心理職に対する熱い想い・・・ | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」


《ドラマ「家族ゲーム」をみています》

 

 

 

ドラマ「家族ゲーム」の最後2回分の録画を昨日見ました。



泣けたなぁ・・・



《ごくせんもGTOも好きだったけど》、ああいうドラマ、大好き^^



なんていうのかな・・・心の中に秘めている熱い思いがふつふつとわいてきちゃうんだよね^^



学校ものが好きってまとめるとちょっと違うんだけど、子どもの心や家族背景を描いた作品がとても好きです。




 

それはきっと、私が複雑な機能不全家庭に育ち、いろんな思いを抱えて、一生懸命生きてきたことが原因だと思う。



あんなふうに、心から信頼できる大人がほしかった、先生に出会いたかったという思いがあったからだと思う。




 



私ね、思春期の頃、頼れる大人がいなかった。

 

 

 

いろーんな悩みがあったの。

 

 


《ここにちょっと書いてるけれど・・・》
 

 

 

親になんて言えないし、他に頼りになる人もいなかった。

 

 

 

だから、私は、「思春期の私がほしかった大人に、私がなる」って、漠然と思ってた。

 



《ちゅがく時代のことをここに書いていますが》

学年トップを3回とった優等生から一変し、進学校に入って燃え尽きた私は、学祭と恋愛に全力投球、そしてときどき部活 という青春を突っ走る子に・・・(汗)



私は、勉強が全然出来ない子になってった。

 

 

 

順位は真ん中より下をうろうろ。



テスト週間は本当に地獄で、毎日泣きながら勉強をしてた・・・



「あぁ、私は出来る子の気持ちも、出来ない子の気持ちも分かる子になってまった・・・」なんて思いながら^^;



 

「とにかく浪人だけはいや」という思いから、なんとかぎりぎり国立大学の教育学部に入学して、実家から2時間かけて通ってました。

 



「将来は先生かねぇ・・・」なんて思いながら、教育学部らしく、塾講師、家庭教師のバイトを入学時から卒業時まで続けました。

 



のちのち気付くことになるけれど、《私、教えるの好きだけれど、教える仕事を通して、子どもの心のケアをしたかったんだよね》。</font>



今でもその思いはあって、家族ゲームをみていると、その思いがふつふつと蘇ってくるのを感じました。

 


 

あぁ、どうしたらああいう子どもを救えるんだろう・・・




でも、教員には絶対にならない。



本気で子どもを守ろうと思ったら、田子雄大のように、周りにつぶされる。

(一言で「周りにつぶされる」ってかいちゃったけど、もっとたくさんの思いがあります)



私はそう思って、真剣に子どもたちのことを考えて、子どもたちを守りきることができないようでは教員になってはいけないと思い、教員への道を辞めた。

 



どうすればいいんだろ。

 



スクールカウンセラーを目指して飛び込んだ心理の世界。

 

 

 

でもスクールカウンセラーは、臨床心理士資格がないとたぶん雇用されない・・・


 


あぁ、

私と同じ毒母をもつ女性のこと、
苦しんでいる子どもたちのこと、


 そして、
もう1つのこと&悩みを抱えている人(これはまだ内緒)

この3つを私はやっていきたいよぉぉぉぉ!!!






菜々