明日からまた、
新しい週が始まる。
月曜がくるのが重い
という人もいるかもしれない。
そんな人のことを思い浮かべながら、
つらつらと言葉を書いてみる…
わたしのブログは、
解析を見るとわかるのだけど、深夜や明け方に読んでくれている方もいる。
メルマガの登録や
メルマガへの感想や質問、
何かの申し込みも、
その時間帯にしてださる方がたまにいる。
アップ直後ではないのに、やたらある時間だけぐーんとアクセスが伸びていると、
何か答えを求め、いろんなブログを読みあさっていたら、
偶然わたしのブログにたどり着き、
何かしら気になって、過去記事を読み込んでくれたのかな とも思う。
もちろんお仕事の時間帯の都合かもしれないけれど、
「何かあって、眠れない夜を過ごしているのかな…」
とか、スマホで見る解析の向こうにいる、知らない人を勝手に心配したりする。
それは、
このブログのもととなる、
を書いていたときにアクセス解析をみたときからのわたしのくせ。
そんな風に、夜中のアクセスがあると思ったりするのだ。
(前ブログの内容はこのブログに移行済みです)
《落ち込んでいるあなたへ》を読んでくれた人がこんなことを言ってた。
「つい、忙しくしちゃう。
忙しくしてると考えなくて済むからか、やたら人と会う約束をしてたときがわたしにもあって…
それは、考えなくていいように忙しくしてるのかな?」
それを聞いて、
あぁわたしも1年くらい前まで、
”予定がないことがすごく怖い”
”手帳に空欄があることが怖い”
と思っていたかもな〜なんて、
ふと思った。
実は、ここ数ヶ月のわたしの手帳のマンスリーの部分には、3年ぶりくらいに空白がある。
そのおかげで、
人と会う仕事 (講座、セッション、おはなし会、打ち合わせなど)への意識をさらに高く持つことができるようになり、
より質の高い仕事ができるようになっている。
仕事量は変わらずあれやこれやとあるのだけれど、
人と会う仕事をぐんと減らし、夫以外の人と会わない引きこもり仕事デーを意図的につくっている。
それは、
家にこもって、
書く仕事や今後の仕事の企画や構想、
これまでの仕事の整理、
自分と向き合うワーク時間、
読書、未来のビジョンを描く時間
などを多くとるためだけど、こういった一人でいる時間をすごく大切にしてる。
わたしは四六時中仕事をしている
って思われてるみたいだけど、確かにある意味そう。
わたしは仕事が好きで、
働くことが好きで、
この仕事は最高にだいすきで、
いつだって考えている恋人のようなもの。
現代はSNSも進化しててスマホさえあればほら、こうしてお風呂からでも仕事(ブログを書くこと)ができる。
だからここまで続けているし、
これからもずっと、おばあちゃんになってもこの仕事をしていたいと心から思うし、する。
60代で何するかまでもうビジョンは立てているしね。
でも、(人と会う講座やセッションなどの仕事を詰め込みすぎて)めちゃくちゃ忙しかったときに比べたら、息抜きはしている。
四六時中仕事がすぐできるけれど、息抜きも気ままに挟んでいる
というのが確かなところかな。
わたしなりの息抜きは、
荷物を最小にしてショッピングに出かけたり、
何も買わずに ”好きなもの探し” と称し、自分の好きを探求しにゲートタワーの2階と4階をふらついたり(毎週いるかも!笑)、
だいすきなレターセットコーナーにいって便箋を見てにやにやしたり、
コーヒーをものすごく丁寧に入れてお気に入りのカップでゆっくり飲んだり、
スタバに行って、パートナーさんにそのときのみたい感じのものを伝えてカスタマイズしてもらいながらコミュニケーションをとったり、
安室ちゃんのライブDVDをみながらネイルをしたり、
ネイルの乾く時間待ちを短く感じさせるためだったり家事を楽しむためにBGMがわりにかけていた映画 「バーレスク」を、うっかり最後まで見てしまって、時間を使いすぎたことに落ち込んだりしてしまっていたり…
(この1、2ヶ月でバーレクは10回は見ている…)
こんな感じである。
んー、
息抜きはしてるが、あんまぼーっとはしてないね。
ぼーっとするのはやっぱり苦手かもしれない。
だから、《こうしてライブに行ったり》、映画館で一人でいったりして、ぼーっとする…
というより、
その世界にどっぷり浸っている
のかもしれない、思考を休めるために。
みなさんの息抜き方は何がある??
てか、息抜きしてる??
人と会う仕事を減らしても、
わたしのようなブログをメインとして発信する個人のお仕事は、
やることはいつだって終わり切るなんてことはない。
わたしのようなスタイルの場合、
”仕事とは常にあるもの”
とわたしは考えていて、それは、
”自分でいくらでも生み出せるもの”
という意味を指す。
つまり、
減ることなんてないし、
なくなることなんてない。
「もっとよくしよう」
と思ったら、エンドレスにやっていられるから。
ただ会社員のときと違うのは、お給料も自分次第ということであり、例えば ”ブログを書くという仕事” を続けたところで収入が保証されているわけではなく、
仕事がなくなることはないが、収入がそこに伴うかどうかはその人次第ということ。
話がそれたけど、
一人一人にかけられるエネルギーも高まるから成果も早く出せ、
家で引きこもってこそ捗る事務的な仕事にも、かなり力を注げるようになった。
それはやっぱり、
自分の時間を増やしたことにあると思う。
時間の使い方を大きく変えてきたことでたくさんの恩恵があるけれど、小さくうれしく思っていることがある。
それは、
小さな幸せに前よりもたくさんたくさん気づけるようになったこと。
ごろごろベッドにいれること。
ベッドから起きてきて、
リビングが明るいとものすごく幸せな気持ちになれること。
晴れの日は絶対、
「今日もいい天気だ!」
とでかい声で言っていること。
快晴の日には、地元 ZIP FMのDJ ジェームスの時間の天気予報前?に流れてた
「ノーテンキ ノーテンキ みんなでノーテンキ ステキなノーテンキ〜♪」
っていうのを99%の確率で歌っていること。
(これ今も流れてるらしく、この前歌ってたら夫が教えてくれた。知ってる人いる??)
イチョウがきれいなこと、
ぎんなんコロコロ祭りが臭すぎて笑えること。
夕焼けの空がきれいな帰り道は、
生きてることに感謝の気持ちがわくこと。
たまに夕焼けの時間に家に帰れるこの生活が学生時代みたいでうれしいこと。
働き始めたら、わたしは夕焼け、なかなか見れなかったから。
虫の音が聞こえたら、地元を思って幸せな気持ちになれること。
《だいすきなスタッフと旅行に行くこと》、夫と外食やライブに行けること。
なんの変哲も無い、変わらない平凡な日常からも、すごく幸せを感じられる。
とにかくとにかく、
幸せを感じる時間、回数が格段に増えた。
”ない” ではなく、
”ある” に目を向けられる割合が高くなった。
せわしなく、忙しくするときが必要なときは人生の中でもちろんある。
でもあまりに忙しくすると、字のごとく心を亡くし、大切なものを見失ってゆく。
余裕というものがある方が、
小さな幸せには気づきやすいといえると思う。
それは、
「ねぇねぇ最近泣いた?」
ってことなんだ。