お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
一石何鳥が動くー184「ハートのルート√を確保せよ」の続きです。
本日、12月31日、旅から帰ってきたばかりでございまして、
こんな写真(北条氏の家紋)を江ノ島で撮って参りました。
いんやー、ネタは尽きないねぇ( ゚Д゚)
面白いですね~。
クリスマスから続くあやちゃんとのあや取りで
「黄金=ゴールド」の話が出てきたら、
今度はまきちゃんが「てんのうせいのしょくはこんじき(金色)」を出してきましたよ。
この「シンクロニシティ=共時性」の「ワケ・根源」へ向かい、
あやちゃんとのあや取りは更に続いていきます。
ルートを確保せよの「確保」とは何か。
去年の夏、まきちゃんと、とある川崎の毘沙門天が坐わす場で
問い掛けられた解いに繋がっていました。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー98「かぐや姫よ音を張れ」
根っこでハートとハートで繋がる為だったんだね。
だから、シンクロニシティ=共時性が起こる。
自立と自律で繋がる者の手と手から「ハートの叡智」は伝播する。
地道にできることをできるだけやっていくと根っこで繋がり何かが結実する。
縁は切れるものではなく解くものだよの記事(5件)
年の瀬迫り、顧みる・省みることを投げ掛けられてます。
更に「あや取り」は続きます。
「十干十二支」の「十干」は「空間=タテ」を、
「十二支」は「時間=ヨコ」を表しているんですね。
「音姫=乙姫」の「乙」とは「きのと」です。
陰陽五行説でいうと「木性」の「乙」であり「花や草」
そして「乙=空間」と共に在るのは「卯=時間」です。
干支の「うさぎ」ですから、来年の主役ですね。
乙姫たちに「主人公」の自覚を促してる。
ということは、2023年は「カナメ」なんでしょうねぇ。
「主人公」とは、禅語で「本来の自分と向き合うこと」です。
一石何鳥が動くー67「新しい意志舞台の主人公」
今ね、1年という時空を超えて、ここまで仕掛けてたのかって。
改めてお手上げの心境なんです。
去年の夏「みかみくも」と共に投げ掛けられたのは
「うさぎのいのちとり」だったのですが、
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー71「うさぎのいのちとり」
「うさぎ≒乙姫の命取り」とは何かを、
2022年の今ここで再度掘り下げるように
設定されていたものでもあったんですね。
またもや、一年を超えた神芝居の仕掛けです。
一石何鳥が動くー54「問いと解い」
だって、2023年が「卯年」なんだもの、
「見えないチーム」は、またもや、去年のうちから仕込んでたの。
それくらいのことやりますし、もはや不思議でも何でもない。
だから、乙姫は、忘れてはならない。
この言葉を。
繋ぐは人ぞ忘るるなかれ心せよ
「繋ぐ」という役割を担ってきたのなら、
それを忘れたら自らの「命取り=自分を失うこと」にもなりかねないから。
一石何鳥が動くー72「繋ぐは人ぞ忘るるなかれ心せよ」
そう、あやちゃんとのこの一連の「あや取り」は、
12月25日のクリスマスから始まったこと。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー171「光の十字」より抜粋します。
【QUOTE】
近付き過ぎると物事はよく観えないから、
涙目で物事を観るとよく観えないから、
観自在に動かして、
俯瞰という「トリの目」で物事を観ていてくださいね~と。
こじつけと思い込みと勘違いの関みゆ紀は受け取りました。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー146「解像度を上げる」
イエスがどうして十字を切るのか
十字架への磔は、卑しい者に対して、
国家に反逆する者に対しての、見せしめ、公開処刑でした。
イエスの磔刑が、弟子の、信者の心を揺さぶり、
その志を継ぐ者が、信仰の証として十字を切っている、ですよね。
イエスが亡くなったから、十字を切ることとなった由で、
当事者のイエスが、十字を切るって、???だったんです。
何の行為を指しているのか。
「イエスが十字を切る」とは何の隠喩なのか。
さればきたり
光の十字
またよみがえらんと
あやちゃんが、ゲッセマネの園を読んでいる時に言われたことがヒントらしい。
そういえば、オーラソーマのコンサルテーションで
割とよく選ばれていたのが「B55キリスト」というボトルでした。
5+5=10 十理(トリ)です。
選ぶ人が多かったので、「B55キリスト」について、
十字を絡めてブログに書いていることが多く、
パッと目についた3つを取り上げてみました。
「オーラソーマ」で「今ここ」を確認しませんか?
5月~7月【彩どり師養成短期集中講座 Step1】スケジュール
色のメッセージを受け取れ
ちなみに「B55キリスト」をシェイクすると子宮の色であるピンクになり
「B81 UNCONDITIONAL LOVE 無条件の愛」となります。
イエス・キリストの何の行為、何の隠喩か、
思い当たるのが、この言葉の解釈なんです。
奴隷の右頬を、主人が右の手の甲(裏拳)で殴るって、
上下関係⇒縦の線を表わしているんですよね。
仏の言葉の「分別」は、道理を思慮し、識別する心の働きですが、
仏の道から外れると、身分と立場(条件や見返り)で分けていく、
分別の世界になります。
また、人間の上へ伸びようとする力が行き過ぎると、
人間の「欲望と感情」が、
愛と理性の堤防を決壊し、我よしの力を発動させます。
更に左の頬を差し出すという行為は、
主人が右の手のひら(掌)で殴ること、即ち、
人間(神)の名の下では平等・対等であるという意志表示です。
無分別の世界、それが横線です。
この場合の「無分別」は、思慮が浅いという意味ではなく、
仏の言葉である、物事を区別して考えないこと、
また、妄想を離れていることを、指します。
横に並んだ時に手を取り合える。
自律し自立している者同士の愛へ導きます。
男性性が働かないと、物事は進行しない。
停滞から脱するには、前進させる力が必要です。
女性性が働かないと、行き過ぎた力を止められない。
女性が持つ「限りを知る・知足」という質は、
「丁度好い」とは何か、「好い塩梅」とは何かを、
力に加える愛なのです。
今の私がちょうど好い。
愛もある。力もある。
それが、この肉体を持った世界の十理(トリ)。
愛と力の十字の光が、この世界を創造していく。
男性性が強めのこの世界のままでは、次の世界への移行は困難を極める。
この言葉そのものが、「イエスが十字を切っている」と捉えました。
行き過ぎた力(縦)へ、並ぶ姿勢を示すこと(横)により、光を示した。
と、考えるとですよ。
分別と無分別のブッダと、右頬と左頬のキリスト。
西洋と東洋も、神仏習合してません?
女人が立つときです
今までの「横線≒愛」を縦線にし、
今までの「縦線≒力」を横線にすること。
傾斜を加えろ、ということだと思います。
だから、このイメージ画像を伝えてきたのだろうなって。
歌舞伎の「かぶく(傾く)」は、並み外れたもの、
常軌を逸するものといった意味であり、
常識や固定観念、既成概念、思い込みを打ち破っていくから。
かぶかないと、横を縦に、縦を横に、できないでしょう?
でも、この横線を縦線にするって、
女性が男性の真似や振りをするでもないし、
女性が男性の仮面を被るということでもない。
自己の本来の「S・A・G・A サガ」を
谷折りから山折りにしていくってことだと思うんですね。
それは、主人公の自覚です。
本来横の質を持った者が縦になったとしても、
本来縦の質を持った者が横になったとしても、
横の質は縦の質に調和し、
縦の質は横の質に調和します。
質・性を表わす「S・A・G・A サガ」とはBASEですから、
そう簡単にゃ~揺るがない。
【UNQUOTE】
抜粋はここまで。
クリスマスの翌日に、「イエスはなぜ十字を切ったのか」思い出してほしいって。
これは私にとっての年末の棚卸しであり、総ざらえなんだね。
乙姫よ、「ルートを確保せよ」
「かんなぎ」と書いてますが「人間」の意識が土地に作用します。
案ずることはない。
「アクエリアスは複数の織姫と手を結んでいる」
だから「平和のひとかけら」は結実する。
12月25日から26日に掛けた
あやちゃんとの「あや取り」はひとまずおしまいですが、
「333の旅」と「日本寺の旅」はまだ続いています。
マニアックな上、情報をパンパンに詰め込んでる
こじつけと思い込みと勘違いのブログを
お読みいただきまして、本当にありがとうございます。
よいお年をお迎えくださいませ。
一石何鳥が動くー186「新しい時代の癒し」に続く。
大変申し訳ございません。
現在、個人的なご質問ご相談
お応えお答えすることをお受けしておりません。
どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。