アラカン女子のわたしが幼いころの記憶です。

半世紀以上も昔だ〜‼️



戦前のような古い病院が近くにありました。




(↑こんなイメージ。ネットから画像借りました)


田舎住まいだったせいかもしれないけど、病院はゆるゆるで暇そうでした。



ゆとりがあったせいか、往診してもらったこともありますよー。



畳敷の待合室で、お茶を飲みながら患者さんどうしがおしゃべりされていた記憶もあります。



まさしく地域のお茶の間みたいでした。





そこのお医者さまは、当時70歳くらいだったのかなあ?明治生まれのインテリおじいさんの印象でした。



みんな先生のことを名医だと言って尊敬していました。



内科医だったけど、なんと、眼科とか耳鼻科の患者さんもみておられたし、外科手術もできる先生だったの。

実際母は、盲腸の手術を受けました。




こんなベッドを見た記憶があります↑



内科医がメスを持てるなんて、今の時代ならビックリですよね(笑)





どうやら軍医時代に、解剖やら〇〇実験など、国の命令下で、身についたスキルだと、

わたしが成人してから、母が教えてくれました。



都会の大病院からのオファーは全て断り、地域医療に徹した方だったようです。




先生の診察はとても丁寧で、患者を人として尊重してくださる姿勢が印象的でした。



患者さんの顔を見て、話もゆっくり聞いて、脈みて、のどみて、舌も見て、触診もありました。



母は、その先生が東洋医学の見識も深いのだと教えてくれました。



開業したての当時の若い先生との違いも含めて、西洋医学と東洋医学のことも話してくれました。




(若い先生の病院はこんな感じ。↑
瞬く間に人気病院になってたよ。)



「西洋医学だけの人は、専門を切り分けて、細部をみて、検査内容を数値化して診断するけどね、



東洋医学がわかる人は、部分よりも全体をみるんよ。

名医ともなれば、望診(ぼうしん)といってね、顔見るだけでも診断できるんよ。

触診や脈診よりレベルが高いんだよ。」





そして、国策として、戦後から西洋医学一辺倒に変わり始めたことについてもよく聞かされました。



「国が保険制度で西洋医学だけ守って、東洋医学をすみっこに追いやったのが問題だと思う。

アメリカのさしがねかもね?


命を扱う医者は、東洋医学も学ぶべきじゃと思うわ。



医療は選択肢が多い方がいいんよ。いい先生を自分で選べるようにならんとねー。」




「薬を出せば診療報酬が増えるしくみができてから、医者はそろばん勘定ばかりするようになっとるよ」


「医は仁術どころか、算術になりよるわー」



わたしの母みたいなタイプが多数派だったら、

世の中の病院がこんなに増えることも、病人だらけになることもなかったかもなあ。