思考により、次元が振り分けられているのがこの世かも。

​​しあわせな億万長者さんの思考に近づきたい方‼️


オンラインのお話会で一緒に学びませんか?


アラカン女子のわたしが子ども時代、(昭和40年〜50年代ごろ)、母は身体のことを人任せにしてはダメだと日頃から伝えてくれました。




子どもの頃のわたしは、母は常に正しく、できないわたしのままだとダメと思っていました。



かなり無理していたし、同年代の子どもよりも、課せられる試練は多かったかも。




母は「自分の気持ちをはっきり伝えなさい」と日頃からわたしに教えました。





わたしにはそれがプレッシャーでした。💦

(確かに正論なんだけど、目が怖かったんだよー💦)




例えば、外食するときに、「なんでもいい」と発言しようものなら、

「食べたいものを人任せにするな」と叱られました。





病院にかかるときもしかり。



お医者さんから「どうしました?」と聞かれたら、よそのお母さんは代弁してくれるけど、



わが家は違ってました。



母は「この子の身体のことは、この子に聞いてください」と言って、沈黙するのです。




「頭がガンガンします」とか「喉が痛いです」とか、言うのが幼いわたしにはやっと(笑)



行く前に、「どう言ったらいいの?」と相談したら


「学校で、作文や絵日記を書くでしょ?

それと一緒。いつからどんなことになったか話せばいい」


そんな感じでした。




歯医者さんには、小学3年生ごろから、1人で行かされました。しかも遠距離です。






大人ばかりの電車とバスを乗り継いで片道60分➕徒歩15分。一人ぼっちで、めちゃくちゃプレッシャーでした。



今なら不審者どーのこーので、させにくい経験だろうけどね。💦




ビビリなので、寄り道もできず、ただ歯医者に行って帰るだけ笑い泣き



当時の歯医者近くのイメージと似た写真↑



わたしがビビっていても、母は、


「それくらいで死にゃーせん(死なない)」

「やればできる」

「わからなければ、人に聞きなさい」


とバッサリ‼️



母から嫌われたくなかったし、

バカがバレたくなかったから、

泣きそうになりながら、

期待に応えたわたしでした。






これトラウマものだよねー⁉️(笑)



今思えば健気だわー。




母は、「自分の体の事は、誰よりも自分が責任をとるしかない」と、幼くてもわからせたかったのでしょう。



その件について譲らない厳しさを感じました。




おかげで、自信がないままでも行動する

変な度胸がついてしまったかもです。