自分だけの辞書なのだから | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」

 

はじめましての方へ

 

このブログは、母を殺すか自分が死ぬか  まで追い込まれたアラサーOLが、「毒親から解放されて自分らしく生きたい…」と書き始めたものです。

「幸せになるために」

 

その後、”親から解放され本当の自分を生きる3つのステップ” をふめば、誰でも本当の自分を取り戻すことができるとわかり、現在はセッションなどを通して具体的にお伝えしています

 

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昨日、9月にいった 阿寺の七滝(新城にあります!) にまた行ってきたんです。


我が家は毎年紅葉を高山で楽しむのですが、今年は新城へ。

 

 

そしたら新城は紅葉にはまだ早かった。


阿寺の七滝まで、駐車場から15分くらい歩くのだけど、その道を歩くのが好き。

川のせせらぎの音、ひんやりとした山の空気、多すぎない、行き交う人々。

二人とも人混みが苦手なので、ここはちょうどいいなと感じて心地いいです。

夏に涼を求めていく岐阜の不動滝は男性のような力強さを感じますが、ここはなんだかやわらかな女性のような優しさを感じる滝です。



夫といろんな話をしながら滝まで歩き、滝を見ながらぼーっとし、

いろんなことを話しながら駐車場まで歩き、

少しだけ車でまた走って、日帰り温泉に寄って帰ってきました。

 


ひんやり寒くなってきて、露天風呂がすごく気持ちいい季節になってきましたねハート。

 

秋〜春は、我が家はよく温泉(スパ銭含め)にも行きます。

多治見のあるスパ銭によく出没しますが、自宅から一番近い、花しょうぶにもたまに…

多治見は土日でも空いていて好きなんですハート。

 

 

 

 

 

わたしは、秋の露天風呂が好きです。

 

 

露天風呂への扉をあけ、室内から外へ出たときの外気に触れたひやっとする感じから、そそくさとお風呂に浸かって温まる、あの瞬間がすき。

 

 

思わず、

「はぁ幸せ」

とため息交じりに出ちゃうようなあの小さな幸せが好き。

 

 

書いてて思った、

あれと似てるわわたしの中で、

映画を見て映画館から出るとき笑

 

 

映画の世界から現実の世界に戻ったときの、あの、

「あぁ映画というエンターテイメントをありがとう」

って、小さな頃から思う、あの小さな幸せと似ている感じ。

 

(あくまでわたしの中で だけど

SFとかパニックムービー系を見たあとに思う)

 

 

 

 

 

わたしは樽のようなつぼのような?あの一人で入れるのがあるとすぐそこに入ってしまうのだけど、

露天風呂の中にあったつぼに昨日も入り、少しだけ色が変わったもみじの木を眺めながら、この温かい温泉に浸かったときの幸せ、喜びを感じながら、


「わたしはずっとずっと、

”特別な人だけが幸せというものを手に入れられる”

って、信じて生きてきてたよね〜

こんなに簡単に手に入るのに」


と、5年前を振り返ったんです。

 

 

「本当にその頃はその通りに人生がなっていたなぁ」

って。

 

 

 

 

 

5年前までのわたしの幸せの定義は、

 

幸せとは?

特別の人だけがえられるもの、特段がんばった人だけが感じられるもの

 

 

これが、わたしの辞書に書かれていたものだった。

 

 

だから、

「特別にならないといけない」
って思い込んで、わたしは何か特別になろうとがんばっていた。

 

 

その特別は、

・勉強ができること

だったり、

・彼氏に愛されること

だったり、いろいろだったと思うし、

この仕事をし始めて初期の頃は、

「すごいね」

って言われるような人にならないといけないって思ってたことも。

 

 

 

 

 

本当はみんな、みんなとして特別で、

みんなすごくて、

それは人と比較してとかじゃなくて、

”自分として(自分にとって自分は)特別ですごい”

ということなのに、

 

この頃は、

人と比べては才能がない自分を見つけては落ち込んで、

「ほらやっぱり幸せになれない」

っていつもぐるぐる考えてたんだと思う。

 

 

「自分がそう自分のことを設定していたから、そりゃその通りになるよね」

と心理学だけでなく、哲学とかもヒーリングなどなど勉強してきた今だからわかるけれど、

当時はセルフイメージ通りに人生がつくられていくだなんて知らなかったから。

 

 

人生は証拠集め。

 

 

自分がこういう人

と無意識が思った通りのものを集め、現実世界に見せてくれる。

 

 

「どうせ愛されていない」

と思い込んでいれば、その現実ばかりを体験することになるし、

「わたしは愛されてた、毒親なんていなかった」

とガラッと根底から自分を変えてしまえたら、

すばらしい現実ばかりを見ることとなる。

 

 

潜在意識はわたしの思い込みたちを持った映写機(フィルム?)、

現実はスクリーン(に移る映画)。

 

 

映画好きなわたしは、こんな風に捉えることも…

 

 

 

 

 

5年前まで、わたしはどこか特別になろうとより執着して、

できもしないことを必死にできるようになろうと努力して、

自分らしくないことをがんばろうとしていることにも気づけずに疲れ果てて、

 

特別になれない自分を

幸せになれない自分を

「ダメなんだ…もっとがんばらないといけないんだ」

って思って、自分を責めていました。

 

 

自分を責めている

ということすらもうデフォルトすぎて、気づけませんでした。

 

 

これは人として当たり前だと思っていたから。

 

 

ダメな自分をダメだと思うことは普通なのだ

とね。

 

こう思うこと自体は悪いことではないけど、こう思っていることに無意識でいるのは、今の自分に満足していない場合は問題よね と今は思う。

 

 

随分長いこと自分で自分をひたすら鞭を打ち続けていた。

 

 

それを、

「わたしが不幸なのは親(他者)や環境(会社とか)のせい」

としていたのだから、わがまま極まりなし なのだけど、本当にわからなかった…

 

 

それに気づいたのは

はっきりと分かってしまったのは、

やっぱりここ、

2013年秋という、わたしにとって大きなターニングポイントとなった時期の1つ、

自分で思いついてやってみた、自信UPノートをやっていたとき。

 

 

どれだけ自分で自分を不幸にしていたのかが

身にしみて分かったときだった。

 

 

 

春から勉強してきたものが、

頭だけの理解で終わり、全く分かっていなかったじゃん

ということに愕然としたときでもあった…

 

 

分かったつもりになって、

やってないんじゃん…

 

 

あぁ、こういう人は変われないのだずっと

と自分を通して知った。

 

 

 

 

 

 

goo国語辞書によると、

”幸せ”

とは、

 

[名・形動]《動詞「しあ(為合)わす」の連用形から》

  1.  運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。

  1.  めぐり合わせ。運命。

  1.  運がよくなること。うまい具合にいくこと。

  1.  物事のやり方。また、事の次第。

<こちらより引用>

 

とあります。

 

 

ははは…あの、苦しみに溢れていた頃にちゃんとみて、自分の辞書のひどさに絶望しておきたかったな笑

 

image
 

あなたの辞書の

”幸せ”

というページには、何と書かれていますか?

 

 

それは、

手に入れやすい定義ですか?

 

 

難しいようだと、

手に入れるのはこれからも難しいと思う。

 

 

人生は国語のテストじゃないのだから、

ちょっとぐらい、自分だけの辞書なのだからいじったっていいんじゃない?

 

 

 

 

今のわたしは、


室内の温泉から、少し冷える外に出て露天風呂につかったあの、
「あ〜気持ちいい〜、幸せ〜」
とついつぶやいちゃうあの感じ、

 

 

車から降りたときのひんやりとした山の空気、秋の匂い、

都会にはないあの感じ、

 

 

地元の遠浅の海、

小さな波とそこから聞こえるざざんという波の音、

日が沈むなんともいえない海、夕日を見たときのあの感じ、

 

 

駅からの帰り道、近所のお寺から聞こえる鐘の音と背中に感じる夕日の心地よさを感じながら、

「今日もなんだかんだいい日だったな」

と、自宅まで歩くの日の感じ、

 

 

夜、ベッドに入って、

「あぁ、今日も生きた。

これでベスト。

ありがと」

と眠りにつく瞬間

 

 

などに感じるものを ”幸せ” とくくっています。

 

 

 

他にも、

だいすきなものたちの写真が納得行くように撮れたとき

とか、

自分でつくった料理がおいしくて、盛り付けが自分なりにおしゃれにできたと思うとき

とかありますが、

わたしの辞書の "幸せ" というページには今、こんなようなことが書かれています。

 

 

おかげで、日常生活の中で幸せを感じる瞬間がとても多いです。

 

 

幸せとは、そういうものだなとわたしは今、思います。

 

 

身近にあるもの、

毎日感じられるもの、

自分で感じようとすれば、いつだって手に入れられるもの。

 

 

 

 

 

過去のわたしのように、

 

特別な人じゃないと

とか

 

特別のときに感じられるもの

とか

 

不幸が全く起きないこと

 

嫌なことが起こらない状態

 

長く続くもの

 

というのを幸せの定義にしているな

 

という人が割といるな と、この仕事をしていると思います。

 

 

それだと、それを感じることは難しいんじゃないのかな?

 

 

 

 

 

”幸せはここにある”

”幸せは既にあった”

 

ずっと、よくわかんなかったけど、

それは、自分を深く知るだけでわかる、とてもシンプルなものでした。

 

 

 

誰かの発信などをみすぎて、

 

いいねの数に囚われて、

 

本当のあなたが望む幸せを見失っていたり、

 

すでにある幸せが目に入らないような自分になってしまってはいませんか?


時に、誰かの発信に影響を受けて、
「こうならないといけない」
みたいな謎の幻想を抱いたりもするけれど、生きているのは "リアル" で、
わたしが生きれるのはわたし、
わたしがなれるのはわたしのみ。


スマホの中に広がる世界じゃないし、
誰かとの比較で生まれる

”ステキ”

な世界じゃない。

 

 

自分だけの幸せ、

自分だけのステキを探求し続ける方が楽しくない?

 

 

 

 


公園に寝っ転がって、

木々のせせらぎの音を聞いて、

大地の温もりを感じ、

秋の空気を吸い込んで…


スマホの中に広がる世界もある意味リアルではあるかもしれないけれど、
”いま” を大切にしたい
と、近所の公園に夫と散歩に行ってごろごろお昼寝するたびに思うのですが、これを忘れてはいけないな… と自然の中に身を置くたび、田舎者だからでしょうか、思い出させてもらっています。

 

 

 

 

 

あなたの辞書の

”幸せ”

というページに、何と書きますか?

 

 

 

 

 

 

 

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