、主は同じように働いてくださいます。
「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10:13)。ハレルヤ!主よ、感謝します。
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きょうの祈り
天の父よ。あなたは見えざる御手をもって私を守り、私を導いてくださいます。きょうも、私を義の道へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
列王記第一11~12、使徒の働き18
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2024年6月24日(月)☀28℃
6月も最後の週。
為すべき事を為させ給え、と
祈り願うばかりです。
「ダビデ」を愛し導いてくださった「神」も
わたし(たち)を守り導いてくださる「神」も
全く同じ「神」さま。主イエス・キリスト。
そのことを思い、感謝いたします。
ハレルヤ
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「試練と共に脱出の道も備えてくださる」
神さま。
わたし(たち)の為すべき事は、
神さまの「御計画」を知ること。
既に示されていることと
未だ隠されていることがあるのなら、
すでに示されていることを知って
理解することができますように。
主の御心を行うことができますように。
ハレルヤ
尊き主イエス・キリストの御名により
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
アーメン