アラカン女子のわたしが子ども時代(昭和40年〜50年代ごろ)



急激にライフスタイルが変化していったことを、うっすら記憶しています。





母はわたしを連れて、お寺のお灸や、温熱療法にも通いましたが

新たな時代の西洋医学を取り入れる姿勢がありました。



だから、父が近づこうともしなかった病院を、母は利用するようになり、少しずつ時代に合わせて考え方を変えていきました。




それでも、母は、医師の本質を見極める目は厳しく



深い見識があり、丁寧な診察をする先生のことは褒めちぎるけど、↑



そうではない先生には、ソッポを向きました。



「〇〇先生は、立派な建物建てちゃったけど、

診察は短いし、クスリは出し過ぎるし、

あれは儲け主義じゃけー、二度と行かんわちょっと不満




「有名な医者でも誤診はあるんよ。医療ミスもあるんよ。所詮医者もただの人間‼️絶対じゃない。



健康になるために受身ではダメ。自分で調べなきゃ」



と言っていました。



母は大病になったとき、医者任せにはせず、西洋医学と併用できる民間療法を見つけ出しました。




父は子どもの頃、病院らしい病院はなかったと言います。「酒がクスリよー」くらいの感じでした。



戦後、法律の後押しで、

「西洋医学の病院」が主流になったと聞きました。「医師優遇制度」なるものがあったらしい。



結果、医療費は年々膨らみ、この国は病人だらけ‼️




そもそも、戦前から国民の健康を支えてこられた医師が亡くなったころから、



別モノに取って代わられたと考える方が腑に落ちるんですけど😅



「薬草」は石油入りのケミカルな薬に取って代わられました。





昔ながらの煎じ薬を知る人は減り、民間療法は古いというレッテルが貼られて駆逐されていきました。



父は、病院そのもののしくみを疑っていました。



西洋医学を少しずつ受け入れた母は、60代で亡くなり、

病院を頼らなかった父は90代でもまだ元気。



病院をいいものとして広めた支配者の思惑が

日本人の弱体化だとしたら、



「支配者たちが、病院や西洋薬を使って、病人を増やした」というのがわたしの仮説です。