「愛と勇気とxxx」by heart8

「愛と勇気とxxx」by heart8

サッカー(ヴィッセル、INAC)プロレス、悪魔教、お笑い(WRH、アルミカン)他「明るく、楽しく、緩く」毒吐きは封印中。



この歳になって「ちいかわ」の沼にハマってしまったあせる

Availハーバーランド店のフォトスポットカメラ

一発でお目当てが出ると嬉しいからガシャポンはやめられない音譜
去年の今頃はまだ「すみっコぐらし」と区別がつかないくらい疎かったのに夏辺りから少ない小遣いでガシャポン、100均グッズ、プライズ景品、食品などを買い始めて…。

梅田の「ちいかわらんど」に並んで買い物に行ったり、、

阪急電車の″ちいかわ号″も最初は「偶然出会ったらラッキー」くらいの感覚だったのが運行が終了する3月末になると時刻表を調べて駅のホームで待ち構えて″撮り鉄″までやる始末DASH!
(梅田駅は終点で始発駅なので真正面から撮れるのだ)
先頭車両にちょこんと座っている制服姿のちいちゃんの列車がホームに入ってきただけで可愛すぎて涙が出る笑い泣き


遂にはしまむらやAvailなどのアパレル関係にまで手を出してしまった汗
今年の春は異常気象で夏日が多かったがこのプルオーバーパーカーも涼しい日を選んで4回くらい着て出かけたニヤリ


そして先日Availで完売していた筈のTシャツを発見して即買いOK


「次来た時にまだあったら買おう」
はここの世界では通用しないのである。

元々自己顕示欲が強いので外出時にはプロレス系やバンド系の″コテコテ″のTシャツやアウターを平気で着て歩けるのだけれどアラ還のオッサンになってちいかわのTシャツやパーカーを着て外を出歩く事になるとは思わなかった照れ


しかしこのグッズ達はどうするよ!?
(ほんの一部です)

ネット上の意見を見るとこのブームは子供達の支持はもちろんだが、″社会に疲れた大人達″がちいかわにハマって癒やされているとの事だそうだ。


ワタシは制作サイドの戦略に見事にハマってしまったのか!?


やられたな…ガーン








 先に書かねばならないネタがいくつかあるのだが取り急ぎこちらから…。

神戸市立王子動物園のジャイアントパンダ「タンタン」(雌・28歳 以下、タンちゃん)が3月31日に亡くなったと同園から発表があった。

2020年7月には中国への返還が予定されていたが、この年に発生したcobid-19禍や翌年に判明した心疾患などで帰国が延期され、一昨年3月からは一般公開も中止して治療に専念していた。

私は15年くらい前から王子動物園の魅力を再認識して雄の「興興」が居た時も観に行っていたが、本格的に通いつめるようになったのはタンちゃんの返還が決まった4年前からである。

あの時予定通り帰国して中国の研究センターで息を引き取った…と知らされるよりはまだ4歳だった2000年の来園から約24年間を過ごした神戸で最期を迎えられた事は結果的によかったと思っている。

王子動物園のTwitter(現・X)やYouTubeなどで日々更新されていた動画もいつからか途絶えてしまい、昨年末辺りには大好物の笹や筍も食べられず″特製ジュース″で栄養補給をしていたようだが先月後半にはそれすら受け付けなくなっていたらしいのでかなり容体は悪かったのだろう。
(人間で例えると100歳近い高齢だったからね…)


という訳で今月2日からタンちゃんの献花台が設置された王子動物園へ。


献花台は予想通りここ2年間立ち入れなかったタンちゃんのお家(パンダ舎)の中。

他の動物たちの献花台もいくつか見てきたが花の数が半端ではない!


ここに来ていろいろな事を思い出すと涙が溢れてくる…えーん

※2020年撮影

私も気持ちだけの花をタンちゃんのトートバッグに入れて持参花束


屋外運動場も久しぶりに解放されていたが主(あるじ)が居ないと寂しいね…。

※2021年撮影

屋外運動場の前にあるタンちゃんが毎年眺めていたであろう桜の木。



タンちゃんもよく頑張ったしスタッフ、飼育員の皆さんも本当にお疲れ様でした。

今はただただ感謝の気持ちしかありません。



後日予定されている「お別れ会」が開催されたら必ず行きますからねパンダ










2/25(日)
「3.3ドラゴンゲート大阪大会3大タイトルマッチ公開調印式 」@ アグロガーデン神戸駒ヶ林店

こちらは大阪大会タイトルマッチ当日のポスター↓
全国各地のホームセンターでプロレスイヴェントを展開するレック株式会社のイヴェントが遂に関西、しかも神戸、しかも地元新長田で行われるというので駆けつけたDASH!

アグロガーデンは1階のスーパー「サンディ」や2階の「BOOK OFF」に週に1~2回は必ず行く勝手知ったる場所である。

最近は新日本プロレスがビッグマッチ前日に公開調印式やトークショーを″有料″で行ってチケットが入手困難になる程の人気を集めているが、こちらは観覧無料!

但し、選手との記念撮影、サイン色紙付きの″優先席″で観覧するにはアグロガーデン駒ヶ林店のLINEアカウントをお友達登録せよ、との事。

ワタシ、LINEやってないねんあせる

昨年5月まで使っていた前のスマートフォン端末が容量オーバーのため最初から入っていたLINEアプリを消去せざるを得なくなり別にやらなくても特に不自由には思わなくなったのでそのまま現在に至っているのである。

仕方なく(?)アカウントを作成して諸々の条件(レック商品を含む千円以上のレシート)をクリアして優先席の最後列に滑り込む。


イヴェントはドラゴン・キッド選手とYAMATO選手のトークショーでスタート。
キッド選手はプライベートでも隣接するスーパー銭湯「あぐろの湯」に行っているのだとか温泉

オープン・ザ・トライアングル選手権王座決定戦
(王者組の加藤良輝選手が負傷欠場につきシュン選手が出場)
シュン・スカイウォーカー
ISHIN
KAI
VS
菊田円
ドラゴン・ダイヤ
田中良弥
オープン・ザ・ブレイブゲート選手権
【王者】
VS
【挑戦者】
神田裕之
オープン・ザ・ドリームゲート選手権
【王者】
ルイス・マンテ
VS
【挑戦者】
望月享

ランダムに引いたサイン色紙はドリームゲート王者ルイス・マンテ選手爆笑



記念撮影はドリームゲート、ブレイブゲートの両王者&挑戦者との豪華4ショットアップ



わざわざLINEのアカウントまで作成して行った価値は充分過ぎるイヴェントであった。





阪神・淡路大震災から29年。

毎年この時期になると当時のいろいろな事を思い出したり鎮魂の行事に参加するのだが、今年は元日早々能登半島で大きな地震があり連日被災地の様子が報道されていたので例年以上に当時の記憶が甦ってきた。

このブログではいろいろ書き尽くしてきたと思うがSNSはおろか携帯電話すら普及していなかった時代(固定電話以外の連絡手段は″ポケットベル″だけであった)だったので手帳でも何でももっと当時の経験を書き記しておくべきだったと後悔している。


という訳で今年の「1.17」も故郷新長田へ。

ここ20年くらい場所を転々としながら(西神戸センター街→新長田一番街)最近は大正筋商店街で開催されている震災復興フリーライヴ
「ONE HEART」

名前は書かないけれど、今年のメインゲストのお方。
芸歴が長いので仕事で何度も神戸に来た事があるかもしれないが震災との関わりが今ひとつ分からない。
″例の件″でTVからほぼ消えて昔からのファン相手に営業やイヴェントで食い繋いでいるイメージだがやはり知名度は絶大で大トリで登場して短いトークと大ヒット曲1曲だけのステージも大いに盛り上がっていた。

ライヴ後の炊き出しの列整理がいい加減で直前でカレーにありつけなかったむかっ

一昨年のタイガースOBのトークショーの時も開始直前に地元の少年野球ティーム(因みに母校の小学校だ)とその保護者を座らせるために前から5列目くらいまでのお客様に席移動をお願いして揉めていた。

イヴェント会社に委託したらお金が掛かるのでボランティア有志に仕切らせているようだがあまりにも下手くそ過ぎるショボーン



今はもう新長田に住みたいとは思わないがそれでも生まれ育った街なので週に2~3回の頻度で行っている。

特に最近よく行く駒ヶ林のアグロガーデンでドラゴンゲートの公開調印式があるってさ音譜


面倒だし友達も少ないので一切やっていなかったがいよいよワタシもLINEデヴューか!?













※昨夜、日付が変わる前に「イク兎年」というブログを更新したのですが記事の編集中に誤って消去するというミスをしでかしたので新年早々一部修正して書き直しています。
(画像多めです)
悪増しておめでとうございますクラッカー
悪魔暦的には「イマ火の鳥年」ですね。
昨年ブログに書いたデーモン閣下の集ひとMonkey Flipライヴ以外の11月~12月のハイライトスター
11/18(土)
「魚河岸デー」@神戸中央市場
ヴィッセル神戸がクラブ創設29年目にして初のJ1リーグ優勝を果たす一週間前に行われたイヴェント。
久しぶりにモーヴィにも会えた牛
そしてリーグ優勝を決めた試合の日はアルミカンの単独ライヴと被ったのだが居ても立ってもいられずノエスタに立ち寄るサッカー
優勝の瞬間は梅田行きの阪急電車の中で迎えました笑い泣き

11/25(土)
アルミカン単独ライヴ
「私たちの名は。」@心斎橋角座
僭越ながらファン一同として祝い花のメンバーに加えて頂きましたガーベラ
終演後のお見送りも復活照れ
ちなみにさおりん(アルミカン高橋さん)は単独ライヴのタイミングで毎回衣装を新調します。
(″レディアゼル″というブランドです)
12/3(日)
ヴィッセル神戸優勝報告会@メリケンパーク
2020年の天皇杯優勝報告会を遥かに上回る1万5千人が集結。
ステージが遠くて全く選手が見えなかったがこの場に居られただけで満足ニヤリ
12/26(火)
ドラゴンゲート@神戸サンボーホール
4年ぶりのサンボーホール大会はドラゲーの年内最終戦で見所満載であったドンッ
ベビーターン(ヒールから正統派に転向)した豹選手&ルイス・マンテ選手(右側の二人)が大人気アップ
グッズ売店でのファン対応も復活したので推しのジェイソン・リー選手にやっとサインを貰えた音譜

12/29(金)
「餅つき&お笑いライヴ」@心斎橋角座
昨年締めのイヴェントは心斎橋角座にて餅つき大会DASH!
つきたてのお餅も美味しく頂きました割り箸
また編集するかもしれないけれどもう消さないからなグー
という訳で本年もよろしくお願い致します照れ


毎年12月恒例のプロレステーマ曲専門カヴァーバンド「Monkey Flip」(モンキーフリップ、以下MF)のライヴを観に南茨木のJACKLIONへDASH!


今年は活動20周年記念のアニバーサリーイヤーにつき過去のライヴのポスターも展示。

私は2011年が初参戦だったのでライヴが無かった2020年を除くと11回連続参戦である。

最初の頃はまだ他バンドとの対バン形式だったりお客様もプロレステーマ曲マニアではなくメンバーの知り合いの方が殆どであった。

今回もいつも通り開演一時間前に阪急摂津市駅に到着する予定を組んでいたのだが迂闊にも乗り換えの十三駅で乗り過ごして梅田まで行ってしまい間違えて今津線に乗車して淡路まで引き返してやっと着いたのは開演直後でテーブル席も確保できずセットリストを書く事ができなかったので演目はMFのブログから拝借汗

今年は8月に他界したテリー・ファンク選手の追悼大会でもありMFライヴの定番曲でもある「スピニング・トーホールド」はいつもよりも心に沁みたえーん

あとは初披露の「カクトウギのテーマ」
昭和の時代から全日本プロレスの″次期シリーズ予告″や平成の″時間切れ引き分け時のテーマ″などでお馴染みの曲であるがたぶん初見は1979年8月の「マスカラス特集」だったと記憶する。
 この年10月の新日本プロレス闘魂シリーズでダスティ・ローデス選手のテーマにも使われていた。
全日本VS新日本の″引き抜き合戦″はレスラーだけではなくテーマ曲でもあったのである。


毎回15時ゴングで4時間の長丁場なのだが今回は約4時間20分の大熱戦であったドンッ


ライヴ終了後はメンバーの皆様にご挨拶して記念のTシャツを頂くTシャツ

今回はブラック×シルバーの豪華版
右の「日米レスリングサミット」のTシャツは初参戦の時のもの。
「Terry Funk Forever」の文字が泣かせる笑い泣き

歴代のTシャツも全部並べてみた。

全て実際に外出着として使用しておりますニヤリ


早くも21周年のライヴも決定したとの事なので楽しみである音譜








ひとつ前のブログを読み返してみたら10月のデーモン閣下のライヴツアー大阪公演のチケットを何とか譲って頂けそうだ…という内容であった。
(自分で書いておいて完全に忘れている汗)

で、まずはその話から。

10/15(日)
「デーモン閣下 c/w D.H.C TOUR 地球魔界化計画」
大阪・Zepp Namba

CM出演中のオンテックス様からの祝い花ガーベラ
終演後は持ち帰り可だったようで帰りにはキレイに無くなっていた。
今回のグッズのいちばんの売れ筋商品は「ベアキーホルダー」

悪魔物品は「地獄ッキー」とか「ヒ閣下」(←ガラケーの着信に反応して光るキーホルダー、例えが古いな…)などネーミングが秀逸なものが多いがこれはストレートだな。
ワタシは一応″クマ閣下″と呼んでいる。

Twitter(現・X)にも書いたけれど聖飢魔llの40thが実現した暁には″青閣下″とエース長官も含めた他の構成員のベアキーホルダーも発売希望くま

首輪とリストバンドのみのマッパ状態(?)なのでSNSでは衣装や冠を自作する方が多発。
皆さん上手でただただ感心する照れ

親切な方にチケットを譲って頂き、前日までチケットを持っていなかった分際で9列目真ん中という良席でライヴを堪能音譜

心残りだったのはダミアン浜田陛下率いるD.H.Cのライヴ時のみスマートフォンでの撮影やネタバレにならない程度のSNSへの掲載が許可されていたのだがツアー初日で周りのお客様が様子見をされていたのか誰も写真撮影をしていなかったため一枚も画像が残っていない事。
あと、シエル嬢とリリス嬢がお見送りをして下さったのだが「立ち止まらずにお進み下さい」というアナウンスを素直に守って歩きながら撮影したら画像がブレブレだった事あせる


まあ、後半の閣下のライヴも含めて脳裏にはしっかり焼き付けておきましたので…ニヤリ



そして先週の土曜日(12/2)はファンクラブ″縁魔堂″の集会「エル・集ひ・de 蝦蟇」@ナレッジシアター
ウチのクマ閣下にはSeriaで購入したライダースジャケットを着せましたスーツ
(下半身丸出し汗)


実は集ひではここ2回続いて″ミラクル″が起こっていた。


ここ最近の集ひでは1曲目の時にチケットに記名されている参加者の名前を閣下が直筆で書いた短冊を箱からランダムに引きながら歌詞に織り込んで歌う(例えば″燃えろいい女″だったら『燃えろ~ ○○!』という所で名前を呼ぶ)という企画があるのだが、前々回は見事に名前を呼ばれて短冊を持ち帰り、前回は最前列真ん中という″超良席″が当たったアップ

さすがに三度目は無いだろう…と思っていたら今回はこれも10年以上前から恒例行事となっている閣下の″下賜品″(閣下の屋敷から発掘された私物を放出する″生前形見分け″のようなもの)が初めて当たったのであるダーツ

正直、品物自体は微妙(失礼)だったけれども、これが閣下の屋敷に実際にあったものでしかも直筆サインまで入っているとくればもう″家宝モノ″なのである笑い泣き


集会中の写真撮影はOKだったが例によって画像の掲載とセットリストのネタバレは厳禁なので集会の詳細は割愛する。

ただ、″ある曲″で涙腺が崩壊したえーん

アレはツアーでも演っていないからね。



他にもヴィッセル神戸の念願の初優勝やらタイガースの38年ぶりの日本一やらアルミカンの単独ライヴやら書きたい事はたくさんあるのだが、今回は閣下関連のみで…ウインク












「マジか!? お前はそれでも信奉者か?」

と言われそうですが、いよいよ15日から始まるディーモン閣下のツアー「地球魔界化計画」のチケットをまだ確保していません汗


縁魔堂の先行予約も一般発売もタイミングが合わず(要は給料日前だったり他の出費があったりで…)通常のツアーだったら当日券が出るのでそれまでにチケット代金を捻出する(自転車操業)のだが今回は聖飢魔llの3年越しの再集結があって久方ぶりのソロツアーだったりダミアン浜田陛下率いる「D.H.C」との対バンというプレミアムなライヴだったりで前売りでチケットが完売してしまい万事休すあせる

12月に「エル集ひ」の開催も決まったのでとりあえずこっちはエントリーして最悪でも集ひだけ行ければいいか…と思っていたら今週になってチケットの発券が始まり「Twitter(現・X)」←「X(旧Twitter)」ではない、イーロン・マスクへのささやかな反抗…で「チケット譲ります」との書き込みが散見されるようになり昨日(12日)一人の方と″交渉成立″した音譜


という訳で何とか会場に潜り込めそうなので今から準備しますニヤリ










私がプロレスに嵌まるきっかけとなったレスラーの一人である″テキサスブロンコ″テリー・ファンク選手が8月23日にこの世を去った。

あんまりプロレスを見ない人達に説明すると「キン肉マン」に登場する″テリーマン″のモデルになった人である。

近年は認知症で施設に入所しているとの報道もあり「もう来日する事は無いのかな…」と思っていたりしていたのだが突然の訃報に未だに気持ちの整理がつかない状況である。

元々私は父親の影響で物心ついた時からTVでプロレス中継を視ていたのだが流血戦が怖くてプロレスアレルギーになってしまい、その後″仮面貴族″ミル・マスカラスに興味を抱いてからたまたま視た世界オープンタッグ選手権「ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア テリー・ファンク)×アブドーラ・ザ・ブッチャー ザ・シーク」の試合に衝撃を受けて全日本プロレスのファンになったのであった。
(もう40年以上前の話だ…)
凶器のフォークでテリーの右腕を刺すブッチャー。
これが当時のクリスマスの土曜夜8時に地上波で放送されたのであるあせる

この窮地から復活したテリーの活躍で反則勝ちながら優勝した事でテリー人気が大爆発ドンッ

以降、引退→復帰を繰り返しながらプロレス界の第一線で活躍し続けたのであった。


とにかくファンを大事にする選手でファンレターの返事をエアメールで頂いたり一緒に写真を撮ったりと思い出は尽きない…。

右上にあるペンダントは「81世界最強タッグ決定リーグ戦」限定で客席に投げ入れられた″ラッキーコイン″を加工した一点もの。

週刊プロレス追悼号の表紙にもなったこの頃のアイテムである。
(開幕戦から景気よくばら撒き過ぎたのか蔵前国技館の最終戦では投げなかった…)



当時ライバル関係だった新日本プロレスの総帥アントニオ猪木さんも今日で一周忌。


この週末はテリーや猪木さんの名勝負の映像を視て過ごしますテレビ
















今月初めにデーモン閣下から「これから吾輩の 公の名前を″ディーモン″にする!」とのお達しがあった。

なのでそれ以降自身のSNSなどでは「ディーモン閣下」と表記するように心がけている。

閣下は かねてから英語では「DEMON」は″デーモン″よりも″ディーモン″の方が本来の発音に近いと主張していたが、このタイミングで″改名″に踏みきった訳である。

だが、しかし…。

既に発表されている秋のtourは「デーモン閣下」名義でチケットが発売されており、TVや公の場で発表する機会もまだ無いのでおそらく殆どの国民はこの改名を知らない筈である。

閣下がアーティスト名義から″苗字のようなもの″を取り去ってから約13年くらい。

地球デビュー当時から20年以上″旧名″で活動していて世間には充分浸透してしまっているので一般の人達はともかく未だにメディアや業界関係者でも″旧名″(デーモン○○閣下)で呼んでいる人が居る現状で果たしてこの改名がどれくらい世間に認知されるのだろうか。

公式サイトやYouTubeチャンネルはまだ「H.E.DEMON KAKKA」(デーモン閣下)名義なのでじゃあアーティストネームを「DEMON閣下」にして読みを″ディーモン″にすればいいのでは?とも思ったのだが、そうするとやっぱり″デーモン″と呼ばれてしまうから止めたのかな…。

待てよ、だったらここ数年慣れ親しんだあのロゴマークはどうなるんだ!?


こうなるのかな…と妄想して落書きしてみた。


改名といえば「Twitter」を買収したイーロン・マスクとかいう金持ちが勝手にサイト名を「X」と改めて改悪の限りを尽くしているむかっ

Twitter→X
ツイート→ポスト
リツイート→リポスト等々。

頼むから今まで通りにやらせてくれ!!

青い鳥のアイコンを返せ!!


何やねんこのアイコンはパンチ!


【追記】
″テキサスブロンコ″ テリー・ファンクさん(79歳)が逝去されました。
一昨年私にとって最も思い出深い外国人プロレスラーなので未だに気持ちの整理がつきません。
何時になるかは分かりませんが思い出の品と共にこのブログで振り返る予定です。