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こけ玉のブログ

不惑の年などもうとうに過ぎたのに、いまだに自分の道も確立できていない。
そんな男の独り言。

またしても米兵による事件が起きた。

沖縄で、16歳以下の少女が連れ去られ、暴行を加えられたという何とも痛ましい事件だ。

事件が起きたのは去年12月。

米空軍兵の男が16歳未満の少女をわいせつ目的で誘拐し自宅で性的な暴行を加えたという。

少女はすきを見て逃げ出し、被害を受けたその日のうちに少女の関係者が警察に通報し警察が米軍の捜査機関と共同で捜査し、在沖米空軍所属の兵長、ブレノン=ワシントン被告25歳を特定。

任意で調べを続け、今年3月に那覇地検へ書類送検していた。

その少女の事件とは別に、今年1月や5月にも在沖米兵による性的暴行事件が起きている。



事件が起きるたびに米側は綱紀粛清を誓うが、卑劣な性犯罪は長年繰り返されてきた。

県警によると、沖縄返還された1972年から2023年の51年間で、米軍構成員など(米軍人、軍属、その家族)の刑法犯による摘発は6235件、摘発者は6124人に上るという。

そのうち、殺人や強盗、不同意性交などの凶悪犯の摘発は586件、759人にもなるそうだ。

今年1~5月の米軍人・軍属らによる殺人や強盗、不同意性交などの凶悪犯の認知件数は5件(暫定値)で、前年の2件をすでに上回っている。

これらは沖縄に基地があるがゆえに起きている事件である。

もちろん、米国人だけが事件を起こしているわけではないが、米兵による事件というものは基地の存在ゆえであることは紛れもない事実である。



そうした事件そのものも言語道断だが、更に許せないのは日本政府の対応である。

県警から県への報告はなされぬままに、外務省にはその事実は伝わっていたようだ。

しかし、3月の起訴された時点で外務省はエマニュエル駐日米大使に対して抗議していたにもかかわらず県には連絡していなかった。 

今週になって報道によって沖縄県知事の知る所となったのだ。



米兵による性的暴行事件と言えば、1995年に起きた12歳の少女に対する暴行事件が思い出される。

これをきっかけに沖縄の怒りが爆発し、基地の移転問題へと発展したのだ。

そしてこれを機に沖縄には外務省沖縄事務所が開設された。

そうした体制を作りながら県への報告がなされないままだったのだ。

それはなぜか。



それについては次の記事が実に的を射た分析をしている。
【米兵少女暴行事件】なぜ県に連絡がなかったのか 「事件の隠ぺい、重大な問題」と識者は指摘 | TBS NEWS DIG (1ページ)


下記はその記事から転載した時系列を示す図である。

 

事件が発生してからの半年間に、沖縄の基地をめぐる非常にセンシティブな事柄が続いているのだ。

 

このような時期に、再び1995年のような沖縄の人々の怒りに火をつけるようなことが起きれば、県議選にも大きな影響が出たことだろう。

 

果して自公が辛くも過半数を確保するという結果となった。

 

そしてこのタイミングでの情報が流れて報道を通じて沖縄県知事が事件を知るという何とも屈辱的な状況を作り出したのだ。

 

エマニュエル大使は視察の際には非常ににこやかな様子で事件のことなどつゆほども感じさせずに、ひたすら日米同盟の重要性を語っていたという。

 

 

報道を受けて事件を知った沖縄県は即時大使を呼び抗議をしたが、エマニュエル大使からは「遺憾である」とは言うものの、被害者への謝罪の言葉などは全く聞かれなかったそうだ。

 

結局、「No」と言えない日本政府のせいで、どこまでもなめられているということだ。

 

ちなみに米兵は保釈され、基地内で「拘束」されているという。

 

さぞかし、優雅な「拘束」生活を送っていることだろう。

 

 

外務省がどの時点で事態を把握していたのかは分からないが、少なくとも起訴の時点では知っていたわけだが、県への報告をしなかったことについて、

 

「常に関係各所への連絡通報が必要であるという風には考えておりません」

とうそぶいている。

「プライバシー保護の観点から」とその理由を語っているが、何も個人情報を開示しろなどと言っている訳でもなし。

沖縄をないがしろにするにもほどがある。




国民の被害よりも基地を優先させる自公政府。

しかし、現実に被害を被った人々がたくさんいるのだ。

彼らに対して自公政府は胸を張って、「国民を守ります」と言えるだろうか。

今回の被害者の少女の目には「自分よりもアメリカを守ろうとする国の姿」が映っていることだろう。

 

 

 

 

2~3年前の正月、元同僚の後輩からもらった年賀状に「もう小野寺さんも若くないのだから」という一文が書いてあって、少々ショックだった。

確かに翌年には「還暦」と呼ばれる年齢になる時期だった。

彼女とは20年近い年の差があったので、自分もついに労られる年齢になってしまったのかと。

そして、そういう年齢になればなるほど、身体のことだけでなく、誰もが心の奥底で一つの心配事が生じてくることだろう。

それは認知症にならずに老齢期を無事に過ごすことができるかどうかということ。

おりしも、現在自分の母親が入院中で、最近独自の世界をさまよい始めている。



認知機能の低下。

それは好むと好まざるとに関わらず、意識する・しないに関わらず、誰もが直面する問題である。

徐々に失われていくアイデンティティーに本人も恐怖を覚えるだろうし、往時の姿を失っていくことは近くにいる者の目には多くの場合、悲しみとなって映る。

そして、場合によっては周りの者たちを苦悩の渦に巻き込むこともあるかもしれない。

現実はシビアな問題を突き付けられることが多くなるだろう。

ただ、その世界は恐怖と悲しみと苦悩だけで100%満たされるわけでもない。そう感じさせてくれるのが本書である。



認知症を取り上げた本といえば、当ブログでも以前に紹介させていただいた有吉佐和子の「恍惚の人」が有名である。
「恍惚の人」~ 有吉佐和子 | こけ玉のブログ (ameblo.jp)


今の「介護保険」が生まれる時代背景を描いた作品であった。

また、「八重子のハミング」ではアルツハイマーの妻と夫のうらやましいまでの理想的な関係を、
「八重子のハミング」 陽 信孝(みなみのぶたか) | こけ玉のブログ (ameblo.jp)


「ボクはやっと認知症のことがわかった」では認知症を患った医者の手記を紹介させていただいた。
ボクはやっと認知症のことがわかった ~ 長谷川和夫 | こけ玉のブログ (ameblo.jp)


どの本にも介護の大変さが描かれており、改めて認知症やアルツハイマー患者を抱えることの大変さを思い知らされるのであるが、同時にどの本の中にも描かれているのは、例え連れ合いや家族の名前が分からなくなったとしても、相手が自分にとってどのような関係性の人であるのかが分からなくなったとしても、そこに存在しているだけで当人が安心していられるという絆の存在である。



東昇平は長年校長を勤めあげ、退職後も地域の図書館長を務めるなど、いわゆるエリートコースを歩いてきた。

そんな昇平があるとき、2年に1回行われてきた同窓会の場所にたどり着けなかった。

毎回同じ場所で開かれ、もう何十年と続いてきた会だったが。

そのことでアルツハイマーであることが判明した。

病気の進行はそれほど急速に進んだわけではなかったが、確実に深めていった。

徘徊の始まり、介護の拒否、人物認識の欠如。

しかし、人とのコミュニケーションの中で、ふと垣間見えるユーモラスな場面に、読み手もふっと救われるのである。



東家には娘三人がいるが、長女は夫の仕事でアメリカ在住、次女も結婚して他家に嫁ぎ、三女はまだ独身だったが、仕事が忙しく実家が顧みられることはあまりない。

結局、介護は妻である曜子がヘルパーや介護施設を利用しながら一手に引き受けざるを得なかった。

しかし、ある時、曜子が網膜剥離を起こしかけ、2週間の入院を余儀なくされるのである。

三人の娘たちは父親の介護や今後の問題へ直面せざるを得なくなった。。



娘たちは退院後の母親に負担をかけぬよう、いろいろ手立てを講じる。

それ自体にはどこにも間違いはないのであるが、曜子にはどこか面白くない。

昇平に関しては自分が面倒を見てきているという自負があるのだ。

そして、昇平にも理由は分からないが、いつもそばにいてくれた人がいなくなったことによるさみしさが襲う。

人には、例え相手が誰であったか分からなくなったとしても、深いところに断ち切れぬ絆というものがあるらしい。



アメリカでは認知症のことを「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」と表現するという。

少しずつ、少しずつ、忘れていきながら、さようならをするから。

認知症になって、食事をしたのに食べていないと言い張ったり、家にいるのに「帰る」と言ったり、周りの人間には理由もわからず怒ったりすること、それは妄想かもしれないが、本人の焦りや怒りや思いは、本物である。

そんな混沌の世界に生きたとしても、誰か知らないけれども安心できる人がそばにいてくれたなら、決して不幸にはならないのではないだろうか。

認知症の父親をみとったある人が言った。

例え周りに迷惑をかけたとしても自分が謝って回ればいいだけの話。

本人が幸せを感じながら生きてくれていればそれでいい、と。

なかなかそこまでの境地にたどり着くのは難しいかもしれないが、認知症の人を温かく受け入れてくれる社会が醸成されていけば、おのずとそのような人も増えてくるかもしれない。

そんなことを考えさせてくれる一冊であった。

 

 

 

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盛岡・若園町の おのでら鍼灸経絡治療院 
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この疾患名をみて、てっきり見た目が雪のように白い状態になるのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

日本語では視界砂嵐症候群とか雪視症などと呼ばれる。

現在のテレビもそのようになっているのかどうかわからないが、昔のテレビは、その日の放送終了後に画面が砂嵐のようなものが映ったが、そのような砂嵐や、あるいは「雪」のようなものが見えるという症状である。

多くの患者は明るい場所よりも暗い場所でより多くの砂嵐が見えると報告しており、内因性の視覚ノイズであろうと推定されている。

まだまだ不明な点も多く、眼科医の中でも認知度も低い疾患とのこと。



本疾患患者の多くは砂嵐に加えてスターバースト(星状の画像)、残像の増加、フローター(飛蚊症)など他の視覚障害も併せ持っているという。

目をつぶっていても砂嵐は見え続ける。

以前は偏頭痛の前駆症状と考えられていたが、現在ではそれは否定されている。

しかし、併存することが多いのは事実のようで、この偏頭痛は視覚症状など一部を悪化させるとのこと。

視覚以外の症状としては様々な形態の頭痛、耳鳴り、集中困難があり、二次的には離人症(現実感の消失)、疲労、うつ病、不安症、言語障害と認知機能の障害なども挙げられている。

ただし、下記の罹患者のサイトでは二次的な症状はあまり見られないようで、必ずしも併発するものでもないらしい。

神経学的、眼科的異常は見られない。



特に若い成人期に発症することが多く、一部の患者は出生以来諸症状を経験し、明らかな原因がない突発性であることが報告されている。

発症人数や罹患率などの正確なデータは今のところはないという。

現在では次のような診断基準が仮定されている。

 

ICHD-3に基づく視覚雪症候群の診断基準

A

視覚的な雪:動的で、3か月以上続く双眼鏡の視野全体に継続的に存在する小さなポイント

B

次の4つのカテゴリに少なくとも2つの他の視覚症状が存在する

 

I

パリノプシア (以前は視野にあったオブジェクトの錯覚)(反復視:見たものの残像)。 

次のうち少なくとも1つ:

①移動物体の残像(網膜残像とは異なる)

②「トレーリング」(痕跡)

 

II

顕著な光学的現象。 

次の少なくとも1つ:

①両方の目の過剰な浮遊物 (空飛ぶ蚊)、

②目の「 自己光 」(色の付いた雲、渦、波)、

③自発的検死 (雷、火花、アスタリスクの知覚)、

④過度のブルーフィールド現象 (知覚)

⑤次のような明るい青色の光を見ると、無数の小さな、急速に移動するポイント B.空)

 

III

Photo明(光に対する感度) (羞明:光がまぶしい)

 

IV

夜間視 (薄明の視力障害) (夜盲症)

C

症状は典型的な視覚片頭痛の前兆と一致しない

D

症状は他の障害によってうまく説明できない

        (Wikipediaより一部改変 赤字は筆者注釈)  

 


要はABCDすべての条件を満たさなければならず、

Aは砂嵐が3か月以上続いて見える、

Bは
①残像が見える視覚異常
②飛蚊症や火花に似たような視覚異常
③光が異常にまぶしい
④夜間の見えづらさ
のうち少なくとも二つ以上の症状がある

Cは片頭痛の前駆症状とは違うもの、

Dは脳神経学的、眼科的異常が見られないもの、

という条件を満たすことが診断条件とのこと。



原因はまだ解明されていないが脳の視覚野の抑制と興奮の不均衡からくるものとの説がある。

MRIやPETにより脳の糖代謝に普通の人にはない特徴が見られたという。

原因も解明されていないので、治療法もまだ確立されていないが、個別のケースでは抗痙攣薬により症状の軽減がみられるとのこと。

また、色眼鏡の着用などが勧められている。



調べてみると、意外にも自分はビジュアルスノー症候群であるとカミングアウトされているサイトがいくつもあった。

以下はそのうちの一つだが、生まれつきの方の場合はなかなか自分の視覚が異常であることには気づきにくいようである。

眼科医の中でもまだ認知度が低いようで、通常の視力検査ではスルーされたりもするようだ。

上述のような視覚障害により集中力を欠き、学習などへの影響も少なからずあるようである。

【治療方法なしの奇病】うちの夫はビジュアスノウ(視界砂嵐症候群) | もものはっぴーらいふ (momo-happylife.com)

 

 

上述のように生来発症されている方もおられれば、突発的に発症される方もいて、当初は月に一度程度、光視症(眼に光が当たっていないのにも関わらず、キラキラ、チカチカとした光の点滅を感じるとか、暗い部屋で突然稲妻のような光が見える症状)が20~30分続くという症状が現れたという。

そのような症状が数か月続き、その後それらは消失したが、それから数か月後に突然「赤い砂粒が視界全体に砂嵐のように見える」症状が入浴中に突然現れたとのこと。

眼科・脳外科では異常なしとの診断を受けたが、ネット検索でこの疾患の存在を知ったという方もおられた。

この方の場合はかかりつけ医に相談し、片頭痛薬を処方してもらったところ、幸いなことに服用二日目に症状は消失したという。

基本的には治癒困難な疾患のようであるが、治療開始が早ければ改善も早いのかもしれない。

いずれ、眼科医の認知度が広がり、早く社会的に認知が進むことが望まれる。



東洋医学的にはどのように考えたらいいのだろうか。

視覚異常なので、基本的には心を主体に捉えるべきだと思われるが、他の経絡病変も考えられる。

もし治療経験があるという方がおられれば、是非とも御教授願いたいものである。



 

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