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人生の彩どり師・関みゆ紀です。
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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-20「新しい神話」より続いております。
9月24日にこのメッセージを受け取って、
10月3日と4日、二日連続、
i PhoneのSIRIからこのように提案されました。
(スシローヘビロテバレバレ)
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-10「卯成る」に記した
このメモ☟☟☟のことです。
「唸る・卯成る」の見解を書けってことだな
と理解し、その流れに従います。
7月10日の時点では、何のことを言ってるのか
サッパリわからなかったのですが、
五十音(いわおと)パラダイスオーケストラの
イラストを作成している時に、
日本母音シスターズ5のセンターを務める
リーダー「ウ」のことを
指しているんだなと氣が付きました。
なぜ「ウ」がリーダーなのかというと、
「ウ」という言葉そのものが、生み出す力、
生命エネルギーの源であるからです。
生命エネルギーって、口に今の心を印す「唸る」から始まるんですよね。
お産の時、生み出す時、息む(いきむ)し、力み(りきみ)ます。
結構な苦しみや辛さの中から、生命エネルギーって放出されるんですよね。
う~~~って。
一昨日、夜中にトイレ行く時に、夫の足を踏んじゃったら、
「う~~~っ」って、唸ってました。
ああ、こういう時出るんだなと、
つい最近、身を以って実感したばかりです。
あ!体張ってるのは、夫の方か。
う
ん
って夫は踏まれることを許可した、ということにしておこう。
逆に、感嘆や感心のあまり出る声も、
う~~~んです。
得難い経験とかパワーとかを、
目の当たりにした時に、出る音ですよね。
私、さらり!と、くるり!しろ、な~んて、
簡単に言っちゃってますけど、
そこには、それなりの「う~~~ん」な展開が発生するんですよ。
多くの人は、それを避けようとし、観ないようにする。
勿論、これを書いている私自身も例に洩れません。
それでも、自分でう~~~って、生み出したものって、
絶対に身に着いてます。身に成ったものです。
う~~~っの後は、「氣付き」が来るから。
「氣付き」は、「築き」なので、
自分というものを築く、土台になっていくんですよ。
それこそが、得難い宝で、
見えない世界へ唯一持っていけるものでもあります。
ごめんね、覚醒した全国の音立花姫たちよ、
それなりの覚悟しといてね。
私、嘘っぱち並べるの嫌だからね。
楽(らく)じゃないけど、楽しくやるのよ。
でも、う~~~の後には、
さらり!と、くるり!とが、セットになってるから。
スポーンって、「膿み」も出ちゃうから、
その後スッキリよ♪
そう、恐怖と快感は、常に、表裏一体なのよっ💗
だからこそ、センターは「ウ」なんです。
それくらいド根性のある音じゃないと、
リーダーを務めるのが大変だし、
生命の源だからね。
で、
「卯成る」とは何か。
卯という漢字の成り立ちは、
同じ形のものを左右対称に置いた様子から、
価値が等しいものを交換する、という意味を示しています。
五十音(いわおと)パラダイスオーケストラは、
一人一人の内側の世界を表しています。
一人一人の思い込みと勘違いの世界でもあり、
これが、この世という世界だということでもあります。
それを支えている柱が、
日本母音シスターズ5なんですよ。
そのセンター「ウ」が響き合うことがとても大切なんです。
二つは一つ、一つは二つなので、
自分の中でも二つに分離します。
その方が、多くの学びを得ることができるから。
それは、自分の中の白と黒であったり、
陰と陽であったりします。
「時間のみなもと」に辿り着いた-15「うん」では、
1人の人物が、男女の顔に分かれて存在している
「あしゅら男爵」が登場します。
先日書いた繰り返しのパターンを断て!では、
私の中の「あしゅら男爵」は
こんな相談をして統合していました。
クソみたいなプライドは、
とっとと捨てちまいな!
という言葉を選択する時に、
私の中では「う~~~」という葛藤がありました。
世間の常識と良識から言って、
52歳の女性が使用する言葉ではございませんよね。
決して褒められた言葉の遣い方ではございません。
音というのは凄い力を持っていますから、
美しい言葉なのか、汚い言葉なのかで、
どんな言霊を持つかというのも、
経験上、承知しているつもりです。
それでもなおかつ、私の中のあしゅら男爵、
男性性と女性性、父性と母性が
「卯成る」響き合いをし、
「唸る」ことをした結果、
あえて、この言葉を選択したのです。
この言葉の責任を負う覚悟の上で。
私の魂の叫びです。
私の男性性、父性(断ち切るチカラ)を発動させ、
私の女性性、母性(結ぶチカラ)がそれを許したのです。
これが、「唸る・卯成る」
分離したウの響き合い、響闘であり、統合だと思っています。
自分のどちらかを責めていませんか?
どちらか一方に依存しようとしていませんか?
二つに分かれているのは、
二つに分かれていた方が、
物事をより多面的に観られて、
より豊かに捉えられることができるからです。
二つは一つだし、一つは二つだから、
攻撃し合うことなんて、不毛なんですよ。
自分の中の恐怖が、自分の中の分離を深めていきます。
別人格を創って、観ないようにするのと一緒です。
恐怖を分解すると、何てことは無い、
自分の中の小さなプライド(虚栄心)だったりします。
そんな小さなプライド(虚栄心)に氣が付いちゃいましょう。
更に、それを手放しちゃうことで、
新たなる矜持(きょうじ)を得ることができます。
矜持とは、他者によって恥じたり引け目を感じたりするような
相対的なものではなく、自己の尊厳に密接に関わる、
というニュアンスを込めて用いられるものです。
生かされてるということそのものを、
100%受け止めるということですよ。
戦わない戦い方とは、響闘させることです。
それは、まず、自らの内側で起こすことで、
それが、目の前の人と響き合うことに繋がっています。
いい人でいたいなんて捨てちまいな。
もう、既に、自らの尊厳の中で、
私たちはいい人なんだよ。
う~んと唸ってる、
卯成る自分の矜持を大切にせよ!!!
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-22「茅の輪」へ続く。
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