人生は日々様々な選択を迫られている。
その選択の一つ一つによって自分なりの人生が形成されていく。
そしてその結末は良かれと思って選択した道が必ずしも満足のいくものではない場合もあるし、心ならずもの選択だったにもかかわらず満足のいく結末を迎えることもある。
本書は様々な選択の末路をその道の専門家に聞きとり取材したもので、なるべく失敗しないための警告の書であると同時に、世間的に失敗と思われるような選択をしたとしても、必ずしもそうではないですよという応援の書でもある。
さて、あなたはどんな選択をするだろうか?
表題の「宝くじで1億円当たった人の末路」とはどんなものだろう。
巷でよく言われる「ロクなことにならない」だろうか。
それとも「気を引き締めていれば有効な使い方ができる」だろうか。
取材相手はマネーの専門家、マネーフォワードの瀧氏である。
答えは、やはり多くの人がロクなことにならないそうだ。
もちろん、それなりに有効な使い方をしてその後の人生を大きく良い方向へと変えた人がいないわけではない。
以前、テレビで知ったケースでは、確か2億円の宝くじが当たった人だったかと記憶しているが、その方は食べることが好きだったので、周囲の誰にも当選したことを言わずにただひたすら高級料理を食べ続け、ついには当選金額すべてを使い切ったという。
そしてその経験をもとに彼は料理関係の仕事を立ち上げ、成功を収めたという話だったと思う。
彼が偉いのは高額当選を果たしても、舞い上がることなく、ただ淡々と好きな料理を一人で食べ続けたということ。
多くの人も仮に当選しても誰にも言わずにおこうと考えるらしい。
しかし、やはり当選者の多くはその興奮を抑えられずつい人に話してしまう。
話さないまでも金遣いが荒くなり、結局はばれてしまうのだそうだ。
すると、会ったことのない遠い親戚まで現れて、その恩恵にあずかろうとするという。
たかられるぐらいはまだ良い方で、時には家庭崩壊になるケースもあるという。
まだ当選しないうちに、仮に当選したら何に使うかという話し合いだけでも互いの意見が合わずケンカになることもあるというのだから、実際に当選した後はどのようになるかは想像に難くない。
そこまでではないにしろ、当選後は食卓での会話がお金にまつわるものだけになってしまうともいう。
まさにお金に振り回される状態になるのだろう。
先の2億円当選者の方がそこまで考えて計画的に使ったのかどうかは分からないが、食事以外で散財することもなかったし、もちろん誰かと一緒に食事に出かけることもなかったので、全く周囲に知られることなく、数年間の美食生活を続けられたという。
その美食生活は高額当選の幸運を実感したいがための行動ではなく、純粋に自分の興味のあることを追求することに使われ、その経験をきちんと知識として蓄積したからこそ、当選金を使い果たした後、それを生かした仕事を立ち上げることができたのである。
これぞ、宝くじ高額当選者の理想的な姿ではなかろうか。
ちなみに、店の人たちにはどこかの資産家の人と思われていたらしい(笑)。
宝くじを買う人びとはよく「夢を買っているのだ」と言う。
それは当たらないことを前提に言っているのかもしれないが、万が一、当たってしまった時のことを想定しておかないと、同じ轍を踏むことになる。
なお、2020年の岩手県の交通事故で亡くなられた方は46人で、10万人当たり3.79人(全国平均は2.3人)になる。つまり、岩手県民が交通事故で亡くなる確率は0.00379%である。
そして、1億円以上の当選確率は0.00003%となるようなので、事故で亡くなるよりもさらに100倍以上も起こりえない確率となる。
この数字をどう見るかはそれぞれだが、当選後のトラブルにはゆめゆめご用心のほどを。
「一億円なんて高望みしないから、何百万か当たるだけでいいの~」との声が聞こえてきそうだが(笑)。
こんな末路についてはどうだろう。「友達ゼロ」の人の末路。
自分も「友達」の少ない人間だと思う。
それでも病院勤めの時は同僚とよく山にも行ったし、飲み会もそれなりに行っていたが、独立し、そのような付き合いがなくなると、まぁなかなか人との交わりがなくなる。
ほとんどが年賀状の交換だけで終わっている。
もともとインドア生活が全く苦にならない人間なので、仕事以外で人との交流がなくなってもそこまで悩んではいなかったが、漠然と「このままでいいのか」という思いもあることはあった。
やはり、「友達ゼロ」の末路は悲惨だろうか。
聞いたのは人間関係に詳しい明治大学文学部の諸富教授である。
諸富教授が言うには、「友達ゼロ」の人には大きく二つのタイプがあるそうだ。
一つは自分の人生を充実させるために人間関係に過剰に時間を奪われるのが嫌で、人脈を整理していったらいつの間にか一人で過ごす時間が増えていった人。
もう一つは飲み会にも行きたいし、友達が欲しくてしょうがないと感じながらもなぜか周りに嫌われ、泣く泣く孤立している人。
当然ながら後者は問題である。
人とのコミュニケーションがうまく取れていない証拠なのだから。
しかし、前者であっても果たして問題はないのだろうか。
友人の存在は余暇を楽しくさせ、心を、人生を豊かにし、人脈の広がりによって仕事にも好影響を与えるものではないのだろうか。
もちろん、そのようなプラスの側面もあるだろうが、諸富教授は(前者のケースでも)全く問題ないと断言される。
「一人の時間を過ごせる力」いわゆる「孤独力」は、現代をタフに、しなやかに、クリエーティブに生きるための必須能力だという。
なので、孤独を愛する人は人生を充実させるうえで強烈なアドバンテージを持っているといっていいとのこと。
ともすれば「友達がいない人間は価値が低い」「単独行動が多いのはわがまま」などという価値観の方が強くなりすぎ、昼食を一緒に食べる相手のいない会社員(特に女性)が鬱やノイローゼになってしまう「ランチメイト症候群」なるものも生まれているとか。
ひどいところでは会社の部員全員で毎日ランチに行くことを強制され、時間やお金の浪費に悩まされているところもあるという。
何ともおかしな話である。
昼休み時間ぐらい一人の時間を作らないと、いいアイデアもでないと諸富教授はいう。
本当に優れた発想というのは、一人で自分の内面と深く会話している時間にこそ生まれるものなのだと。
そのようなことが生まれる背景には、日本全体を覆う「同調圧力」があるそうだ。
「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」
「周りと群れて、つるみ、同じことをすること」
そんな価値観の中で、孤独でいることを異端視する風潮ができていったのだと。
また、表面的であっても幅広い人間関係を維持し、日々に忙殺された方が楽に生きられるという側面もある。
常に飲み会やSNSで誰かとつながり、スケジュールを埋めていけば心をマヒさせることができ、本当ならば孤独の中で自分の心を深く見つめなければ解決しえない問題も無視することができるのだと。
そういう意味では「群れる」「つるむ」というのは不安を打ち消すことのできるとても便利な道具なのだそうだ。
ん~なるほど。
深刻なのは思春期の精神的に未熟な時代に、常に周りの人間に無理に合わせようとすることで心に歪みができてしまい、「友達のことを刺してしまいそう」とつぶやくようなケースも生まれているのだとか。
それは社会人になっても同じことで、さすがに「刺す」云々まではいかないにせよ、「心の病」を発症してしまう。
そういう生き方をしていると、自分というものを見失い、自分がどうしたいのか、も分からなくなってくる。
だから、人生の節目や、レールから外れた時になかなか立ち直ることができなくなるとも。
一方、一人の時間をしっかり持っている人は自分と向き合い、深い部分で本当はどう生きたいのかをよく考えていることが多いから、どんな時も心のバランスを維持することが可能だという。
また、友達がいないと万が一の時に助けてもらえない、と考える向きもあるようだが、これも結局表面的な付き合いだけの人がいざというときどれほど親身になって助けてくれるものか。
孤独な人には孤独を知る人ほど深い付き合いができるようになって、そのような人ほどいざというときには力になってくれるものだと。
なるほどねえ。
「孤独力」か。
それも一つの力なのだ。
ただ、一つだけ気になることがある。
それはコロナが流行っていたころ頃に
「同調圧力には屈しない」
などと言って、マスク着用を促す者に対して反発する際の言葉として使われることが多かったこと。
果たしてそれも同調圧力なのだろうか。
マスクは着用すれば100%ではないにしろ、それなりに予防効果があることは証明されている。
なにも文化や思想を同調させろと言っているわけではなく、科学として皆が行ってこそ意味があるものである。
本来合わせる必要のないものまで合わせようとするのが同調圧力である。
合わせなければならないものは「同調圧力」とは言わない。
論理のすり替えが得意な頭のいい人にこそそのような言い訳で反発する輩が多いように見受けられるが、振り回されないようにしたいものである。
本書では24の選択の末路について書かれている。
その中にはあなたが選択で悩まれているものもあるかもしれない。
一読してみてはいかがだろうか。
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